北海道キャンプ場見聞録
京都一周トレイル四日目 (2020/11/16)
北白川~大原
トレイル4日目は全行程の中で一番大変だろうと思っていた比叡山超えである。
登る標高差は700m、歩く距離も17キロくらいになりそうだ。
途中で切り上げてケーブルカーで下山する方法もあるけれど、それも何だか間が抜けている気がするので、無理してでも歩くつもりだった。
今日も朝7時に宿を出て、昨日のゴール地点である北白川仕伏町のバス停へと向かう。
そしてバス停に到着していざ出発しようと思ったら、かみさんが突然トイレに行きたいと言いだした。。
バス停の直ぐ近くに市バス誘導係員の詰所があり、そこのトイレを京都一周トレイル利用者用に開放して頂いているとの情報を事前に得ていたので、これには本当に助けられた。
午前7時40分、トレイルを歩き始める。
山道に入って直ぐに大山祇神社があったので、手を合わせていく。
私達は別に信心深いわけじゃないけれど、歩いていく途中に神社があれば一応は参拝するのである。
トレイル歩きも今日で4日目になるけれど、大体はあるき始めると直ぐに何かしらの神社があるので、今日一日の安全を祈願するといったところだろうか。
この日の安全祈願は大山祇神社で
その先でトレイルは瓜生山を経由する新道と沢を詰めていく旧道に分かれる。
私達は尾根の上に続く新道の方に進むことにする。
トレイルの分岐は尾根道を選ぶ
大きな岩の前に少し開けた場所があった。
そこには「白幽子巌居之蹟」と刻まれた石碑があり、その由緒を書いた看板も設置されていた。
少し読んでみたけれど、あまり理解できないまま写真だけ撮って先へと進む。
トレイル上にあるこの様な史跡について、事前にもう少し調べておけば興味も湧くのだろうけれど、京都は歴史が古すぎるので、付け焼き刃の知識では理解しきれないのだ。
この様な場所にも古い歴史が隠されているのが京都である
その直ぐ先には白川石の石切り場の跡がある。
花崗岩の白川石はこの辺りが産地になっている京都の代表的な石材で、寺社仏閣や近世の建物まで多く使われている。
ちなみに、白川石が風化したものが白川砂であり、枯山水の庭などで使われているのがこの白川砂だ。
トレイル道でも所々にこの花崗岩が露出していて、風化しやすい性質のため踏み跡が階段のように窪んでいる。
花崗岩が風化して磨り減ったトレイル
トレイルは一部、北白川一乗寺にある狸谷山不動院から瓜生山山頂へ通じる三十六童子巡礼道と重なっている。
私達がそれに気が付いたのは、三十三番から最後の三十六番の童子だった。
三十六番の直ぐ先が瓜生山山頂である。
三十六番目の童子に手を合わせる
山頂にある小さな社殿は、狸谷山不動院の奥の院のようだ。
その裏の石室には、鎧兜姿の勝軍地蔵が安置されていたが、山の上で参詣に不便であるとの理由で、二百五十年ほど前に下の方に移されたのこと。
何にしても京都の歴史は古いのである。
主のいなくなった石室にとりあえず手を合わせる
そこから更に先に進むと、これから目指す比叡山の山頂らしき姿が確認できた。
山全体が良い感じに紅葉していてこれから先が楽しみである。
奥に見えているのが比叡山か?
幅1m程の細い尾根道を歩く。
この辺り一帯は瓜生山城ともいう室町時代の城跡らしく、この細い尾根道ももしかしたら山城の土塁になっているのかも知れない。
何気なく歩いている尾根道だけれど山城の土塁なのかも
途中で展望の開ける場所があったが、相変わらず何処が見えているのか分からない。
ちなみに、向かい側の山の中腹に見えている白い建物と煙突は京都クリーンセンター(ごみ焼却場)である。
二日後にはこの煙突を間近に見ることとなるのだ。
京都北部を東側から眺める
暫く登っていくと「てんこ山」への分岐があった。
手元の資料で調べてみると、山城の跡はあるらしいが展望が無いとのことなので、そのままトレイルコースを進むことにした。
ここからトレイルは山道から林道へと変わり、歩きやすくなってもいたのだ。
林道は歩きやすい
所々で色付いた木々の様子を楽しみながら林道を歩いていくと、石の鳥居が現れた。
周りには何もなく、何の鳥居なのか全くわからない。
そこから杉林の中の急坂を下って、丸太の橋で音羽川を渡る。
せっかくここまで登ってきたのに、40m程も下ってしまうのが何とも勿体なく感じる。
音羽川に架かる丸太橋
しかし、そこから更に続けて沢を2本超えることになり、その度に登り下りを繰り返すので体力を消耗する。
最後の沢を越えて登り返したところに「水飲対陣跡」の大きな石碑があった。
足利尊氏に追われた後醍醐天皇が比叡山に逃れ、近臣がここで足利軍を迎えて陣を張った跡だとか。
本当に京都は、どんな場所にも歴史があるのだ。
水飲対陣跡の石碑、上り下りが続いてバテ気味
その近くには展望の開けている場所があった。
見えている場所は同じ辺りだけれど、見え方はかなり違っている。
それだけの距離を私達が歩いてきたことになるのだろう。
同じ辺りが見えていても、見え方が変わってくる
そこから少し登ったところに休憩に丁度良い場所があり、そこで初めて休憩を取る。
首の欠けたお地蔵さん、浄刹結界址の石碑、女人牛馬結界と刻まれた石柱が土に埋もれかけている。
比叡山に登る道には様々な歴史があるようだ。
モミジの下で一休み
真っ赤に色付いたモミジが目にも鮮やかだ。
しかし気温は高く、この日の京都市内の最高気温は23度近くまで上がっていた。
山の上の気温も高く、私はTシャツ短パン姿で登ることにする。
途中の展望地からの展望を楽しみながらケーブル比叡駅を目指す。
台風による倒木被害も目立つようになってきた。
全滅した杉林
ケーブル比叡駅の手前でトレイルコースは2つに分かれる。
私達は無線中継所の展望地を目指す右側のルートに進んだ。
途中、広い範囲の杉が全て倒れている凄まじい光景を目にした。
そして辿り着いた無線中継所からは期待通りの展望を楽しめた。
ただ、気温が上がっているせいもあるのか、霞がかかって遠くの方まで見通せないのが少し残念だった。
比叡山無線中継所からの展望
そこからケーブル比叡駅は直ぐ近く。
HIEIZANの文字とスマホを置く台まで用意されていたので、それを使って二人で記念写真を撮る。
今回の京都の旅で二人で写っている写真は、ここで写したものと愛宕山で神社のサービスで写してもらったものとの2枚だけ。
貴重なツーショット写真である。
貴重なツーショット写真
そこから先は管理用の自動車道路を歩いていく。
紅葉が綺麗で眺めも良く、楽しく歩ける。
ベンチがあって眺めも良い場所にやって来た。
今日はコンビニおにぎりを持参しているので、それを何処で食べるかをずーっと考えていた。
ここが丁度良い場所だったけれど、時間は午前11時と昼食には少し早く、先客もいたので休まずに先に進むことにする。
展望を楽しみながら歩ける
ルート上ではこの辺りが最高点で標高は770mくらい。
京都一周トレイルは848mの比叡山山頂を通らない。
山頂までは、ここから更に20分かかるので、当然のように山頂はパスする。
同じく、比叡山の根本中堂もパス。
比叡山は5年前に来ているので、今回は観光ではなく、トレイル歩きが目的なのである。
それでもトレイルは、根本中堂のある東塔エリアは通らないけれど、西塔エリアを通過するので浄土院や椿堂、釈迦堂を見ることができる。
比叡山西塔エリアを歩く
西塔エリアを出たのは午前11時半で、そろそろお腹も空いてきた。
トレイルは奥比叡ドライブウェイに沿って続いている。
玉体杉まで行けば休憩場所もあるみたいなので、そこを目指してひたすら歩く。
そして12時丁度に玉体杉に到着。
眺めはまあまあだけれど、それ程広い場所はなく、石のベンチが一つあるだけ。
そしてそこにはご夫婦の先客がいた。
玉体杉の下で昼食
このまま先へと進んだとしても昼食を食べられる場所があるとは限らないので、座れそうな木の根を探して、そこでおにぎりを食べる。
ご夫婦はこの日は比叡山の宿坊に泊まると言って先に歩いていった。
「あれ?比叡山に泊まるのなら、私達が来た道を戻るのでは?」と思ったけれど、考えてみるとこの先には比叡山の横川エリアがあるので、そこに泊まるのだろう。
玉体杉から京都市内を見下ろす、京都市内からも玉体杉を確認できるらしい
お腹を満たして再び歩き始める。
この先は楽に歩けるだろうと思っていたが甘かった。
少し下った後に待ち構えていたのは標高差80mの急な登り。
長袖長ズボン姿に変えていたけれど一気に汗が吹き出してくる。
そうして、息を切らしながら標高767mの横高山山頂に到着。
横高山への木の根道の急登
試練はまだ続く。
少し下った後に今度は標高794.1mの水井山へ、標高差60mの急登。
この辺りのアップダウンは本当に身体にこたえた。
水井山山頂からは琵琶湖の姿も見えるらしいが、それを確認する余裕もなく先へと進んでしまった。
水井山への急登に四苦八苦
ここからようやく、ゴールの大原の里に向かって下り坂が続くこととなる。
膝を痛めている私なので、この下りではひたすらストックに頼りながら下っていく。
仰木峠を過ぎ、東海自然歩道の分岐から始まるボーイスカウト道の急坂は、高低差で180mを一気に下る感じで、途中で「一体何処まで下れば終わるんだ~」とぼやきが入ってしまう。
ボーイスカウト道の延々と続く急な下り坂
その急坂を下り終え、沢を越える橋を渡った時は本当にホッとした。
その沢沿いの道を下り、害獣防御フェンスの扉を抜け、ようやく大原の里へと出てきた。
ゴールとなる戸寺バス停の近くに「味工房 志野」の店があったので、かみさんは大喜び。
アイスを食べ、お土産を買って、宿へと戻る。
大原の里へ下りてきた
この日の行動時間は6時間45分、歩いた距離は15.8キロと予定していたよりも短かったけれど、累積標高は1387m。
流石に疲れ切ってしまったけれど、帰りのバスは混んでいて地下鉄乗り継ぎの国際会館駅まで立ったまま。
地下鉄も学校の帰宅時間と重なって大混雑。
地下鉄四条駅で下りた後も、道を間違えて宿とは逆方向に1キロも歩いていしまい、ヨレヨレになって宿へと辿り着いたのである。