北海道キャンプ場見聞録の終焉

第5回 家の建て替え

北海道キャンプ場見聞録のホームページを建物風に表現すると、およそ築15年である。
一般的な住宅ならばそろそろリフォームを考えたくなる築年数だが、ネットの世界での築15年は既に古民家と言っても良いくらいの年数である。
もしその間、一度もリフォームしなかったならば、間違いなく廃屋となってしまう。
途中でリフォームして廃屋化を免れたところでも、家主がいなくなって空き家状態のまま放置されている家も沢山ある。
その家主がどこへ行ったのかと探してみると、管理の楽なマンション(ブログ)へと引っ越した人が多かったりするのだ。
マンションの住人は、以前住んでいた家に時々戻っては最低限の補修をするのだけれど、そこが廃屋化するのは時間の問題だろう。

私の場合は、小規模な増改築を繰り返しながら、今でも昔ながらの家に住み続けている。
最初に建てた頃よりは床面積もかなり広くなり、お客さんも沢山来てくれるようになった。
しかしその家の中には、蜘蛛の巣の張っている部屋や物置化した部屋、中には開かずの間まであったりする。
建てたばかりの頃はシンプルで使いやすい間取りだったのが、増築を繰り返すうちに家の中の動線もぐちゃぐちゃになってしまった。
住んでる人間は何不自由なく動き回れるけれど、我が家を初めて訪れたお客さんの中には家の中で迷子になってしまう人まで出てくる始末である。
皆が玄関から訪問してくれるのならばまだ良いのだけれど、ネットの世界ではどこから家に入っても良いとのルールがあるので、家主の都合だけで「玄関に回ってください」と言うわけにもいかない。

現実の世界では古民家には古民家なりの良さがあるのだけれど、ネットの世界では古民家などに誰も興味は示さない。
玄関から上がり、お茶を飲みながら家主から家の説明や家族の紹介をしてもらって、「どうぞゆっくりご覧下さい」と促されてから部屋の中を見て回ったりしていたのは古き良き時代の話である。
現在は、専門業者の紹介を受けた人間が勝手に部屋の中を見て歩いて、自分の欲しいものが見つかればその写真を撮るだけでサッサと出て行ってしまう。
勿論、家主への挨拶など一言もない。
昔はそんなお客さんでも談話室に顔を出してくれて、そこは一つの社交場となっていた。
今はその談話室も、訪れる人は殆どいなくて、たまに常連さんが顔を出す程度である。

話は逸れるけれど、最近はミクシィ村とかフェイスブック村などの新しい村が作られ、そこに別荘を建てるのが流行になっているようだ。
私も人からの紹介で両方の村に土地だけは持っているのだけれど、そこに別荘を建てる気にはならない。
それらの村ができる前、誰でも自由に出入りすることができる巨大コミューンが一世を風靡していた時代もあった
しかし、そのコミューンの中では、出入り自由なことが災いして、一般社会では相手にしてもらえない様な輩が我が物顔でのさばるようになってくる。
そこでミクシィ村などでは、よそ者を排除するため、村人の紹介が無ければ村の中には入れない様にしてしまった。
フェイスブック村は紹介が無くても入村できるけれど、そのためには大きな顔写真入り名札を胸にぶら下げて歩かなければならない。

人間はもともと2面性を兼ね備えており、巨大コミューンの中でハイエナのような振る舞いをしていても、村に入ればまともな社会人面を装うことなど、苦も無くできてしまう。
いくら紹介制や名札制をとったところで、巨大コミューンと大差ないと言うのが私の考えである。
自由なネット社会の中で暮らしてきて、今更そんな閉鎖的な村社会に別荘を建てる気にもなれず、時々変質狂的な来客があったとしても、外塀のない今の家での生活を変える気にはなれないのである。

最近になってお客さんが減ってきたのは、家の作りが古くなったことは関係ない。
色々と原因はあるけれど、一言でいえば社会構造の変化である。
そうと分かってはいても、せっかく来てくれたお客さんには快適に過ごしてもらいたいのが、家主としての感情である。
住み慣れた家だけれど、そろそろ建て替えた方が良いのではと考えるようになってきた。
実はもう何年も前から建て替えの検討をしているのだけれど、なかなか決断できずに今に至っているのである。

その理由の一つは、現在住んでいる家が大きくなりすぎたこと。
壁紙の張り替えや部屋の模様替え程度ならできるけれど、建て替えとなると、設計図を最初から書き直さなければならない。
そして基礎から作り直して。工期だけでも何か月もかかりそうだ。

もう一つの理由は建築工法の違い。
今の家は在来工法で建てている。
この工法ならば独学で勉強して知識もあるので、補修や増築程度ならば簡単にできてしまう。
ところが最近の住宅のほとんどはCMS(コンテンツマネジメントシステム)工法で建てられているのである。
マンション(ブログ)などもこのCMS工法が使われている。
この工法の利点は、増築や模様替え、建物管理などがとても簡単であることだ。
どうせ建て替えるのならばCMS工法を採用したいけれど、そうなると今の家で再利用できるのは家具くらいしかなくなる。
家の構造材も全て廃棄物として処理しなければならない。せいぜいその中の一部を焚き火用の薪として利用できる程度だ。

そして最大の問題が、建て替えた後の家に何年住むかである。
10年以上住みるのならば建て替える価値もあるけれど、とてもそうは思えない。
年を取って「やっぱりマンションの方が住みやすい」などと言い始めるかもしれない。
それとも、社会から隔絶された森の中でひっそりと暮らす人生を選択するかもしれない。
後継ぎがいるわけではないので、私が引っ越してしまえば、残された家は廃屋になるか、取り壊して完全な更地にするかである。
そんなことを考えていたら、ここで手間をかけて建て替える気にはならないのだ。

まだしばらくの間は古くなった大きな家を眺めてはフーッとため息をつく日々が続きそうである。

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