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我が家のファミリー通信 No.86-8

奈良旅八日目(若草山・春日大社)

奈良旅8日目。
とうとう奈良県の隣大阪府で緊急事態宣言が出され、奈良県の感染者もコンスタントに増えつつある。
このまま旅行を続けられるのだろうかとの不安も大きくなってきたが、ジタバタしたところでどうしようもない。
札幌へ帰ったところで、奈良より札幌市の方が感染者数もずーっと多いので、このまま奈良で暮らし続けた方が感染のリスクは低いのである。

これまで天気の方は、二日目と三日目に雨に降られただけで、その後は良い天気が続いていた。
おかげで予定していた観光地はほぼ回ることができて、今日は残しておいた春日大社と若草山を片付けることにする。

春日大社表参道でバスを降りて、参道を歩いていくと鹿愛護会の腕章をした人たちが麻酔の吹き矢を使って鹿の捕獲作業をしていた。
私も仕事の関係で、吹き矢を使って野生のエゾシカの捕獲作業を手伝ったことがあるけれど、吹き矢を当てられる距離まで簡単に近づくことができずに苦労したものである。
奈良公園の鹿は人を恐れないので、捕獲作業も簡単そうだ。


麻酔で眠らされ次々と軽トラに積み込まれる鹿


参道の両側にはおびただしい数の石灯籠がズラリと並んでいる。
春日大社には2000基の石灯籠と1000基の吊燈籠があり、その数は日本一らしい。
毎年2月の節分の日と8月のお盆には節分万燈籠の行事で全ての燈籠に火が灯るとのことで、是非一度見てみたいものである。


春日大社参道の風景


時間はまだ午前8時半。
春日大社の参拝時間は午前9時からなので、境内をぶらぶらしてから先に若草山を登ることにする。


本殿から夫婦大国社へ向かう参道にもおびただしい数の石灯籠が並ぶ


若草山は登るのに150円の入山料が必要で、その受付は午前9時から。
入り口は北ゲートと南ゲートの二カ所があり、私たちは南ゲートから入って登り始める。
どちらから登っても途中で合流するので、どちらから登るかはお好み次第だ。
なだらかな傾斜の芝生地では、鹿がのんびりと草を食んでいる。
多分この辺りの芝生は、鹿が食べてくれるので芝刈りの必要は無いのだろう。


若草山にも鹿がいた


登山道は石の階段でとても登りやすい。
登っていく丘の上には青空が広がり、数頭の鹿が私達の様子を見下ろしている。


階段を登っていくと上から鹿が見下ろしていた


15分で丘の上まで登ってきた。
そんなに登ってきた気はしなかったが、そこには奈良市内を一望できる素晴らしい眺めが待っていた。
東大寺大仏殿の屋根が直ぐ下に大きく見えている。


眼下に見える東大寺大仏殿


標柱には若草山一重目と書かれていた。
この後二重目、三重目となるのだが、その表現が如何にも若草山らしい気がした。


若草山一重目からの展望


二重目までは芝生の斜面が続く。
その途中にいる鹿が、春日山原始林を背景にしてとても絵になっていた。


若草山に佇む鹿


 

9時半前には二重目に到着。
一重目で見える景色と変わりはないが、やっぱりこちらの方が景色に広がりが感じられる。


若草山二重目からの展望


後は山頂を目指すだけだ、
上の料金所を出て丸太階段を登り、午前9時40分に若草山三重目に到着である。
登ってきた標高差は200mも無いけれど、視界を遮るものが何も無いので、標342mの山とは思えないような展望が広がる。


若草山三重目到着


駐車場が近くにあるので、上まで来たら他の人もいるだろうと思っていたが誰もいない。
私達の後から登ってくる人の姿も見えないし、私達だけで若草山を完全に独占しているようだ。

満開の桜の木の周りでは鹿の群れが寝ころんでいた。
奈良公園の群れとは完全に分かれているのだろうか。
何となくこちらの鹿の方が野生の臭いが残っているような気がする。


若草山にいるのは私達の他は鹿だけ


若草山の本当の山頂は鶯塚古墳となっている。
周りに柵がめぐらされ中には入れないようだが、更にその先の丘の上に大きな石が見えていた。
そこまで登れないのだろうかと登り口を探したが見当たらない。


山頂の鶯塚古墳、周りを囲まれているので入れないのかと思った


近くで道路の側溝清掃をしている人に聞いたところ、何のことはない、柵を乗り越えて中に入っても良いとのこと。
それでようやく若草山山頂に立つことができたのである。


ここが本当の若草山山頂




下山は春日山遊歩道から降りることにする。
春日山原始林の中の遊歩道ということで期待していたけれど、遊歩道とは言っても車も通れるような砂利道で、取り立てて目を惹くような巨木も無く、ちょっと期待外れだった。
これならば札幌の円山原始林を歩いた方が全然楽しいだろう。


下山は春日山原始林遊歩道から


午前10時半過ぎに下まで降りてきて、そのまま春日大社へと向かう。
500円を払うと本殿の回廊内に入ることができる。

入って一番最初に目に付くのが、ご神木の樹齢約800年の大杉である。
残念ながら途中から折れてしまって高さは無いものの根元の太さには圧倒される。


春日大社


私の春日大社のイメージは、石灯籠よりも回廊に下がった吊燈籠の方である。
それを見たいがために500円を払ったようなものだ。


春日大社と言えば吊燈籠


この吊灯篭に火の灯った様子を藤浪之屋の中で体験できる。
内部は暗く、目が慣れるにしたがって次第に幻想的な光景が浮かんでくる。
明るいところで見ると分からなかったが、火袋の部分が様々な模様になっていて面白い。


明かりの灯った吊燈籠


春日大社を出た後は朝に気になっていた夫婦大國社の水占いをやってみることにした。
占いの紙を水に浮かべる。
直ぐに文字が浮かんでくるのかと待っていたが全然浮かんでこない。
面倒なので水の中に全部突っ込んで待っていると、ようやく文字が見えるようになってきた。
先に判読できた文字は大吉。


夫婦水占いの結果は


一番最後に恋愛のハートの中に浮かんできた文字は「素晴らしい出会いの機会あり備え万全に」。
てっきり「この先夫婦の危機が訪れるでしょう」とか、夫婦の占いかと思っていたら、全然違っていた。
これでは恋人同士で占ったとしても、「今の私達の出会いは一体何だったの?」と喧嘩になりそうな結果である。

春日大社の国宝殿で鎧の特別展を見た後は、境内の春日荷茶屋で昼食を食べる。
屋外の席で食べられるので、コロナ感染の危険性は少ない。
もっとも他にお客さんはいないので、室内でも室外でも全く関係はなさそうだ。
それにしても、春日大社も観光客の姿は数えるほどしかいないし、有名な観光地からは人の姿は殆ど消えてしまったようだ。


春日大社境内で食べる万葉粥は美味しかった


万葉粥で腹を満たし、茶屋を出る。
奈良公園内のささやきの小径を通って新薬師寺を目指す。
公園内の整備された道と違って、ここだけ自然のままの道が残されている感じだ。
この道の正しい名前は「下の祢宜道」、高畑の町に住む神職がこの道を通って春日大社に通ったのだとか。
周りは馬酔木(アセビ)の森になっている。鹿は馬酔木を食べないので、相対的に馬酔木の数が増えたらしい。


風情のあるささやきの小径


土塀に囲まれた風情のある道を歩き、新薬師寺までやって来た。
ここの本堂は天平時代の建築として国宝に指定されているが、見た目だけではそんなに古い建物だとは感じられない。
ここで見たかったのは、本尊の薬師如来坐像の周りを囲む十二神将立像である。
天平彫刻の傑作とされ、本尊とともに国宝になっている。

十二神将は干支の守護神ともなっているらしく、像の前の説明書によると私の干支の羊は「あに羅大将」になっていた。
また、それぞれに本地仏(化身前の本来の姿)があり、あに羅大将は摩利支天である。
他の大将は菩薩や如来なのに、何で私のだけが摩利支天なんだと不満に思う。
そもそも摩利支天が何なのかは分かっていなかったのだが、後で調べてみたら結構格好いい役割だったので満足できたのである。


新薬師寺本堂、この中に十二神立像安置されている


新薬師寺を出て、この先の白毫寺まで行くか、ならまちの町歩きをするかで迷うが、白毫寺まで行ってしまうと今日もまた歩き過ぎになってしまいそうなので、ならまちへ向かうことにした。
この辺りの道も山の辺の道の一部になっているらしい。
調べてみると、二日前に石上神宮から歩いたルートが南コースで、石上神宮から北に向かって春日大社に至るのが北コースになっていた。
北コースは見どころも少ないようだが、せめて白毫寺までのルートだけでも歩けばよかったと、後悔することとなる。

奈良公園内の浮見堂のある鷺池をまだ見ていなかったので立ち寄る。
ここでもまた満開の桜が出迎えてくれた。
少し風があって池の水面にさざ波が立っているのが残念である。
風が無ければ、水面に写り込む桜も美しかったことだろう。


桜に包まれる鷺池と浮見堂


裏道を歩いているとガイドブックにも載っていないような神社を見つけて寄り道する。
看板を見るとそんな神社でも様々な沿革があるようだ。
さすがに奈良の町は奥行きが深い。

その後はガイドマップを頼りにならまちを見て回る。
お土産を買ったり、無料で公開されている町屋を覗いてみたりと、街歩きを楽しむ。


各家の玄関横にぶら下がっているものが気になっていた


お洒落なカフェや雑貨屋が多いけれど、かみさんも私もそんな店にはあまり興味がない。
歩いている人も若い女性が多いようだ。

家の軒先に赤いぬいぐるみの様なものがぶら下がっているのが気になっていた。
奈良町資料館に入って、ようやくその意味が分かった。
「庚申さんの身代わり申」と呼ばれ、魔除けのお守りの意味があるらしい。
面白いので小さいタイプを買おうと思ったら、かなりの値段なので諦めることにした。


ならまちの格子の家を見学


そうして、そのまま宿まで歩いて戻ったが、結局この日の歩いた距離も18キロになってしまう。
まあ、四国の歩き遍路で重たいザックを背負って毎日30キロを歩いていたこと思えば、これくらいの距離は大したことが無い。
ようやく歩く体に変わってきた時には、この旅も残り一日となってしまっていたのである。


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