北海道キャンプ場見聞録
九州の旅(椎葉村)
椎葉村の旅館(4月14日~15日)
午前8時過ぎに西都市の宿を出発。
この日は椎葉村を目指すのだけれど、Googleナビに任せていると裏道の最短ルートに誘導されてしまう。
急いでいる時ならばそれで良いのだけれど、そんな道は街の中を通らないので面白くない。
初めて訪れる街の様子を少しでも知るためにはメインの国道を走るほうが良いので、ナビの指示を無視して、遠回りしなが国道へと出てきた。
おかげで、ENEOSの安いGSを見つけて給油できて、急にお腹が痛くなったかみさんはそのGSの快適なウォッシュレットトイレで事なきを得たのである。
「道の駅つの」に寄り道し、その隣にあった都農神社にも寄っていくことにする。
都農神社は日向国一之宮とされる社格の高い神社で、昨日の宮崎神宮は神武天皇が祭神だけれど、都農神社では即位六年前の神武天皇が東遷の折に立ち寄ったとされている。
ここでは「石持ち神事」というものがあり、石に願いを込め、その石を持ったまま参拝を行い、本殿裏にある石納所に石を納めると願いが叶うとされている。
都農神社御本殿
その他にも境内には、撫でるとご利益がある「大黒様」「白兎」「御神象」や、願い事を叶える「あぶら石」、願いを込めて打つ願掛け太鼓、穢れを落とす身代わり人形などなど。
まあ、これだけの願掛け施設を揃えた神社はそうないだろう。
ちょっと無節操な気もするけれど、願掛け好きな人にとってはパラダイス的な神社である。
願掛け施設には事欠かない
その先で気になる看板を見つけて、小さな集落の方に車を乗り入れてみた。
するとそこには、歴史を感じる古い民家が立ち並んでいた。
「ここは何なんだろう?」と思いながら車を走らせていくと、海岸に出たところに忽然と「神武天皇御舟出の地」と書かれた大きな碑が現れてびっくりする。
予備知識ゼロで突然これが現れるとかなり驚かされる
この時は何のことかも分からないまま、???状態でここを後にしたのだけれど、札幌に戻ってから色々と調べてみて、ようやく納得できたのである。
美々津の街並みは江戸時代末期から昭和初期にかけて建てられた家屋で、廻船問屋や商家が並ぶ栄えた街だったようだ。
それと、全く知らなかったけれど、神武天皇は私が今回の旅で登った高千穂峰の麓、宮崎県高原町で生まれ、宮崎市で30年を過ごし、そして日本国を治めるために45歳で日向の美々津港から出立されたのだそうだ。
これが神武天皇東征の始まりなのだが、その中で私が知っているのは、熊野の山中で道に迷い八咫烏に導かれて大和の地に入ったことくらいである。
町並みを歩かずに看板の写真を写しただけで終わってしまう
これらのことを事前に知っていれば、もっと時間をかけて美々津の集落を歩いていたことだろう。
この後は耳川を遡るようにして椎葉村を目指す。
常に道路沿いに川の流れが見えているのだけれど、これがなかなか美しい川で、カヌーで下りたくなってくる。
美しい耳川の流れ
椎葉村の宿は素泊まりで予約していたので、途中で買い出しをしなければならない。
日向市東郷町が最後の大きな街なので、コンビニや道の駅で買い物を済ませる。
夕食の弁当は「道の駅とうごう」で買ったのだけれど、その隣の「スーパーマーケットやまさ」で安くて美味しそうな弁当が沢山売られているのを見てショックを受けた。
途中で「おせりの滝」の案内標識を見て寄り道する。
駐車場から200m歩けば見られるらしい。
軽い気持ちで川沿いの遊歩道を歩いていくと、上流の何処かで水が溢れたのか、遊歩道の上を川のように水が流れていた。
無理をすれば歩けないこともなさそうだが、ここで諦めて引き返すことにした。
遊歩道を水が流れていたので滝まで行くのは諦めた
そのことよりも、駐車場に立てられていた看板に「新型コロナ感染者が日向市東臼杵郡圏域にて増加傾向にあることからキャンプ等での長時間のご利用はご遠慮ください」と書かれていたことの方にショックを受けた。
この関係で椎葉村のキャンプ場も閉鎖されていたのだろう。
新型コロナがいよいよ私達の旅にも影響を与えてきそうな雰囲気である。
日付を見ると2日前からの規制である
椎葉村と言えば凄い山奥にある村のイメージがあって、そのアクセス道路も細い山道を想像していたが、耳川沿いの国道327号線は意外と走りやすい道路だった。
椎葉村に近づくに従って、渓谷は次第に深くなってくる。
次第に椎葉村っぽい雰囲気になってきた
椎葉村の集落に入るまで昼食を食べられる場所は無いだろうと思っていたら、その手前で椎葉村物産センター「平家本陣」に食事処が併設されていて、午後1時になってようやく遅い昼食を食べることができた。
そこで食べた椎名蕎麦は手打ちの太めの麺で、まるで蕎麦がきを食べているような味と食感だった
太い蕎麦だ
食後は大いちょう展望台へ行ってみることにした。
そこからは、谷を挟んだ対岸に仙人の棚田が見渡すことができ、椎葉村の中では私が一番行ってみたかった場所である。
しかし、そこまでの道が大変だった。
国道から入って約5キロ、高低差は460m。
ほぼ1車線の曲がりくねった細い道が続き、対向車とすれ違える場所は殆どない。
落石注意の看板はあるものの、そこら中に小さな落石が転がっているので、上も下も注意しなければならない。
ガードレールもなく、片側はU字側溝が口を開け、もう片側は切り立った崖、少しでもハンドル操作を誤れば脱輪か崖下転落。
横に乗っているかみさんは顔面蒼白。
とても「ここ凄いから写真撮ってよ」と言える雰囲気じゃなかった。
そんな道を登っている途中に突然民家が現れ、「こんなところに人が住んでるの!」と驚いてしまう。
展望台から仙人の棚田を眺める
そうして辿り着いた展望台からの眺めは素晴らしかった。
肝心の大いちょうは何処にあるのか分からなかったが、棚田の風景は圧巻である。
その棚田の中に点在する家々。
仙人の棚田以外にも山の中にポツポツと家が見えている
この棚田に水が引かれたのは150年前で、それ以前は焼畑農業が行われていたらしい。
ということは、そこに住んでいる人たちは少なくとも150年以上はそこで暮らしてきたということでもある。
四国を旅した時も同じような山奥で先祖代々暮らしているような集落をあちこちで目にして驚いたことがある。
そこに伝わるのは平家の落人伝説。
本当に、戦に破れた平家の人たちが各地の山奥へと逃げ込み、そこで暮らすようになったのだろうか?
なかなか信じることの出来ない私なのである。
目を凝らして見てみたけれど、肝心の大イチョウが何処にあるのかは分からなかった
その展望台から帰る途中、前方から軽トラが登ってくるのを見た時は頭の中が真っ白になってしまった。
しかし、その車は数百メートルもバックして道を譲ってくれたのである。
すれ違う時に車の窓を開けてお礼を言うと、軽トラを運転していたおばさんは何も反応せずに再び山道を登っていったのである。
そんな道を走った後では、仙人の棚田の方にも行ってみようという気には全くなれなかった。
山道を下っている途中で、仙人の棚田もう一度眺められる場所を見つけた
宿のチェックイン時間にはまだ少し早かったので上椎葉ダムを見に行く。
このダムは日本初の大規模アーチ式ダムである。
私はそんなダムマニアでも無いけれど、それでも迫力のあるダムの姿に感動した。
公園のように整備された場所には金色の女神像があった。
その説明を見ると、このダムの完成までには105名の犠牲が払われ、その慰霊のためにこの像を作成したと書かれていた。
上椎葉ダムは昭和25年着工、昭和30年完成だけれど、それだけの死者が出ていたことに驚かされる。
映画にもなった黒四ダムについて調べてみると、昭和31年に着工し昭和38年の完成までに171人が殉職していた。
その当時のダム建設の過酷さを改めて思い知らされた。
何故か柵で厳重に囲まれている女神像
そのまま宿に入ろうと思ったけれど、途中で小崎川流れるプールの案内標識に興味を惹かれ、そこも見に行くことにする。
宿からは更に10キロ上流に向かうことになる。
道路標識を頼りに走ってきてけれど、もう少しで到着するところになって案内板が何処にも見当たらなくなった。
googleナビは、民家の前の細い道を曲がるように示している。
こんな細い道を入っていくのか?と疑問に思いながらそこを曲がると、小さな川に出てきた。
「こ、これが流れるプールなのか?」
そこには、私がイメージしていたのとはぜんぜん違う、ごく普通の川が流れているだけだった。
と言うか、流れるプールと聞いて、それがどんな場所なのか全く想像出来なかったのが本当のところである。
近くに居たおじさんに「これが流れるプールですか?」と聞いた所、間違いは無いようだ。
確かに、その辺りだけ流れが緩やかになっているので、夏の間に水遊びをするのには良さそうな場所である。
ただ、往復20キロも余計に走って今時期にわざわざ見に来るような場所ではなかった。
ここは見る場所じゃなくて遊ぶ場所のようだ
そんな事もあって午後4時少し前に今日の宿「鶴富屋敷」にチェックイン。
鶴富屋敷は国指定の重要文化財で有料で公開されているけれど、旅館の方はその隣の普通の家である。
食事付きで宿泊すれば、夕食は鶴富屋敷の方で食べられるみたいだ。
鶴富屋敷、宿泊するのはその先に屋根が小さく見えている普通の家
素泊まりで1人5千円と料金も少々高め。
これならば工事関係者からは敬遠されそうなので、空いていたのだろう。
他の宿泊客も少なそうである。
この辺りが椎葉村の中心部だのだろう
周辺を少し歩いてみたけれど、山間の集落に違いはないけれど、椎葉村らしい雰囲気はあまり感じられなかった。
更に奥に入ったところの集落にも何軒かの民宿があったけれど、そんなところに泊まったほうが楽しかったかもしれない。