辺りはまた濃い霧に包まれてきたけれど、キャンプ場へ戻るとその霧も晴れて再び青空が戻っていた。
どうもまだ天気が不安定な感じである.
我が家のサイトの近くにソロテントを張っていた、今年で退職して一人で道内を回っているおじさんライダーは、既にいなくなっていた。
かみさんが、そのおじさんがテントを張っていた場所に引越ししようと言いはじめた。
「え〜、そっちに移ったら明日の撤収の時に荷物運びが遠くなっちゃうよ」と渋っていたら、「何を軟弱なこと言ってるの!」と気合を入れられてしまった。
確かにサイトの雰囲気はそちらの方が良さそうで、連泊するのなら気分だけでも変えてみたいので、急遽20mほどテントを移動することにする。
大した苦労も無く、直ぐに引越しは完了。
他の人から見れば、まるで意味の無い移動だと思われるかも知れないけれど、我が家のキャンプではサイトを決めるにあたって、その場所の微妙な感覚の違いがかなり重要なファクターになるのである。
移動した先の新しい場所は、この広場の中では我が家にとってはベストポジションのサイトだった。
一休みしてから再びドライブに出発。
今度は、風連湖の西側から延びる砂嘴、地名では走古丹と呼ばれる、その先端まで行ってみることにした。
別にここは観光地でもなんでもなく、地図を見ていて何となく行きたくなった場所である。
東側から伸びる砂嘴の根元は春国岱と呼ばれ、そこは前回来た時に歩いている。こちら側は先端まで行くにしても歩かなければならず、遊歩道も途中までしか付いてないが、走古丹側は車で先端まで行けてしまうのだ。
国道から走古丹へ向かう道へ入って少し走ると「別海町指定文化財本別海一本松」の看板を見つけ、直ぐにそこからわき道に入った。観光施設らしき場所はとりあえず全てチェックしておこうと言った感じだ。
とても観光施設へ行くための道とは思えないようなデコボコ道を冷や冷やしながら走っていくと、伊能忠敬の最東端到達記念柱が唐突な感じで建っていた。
「えっ?一本松ってここのことなの?」
しかし、どこにも松の姿など見えない。その付近は西別川の河口近く、ただの草原が広がっているだけの土地である。更にデコボコがひどくなる道を進むと、ようやくそれらしい松を発見。
看板も何も無かったけれど、とりあえず証拠写真を撮って、満足しながらそこを後にした。
その一本松に大きな期待をしていたわけでも無く、その姿を確認するのが楽しみなのである。
先端に向かう道沿いにはずーっと電柱が建っている。そしてその電柱で電気を供給しているらしい最後の建物を過ぎると、後はただ舗装道路が続いているだけである。
それにしてもその最後の建物だけのために一体何本の電柱が立てられているのだろうと、ちょっと驚いてしまった。
そこから先の道は、海側にテトラが積まれているものの、海が荒れた時には確実に波に洗われそうな道である。道路わきの砂山は、除雪ではなくて除砂作業でできたものだろう。
そして、砂嘴の先端に到着。釣り人が一人護岸ブロックの上で竿を振っていた。
キャンプ旅行出発前に考えた「荒野を目指す道東キャンプ」のテーマで、多分この走古丹の先端がもっとも荒野を感じるところだろうと想像していたけれど、天気が良いせいか全然そんな雰囲気は無い。
ちょっと拍子抜けしたけれど、近くの草地に車を乗り入れて、そこでコンビニ弁当のお昼にする。何気なく横を見ると、3頭のエゾシカが直ぐ近くから不思議そうな表情でこちらの様子を窺っていた。
カメラを向けると、草原の中をピョンピョンと跳ねながら逃げていってしまった。
これで、歴舟川の川原、来止臥野営所近くの道、達古武キャンプ場の近くと、1日1回はエゾシカと遭遇していることになる。
如何にも野生のエゾシカといった感じで、人間にビックリして直ぐに逃げて行ってしまう。人家の近くまでやって来て、人が近くによっても全然逃げようともしないエゾシカよりは、とても好感が持てるのである。
そこからの帰り道、道路沿いの草むらで再びタンチョウの姿を見かけた。
走古丹の後は、奥行臼駅逓や新酪農展望台を観光しながら、別海町経由で尾岱沼まで戻ってきた。キャンプ場へ戻る前にシーサイドホテルで温泉に入る。露天風呂のお湯はちょっとぬるめだったけれど、野付湾の風景を眺めながら今日一日の疲れを癒した。
サイトへ戻り、風呂上りのビールを飲む。おつまみは、昨日買ってまだ手を付けていなかった北海シマエビである。もう何も言うことは無く、尾岱沼での理想的なシーンである。
ただ、パックに入った北海シマエビの数を数えながら「げげっ、これじゃあ1匹当り100円近い値段になるぞ!」と思った時だけは、現実に引き戻されていた。
管理棟のコインランドリーで洗濯をする。洗濯しなくても良いくらいの衣類は持ってきていたけれど、昨日の西別岳登山で汗をかきすぎてしまったのだ。
キャンプ中にコインランドリーを使うと、如何にも長期キャンパーになった気がして、ちょっと嬉しかったりする。
洗濯の合間に、以前から気になっていたここのバンガローに住み着いているような老夫婦のことについて、管理人さんに聞いてみた。その老夫婦とは、バンガローの横にテレビのアンテナは建てているし、その室内もまるで長期生活者のような雰囲気なのである。
その老夫婦は本州の方で、定年退職となった10年前から、キャンプ場がオープンしている間はずーっとそのバンガローを借りて生活しているとのことだった。毎日パークゴルフを楽しみ、地元の同好会の会員にもなっているのだとか。
ソロライダーのおじさんもそうだったし、昨日から本州ナンバーのワンボックスカーの中で寝泊りしている男性もそんな感じの人だし、これからの道内のキャンプ場はそんなリタイア組の人達の生活の場となってしまいそうだ。
いつの間にか空には怪しげな雲が広がってきていた。時おり雷鳴も聞こえてくるようになり、そしてとうとうポツポツと雨まで降り始めてしまった。
走古丹へ行った時にそこの海岸で流木を拾い集めてきて、今日は4日ぶりの焚き火をしようと思っていたのに、本当に恨めしい雨である。
そのまま流木を濡らしてしまうのも悔しいので、外に出してあった流木を再び拾い集め、車の荷台にしまいこむ。
しばらくすると雷鳴も遠ざかり、雨も止んできた。
これなら焚き火も出来そうかなと思ったけれど、上空の雲がなかなか晴れないので、やっぱり焚き火は諦める。
夕食を済ませた後、明日の撤収を楽にするために、テントの水滴だけは吹いておくことにした。
「そんなことしてたら、また雨が降ってくるわよ」と笑われてしまう。
そして二人で洗い物を持って炊事場へ入った瞬間、突然もの凄い雨が降り出してきた。
「ほら、だから言ったじゃない!」
洗い終わって炊事場からテントまで戻る間にもずぶ濡れになってしまうような降り方である。
テントの中で体を拭きながら「参ったな〜」と言っていると、その雨がピタリと止んでしまった。
結局その後、再び雨が降ることは無く、まるで私達夫婦を馬鹿にするために降ってきたような雨だったのである。
雨こそ降らなかったものの、翌朝も相変わらず曇り空だった。
札幌を出て以来、朝日の姿を一度も拝めていない。
尾岱沼は朝日の綺麗なキャンプ場なので、せめてここの朝だけは晴れて欲しかった。 それでも、対岸の風景が蜃気楼のように水平線に浮かび、波の無い静かな野付湾の中に打瀬舟が浮かぶ風景は、何度見ても心を癒される。
出来れば打瀬舟独特の三角帆を張ってくれたらもっと良いのだけれど、そんな光景にはなかなかお目にかかれない。
北海シマエビの餌になるアマモ(海草)を傷つけないように、動力船ではなく、この打瀬舟を使って捕る漁法になったと言われているけれど、舟が移動するときは何故かエンジン音が聞こえてくるのである。
まあそれが現実かもしれないけれど、観光用で良いから三角帆を広げた打瀬舟も浮かべておいて欲しいと思うのは、我が儘と言うものだろうか。
朝起きたら直ぐにテントの結露を拭き取り、そろそろテントも乾いたので撤収しようかなと思ったら、それを待っていたかのようにまたポツポツと雨粒が落ちてきた。
本当に憎たらしい雨である。
駐車場横のバンガローのテラスを使わせてもらうことにして、とりあえずその中に荷物を運び込み、大急ぎでテントを撤収した。
テラスの中に自分の寝床があることに気が付いたフウマは、忙しそうに動き回る私達夫婦を無視して、さっさとその中に入って寝込んでいる。
キャンプの撤収作業が始まると、車の中の自分の場所が用意されるまで、邪魔にならない場所で静かに待っているフウマだけれど、この様子には笑ってしまった。
そうして撤収を完了し、本日の予定の根室半島一周へと出かけることにした。
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