北海道キャンプ場見聞録
四国お遍路 12日目(11月9日)
蔵空間茶館 6:55 ~ 神峯寺通夜堂 15:25
移動距離 : 25.5キロ
参拝札所 : 27神峯寺
宿泊 : 神峯寺通夜堂(設備は整っているけれど参拝者がいなくなるまで荷物は広げられない)
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野宿覚悟で通夜堂へ
徳島新聞に載ってしまった
朝6時過ぎに携帯電話が鳴った。
こんな時間に電話がかかってくることは滅多に無いので「誰だろう?」と思って出てみると、一週間前に泊まった民宿鶴風亭の奥さんからだった。
「今朝の徳島新聞に高橋さん達が載っている」と嬉しそうに教えてくれた。
3日前に取材を受けたけれど、その後高知県に入ってしまったので、徳島新聞は見られなくなっていたので、わざわざ教えてくれたのはとてもありがたかった。
新聞を送るとまで言ってくれたけれど、新聞社から送ってもらえることになっていたので、丁重にお断りする。
ミカンとバナナを持たせてもらい、6時50分に宿を出る。
朝日に照らされる吉良川の街を歩いていたら、同宿だった若い女性のお遍路さんに追い越される。
色々と情報を仕入れているらしく、今日向かう予定の神峯寺へは麓の店で荷物を預けて登れること、途中の遍路道では国道を歩いた方が楽なことなどを教えてくれる。
若いだけあって歩くスピードも速く、直ぐにその背中は小さくなっていった。
海を眺めながら歩く
今日もひたすら海を眺めながら歩く。
羽根の市街地に入っていくと、地元の方から「この先は山道に入らないで国道を歩いた方が楽で景色も良いですよ」と、先ほどの女性と同じことを言われた。
楽をしようとの気持ちはなかったけれど、地元の方のアドバイスには素直に従う。
おかげで美しい海岸風景を楽しめ、羽根岬近くの休憩所で一休みしてトイレにも入れた。
確かに100mの峠越えより、こちらの方がずーっと快適である。
今日は海も穏やかだ。
室戸岬東側の海とは全く違う雰囲気である。
外洋に向かって大きく開いていても、やっぱり土佐湾の中の海は穏やかなのかもしれない。
土佐湾の海は穏やかだ
二十三士の墓
田野町を歩いていると「二十三士の墓」の看板が気になり、国道沿いの寺に寄り道する。
土佐藩の尊皇攘夷派23人が藩に対して嘆願書を出したが聞き入れられずに全員が打ち首になった旨の説明書きがあった。
土佐の国を歩いていると、幕末の息吹を身近に感じられる。
道の駅田野駅屋でゆずジュースを飲んで一服。
今日の宿泊は神峯寺の通夜堂を予定していた。
神峯寺への遍路道は標高430mまでほぼ一直線に登ることから「まったて」と呼ばれていて、12番焼山寺、20番鶴林寺、21番太龍寺に次ぐ4番目の遍路ころがしである。
そのために、麓の宿に泊まって、そこに荷物を置いて神峯寺まで往復しようと考えたが、1軒しかない宿は満室で予約できず。
そうなると、周辺に他に宿はないため神峯寺の通夜堂に泊まるしかない。
しかし、そこまで行ってもしも通夜堂に泊まれなければ山の上で路頭に迷うことになってしまう。
3日前の明徳時では予め電話で宿泊の許可を貰えたことから、気軽に考えて昨日の夕方に神峯寺に電話で問い合わせてみた。
すると、「ここの通夜堂は、お遍路中に泊まる場所がなくて困っている人を助けるために用意しているので、予約などは受け付けていない」と、やんわりと諭された。
もっともな話しで、こんなことで電話をしてしまった自分が恥ずかしくなる。
こうなったら、もしも通夜堂に泊まれなかったら野宿するしかない。
そんな覚悟で神峯寺を目指すことにしたのである。
安田町の街並み
途中のレストラン岬で昼食。
酢豚定食は濃厚な味付けで、これからの山登りに向けてスタミナが付きそうだった。
安田町の市街地に入ると、水切り瓦のある民家などが多く、吉良川の町並みと良く似ていた。
スーパーやコンビニがないので、小さな酒屋でビールを買う。
荷物が少々重くなってもビールは欠かせないのである。
まったての遍路道をなるべく汗をかかないようにゆっくりと登っていく。
今朝の若い女の子が軽快な足取りで坂道を下ってきた。
荷物は麓の店に預けてあって、この後は電車に乗って次の町まで行くとのこと。
全て歩き通すとの拘りがなければ、電車を上手く利用しながら宿に泊まる方法もあるのだ。
通夜堂に泊まれなかった場合にテントを張ろうと目星を付けておいた場所までやってきた。
そこは、東屋があって近くにトイレもあり申し分のない野宿ポイントだった。
ニュージーランドのご夫婦と最後の別れ
一休みしていると、2日前に分かれたニュージーランドのご夫婦が山道を下ってきた。
奥さんの方はかなり足が痛そうである。
2日前に分かれた日は寺の宿坊、翌日は野宿、今日は麓の宿に泊まるとのこと。
遍路地図に載っているただ1軒の宿以外にも、宿はあるみたいだ。
彼らは高知市内で今回の遍路を終わりにするらしいので、会うのは多分これが最後になりそうだ。
お互いに写真を写しあう。
貰った名刺を見ると、ニュージーランドではゲストハウスをやっているみたいだ。
いつか泊まりに行きたいものである。
車道は大きく蛇行しているけれど、歩き遍路道はそこを短縮して真っ直ぐに登っている。
かなりの急勾配なので、もしかしたら車道をそのまま登っていった方が楽かもしれない。
そうして午後2時40分、神峯寺の山門に到着。
神峯寺からさらに上に登ったところに神峯神社がある。
こちらの方が雰囲気が良いが、元々はこちらが札所だったらしい。
明治政府の神仏分離令により神社のみが残ることになったとのことだが、神仏分離令は明治政府の一番の失策だっと私は思う。
良い雰囲気の神峯神社
快適な通夜堂だ
ここの通夜堂の利用は午後4時かららしいが、3時半には宿泊の許可をもらえた。
ただ、その場所は接待所にもなっているので、5時になるまで荷物は広げられない。
午後5時を過ぎると暖かいお茶とミカンを出してもらえた。
夕食は非常用に持ち歩いていた山食のパスタ。
ここの通夜堂は接待所も兼ねているだけあって、流しも室内にあり、宿泊施設としてはなかなか快適である。
しかし、山の上だけあって気温も低く、持ってきている服を全て着込んでもまだ寒い。
暖かな飲み物の持ち合わせがなかったので、クリープをお湯に溶かし砂糖を混ぜる。
「惨めだね~」と言いながらそれを飲み干す。
そんなシチュエーションがとても楽しかった。
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