途中で今日の宿泊地に予定している築拓キャンプ場へ電話を入れておく。
ここは酪農家5人の集団(AB-MOBIT)が作ったキャンプ場で、普通のキャンプ場のように管理人がいるわけでもないだろうし、今時期の平日ならば宿泊客もいないと思われ、あらかじめ電話でもしておかないと閉鎖されているかもしれないのだ。
案の定、現地には人がいないので何時頃の到着になるか聞かれ、とりあえず午後3時前後に着けると思うと答えておいた。
根室の納沙布岬などには何の興味も無いのだけれど、せっかくここまで来たのだから足跡だけは残しておこうとさっさと記念撮影だけを済ませる。
本格的な観光シーズンにはまだ早いのだろうけれど、それでも大型観光バスが駐車場には何台も停まっていて、お土産店の間を観光客がゾロゾロと歩いている。
私達もこの際、観光客として行動することにして、ちょうど昼になったものだから土産屋の中の食堂で何か食べることにする。根室と言えばカニしかない。カニ丼を注文したけれど、観光地で食べるものとしてはまあこんなものだろう。
賑やかな納沙布岬を逃げ出して、時間も無くなってきたものだから前回訪れた落石岬はパスして、久しぶりに花咲港近くの車石を見に行くことにした。
ここのような岩場の景観は一度見ていれば十分なのだが、かなり昔のことなので、ほとんど記憶に残っていないのである。ここも写真だけ撮ってさっさと移動する。
そして次に向かったのが、北方原生花園に次いで今日の楽しみの一つにしていた温根沼へ流れ込むオンネベツ川である。
ここに何かが有るという訳ではないのだけれど、旅行前のリサーチ中にとても興味を惹かれていた場所で、カヌーにも乗れそうなところだ。
今回はせっかくカヌーを積んでいるのだから、歴舟川以外にも道東のどこかでカヌーに乗ってみたい。その候補として、野付湾で野付半島の先端まで行くとか、ヤウシュベツ川から風連湖へ下るとか、ムツゴロウさんが暮らした嶮暮帰島へ渡るとか、別寒辺牛川や霧多布湿原でのカヌーなど、色々と考えてはいたのだけれど、結局今日まで一度もカヌーを降ろしていないのである。
これから向かうオンネベツ川がその中では一番、カヌーに乗れる可能性が高そうな気がする。
地図を確認しながら、オンネベツ川へ続く林道へと車を乗り入れた。そして直ぐその先で出会った風景には、本当に感激してしまった。
今回の旅行中、色々な花の風景を楽しむことができたけれど、私が昔から憧れていて、まだ一度も出会ったことの無いのが、一面にワタスゲが咲く風景なのである。
今日も根室半島一周中に、所々でワタスゲが咲いているのを見かけたけれど、一面のワタスゲと言うものではなかった。
それが今、規模こそ小さいものの一面のワタスゲが目の前に広がっているのである。その中に、ヒオウギアヤメが混ざっているものだから、その白と紫のコントラストもまた素晴らしい。
そこはただの道ばたの湿地帯と言ったような場所だった。長靴に履き替えてその中を歩いてみたけれど、足元はフワフワとしたミズゴケに覆われ、立派な高層湿原の様相を呈している。
こんな場所が人知れず存在しているのだから、根室の自然は奥が深い。そこからまた少し進むと、前方に何やら白っぽく見える場所が現れた。
「あれって、も、もしかして、全部ワタスゲ?」
それこそまさしく、一面に咲くワタスゲの風景だった。
ワタスゲの湿地を過ぎると、林道は森の中へと入っていく。道幅は狭いものの、路面状態も良く、走りやすい林道だ。
そうは言っても、オデッセイは林道を走るような車でも無く、普段は林道に乗り入れるようなこともほとんど無いので、ちょっと不安になってくる。
普通の道路と違って、その先が確実に通れる保証は何も無いのである。
緊張しながらしばらく走っていくと、突然森が開けて明るい場所に出てきた。そこがオンネベツ川だった。旅人の間では夢想平とも呼ばれているらしい。
サルオガセのぶら下がる立ち枯れたアカエゾマツ林に囲まれ湿原の風景の中を、ゆったりと蛇行しながら流れるオンネベツ川、私の期待していたとおりの場所だった。
ただ、橋の上から川の様子を良く見ると、透明度ゼロの茶色く濁った水とその上で乱舞する蚊の大群、カヌーを浮かべるにはちょっと尻込みしてしまうような状態だった。
ここでカヌーに乗るとしたら、虫も少なく川岸の草が伸びる前の春先がベストだろう。そんな時期にもう一度ここに来てみたいと、宿題を残してオンネベツ川を後にした。
既にキャンプ場に電話で連絡していた午後3時を過ぎてしまっていたけれど、もう一箇所行きたい場所が残っていたので先を急ぐ。それはJRの別当賀駅付近から海側へ行った場所のホロニタイ湿原である。
事前のリサーチによると、最果てらしい風景をそこで楽しめるみたいだ。
観光地でも何でもないので、看板などあるはずも無い。ネットで調べた情報を頼りに、海岸へ向かう道を見つけて、車を走らせる。
やがて海岸付近を一望できる見晴らしの良い場所に出てきた。どうやらそこから下りた所が目的のホロニタイ湿原らしい。
ところがそこへ下りる坂の途中に個人の別荘らしい立派な建物が建っていたのには、ちょっと興ざめさせられた。
荒野を求めて車を走らせていたら、突然個人の庭先に出てきてしまったような感覚である。
近くに記念碑が建っていて、その説明を読むとこの付近の土地は野鳥保護のために個人の浄財により買い取られ日本野鳥の会が野鳥保護区として管理されているらしい。
別荘のような建物は、その浄財を出した人の持ち物なのだろうか。
とりあえず海岸まで行ってみたけれど、海岸近くには「個人所有地につき立ち入り禁止」と書かれたゲートがあって、道はそこで行き止まりだった。
何だか良く分からない場所である。「一体ここは何なんだ」と頭を傾げながらそこを後にする。
本日の予定を全てつつがなく終了して、後は今日の宿泊地築拓キャンプ場へと向かうだけだ。
ここは2年前に新しく出来たばかりのキャンプ場で、当然利用するのも始めてである。その評判はまだ一度も聞いたことが無く、キャンピングガイドに載っている写真を見ても今一サイトの様子が良く分からない。
周りが牧場と言うことは確かなので何となく期待はしていたけれど、完全な外れと言う事態も十分に考えられる。
以前根室市にあったキャンプ場が閉鎖されてしまった今は、ここが根室半島周遊にに一番便利なキャンプ場でもあり、その利用価値は高い。
そこで、結果はどうあれ、是非その実態を確認しておきたかったのだ。
国道沿いの看板を目印に曲がり、牧草地が広がるのどかな風景の中を走っていくと、直ぐにキャンプ場入り口の看板を見つけた。
到着は4時、電話した時間より1時間ほど遅れてしまった。
直ぐに受付の建物から若くて感じの良い女性が出てきて出迎えてくれる。受付を済ませた後は、そのまま場内を案内してくれて丁寧に施設やサイトの説明をしてくれた。
「そして伊藤牧場の○○と言います。何か分からないことがあれば電話してください。それではどうぞごゆっくりしてください。」と言ってジープに乗って走り去っていった。
多分私達が到着するまで、きっと仕事が忙しい中を1時間以上も待ってくれていたのだろうと考えると、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまった。
「さあて、どこにテントを張ろうか。」と言ったものの、二人してやや途方に暮れていたのである。
問題はそのサイトだった。林間の雑草地の中を所々草を刈り取って、そこをテントサイトとしているのだけれど、私にはそれがサイトにはどうやっても見えなかった。
面積も狭く、刈った草はそのまま放置されていて、地面もデコボコ、どうやってここにテントを張れと言うのだろう。
それに車を停めた場所からもそれぞれのサイトはかなり離れている。
「荒野を目指して!」などと考えていたくせにテントを張る場所くらいに文句を付けるな、なんて言われそうだが、それにしてもちょっと酷過ぎる。
キャンプ場の周りは全て牧草地が広がり、ちょうど牧草が刈られた後である。受付の女性からは、そこにテントを張っても良いですよと言われていたので、この際牧草畑の中にテントを張ってしまおうかと提案したけれど、かみさんはあまり乗り気じゃ無かった。
「ここなら良いんじゃない?」
かみさんが選んだサイトは、他よりもやや広く地面も平らで荷物を運ぶ距離も一番短くて済むところだ。まあ確かに、この中でテントを張るとしたら、許せるのはここくらいしか無いだろう。
かみさんは「落ち着けそうよ」と言っているけれど、私にしたら「牧草地に囲まれたこの雄大な土地の中でなんでわざわざこんな狭苦しいところにテントを張らなければダメなんだ」と言う気分である。
サイトとは別にファイヤーサークルや野外卓が並んだ共有スペースがあり、そちらの方は広々としてなかなか良い雰囲気である。
そこで、テントは寝るだけの場所として割り切って考え、共有スペースの方を生活の場として使うことにしようと考えた。
まずはテントを設営。我が家の小さめのテントでもかろうじて張れる程度の広さである。マットやシュラフなどはそのテントの中に運び込み、その他の道具は共有スペースへと降ろす。
一応これで設営完了。でも何か落ち着かず、かみさんと二人でしばらくそこに立ち尽くしていた。落ち着かない原因はやっぱり、テントと生活の場が離れていることにあるらしい。
共有広場にテントを張れば、この問題は直ぐに解決する。他に誰もいないことだし、電話をかけてそのことをお願いしたら、直ぐに認めてくれた。
これなら最初からお願い知れば良かったと思いながら、テントの移動に取り掛かる。一足先にテントの中に入って寝ていたフウマを追い出すと、「せっかく私の家が出来たのに、また何始めるつもりなの?」と言った表情を浮かべて、とても機嫌が悪そうだ。
尾岱沼でテントを動かした時と違って、こちらは立ち木などの障害物が多いので少し苦労したが、何とか移動完了。
これでようやくビールで乾杯となった。
自分の家(テント)が近くに有るのと無いのとでは、こんなに落ち着き方が違うものだと言うことを改めて知ったのである。
落ち着いたところで、改めてキャンプ場の中を探検して回る。
まず目を惹くのが水場である。コンクリートで作られたそれは、ほとんど芸術作品の域に達している。
その横の樹木に吊るされた照明も、海に浮かべる浮き玉を使っていたりして遊び心が感じられる。近くのスイッチでオンオフできるので、星を見たい時など自分で照明を消せるのが嬉しい。
ブロックを積んでサイロ風に作ったトイレも良いできばえだ。ドアの取っ手に鹿の角を使っているのも面白い。このトイレが2棟あって、大きめのほうが車椅子対応トイレなのも驚きだ。
石を積んで作ったピザ焼き釜。丸太を並べた森の学校。少し傾きかけた巨大テーブル。
キャンプ場のパンフレットに載っている写真を見ると、この巨大テーブルが朝食の場として大勢で使われている様子が写っていた。
そこに写っている大勢の人たちは、多分キャンパーではなくてここの関係者の皆さんらしいのは明らかだ。
ピザ焼き釜にしても、巨大テーブルにしても、一般のキャンパーが使う機会はまず無いと思われ、自分達が楽しみむために作った施設と言った感じである。
まあそれが個人経営のキャンプ場の良いところでもある。普通のキャンプ場を作るのは行政に任せておけば良い。どうせ作るのなら思いっきり個性的なキャンプ場のほうが楽しいのだ。
もっとも、ここのテントサイトだけはもう少し考え直して欲しい気はする。
誰もいないのでドラム缶風呂にでも入ってみようかと思ったけれど、そこへ入れる水は少し離れたところの手押しポンプから汲んでこなければならないみたいだ。小さな焚口に入れるちょうど良い大きさの薪も無いので、ドラム缶風呂は諦めた。
倉庫の中に置いてある木材は自由に燃やして良いですよと言われていたけれど、牛舎を解体する時に出たらしいその廃材は切断もしていないので長いままだった。
でもファイヤーサークルの中で燃やすのなら、その長さでも何とかなる。
それに、尾岱沼で燃やし損ねた走古丹の海岸で拾ってきた流木、それをそのまま車の荷台に積んで持ってきていたので、今夜こそは盛大に焚き火を楽しめそうだ。
夕食の支度をしていると、雲の間から赤い夕日が覗いているのに気がついた。その夕日も赤い輪郭が霞の中に見え隠れしている程度で、空を赤く染めるような力も無さそうだ。
それでも、キャンプ旅行に出てから初めて初めて見る夕日がとても新鮮に感じた。
日が沈むと、今度はこれも初めてその姿に接する月が、反対の空から昇ってきた。
すっかり忘れていたけれど、明日が満月なのである。「満月に照らされたキャンプ最後の夜」願ってもないシチュエーションだな〜、何てキャンプ出発前には考えていたのだけれど、月の姿を一度も拝んでなかったので、そんなこと忘れていたのだ。
満月1日前とは言っても、ほとんど真ん丸のお月様だ。
その月を背景に夕食にする。色あせたテーブルでの食事がまるで高級レストランでの食事に感じられた。
その食事が終わるとお楽しみの焚き火の時間だ。
拾ってきた流木も牛舎を解体した廃材も十分に乾燥しているので、気持ちよく燃えてくれる。廃材には牛フンがこびり付いているのが気になったけれど、焚き火の中に放り込んでしまえばそれも気にならない。
エゾセンニュウが「ジョッピンカケタカ」とずーっと鳴き続けている。
人家もまばらな根釧原野の中、空には月が輝き、焚き火の火の粉が高く舞い上がった。
あまりの素晴らしい夜に寝るのがもったい無く感じられ、我が家にしては珍しく、テントに入ったと時は既に夜の10時を過ぎていた。
|