北海道キャンプ場見聞録 我が家のファミリーキャンプ
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熊野古道大門坂を歩き熊野川を下り神倉山を縦走

(熊野古道の旅7、8日目)

6日目 < 7、8日目

那智の朝焼け 宿坊での朝、隣りの部屋から人の動く気配がしてくる。
 5時から青岸渡寺で行われるお勤めに参加するのだろう。
 歩き疲れた我が家は、早起きするのも辛そうなので朝のお勤めに出るつもりは無かった。
 それでも、宿の人から聞いていた「ここから見る朝日は綺麗ですよ!」の言葉だけは忘れずに、夜明け前にはしっかりと布団から起き出す。
 窓を開けると、既に東の空が赤く染まっていたので、慌てて着替えて外へと飛び出した。
 宿坊の玄関に残っているのは私達の靴だけである。他の宿泊者の方は全員朝の御勤めに参加しているらしい。
 宿坊から階段を登った先の道路からは、那智山の山里を一望できる。
 熊野那智大社を取り巻く山々がまだ暗く静まり返っている中で、東の空に浮かんだ雲が、次第に赤味を増してきた。遥か遠くに見える雲海は那智の海を覆った海霧だろうか。
 やがて、薄い霞にその輝きを奪われた太陽が、その輪郭だけをくっきりと際立たせて、山の稜線上に姿を現した。赤く染まった空に、寺社建築独特の反り返った屋根が黒いシルエットとなって浮かび上がる。
 霞を振り払って輝きを増した朝日が、朱色の三重塔や那智大社本殿を染め上げる。
 那智の素晴らしい夜明けの風景だった。
 朝のお勤めが行われていた那智山青岸渡寺にも入ってみる。この本堂は、織田信長南征の兵火にかかり、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建されたものだそうである。
 歴史を経た風格を感じるその姿に、「やっぱりお勤めに出たかったな〜」と後悔するかみさんであった。


那智の朝焼け

那智の朝日   那智の朝焼け

熊野那智大社   那智山青岸渡寺
朝日に映える熊野那智大社   朝日に映える那智山青岸渡寺

 お勤めに参加していた同宿の男性と出合って、しばらく立ち話をする。彼は徳島に住んでいるとのことで、四国の山の縦走など興味深い話を聞かせてもらう。
 そこへ、見覚えのある外国人の男性が歩いてきた。小雲取越を歩いている時に出合った外人グループの一人で、お互いに意味は通じなかったけれど、少しだけ会話も交わした相手である。
 驚いたことに、同宿の男性もその外人と知り合いだったようで、彼等はフランス人で、小雲取越、大雲取越と一緒に歩いていたとのことである。
 そしてもっと驚いたのは、そのグループの中の女性が、昨日大雲取越を歩いている時に犬に襲われ、病院に運ばれて40針以上も縫う大怪我をして、救急車を呼んだりしたのも同宿の彼だったとの話し。
 私達が小雲取越えで出会った時、グループの中に歩くスピードがとても速くて、何度か挨拶を交わした女性がいたのを覚えていたが、怪我をしたのは正にその女性だそうである。
 同宿の彼は、怪我をした女性の様子をみに行くというので、私達は宿坊に戻って朝食を取ることにした。

 宿坊を7時半に出て、熊野古道の人気スポットである大門坂へと向かう。
 那智大社の参道にずらりと並ぶお土産店は、早い時間帯から店開きしているところが多い。そんな店を覗きながら、大門坂へとやって来た。
大門坂 さすがにこの時間帯では観光客の姿もほとんど無く、杉の巨木に囲まれた石段をゆっくりと降りていく。
 思っていたより感動が小さいのは、多分階段を降りているせいなのだろう。
 那智大社を訪れる人は、この階段を一歩一歩登るごとに神聖な気持ちに包まれていくのだろうけれど、私達は既に那智大社や那智大滝の姿も見てしまって、坂の下にあるバス停に行くために階段を歩いているのである。
 これでは感動のしようもないはずだ。
 それでも、圧倒的な太さで天の頂きにまで達しそうな杉の巨木は、見ているだけで楽しくなってくる。
 途中で同宿の彼が追いついてきた。
 彼はこの後の予定をはっきりとは決めていないようだけれど、那智駅まで歩くつもりでいるらしい。
 ここから那智駅までは徒歩で半日コースだけれど、私達は今日は新宮まで行って、午後から熊野川の川舟下りをする予定なので、バスで那智駅へと向かう。
 大門坂登り口の夫婦杉で彼と別れ、私達はバス停のある大門坂駐車場へと下りていく。
 途中でミカンの無人販売所を見つけ、100円で購入。宿坊でもミカンを少しもらったのだけれど、昨日の大雲取越の無人販売所で買って食べたミカンの美味しさを思い出してしまったのだ。


大門坂の杉の巨木   大門坂の夫婦杉
杉の巨木を体で感じる   大門坂の夫婦杉

 バスの時間は9時40分なので、まだ30分以上も時間がある。
 バスを待っていると、初老の男性が話しかけてきた。
 熊野古道を一緒に歩きながら、その歴史や自然についてガイドしてくれる人を「語り部」と言う。その男性は語り部としての練習のため、駐車場にやってくる観光客に声をかけては、無料でガイドをしているとのことである。
 目当ての観光客がなかなかやってこないので、自然と私達に対して熊野の歴史などを色々と語ってくれることになる。
那智駅にて 歩く時は自分達だけでゆっくりとしたいので、たとえ無料であっても、ガイドの申し出は断っていただろう。
 でも今はバス待ちの暇な時間で、とても面白いその語りをたっぷりと聞かせてもらえて有難かった。

 男性と別れて、バスに乗り那智駅へ。
 この那智駅の直ぐ近くにも、世界遺産に指定されている補陀洛山寺があるけれど、電車への乗り継ぎ時間が僅かしかないので、諦めることにした。
 何しろ、この電車に乗れなければ、次の電車が来るのは3時間後になってしまうのだ。
 旅行の際の手軽な移動の手段としては、JRはもう使えなくなっているのかもしれない。(後で知ったのだけれど、那智駅から新宮へは熊野交通のバスが30分間隔で走っていたらしい)
 電車の中では子供みたいに窓にへばり付いて、熊野の海を楽しむ。
 新宮駅を降りると、例の怪我をした外人女性が腕や頭に白い包帯を巻いているものの、元気そうな足取りで観光案内所に入っていく姿を見かけた。
 多分、那智勝浦から同じ電車に乗って来たのだろう。
 私達がコインロッカーに荷物を預けている間に、見えなくなってしまい、最後に声をかけられなかったのが残念だった。
 午後の川舟に乗るまでたっぷりと時間があるので、観光地図を手に入れて、簡単に行けそうな新宮城跡(丹鶴城公園)まで歩いてみることにする。

新宮城趾から見る熊野川 昨日の熊野古道を歩き終える部分までは完璧な旅程を作り上げていたのに、そこに力が入りすぎて、今日から明日の旅行最終日については、川舟に乗る以外の観光は全く考えていなかったのである。
 それにしても25度を越えるような今日の暑さには参ってしまった。
 古道歩きの時にこれだけ気温が上がっていたら、途中でリタイアしていたかもしれない。
 私達は半袖姿で汗を拭きながら歩いているのに、地元の人達は長袖の服を着て平然と歩いているのが信じられない。
 新宮城址は城の石垣が残っているだけだったけれど、その上まで登ると熊野川の姿を一望できる。
 一昨日は、小雲取越を登り始めた時に見えるはずだったその姿にようやく出会えて、感動さえ覚えてしまった。
 そこへ一人の男性が近づいてきて、新宮市の置かれた現在の状況について色々と聞かせてくれた。
 その男性の話では、今日の熊野川の水は、上流のダムの放水によってかなり濁っているそうである。
 どうも今日は、頼みもしないのに親切な観光案内をしてくれる方が次々に現れる日みたいだ。

古式手打ちうどん「まさ家」 そこから駅へ戻る途中、古式手打ちうどんの看板に惹かれて、「まさ家」と言う店で昼食にした。
 たまたま見つけて入った店にしては、とっても美味しいうどん屋で、ちょっと得した気分である。
 昼食を済ませ、駅前から川舟センターの無料送迎バスに乗って、スタート地点へと向かう。
 そのバスに乗っているのは私達二人だけだった。
 予約を入れる時、この日だけは残りが少ないことを示す△マークになっていたので、多分団体客が現地で待っているのだろうと思っていた。
 しかし、現地に着いてもやっぱり私達二人の姿しかないみたいだ。
 聞いてみると、この日は午前中にオーストラリアの団体客が入ったけれど、午後からの予約は私だけとのことである。
 それにしても、古道で出合ったフランス人、同宿だったスペイン人、川舟のオーストラリア人と、さすがに世界遺産の熊野古道だと感心してしまう。
 路線バスに乗ってくる飛込みの客がいるかもしれないと、出発時間まで少し待たされる。
 その間に出してくれたミカンが、形と色は悪いものの、とっても美味しくてビックリしてしまう。
 ミカン産地の地元の人達は、何時もこんなミカンばかり食べているのだろう。

川舟下りのスタート 結局路線バスには誰も乗っていなくて、私達二人だけでの川舟下りとなった。
 ライフジャケットを付け、ヘルメットならぬ三角の編み笠をかぶる。
 この編み笠をかぶって熊野古道を歩きたかったので、ここでようやくその願いが適って嬉しかった。
 この川舟下り、舟一艘に船頭さんと語り部さんが付くらしい。
 私達二人だけのためにスタッフ二人同乗なんて、なんて贅沢なツアーなんだろうと思ってしまう。
 これがカナディアンカヌーならば、二人別々の舟で、それぞれにスターンマンが乗り込んでのツアーと一緒である。
 語り部さんの目の前の席に二人仲良く並んで腰掛け、いよいよ熊野川下りの始まりがスタートした。
 本来の熊野詣は、熊野本宮大社からは舟に乗って新宮の速玉大社に詣で、新宮から那智大社に向かって、そこから大雲、小雲を越えて熊野本宮に戻るのが一般的だったらしい。
 現在は、ダムができたために水量が減って熊野本宮から下り始めることはできなくなったとのことである。
 カナディアンカヌーさえあれば、その同じルートを辿れるのだけれど、今回は川舟で我慢するしかないのだ。

語り部さんの話を聞きながら 最初に「今日は残念ながらダムの放水で水が濁っています」と断られたけれど、流れの先には山が折り重なる憧れの熊野川らしい風景が広がり、水の汚れなど全く気にならない。
 何せ北海道では、もっと濁った水の激流の中を体一つで流されてきたばかりなのである。
 語り部さんの話もとっても面白い。
 時々おやじギャグも入れてくるものだから、かみさんが「笑うタイミングを外したら悪いから」と、「そのギャグを聞き漏らさないように一生懸命聞いているのに疲れた」と言っていたのは後の話しである。
 それにしても、北海道の川とは周りの風景、川原の様子、何から何まで全く雰囲気が違っている。
 そんな様子を見ていると、ますますカナディアンで下りたくなってきてしまう。
 でも、景色が単調なところはエンジン全開猛スピードで下れるのが川舟の良いところである。
 前方で、驚いた水鳥達が一斉に川面から飛び立った。カワウの群れである。
 そこに、川岸で羽を休めていたアオサギも加わって、カワウとアオサギが乱れ飛ぶ珍しい光景が目の前に繰り広げられる。
 語り部さんもカメラで撮りたかったと言ってたけれど、残念ながら私のカメラにその貴重なシーンは写ってはいなかった。

熊野川

カワウとアオサギ

速玉大社の屋根 そうして1時間の川旅を終えて、新宮市内の川原に上陸。
 語り部さんはこれで今日の仕事が終わりだそうで、速玉大社の近くにできたばかりの昔のお土産屋の様子を復元した川原横丁まで案内してくれる。
 そして私達がそこで買い物している間に、「次は伊勢神宮までの古道を歩くのが良いですよ」と、わざわざ伊勢路のパンフレットまで持ってきてくれた。
 色々と親切にしてくれた、語り部さんともここでお別れとなる。
 川原横丁で息子のお土産にTシャツを買うと、そこでもおまけにミカンをくれた。
 川舟の中にもおやつ代わりにミカンが置いてあったし、さすが紀州だけあると改めて感じ入るのである。
 直ぐ隣りの速玉大社にお参りしたけれど、熊野本宮の時と同じく、ここもやっぱり感動は薄かった。

ホテルから見える新宮駅 そのまま駅まで歩いて戻り、コインロッカーから荷物を出して、ビジネスホテルへと入る。
 予約してあったホテルニュー紀州は駅の目の前、おまけに部屋も駅に面しているものだから、カーテンを開けると駅が目の前に見える。
 一休みしてから食事に出かける。
 新宮ではウナギを食べるつもりでいたけれど、お目当てだった店はお休みだった。
 他に考えていた店もなく、昼と同じく行き当たりばったりで探すしかない。
 「しばらく肉を食べていないな〜」と二人の意見が合い、洋食を食べられそうな店にすることにした。
 そうして薄暗い路地で見つけた洋食屋「カフェレスト里緒」、ガラス越しに中を覗くとお客さんは誰も入っていなくて、かみさんは渋ったけれど、雰囲気が良かったので私はそのまま店のドアを開けた。
カフェレスト里緒 これがまた正解で、とっても美味しい洋食屋さんだった。
 今回の熊野古道の旅で最後になる夕食を、こんな素敵な店で食べられるなんて、本当に幸せである。
 それにしても、街の中を歩いている途中、果物屋さんを沢山見かけた。
 そして何れの店先にも、ビニール袋に入ったミカンが山積みされているのである。
 無人販売所の100円のミカンを安いと思ったけれど、これらの果物屋ではもっと沢山入って50円で売られているのだ。
 300円で売られているものなど、どうやって家まで持って帰るのかと心配になるような量が詰め込まれている。
 ミカン好きが揃っている我が家なので、この状況がとても羨ましく思えてしまう。

フウマと一緒に最後の夜を過ごす ホテルに戻って寛いでいると、何処から歌声が聞こえてきた。
 窓を開けると、その歌声がもっと良く聞こえる。
 何処かで路上ライブでもやっているのだろう。
 なかなか歌も上手でしばらく聞き入ってしまう。
 フウマの写真も出して、ビールで乾杯。
 最後の旅の夜がそうして更けていった。

 いよいよ今回の旅も最終日をむかえた。
 帰りの飛行機は関空発18時50分の便なので、新宮で半日の時間がある。
 ホテルの1階の喫茶店でモーニングサービスを食べ、駅のコインロッカーに荷物を預け、目指したのは神倉神社である。
 川舟の語り部さんも一押しの場所、そこに登れば神を感じる人もいると言う。
 街の中を歩いていても、山の中腹にその姿が常に見えている。
神倉神社の鳥居 新宮の街並みを楽しみながら山の麓まで歩いてきて、朱色の鳥居をくぐると、その先には急な石段が続いている。
 毎年2月8日にはこの神倉神社でお燈祭りが行われ、白装束の男達が御神火を移した松明を持ってこの急な階段を数段飛ばしで駆け下りてくるそうである。
 語り部さんからは、実際に階段の上に立ってその様子を想像してきてくださいと言われていた。
 でも、その階段の上に立ってみると、とてもじゃないけどそこを駆け下りる姿など想像も付かなかった。
 もの凄い傾斜の階段で、高所恐怖症の人なら途中で足がすくんでしまうのは間違いない。
 私も怖くて、途中からは手も使って四つん這いになって登るような有様だった。
 ここを駆け下りるなんて人間業とは思えない。いくら体に荒縄を何重に巻きつけていたとしても、それこそ神がかりにでもならなければ、絶対にできないような所業である。
 途中から傾斜もいくらか緩くなって、ようやく安心して登れるようになる。
 でも、ここを走り降りてきたとしたら、途中で階段が消えているように見えるはずである。
 そんなことを考える度に、冷や汗が流れ出てくる。


目も眩む石段   目も眩む石段
目も眩むくらいに急な石段が続く   下が見えない!

 階段を登りきると、大きな一枚岩のような山の斜面が現れ、逆光の中、斜面の上に神倉神社の姿が見えてきた。
 そこへ登る前にまず、手前の小さな社に手を合わせる。
 熊野の聖地を歩き通して、心も洗われてきたのか、こうして手を合わせるだけで直ぐに無心になれる。
 そうして、真下に近づいて見上げた神倉神社とその上に覆い被さるようなゴトビキ岩の姿。
 ここが、熊野に神が初めて降り立った地であることを、何の迷いも無く信じられた。


神倉神社とゴトビキ岩

 この後は、権現山(神倉山)を縦走して速玉大社へと降りる自然歩道を歩くつもりだった。しかし、そこへの入り口にはロープが張られ「倒木危険」と書かれた看板も下げられている。
 一昨日の大雲取越では、斜めに倒れ掛かった倒木の下を何度も歩いていたので、そんな看板など全く気にしないでロープの下をくぐり抜けた。
展望台から見下ろす新宮市街 荒れた道で急な傾斜の場所もあったけれど、汗もかかずに登れてしまう。
 重たいザックを背負っていないことがこれ程違うものかと、新鮮な驚きを覚える。
 行く手を倒木が塞いでいた。
 確かに危険な倒木だけれど、想定範囲内である。
 倒れた木の下を潜り抜ける時は、何かの拍子でそれが落ちてこないかとヒヤヒヤする程度だ。
 そうして展望台に到着。
 新宮市内と熊野川の河口付近の様子は良く見えるけれど、私の期待していたの、昨日下ったばかりの、この山の裏側を流れる熊野川の姿だった。
 昨日は下りながら、この山の姿を見て、明日はあそこから川の様子が見られるだろうと、楽しみにしていたのである。
 本当の山の頂上はこの先にあるはずなので、更に自然歩道を進んでいくと、今度は更に危険な倒木が待ち構えていた。
 台風の風がそこを吹きぬけたのか、何本もの倒木が折り重なるように行く手を塞いでいるのだ。
 しかし、落ち着いて観察すると、人間が通り抜けられるスペースはだけは空いているようだ。
倒木だらけ 折り重なった倒木が崩れる危険性は無いか、持っていた木の杖でポンポンと叩いてみる。
 かみさんから、「そんなことで分かるわけ無いでしょ!」と叱られるが、どっちみち気休めでしかないことは承知の上である。
 そこも無事に通過して、やっとたどり着いた千穗ヶ峰頂上は、展望の全く利かない、山頂を示す石標が埋められているだけの場所だった。
 まあ、こんなこともあるだろうと素直に諦めて、速玉大社への下り坂を降りていく。
 しかし、まだまだ難所が幾つも待ち構えていた。
 倒れた樹木の根塊が、登山道を丸ごと破壊していたりするが、ここまで来たらどんな場所でも無理やり突破するしかない。
 そうしてようやく、倒木の下敷きになることもなく、無事に速玉大社の裏へと降りてくることができた。
 もしも途中で、ここを登ろうとする人とすれ違ったりしたら「危険なので絶対に止めた方が良い」と止めたに違いない。
 台風18号がこの付近に与えた被害は想像以上に大きかった。

浮島の森 その後は、すっかり見慣れた風景となった新宮の街中を歩き、「香梅堂」でお土産のお菓子を購入。
 まだ時間があるので「浮島の森」へも行ってみる。
 100円を払って中に入ったけれど大して見るものも無し。
 浮島の上に森林が構成されているなどして国の天然記念物にも指定されているらしいけれど、島が浮いている沼の周りには住宅地が迫り、浮島のイメージは全くないのである。
 昼食の締めはやっぱり熊野名物のめはり寿司にしたかったので、専門店の「総本家めはりや中央店」でめはり定食を食べ、駅へと戻ってきた。
 最終日もたっぷりと歩いて、今回の旅は終了。8日間で歩いた距離は、多分100キロ近くに達していることだろう。
 新宮発13時の特急オーシャンアローに乗って、関西空港へと向かった。


浮島の森   めはり定植
この辺りからは浮かんでいるようにも見えるけれど   最後の昼食はめはり寿司

 同宿の彼 特急電車が停車した途中の周参見駅での、最後の出来事。
電車が停まった向い側のホーム、私達の真正面に大門坂で別れた同宿の彼が立っていたのである。
ガラス窓越しに手振りだけでお互いに会話をする。
そうして私達の乗った電車が出発する時、彼は私達の方に深々と頭を下げてくれたのである。
旅先で出会った沢山の人たち。
旅の良き思い出として、何時までの私達の記憶の中に残っていることだろう。
それにしても、向い側のホームにいた彼。
昨日は何処を歩いて、何処に泊まって、この日は何処に向かおうとしていたのか、その行動は大きな謎として私達夫婦の心の中に残されたのである。


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