北海道キャンプ場見聞録
四国お遍路 41日目(12月8日)
つたの家 6:00 ~ 民宿岡田 14:50
移動距離 : 31.9キロ
参拝札所 : 65三角寺
宿泊 : 民宿岡田 1泊2食付き6500円 (名物おじいちゃんに会えるのが楽しみ)お勧め!
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伊予の国最終日を迎える
夜が明けてきた
私が作っていた行程表ではこの日の歩く距離は29.8キロになっていた。
しかし、前日にこの行程表を見直していたら、足し算を間違えて本当は34キロくらいあることに気が付いたのだ。
時間にすれば1時間余計にかかることになる。
それもあってこの日は朝6時に宿を出た。
お遍路中で一番早い出発である。
その時間だと、辺りはまだ真っ暗。
ヘッドランプを点けるが、街路灯の明かりがあるので大丈夫だった。
交通量も少なく気持ち良く歩ける。
朝日が昇ってくるのは遅いけれど、昨日よりも寒くないので堪えられる。
山陰から朝日の光芒が空に広がる
お地蔵さんと製紙工場の煙突
途中、ファミマで買い出しし、へんろ小屋のしんきん庵秋桜で最初の休憩をとる。
宿を出てから2時間20分、休憩するにはちょうど良い時間だった。
遠くに見えていた三島の製紙工場の煙突が、次第に近づいてくる。
その煙突の直ぐ近くまでやって来たところで、遍路道は煙突から離れて山へと向かう。
いよいよ65番三角寺へ向かっての登りが始まるところに、戸川公園がある。
そこで一休みしてから、気合いを入れて登り始めた。
眺めの良い道である。
途中からは、三島の町が眼下に見渡せた。
三角寺へ向けて山を登っていく
三角寺に咲く寒桜
山道に入り、さあこれからだと思っていたら30分もかからずに車道まで出てきて拍子抜けだった。
ここの山門には鐘が釣られていたので、それを撞いてから中に入る。
街の中の札所では鐘はあまり撞かないのだが、ここの様な山寺ではやっぱり鐘を撞きたくなるのだ。
鐘の音が山に響き、何とも気持ちが良い。
境内で咲いていた寒桜が印象的だった。
三角寺を出た後は山の斜面をトラバースするような道をゆっくりと下っていく。
眼下には常に三島の街並みが見えていた。
ゆらぎ休憩所で昼食にする。
ここの東屋には囲炉裏まで作られていてビックリした。
三島の街を眼下に眺めながら歩く
里へと下りてきた
番外霊場の常福寺(椿堂)で同宿のK田さんに追い付く。
K田さんには何時も歩いている途中で追い付くのだが、毎日かなり早い時間に宿を出ているようだ。
椿堂には衣を纏った男女の石像があって、あぐらをかいた女の石像が何となく気になった。
この日に泊まった宿のご主人から、「その衣をまくると大層なものが見られたのに」と言われ、後悔した。
恥ずかしがらずにまくってみれば、何か御利益があったかもしれない。
椿堂から先は国道をダラダラと登っていく。
途中のへんろ小屋しんきん庵法皇で一休み。
事前に調べた情報ではここでも野宿ができるとなっていたが、国道の直ぐ横のここで寝られる人は相当の強者だと思った。
その先の境目峠は旧遍路道もあるみたいだが、私達は迷うことなく国道の境目トンネルを抜けることにした。
トンネル内の歩道は狭かったけれど、工事のために片側交互通行になっていたので、怖い思いをせずに通り抜けることができた。
今日のゴールは間近だ
そうして午後3時前に余裕を持って今日の宿である民宿岡田に到着。
この民宿はお遍路さんの間でも有名なへんろ宿である。
次に控える遍路ころがしの雲辺寺を前にして、殆どの歩き遍路はここで1泊するのだろう。
K田さんも勿論、ここでも同宿である。
夕食時はここのおじいちゃんが同席して、ご飯のお代わりをついでくれる。
かなり高齢のおじいちゃんにご飯をついでもらうのは申し訳ないので、自分でつごうとしたら、おじいちゃんは歳を感じさせない素早さで立ち上がって、私の茶碗を持っていくのだ。
食事を終えると、明日の雲辺寺までの道程を自分で作った資料を元にして詳しく説明してくれる。
これも民宿岡田の名物みたいだ。
おじいちゃんの色々な話しも面白い。
それは良いのだけれど、K田さんの話しが長くて、早く部屋に戻ってゆっくりしたいのに席を立つタイミングがなかなか掴めずに苦労した。
結局、午後8時過ぎまで食事に時間がかかってしまった。
いよいよ明日からは涅槃の道場讃岐の国へと入るのである。
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