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新世界で串カツ食べて高野山を歩く

(熊野古道の旅 1、2日目)

1、2日目 < 3日目

ザックを背負って旅の始まり ザックを背負うと、家の玄関を一歩出た瞬間から旅をしている気分になれる。
 キャスターの付いたキャリーバッグをゴロゴロと引っ張る時にそう感じる人もいそうだけれど、我が家はやっぱりこのスタイルである。
 軽く肩に食い込んでくるザックの重さに、心地良ささえ感じてしまう。
 今回の旅ではキャンプ道具こそ含まれていないものの、カメラなども含めれば15キロ近くの重量を常に背負って歩かなければならない。
 新千歳空港を15時45分発の便で関西空港へと向かう。
 空港で手荷物を預ける際、禁止品ということでガスカートリッジを没収されてしまったのは予定外だった。
 古道歩きの途中に、お湯でも沸かして昼に山食を食べようと考えていたのに、これでは、全く使い道の無いクッカーセットを持ち歩くことになる。
 まあ、山を縦走するわけでもないので、この程度のトラブルは我慢するしかないだろう。
 普段から飛行機に乗る機会の少ない私達なので、窓から見える風景に子供のように夢中になってしまう。
 夕方の便なので、夕日が見られる方向の座席を確保していたけれど、途中から広がってきた灰色の雲に邪魔されて、期待したような光景は現れずに終わってしまった。


飛行機の窓から   飛行機の窓から

 関西空港からは、今日の宿泊予定地である大阪の新今宮へと向かう。
 最初の計画では翌日の旅立ちを予定していたのだけれど、旅割の安い航空券が取れずに、余計に1泊してでも旅割の方が安く付くので、この日の夕方の便となったのである。
 翌日は朝から高野山へ行くつもりだったので、交通の便の良さそうな新今宮の安いビジネスホテルを予約していた。
 私は大阪の土地勘が全く無く、新今宮がどんな場所かも全く知らずにいたが、食事する場所をネットで検索していて、「新世界」と呼ばれる場所が近くて、有名な通天閣もホテルから徒歩圏内である程度の予備知識は持っていた。
 それなので駅前も当然賑やかな場所だと思って駅舎を出たら、賑やかどころか、まるで何処かの路地裏のような薄暗さである。路上ですれ違う人間は、明らかにその筋の方と思われるような様相だ。
 「こんなもの誰が買うんだろう?」と思うようなCDを歩道上に並べて、商売をしている人間もいる。その横を、パトカーが赤色灯を回転させながらゆっくりと通り過ぎていく。
 「な、なんなのよ、ここは!」
 その怪しげな雰囲気に、かみさんはすっかりビビッてしまった。
 地図を見ると、予約しているホテルは、そこから更に、本物の路地裏へと入った場所にある。
 そんなところの、1泊3,300円の安いビジネスホテル。自分一人で泊まるのなら全然気にもならないけれど、かみさんにはちょっと刺激が強すぎるかもしれない。
 その路地裏では、手持ち無沙汰そうな男達が、何をする訳でもなく、ポツリポツリと立ち尽くしている。これはどう見ても、クスリの売人にしか見えない。
逃げ込むように飛び込んだホテルは、照明も明るく、建物も新しくて、まるで砂漠の中でオアシスに出合った様にホッとすることができた。
 もしかしたら「ホテル中央オアシス」の名前は、そんな意味で付けられたものかもしれない。

将棋 一息ついてから新世界へと繰り出す。
 意味不明の物売りがたむろするガード下を抜けると、急に周りが明るくなった。
 コテコテのネオンや看板が立ち並び、如何にも大阪の飲食街と言った雰囲気だ。
 その中に混じって地味な建物があった。中を覗いてい見ると、ずらりと並んだ将棋盤を挟んで向かい合うおじさん達の姿。
 「な、なに、これ〜」
 カルチャーショックを受け続けるかみさんである。
 新世界といえば串カツ。地元の人間しか入らないような小さな店から、観光客風の人間が列を作る有名店まで、私達はその中で比較的入りやすそうな店の「日本一の串カツ横綱」を選んだ。
 串カツはやっぱり串カツでしかなく、店ごとにどんな違いがあるのか良く分からない。
 「2度付け禁止」のソースではなく、かみさんは串カツにしょう油をかけて「やっぱりしょう油よね〜」と言いながら、大阪の雰囲気に触れることができて満足そうである。
 こうして旅の一日目が終わった。


串カツ   新世界

 ここのホテルは、1階に無料で使えるネットに繋がったパソコンやコインランドリー、カンタンな炊事ができるスペースまであって、なかなか便利である。
 料金も安く、そのためか外人旅行者らしき人も沢山泊まっていた。
路上の物売り 朝8時発の高野山行き特急こうやに乗るため、早めにホテルを出る。
 朝早くから路上でぶらぶらしているおじさん達。
 「大阪って、こんなおっさん達がが多いんやな〜」
 いつの間にか、頭の中で考える言葉まで大阪弁になっていた。
 歩道上の怪しげな店は更に数が増えていた。
 「一体ここは何なんだろう?」と考えながら、駅前にある大きなビルに掲げられていた看板を見て、ようやく納得することができた。
 「あいりん職業安定所」
 でも、昨夜の路地で見かけた男達は、やっぱり売人だったのかもしれない。

高野山へのケーブルカー 日曜日だけあって、特急こうやの座席は満席になっていた。
 終点極楽橋からはケーブルカーに乗り換えて、山の上の高野山駅に到着。
 直ぐにまたバスに乗って大門へと向かう。
 ようやく高野山を歩き始められた頃には、既に午前10時になっていた。
 今回の旅では、日帰り日程で高野山散策を組み込んだけれど、交通の便があまり良くないので厳しい行程になってしまった。
 それでも、大門から高野山奥の院まで歩く時間は確保できて、熊野古道と一緒に世界歴史遺産に指定された高野山の雰囲気だけでも味わうことができそうである。

 まずは、1705年に再建された巨大な大門を通り抜けて高野山ウォークの始まり。
高野山大門 次に向かったのが伽藍。根本大塔や金堂などの建物があるけれど、どちらも昭和に入ってから再建された建物なので、全く興味が湧かない。
 信仰心があるわけでもなく、私の価値基準は、その建物の建設年代だけなのである。もちろん、古ければ古いものほど、感動が大きくなるのは言うまでもない。

 建物よりも私達を喜ばせてくれたのは、鮮やかに色づいたモミジである。
 今年はなかなか美しい紅葉を見る機会に恵まれず、ちょうど札幌付近の紅葉が見ごろを迎える頃に旅立ってしまい、多分帰る頃にはその紅葉も散ってしまっているはずだ。
 その諦めかけていた紅葉を、まさか高野山で楽しめるとは、全くの予定外だった。
 特に、北海道のモミジと違って葉が小さく、繊細な面持ちのこちらのモミジの紅葉は、かみさんの大のお気に入りでもあるのだ。


高野山の紅葉

高野山の紅葉   高野山の紅葉

 そんな紅葉を楽しんだ後は、店が混まないうちに早めに昼食を済ませる。
 かみさんはせっかくだからと精進料理風の定食を頼んだけれど、私はそんなことは関係なく、歩くためのスタミナを付けなければとハンバーグ定食を食べることにした。
奥の院へと向かう道 店を出た後はお土産屋を覗きながら、奥の院へと向かう。
 狭い道路をひっきりなしに車が通過するので、あまりのんびりと歩いてはいられない。公共交通機関よりも、マイカーで高野山へ来る観光客の方が多いのだろう。
 一の橋から奥の院へと続く参道に入ると、ようやく静寂が訪れた。
 ここからが奥の院の霊域でもある。
 参道沿いを埋め尽くすように林立する苔生した石塔、その石塔の間から天に向かって聳え立つ杉の巨木。
 この風景に出会えただけでも、苦労して高野山観光の日程を組み入れた甲斐があったと言えるだろう。
 主な墓には、名前が分かるように看板が立てられている。
 織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、石田光成、徳川家康と戦国武将たちの名前が目立つ。激烈な争いを繰り広げてきたこれらの武将達も、死んだ後は同じ墓所の中で静かに眠っていることに、何とも仏教的な死生観を感じてしまう。
 急に参道が賑やかになってきた。中の橋駐車場からの観光客が、そこから合流してくるらしい。
 人波に押されるまま進んでいくと御廟橋がある。そこから先は神聖な区域となるため、写真撮影も禁止されている。信仰心のない私は「え〜、写真駄目なの〜」とガッカリしてしまった。
 我が家の実家の宗教は真言宗で、その総本山がここ高野山。実家が檀家になっている寺の若坊さんも、数年前にこの高野山で修行をしたと言っていた。
 そこまで関係が深ければ、真言宗の開祖空海が眠っている御廟にも当然お参りするところだけれど、その手前の灯籠堂まで入ったところで、その先に並んでいる人の多さに辟易して、あっさりと諦めてしまった。


奥の院の石塔

奥の院の石塔   奥の院の石塔

 人ごみの中から抜け出したくて、途中で見かけた紅葉の美しい場所へと行ってみる。
 参道からちょっとだけ奥まったその場所には、参拝者もほとんど入って来なくて、静かに休憩することができる。
 かみさんがザックの中に押し込めて持ってきた愛犬フウマの遺影も、ここで初めて外に出してもらえて嬉しそうだ。
 「こんなに綺麗な紅葉なのに、皆はどうしてこちらへ入ってこないのだろう。」
 奥の院にお参りすることだけが、彼らの目的なのかもしれない。でも、私よりもその人達の方が信心深いとはどうしても思えない。
 まあ、人それぞれの感じ方があるのだから、そんな事はどうでも良い話しだ。
 高野山までやって来て、一番良かったのが紅葉と苔生した石塔だと言う私の方が、多分変わり者なのだろう。


奥の院の紅葉

フウマも一緒に 帰りは中の橋の駐車場からバスに乗ることにする。
 その駐車場に向かう裏参道の回りにも多くの墓が立ち並んでいるけれど、こちらの方は新しい墓が多くなっている。
 そして目立つのが企業の墓である。
 墓と言うよりも、碑に近いものかもしれない。
 それらの墓は銅像あり、キャラクターあり、中にはロケットが立っている墓まであって、好き放題に造っている感じである。
 何れも新しいものが多く、企業にとって、この高野山に墓を持つことがステータスにでもなるのだろうか?
 そうして駐車場までやってくると、そこにびっしりと並んだおびただしい数の車、観光客を待ち受ける巨大な土産物店が目に飛び込んでくる。
 そんな光景に目を背けるようにして、停留所に止まっていたバスにそのまま飛び乗って、高野山中心部へと戻る。

女人堂 時間にもまだ余裕があったので女人堂まで歩き、そこからまたバスに乗って高野山の駅まで戻ってきた。
 熊野古道を歩き始める前に、軽く高野山ウォーキングを楽しもう。
 その軽いはずのウォーキングで、かなり疲れ果ててしまい、明日からの本番が心配になってくる。
 15時19分の発のケーブルカーに乗り、3回の電車の乗り継ぎで、この日の宿泊地である紀伊田辺に着いたときは既に午後7時を過ぎていた。
 今日の宿は駅から徒歩数分のアオイプラザホテルで、素泊まり4,000円、昨日泊まったビジネスホテルと比べると、かなり見劣りがしてしまう。
 最初は、ここの隣りの朝食付き5,800円の小奇麗なホテルを予約していたのだけれど、次の朝は早く出なければならないので、こちらの素泊まりのホテルに変更していたのだ。
各駅停車の電車で かみさんは「今日はコンビニ弁当で済ませましょう」と言うけれど、さすがにそれも味気ない。でも、そのコンビニ自体が近くに無くて、ホテルの人に聞くと一番近いところまでは徒歩10分かかるという。
 事前のリサーチでは「コンビニが近くて便利が良い」と聞いていたのに、そのコンビニがあるべき場所は工事用の塀に囲まれた空き地と化していたのである。
 疲れた体に鞭打って遠くのコンビにまで歩いてビールと明日の朝食を買い込み、その帰り、駅前で唯一の入りやすそうな店「銀ちろ」で食事を済ませた。
 まだ8時前なのに、駅前通りに人影はほとんど見えず、他に客のいない店での食事は何とも寂しいものである。

 こうして熊野古道の旅二日目が終わって、明日からがいよいよ旅の本番、熊野古道歩きが始まる。


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