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四国お遍路 16日目(11月13日)

雪渓寺通夜堂 6:40 ~ 国民宿舎土佐 15:30
移動距離 : 25.2キロ
参拝札所 : 35清滝寺、36青龍寺
宿泊 : 国民宿舎土佐 1泊2食付き7300円 (ウミガメも住み着くユニークな国民宿舎)お勧め!
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憧れの仁淀川を渡りショウガの里を歩く


日の出前に通夜堂を出発

通夜堂で同宿だった男性は朝6時、まだ暗いうちから出発していった。
私たちは部屋の掃除をして午前6時40分、通夜堂を出る。
その前にかみさんは、久しぶりにお通じがあってすっきりしたようだ。
かみさんにとって、これは毎朝の出発前の大きな問題なのである。

用水路沿いにしばらく歩いていく。
そうして、四国の憧れの川の一つでもある仁淀川を渡る。
川原まで降りてみるが、河口も近いので清流のイメージはあまりない。
橋を渡った後は仁淀川の堤防上を少しだけ歩く。
透明度は失われていても、仁淀川の風景はやっぱり美しい。


憧れの仁淀川の堤防を歩く



山の中腹にお寺らしきものが見えている

水田の中の道を歩いていくと、山の中腹にお寺のような建物が見えていた。
それが多分36番清瀧寺なのだろう。
遍路道沿いのタクシー会社の前に「荷物預かります」との看板があったが、あの山の上まで登ることを考えれば、確かに荷物を預けた方が楽そうだ。
私たちは、これも修行の一つだとばかりに、荷物を背負ったまま山に向かって歩いていく。

予想通りのきつい登りが始まる。
道の横を水が流れていた。
清瀧寺の由来ともなった湧き水が、そのまま流れてきているようだ。

標高差約150m近くをを登って午前9時に清瀧寺山門に到着。


清滝寺山門から続く急な階段を登る

その先にもさらに急な階段が続いていた。
清瀧寺からは土佐市高岡町の町並みが一望できて、そこまで登ってきた苦労が報われる。

山から下りて田んぼの中の道を歩いていると、猫を抱っこしたご夫婦のお遍路さんとすれ違う。
そのご夫婦は、タクシー会社に荷物を預けたらしく、事務所の横には大きなザックが二つ置かれていた。

清瀧寺でも見かけたトレラン姿の女性遍路さんが追いついてきた。
休みを利用しては、こうして走りながら札所を回っているとのこと。
本当に色々なタイプのお遍路さんがいるのだと感心してしまう。


ショウガの収穫風景

途中で生姜の収穫風景を何度も見かけた。
後で調べてみると、生姜の生産量は高知県がダントツで多いのである
収穫風景を見ていると、収穫作業は掘り上げから茎の切り落としまで、全てが手作業である。
若者が多いと思ったらアルバイトが殆どみたいだ。
北海道のシャケバイのように、このバイトでお金を貯めて旅を続ける若者も多いそうである。

高岡の町の中で遍路道を見失い、たまたま通りかかったおまわりさんに道を聞く。
そうすると若いおまわりさんは「この道を行ったほうが分かりやすいですよ」と、遍路道とは全く関係ない道を教えてくれた。
その道はどう考えても遠回りになるので、おまわりさんがいなくなったらGoogleマップを頼りにして別の道を歩いていく。
一般道を歩くときは、遍路地図よりもGoogleマップの方が役に立つのである。

ファミマで昼食を買って塚地峠の休憩所でそれを食べる。
自転車でやってきた東南アジア系のお兄ちゃんから「タバコを持っていないか」と聞かれ、本当は持っているけれど「そんなもの無い」と冷たくあしらう。
かみさんがトイレに行くと、女子トイレにドアを半開きにしたままオヤジが入っていたとのこと。
何だか、治安の悪い場所に感じてしまう。


峠の途中で一休み

そこから先、国道はトンネルを抜けて下っていくが、遍路道は昔からの山道を歩いて峠を越えるようになっている。
私達も迷うことなく、その山道を登り始める。
標高200mの峠までの急な登りは、さすがにきつい。
日曜日だけあって地元のハイカーの方も結構歩いていて、そんな人たちから励まされる。
ところどころに置かれていた竹を利用した手作りベンチも、彼らが作ったものかもしれない。

峠を降りてくると安政地震の碑が建っていた。
安政5年(1858)に地元有志によって遍路道沿いのこの場所に建てられたとのことである。
高知をここまで歩いてきて、南海トラフ地震への危機感がとても強いことをあちらこちらで感じさせられた。
この碑からも、過去の教訓と未来への備えの大切さを学ばされた気がする。


宇佐大橋は余裕で渡ることが出来た

再び海へと出てきて、宇佐大橋で浦ノ内湾を渡る。
昨日の浦戸大橋程ではないけれど、かみさんはここでもビビッているようだ。
橋の下の潮の流れも速く、浦戸大橋のようにネットフェンスが無い分、下を覗くと背筋がゾクッとしてしまう。

そうして午後2時50分、36番青龍寺山門に到着。
ここも、山門を抜けてからの階段がなかなかきつい。
横綱朝青龍の四股名はここからとったものらしく、ここの階段でもトレーニングしていたらしい。

それでも、この階段程度は苦にならなかった。
問題は今日泊まる予定の国民宿舎土佐である。
青龍寺に向かって歩いていくる途中、山の上に立派な建物が見えていた。
「まさか、あれが国民宿舎じゃないだろうな」
そんな会話をしながら歩いてきたのだが、やっぱりその建物が今日の宿だったのである


朝青龍もトレーニングしていたと言われる青龍寺の急階段


ここまで来るだけで歩き疲れていたのに、一番最後にそこまで登ることを考えるとうんざりしてしまう。
100m近くを一気に登り、やっとの思いで午後3時半に国民宿舎土佐に到着。


国民宿舎土佐からの眺めは最高

苦労した甲斐があって部屋の窓からの眺めは最高だった。
風呂も広くて、民宿とはやっぱり全然違う。

洗濯機が外に置いてあるのでそれを見に行くと、外に出るドアの前にウミガメの甲羅が置いてあった。
何でこんな所に置いてあるんだろうと思っていたら、その後で洗濯しに行ったかみさんが「甲羅が動いた!」とびっくりしながら戻ってきた。
生きているウミガメだったのである。

宿のご主人に聞くと、寒くなると勝手に入ってきて廊下でじっとしているとのこと。
「暖かくなったらまた出て行くんですよ」と、全くほったらかしにしているのが可笑しい。
宿ではウサギやフェレットも飼っていて、外には丸々と太った豚が2頭繋がれているし、面白い宿である。


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