5 農業好きですか

 将来は今の仕事を辞めて農業を始めたい。
 困ったことに、そう考えている私自信、実は農業があまり好きでは無かったりするのである。
 農業に強いあこがれを抱き、条件さえ整えば直ぐにでも農業を始めたい、そう思っている人は世の中には沢山いるはずだ。
 私がもしもそんな人達と同じ感情を持っていれば、何の迷いもなく、ホームページの中でこんな文章をぐじぐじと書いていることも無かっただろう。
 転職するうえでの一番大きな障害は、もしかしたらこのことなのかも知れない。

 農家の息子でありながら、家の仕事を手伝った記憶が全くない。酪農家の家に生まれながら牛の乳を搾ったことが一度も無いなんて、私くらいなものだろう。
 私の両親は、子供に農業を継がせようとは全く考えていなかったみたいだ。
 それほど農業は厳しいものであり、自分たちが味わった苦労を子供には経験させたくないという思いがあったのだろう。
 そんな環境の中で育った私が、農業を好きになるわけはない。
 私の父親が馬車に山積みになった堆肥の上に乗って畑へ出て行く姿を見たとき、子供心に農業はやりたくないと感じたものだ。
 私は牛の糞が大嫌いである。
 牛舎には牛の糞を外に出すための小さな窓が開いている。
 おふくろが牛舎の中で仕事をしていた時、無邪気な私はその小さな窓からそっと中の様子を窺った。
 その時である。突然、視界が真っ暗になり、何も見えなくなってしまった。
 私の顔は、おふくろが外に投げ出した牛糞によって、完全に覆われてしまっていたのである。
 牧草畑の中で遊んでいる時に、牛糞を踏みつけて足を滑らせ、もんどり打って転んだ下にはまた別の牛糞が、なんて事態も日常茶飯事であった。
 そんな出来事がトラウマとなっているのか、今でも時々、そこら中に汚れがこびり付いた薄汚いトイレの中でウンコまみれになって悶え苦しむといった悪夢に悩まされることがある。
 これからの農業は、堆肥無しではやっていけない。
 農業を始めるためには、まず牛糞トラウマを解消する必要がありそうだ。

 大学では一応農学部へ進んでいるが、専攻したのは造園学だったので、農業関係の知識はほとんど無いに等しい。
 ところが、卒業後に某市役所に就職することになり、そこでの人事異動の結果、7年前から農業関係の仕事をするようになったのである。
 その仕事も行政的なものではなくて、圃場での栽培試験とか農家の営農指導のようなフィールドワーク的な内容である。
 幸か不幸か、このおかげで農業を始めるための基本的な知識は全て身につけることができた。
 いい加減な性格の私であっても、農業のことを何も知らずに、家庭菜園程度の知識だけで農業をやろうとはさすがに考えていなかった。
 今の職場にいるおかげで、将来は実家に帰って農業をやろうという選択が現実味を帯びてきたのである。
 ところが、試験圃場で作物を栽培したり、農家を廻りながら色々な話しをしていても、やっぱり自分は基本的に農業が好きではないんじゃないかと思えてしまうのだ。
 もっともこれについては、現在の仕事の内容について疑問を感じながらやっている影響もあるのだと思う。

 農業が好きな人間ならば、今の私のような仕事をしていれば楽しくてしょうがないのではと思えてしまうが、一応は私もまじめな公務員のつもりでいるので、税金を使いながら全く成果の見込めない仕事をしていては、とても脳天気に農作業を楽しんではいられないのである。
 それと、この町ではコマツナなどの葉物野菜を栽培している農家が多いのだが、数十棟ものビニールハウスを抱え、朝から晩までその中で黙々とコマツナの収穫作業を続ける農家の人達の姿を見ていると、自分にはそんな仕事は絶対に耐えられないだろうと感じてしまう。

 元気な農業者の情報も沢山入ってくる。
 でも、そんな人達を見ていても、ちっとも刺激にはならない。
 ひねくれた性格なものだから、「よーし、俺も頑張ってこんな農業者になるぞー」などとは決して思わない。
 どちらかというと、元気のない農業者の方を見ていた方が、「あー、自分ならこうするんだけどなー」と意欲が湧いてきたりするのだ。
 でも、自分は一体どんな農業経営を目指すつもりなんだろう。
 自分の農業者としての姿が未だに見えてこない。
 ちょっとだけ考えていることは有るんだけれど、きっとまだまだ甘い考えなんだろうな〜。

次へ

転職トップへ戻る