3 実家立て替え

 私の両親は、既に農家もやめて悠々自適な老後の生活を送っている。
 母親は町内の老人クラブに入り、書道に陶芸にと忙しそうだ。数年前からはパソコンも習い始めたようで、暇な時は部屋の中でパソコンにかじりつき、オセロに夢中になっているという話しである。
 父親もかなり腰が曲がってきてはいるが、毎朝散歩に出かけると1、2時間は帰ってこないということだ。
 それ以外は町内の図書館から本を借りてきて読みふけっている。最近はもう読む本が無くなってしまったとぼやいていた。
 二人ともまだまだ元気でいてくれるので、離れていてもそれほど心配しなくて済むのは助かる。
 それでもそろそろ、この先のことを真剣に考えなくてはならない年齢になってきているはずだ。
 ところが私の場合、自分の親が何歳なのかよく知らなかったりする。兄弟は姉が一人いるが、姉の年齢も知らない。
 何故か私の妻の方が、両親や姉の誕生日まで知っていたりするので、わからない時は妻に聞くことにしている。でも、聞いても直ぐに忘れてしまう。
 さすがに最近は、両親は昭和一桁生まれ、姉とは四つくらい年が離れているようだということが、おぼろげながら理解できるようになってきた。
 こんな風に書くと、若い頃に家出をして長い間親とは音信不通のまま生活していた放蕩息子ように思われそうだが、年に2,3回は里帰りをして親に元気な顔を見せてやる普通の孝行息子であるので誤解しないでもらいたい。
 これは、自分の興味のないことについては一切覚えようとしない、私の性格からくる話しである。
 それでも、親兄弟の年齢に興味が無いというのは、一般常識から考えると、ちょっと外れているような気がしないでもない。

 私が20年近く前に札幌で家を建てようと考えた頃、「金は少しは面倒見てやるから広い土地を探せ」と親から言われ、結局100坪の土地を購入することになった。
 普通のサラリーマンが札幌市内で100坪の土地を買うなんてかなり贅沢な話しだが、当時はバブルが始まる前で、悪徳不動産屋の友人が口八丁手八丁で地主のおばあちゃんを説得し、坪10万という安い値段で土地を仲介してくれたのだ。
 その頃は私の両親も、老後は札幌に出てきて息子に面倒を見てもらおうと考えていたのだろう。
 しかし最近はその考えも変わって、たとえ不便でも住み慣れた町で最後まで暮らしたいと考えているようだ。
 同じ小さな田舎町に住んでいても、街中で暮らしていた人は都会へ出ることにそれほど抵抗は無いのだろうが、私の親のように広々とした畑の中で何十年も生活してきた人間にとっては、都会の生活に慣れるのには時間がかかる。
 一昨年くらいに、将来は清水に戻って農家でもやるかもしれないという話しをしたところ、両親はすっかり安心してしまった様だ。
実家の様子  それが影響したかどうかは解らないが、最近になって家を建て替えると言い始めた。
 現在住んでいる家が何時頃建てられたものかは忘れたが、確実に築50年は過ぎている。2003年の十勝沖地震で壁の一部が剥がれ落ちたことや、老後の除雪のことなどを考え、道路に面した土地に家を建てることにしたようである。
 年老いた老夫婦が建てる家と言えば慎ましやかな小さな家を想像していたが、正月に帰省した時に平面図の案を見せてもらったところ延べ床面積で40坪以上の豪邸にビックリしてしまった。
 私たちや姉夫婦が遊びにきた時に泊まる部屋が無いと困るだとか、業者に色々と希望を言っているうちにそんな大きさになってしまったみたいだ。
 姉と二人で、こんなに大きな家は無駄だと一生懸命説得に当たったが、家の大きさのことは全然気にしていないみたいだ。やっぱりサラリーマンと違って、農家の人間は考え方が大ざっぱである。
 それに、両親にとって自分たちで家を建てるのはこれが初めてになるのだ。
 もし、私が実家へ戻ったとしても、家を建てるのならばもっと奥まった静かな環境の場所を考えている。
 そうなると、この家が無駄になってしまうのは解っているが、これまで長い間、古い家で質素な暮らしをしてきたのだから、最後にこれくらいの贅沢は認めてやっても良いのかもしれない。
 私が、「3DマイホームデザイナーPRO」というパソコンソフトで間取りの案を作ってやったら、とても喜んで「あそこをこうしたい、ああしたい」としょっちゅう電話をかけてくるようになった。
 その度に図面を書き直して送ってやるのだが、その楽しそうな様子を見ていると、何となくホッとさせられる。
 親が元気でいてくれるということは、本当にありがたいことだと思う。
 しばらくはこちらも、自分の将来のことを余裕を持って考えられそうである。

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