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我が家のファミリー通信 No.86-9

奈良旅最終日(柳生街道)

とうとう奈良旅最終日の九日目を迎えてしまった。
予定していた計画はほぼ消化し、残っているのは予備の日程として考えていた柳生街道トレッキングだけである。
昨日も歩いた高畑町から円成寺までおよそ10キロの区間は、柳生街道の中でも滝坂の道と呼ばれていて、ここを歩く予定だ。
半日もあれば歩ける距離なので、午後からはお土産を買うこともできる。

ちょっと問題なのは、円成寺を通るバスの便が少ないことだった。
色々と考えた結果、奈良公園側から歩き始め、円成寺前12時6分発のバスで市内まで戻ってきて、市内で昼食を食べることにする。

バスを降りて歩き始めたのは午前8時15分。
帰りのバスの時間までは4時間弱あるで、のんびりと歩いても十分に間に合うだろう。


土塀に囲まれた道の多い高畑町


昨日も近くを歩いた高畑町の街並み、かつては春日大社の神職が居住する社家町として機能していた場所である。
その頃の名残である土塀に囲まれた道が何とも良い風情である。

町並みを抜けるとレンゲの花が綺麗な畑があった。
レンゲの花が大好きなかみさんは、奈良で見た中では一番綺麗なレンゲに大喜びである。

柳生街道(滝坂の道)
レンゲの咲く畑


やがてアスファルトの道が終わり、山の中へと入っていく。
なかなか良い雰囲気の道で、心が弾んでくるのが分かる。

柳生街道(滝坂の道)
森に入った途端に良い雰囲気の道が続く


ワラビの沢山生えている場所があった。
山の辺の道を歩いた時も無人の直売所にワラビが置かれたいたのを思い出す。
こちらはもうワラビの生える季節なのだ。

柳生街道(滝坂の道)
持って帰ることができなくても、ついつい収穫したくなる


自然の森の風景の中に突然、苔生した石垣や石灯籠が現れた。
ガイドブックの地図を見てもそれらしいものは載っていない。
小さな神社でもあったのだろうか。
熊野古道を歩いた時も、山の中に人の生活していた跡が所々に残っていた。
こんな風に人の生活の痕跡が自然の中に包まれていく様子が、私は結構好きである。

柳生街道(滝坂の道)
人の暮らしていた痕跡が突然山の中に現れた


道は何時の間にか石畳の道に変わっていた。
この道は、江戸時代に徳川将軍家の剣術指南役を務めた柳生一族の故郷である柳生の里へと繋がっている。
かつては剣豪たちもこの石畳の上を行き来していたと考えると、何となく楽しくなってくる。
円成寺から更に9キロ歩けば柳生の里まで行けるのだけど、さすがにそこまでの余裕はない。

柳生街道(滝坂の道)
途中から石畳の道となる


石畳の道の横では、苔生した岩の間を澄んだ水が流れ、時には小さな滝となって流れ落ちている。

柳生街道(滝坂の道)
横を流れる渓流の様子もダイナミックに変わっていく


緑に包まれた風景の中で、散ったばかりの真っ赤な椿の花が、一際美しさを放っていた。

柳生街道(滝坂の道)
散ったばかりの椿の赤い花が美しい


想像以上の素晴らしい道に、なかなか歩が先に進まない。

柳生街道(滝坂の道)
美しい風景が続く


 

寝仏と書かれた小さな標識が立っていた。
その前に大きな石が転がっているけれど、それが仏様のようには見えない。
首をかしげながら通り過ぎたが、後で調べてみるとその石の裏側に仏様の姿が刻まれてあったようだ。

柳生街道(滝坂の道)寝仏
何処が寝仏なのか分からなかったけれど、石の裏を見るのを忘れていた


次に現れたのは夕日観音の標識。
これは直ぐに、そこから少し上がった場所の岩に3体の観音様が刻まれているのに気が付いた。
しかしこれも、夕日観音だと思ったのは三体地蔵と呼ばれているもので、夕日観音は他にあったことを知ったのである。
その次の朝日観音は、間違いなく朝日観音だったようだ。

柳生街道(滝坂の道)三体地蔵
夕日観音だと思って写真を撮ったが、これは三体地蔵だった


柳生街道(滝坂の道)朝日観音
これは朝日観音で間違いなかった


高畑町から円成寺に向かって歩くと、道の殆どが登り坂である。
でも、美しい渓流や時々現れるアトラクションの様な石仏、巨木も所々にあって、登り坂が全く苦にならない。
それどころか歩くのが楽しくてしょうがない。

柳生街道(滝坂の道)
巨木も時々現れる


休憩所やトイレのある場所へと出てきた。
ここに立っている高さ1.8mの大きな地蔵が首切り地蔵である。
首のところに切れ込みがあり、これは剣豪の荒木又右エ門が試し切りをした跡だそうである。
一休みしてから再び歩き始める。

柳生街道(滝坂の道)
荒木又右エ門に首を試し切りされたと伝わる首切り地蔵



私はここで痛恨のミスをしていた。
柳生街道沿いの大きな見どころの一つに地獄谷石窟仏というものがあった。
石窟の奥に刻まれた仏像で国の史跡にもなっている。
私たちは休憩所からスタートする時、滝里の道の案内看板に従って歩き始めたのだけれど、地獄谷石窟仏はそこから分かれる別ルート沿いにあったのである。

柳生街道(滝坂の道)
何も迷わずにこちらの道を進んだのが間違いだった


少し歩くと石畳の道は終わりをつげ、アスファルトの道に変わってしまった。
風情も無くなり、道路の際にはコンビニのコーヒーの入れものがそこかしこに捨てられているのが目立つようになる。
峠の茶屋までやって来た。
江戸時代からここには茶屋があったそうである。
時々木々の間から見える下界の風景に、随分高くまで登って来たものだと驚かされる。
それもそのはず、後で調べてみるとここまで標高差にして約350mを登ってきていたのである。

柳生街道(滝坂の道)
峠の茶屋は閉店中だった


暫くして道は下り坂となり、水田の広がる集落へと降りてきた。
奈良盆地の中を観光している時は水の張られている水田は見たことが無かったけれど、ここでは丁度水を入れ始めているところだった。
カエルの鳴き声が賑やかに聞こえてくる。

ここまで来て初めて「そう言えば地獄谷石窟仏って見なかったよね」と気が付いたのである。
柳生街道の詳細マップはネットで見ていたのだけれど、観光案内所でそれを手に入れられず、観光ガイドブックの大まかな地図だけを頼りに歩いていたのが失敗だった。

柳生街道(滝坂の道)
突然、集落の中に出てきた


集落を過ぎて道は再び山の中へと入って行く。
こちらは杉林の中の道で単調な風景が続く。

所々でピンク色の花を咲かせているツツジに心が癒されるくらいである。
途中でようやく道が下り坂となり、このまま一気に円成寺まで下っていくのだろうと思っていたら、あまり下らないうちに円成寺の集落へと降りてきてしまった。
これならばやっぱり逆方向で歩いた方が楽なのだろう。

柳生街道(滝坂の道)
杉林の中の所々にピンクのツツジが咲いていた


午前11時過ぎに円成寺に到着。
境内に入ると美しい浄土式庭園が広がっていた。
拝観料を支払う時、受付の女性が丁寧に寺の説明をしてくれる。
有り難いのだけれど、その説明が少し長い。
バスの時間まで余裕があったので落ち着いて聞いていられたけれど、時間がない時は少しいらついていたかもしれない。

円成寺
円成寺本堂と国宝に指定されている小さな社


各伽藍が一か所に集まり、境内はそんなに広くはない。
それでも、重文に指定されている本堂や楼門、全国で最も古い春日造の社殿として国宝に指定されている2棟の小さな社、仏像でも国宝に指定されているものもあり、なかなか見ごたえがある。

その中でもやっぱり一番見応えがあるのは、庭園の池越しに眺める楼門の姿だろう。
最後にその写真を撮って円成寺を後にする。

円成寺
池越しに円成寺楼門を眺める


バスで奈良市内まで戻り昼食にする。
町の中ならば食べるものは何でもあるけれど、選んだのは結局ラーメンだった。


奈良旅最後の外食はラーメンだった


お土産を買って宿に戻る。
こちらに来てから買った食材はほぼ使い切ったので、この日の夕食はコンビニ弁当で済ませる。
夕方、外に出てみると数匹のコウモリが飛び回っていたのに驚かされた。

こうして奈良での生活が終わり、いよいよ明日で奈良を離れることとなる。
一か所に落ち付いて、そこを拠点に観光して回るのもなかなか良い方法である。
次は京都でこんな旅をしてみたいものである。


帰りもやっぱりPeach


翌日、人気の少ない関空から、搭乗率5割以下のPeachで北海道へと戻ってきた。
10日前とは、コロナ騒ぎのフェーズも確実に変わっていて、出発前にこの状況だったら奈良の旅も諦めていたかもしれない。
ギリギリのタイミングで旅を楽しめたのは、とてもラッキーだったのである。



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