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我が家のファミリー通信 No.72

2017京の紅葉を愛でる旅三日目


京都の旅3日目は勤労感謝の日で休日。
紅葉時期の京都の週末は凄まじく混みあうと聞いていたが、休日も同じ様なものだろう。
そこで、混雑を避けて回れそうなコースを2案ほど考えていて、そのうちの1案は既に昨日回ってしまった。
今日は残りの1案に従って回るしかない。

向かったのは洛北の鷹峯。
今日のお寺回りは、バスでの移動は含まずに、この周辺だけで完結させるつもりである。
鷹峯は「本阿弥光悦が屋敷を構え、その一族や門弟が集まって一大芸術村として発展した」とガイドブックで紹介され、歴史や自然を楽しみながら散策できる。

鷹峯には三つのお寺があり、その中で光悦寺の参観時間が一番早く、朝8時から参観できる。
丁度その時間に光悦寺に到着したら、入口には既に10人近い人達が集まっていた。
参観時間を待っているのかと思ったら、そうではないようだ。
散り紅葉で赤く染まった入口の路地の写真を撮っていたのである。

1人のおじさんが「写真撮り終わったら、次の人と交代しましょう」などと、その場を仕切っていた。
確かにそこは絵になる風景で、できれば人がいない状態で写真を撮りたいところである。
それでも、「そこまでやるかな~」って気がしないでもない。
私も皆の頭越しに1枚だけ撮ってみたが、構図を考えている余裕も無いので、良い写真にはならなかった。
私としては絵葉書のような写真を撮る気も無いので、人が映り込むのはそれ程気にならない。
並んでいた人達がいなくなってから、ゆっくりと撮影を楽しんだ。


カメラマンが群がっていた光悦寺入口の路地

今日は明け方まで雨が降っていたので、しっとりと濡れたモミジが余計に美しい。
庭の背景の鷹峯も朝霧に霞んで見えている。

光悦寺では光悦垣が有名である。
学生時代、造園学を専攻していた私は、この光悦垣が見たく鷹峯を訪れたことがある。
40年ぶりくらいに見る光悦垣は、その時と変わらぬ姿で存在していた。

庭の中に茶室が点在し、京都らしい侘び寂びの世界を満喫して光悦寺を後にする。


光悦寺の光悦垣

時間はまだ8時半。
源光庵の拝観時間は9時からなので、その前を通り過ぎて先に常照寺に行こうとしたら、既に源光庵も入れるようになっていた。
スーパーの開店時間と違って、拝観時間はそれ程厳密ではないようである。

源光庵の山門からは、境内の美しい紅葉が見えていた。
山門横の塀の上からも真っ赤に色付いたモミジの枝が張り出し、朝日に照らされて塀の壁に影を落としている。

山門を入ると本堂前の紅葉したモミジに目を奪われた。
私がカメラを構えていると、派手な衣装をまとった女性が近付いてきて、英語で話しかけてきた。
彼女のカメラで写真を撮って下さいと言ってるようなので、気軽に引き受ける。
その彼女が山門の横で1人で着替えている姿を見て、何かの記念撮影の準備だろうかと思っていたのだが、どうやら自分がモデルになって写真に入りたいようである。
台湾か中国からの観光客らしい。
それにしても天女のコスプレみたいな派手な衣装だ。

立派な一眼レフカメラを渡され、彼女がモデルとして撮影位置に着くのを待つ。
すると彼女は、自分のザックの中をゴソゴソとあさって扇子を取り出した。
その扇子を持ってモミジの木の前に立つのかと思ったら、そのまま本堂の前へと入っていったので驚いた。
係の人から「そちらには入れません」と注意されるがお構いなしである。
そして彼女がポーズをとり、私はしょうがなくシャッターを押す。

それで終わりかと思ったら、彼女は次のポーズをとった。
ポーズをとると言うより、天女の舞を踊っているつもりなのだろう。
次々と違うポーズをとり続ける。
「早く止めてくれよ~」と思いながら、私はしょうがなくシャッターを押し続ける。
ちょっといかれた彼女の姿、自分のカメラで取り忘れたのが心残りだった。

本堂の中へと入って、紅葉に彩られた庭の風景を楽しむ。
普通ならば縁側に座って庭を眺めるところだが、ここでそんな事をしていたら後ろから怒鳴られるかもしれない。
皆、建物と庭の風景を一緒に写そうとして、座敷の奥の方に集まってカメラを構えているのである。
紅葉を楽しむと言うより、紅葉の写真を撮ることを目的としている人が大部分みたいだ。

そして源光庵と言えば、丸と四角の窓が二つ並んだ、悟りの窓と迷いの窓が有名である。
その部屋までやって来ると、座敷の一角にカメラマンが集まっていた。
構図的にそこから撮すのが一番良さそうなので、私も順番を待ってそこから写真を撮った。

そこへ天女の羽衣をまとった彼女が入ってきて、私の方を見てニッコリと微笑んだ。
私は慌てて目をそらし、気付かなかったふりをしてそこから逃げ出す。
振り返ってみると、彼女は若い男性にカメラを渡し、自分は迷いの窓の方に向かって歩いていくところだった。
その後の展開までは、さすがに確かめる気になれなかった。


悟りの窓と迷いの窓

その後は常照寺に向かう。
こちらの方は人も少ない。
これから混みあってくるのかもしれないが、源光庵と比べると知名度は低いのだろう。

私の感覚では、せっかく鷹峯まで来たら三つのお寺を全部回らなければ勿体ないって気がするのだけれど、有名な源光庵だけを見て次の場所に向かうような人も多いのかもしれない。

人は少ないけれど、モミジの紅葉だけを見れば、常照寺が一番綺麗だった。
散り紅葉も良い感じだ。

紅葉の風景をたっぷりと楽しんで寺を出ようとすると急に風が強くなってきた。
その風に吹かれてモミジが一斉に葉を落とす。
桜吹雪ならぬ、紅葉吹雪である。


散り紅葉に彩られた常照寺の帯塚

次に向かうのは大徳寺。
バスには乗らず、ネットで手に入れた地図を頼りに歩いていくことにする。

光悦寺まで戻ってその前を通り過ぎ、古道のような急な山道を下りていくと、紙屋川沿いの道に出てきた。
道路沿いの塀の内側でモミジが真っ赤に色付いていた。
何かと思ったら、それは吟松寺というお寺のモミジだった。

一般公開しているお寺ではなさそうだが、少しだけ中に入ってみる。
入口付近の紅葉は、散り紅葉とも相まって有料で公開されているお寺よりも美しいくらいである。
紙屋川沿いの道を歩いている間、観光客らしき人ともすれ違わず、ここのお寺は本当の紅葉の穴場と言えそうだ。


吟松寺入口の紅葉

大徳寺前の今宮神社に寄り道する。
歴史のある神社で、門前で売られているあぶり餅も有名らしい。

店のおばちゃんに「どうぞ、休んでいって」と、半ば強制的に座敷の中へと導かれる。
私達は最初からあぶり餅を食べるつもりでいたので、導かれるままに座敷へと上がり込んだが、そのつもりがない人はおばちゃんの誘いから逃げるのが大変かもしれない。

座敷に座ると若いお姉さんがお茶を出してくれて、ここで初めて「あぶり餅を出しても良いですか?」と聞いてくるのだ。
なかなか見事な商売である。

餅の刺さっている竹串は今宮神社に奉納された斎串とのことで、食べると御利益もあるらしく、ここを訪れたのならば食べておいて損はない。

大徳寺では紅葉の美しい塔頭を4箇所回るつもりでいた。
でも、そこに全部入っていては拝観料も馬鹿にならないので、お金を払って見るのは黄梅院だけにする。
紅葉で有名な高桐院は屋根瓦の葺替え工事により拝観休止、芳春院は無料で入れる部分だけ見学、養徳院は行くのを忘れていて、大徳寺は山門や仏殿を外から眺めるだけ。
それでも、広大な大徳寺の境内を歩いているだけで、古都の空気を感じる事ができて、結構楽しい。

黄梅院は、建物内部だけではなく庭園も撮影禁止。
私が写真を撮るのは、旅の記憶を残しておくのが一番の目的である。
それが撮影禁止では、お金を払って見た風景なのに、時間が立つとどんな風景だったのか全く思い出せない。
これでは、入っても入らなくても全く同じなのである。


黄梅院で写真を写せるのはここまで

近くの喫茶店で一休みした後、お昼まで時間があったので、直ぐ近くの船岡山にも登ってみる。
途中には織田信長を祀った建勲神社がある。

船岡山は、その山頂から五山送り火の4つが見られるスポットとして知られているらしい。
何処に何が見えるのかは分からないが、一番近くの山の大の字だけはハッキリと確認できた。

昼食は山を下りたところにあった一麦七菜と言う店でうどんを食べる。
食事の場所は、事前に食べログで調べて何ヶ所か候補を決めていたのだが、こうして偶然見つけた店に入るのも面白い。
そしてそれが美味しい店だったら、本当に得した気分になれる。
一麦七菜も、そんな気分にさせてくれる店だった。

今日の紅葉お寺巡りはこれで終わり。
この後は、ホテルのある伏見に戻って、周辺の観光をすることにする。

乗ったバスはぎゅうぎゅう詰め。
市の中心部は道路も渋滞。
京阪電車への乗り換える時も歩道は人で溢れ、電車も混雑のため定刻よりも遅れて運行。
お寺を回っている時は感じなかったけれど、紅葉時期の京都の混雑ぶりを初めて垣間見た気がした。

そうして伏見の中書島駅へと戻ってきた。
私達が駅前通を歩いていると、真っ赤な顔をしたおじさん達がフラフラしながら歩いてきた。
酒蔵回りで試飲しすぎて酔っ払ったのだろうか。
さすが伏見である。

長建寺に立ち寄り、十石舟が運行する様子を眺めながら、川沿いを歩いて、目指すは寺田屋。
坂本龍馬が幕府の刺客に襲われた場所として、龍馬ファンにはあまりにも有名な場所。
ホテルを予約した後、その寺田屋がホテルの直ぐ近くにあることを知って嬉しくなった。

襲われた時に龍馬が撃ったピストルの弾痕や刀傷、お龍さんが裸で2階に駆け上がったエピソードで有名な階段やお風呂。
その時の様子が脳裏に浮かんでくる。
しかし、寺田屋はこの事件の後、鳥羽伏見の戦いで全焼したことが最近になって明らかになったのだ。
と言うことは?
でも、龍馬ファンはそんな些細なことは全く気にしないぜよ、なのである。

その後、酒蔵の並ぶ通りや古い商店街を歩きホテルへと戻る。
襲われた後に龍馬が身を隠した材木屋跡にも行きたかったが、歩き疲れて余力は残っていなかった。

京都の旅最後の夕食は、美味しい洋食屋「サラダの店サンチョ伏見店」で。
明日の最終日も天気は良くなりそうだ。

   

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