北海道キャンプ場見聞録
四国お遍路 43日目(12月10日)
藤川旅館 6:30 ~ 善通寺グランドホテル 15:50
移動距離 : 27.7キロ
参拝札所 : 70本山寺、71弥谷寺、72曼荼羅寺、73出釈迦寺、74甲山寺、75善通寺
宿泊 : 善通寺グランドホテル 素泊まり4900円 (この値段にあった居心地の良さ)お勧め!
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空海生誕の地を訪ねる
宿のおばあちゃんに見送られ、6時半に出発。
辺りはまだ薄暗い。
財田川の堤防上の道を上流に向かって歩いていると、次第に空が白んでくる。
清々しい朝だった。
朝焼けの空を眺めながら財田川の堤防を歩く
本山寺境内
宿を出てちょうど1時間で70番本山寺に到着。
ここの仁王門は国の重文、本堂は国宝に指定されていて、なかなか見応えのあるお寺だ。
五重塔が修復中で囲いの中だったのがちょっと残念だった。
境内の掃除をしていた寺の奥様らしき方から、お菓子をお接待してもらった。
ますますこのお寺が好きになってしまう。
次の札所へ向かう途中、溜め池の横を何度も通り過ぎる。
本当に溜め池だらけの土地である。
山頂が半分削り取られた山の姿が痛々しい。
後で調べてみると、讃岐七富士の一つに数えられていた爺神山であることが分かった。
昔は美しい富士の形をしていたのだろう。
それがこの様に無残な形になってしまうことに、その当時反対運動は起こらなかったのだろうか。
今ならばこんな行為は絶対に許されないはずである。
山頂を削り取られた爺神山
溜め池がそこら中にある
1時間ちょっと歩いて、茶処みとよ高瀬へんろ小屋で一休み。
このくらいの距離のところに休憩所があるのは、本当にありがたく感じる。
弥谷寺の急な階段
71番弥谷寺の山門までは結構な登り坂である。
しかし、その山門を過ぎた先からが本当の登りとなるのだ。
一番上の本堂までは540段の階段を登らなければならない。
途中にある大師堂まではシャトルバスが走っているくらいだから、その大変さが想像できるだろう。
午前中はまだ体力があるので、その階段を颯爽と駆け上る。
本堂まで登ってくると素晴らしい眺めが広がっていた。
大師堂の中の獅子の岩屋は、弘法大師が7歳の頃学問に励んだ場所とされている。
讃岐の国は弘法大師が生まれ育った場所でもあり、その様な言い伝えも真実のように思えてくる。
他にも見所の多いお寺だった。
獅子の岩屋
本堂からの眺め
シャトルバスの乗り場まで降りてきて、そこで昼食を食べさせてもらう。
山道を下り、美しい溜め池の横を通って、72番曼荼羅寺に到着。
溜め池のある美しい風景
ここには樹齢1200年を超す弘法大師お手植えのマツがあったそうだが、平成14年に枯れて伐採されてしまったらしい。
現在は、その幹に刻んだ笠松大師が境内に安置されている。
73番出釈迦寺は、曼荼羅寺から直ぐ近くだ。
もっと山の上にあるお寺だと思っていたので、ホッとした。
山の上にあるのは出釈迦寺の奥の院、捨身ヶ嶽禅定である。
幼少期の弘法大師がここから身を投じたとの伝説が残るところだ。
麓からでもその建物が確認できて、そこまで登れば素晴らしい風景を楽しめるのだろう。
空海が身を投じた場所の眺めをこの目で見てみたかったが、そこまでの道はかなり険しそうだ。
幸いなことに、出釈迦寺には捨身ヶ嶽遙拝所なるものがあり、ここから祈願すれば上まで登ったのと同じご利益があるとのこと。
私達はご利益が欲しい訳じゃなかったが、ここから眺めるだけで済ませることにした。
捨身ヶ嶽禅定は下から眺めるだけにしておいた
74番甲山寺は大して見るものもなかった。
それどころか、寺の裏山が採石場になっていて、寺の直ぐ近くまで山が削られてきているのには驚いてしまった。
弘法大師がこの現状を見れば大いに悲しむことだろう。
善通寺のクスノキはさすがに見応えがあった
そしてとうとう、空海誕生の地でもある75番善通寺にやって来た。
京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとされている。
今回のお遍路は、個人的には空海の足跡を辿る旅とも考えていたので、ここは所謂この旅のクライマックスとも言えるところだった。
しかし、そのクライマックスの寺は一大観光地でもあり、境内は観光客で溢れていた。
ゾロゾロと歩く観光客に囲まれた中で般若心経を唱えるのは、とても違和感があるのだ。
境内のクスノキの巨木に感動した程度で善通寺を後にし、今日の宿である善通寺グランドホテルへと向かった。
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