北海道キャンプ場見聞録
九州の旅(曽木の滝・人吉)
人吉クラフトパーク石野公園キャンプ場(3月31日~4月1日)
十曽青少年旅行村を出てこの日最初に向かったのが曽木の滝。
伊佐市内からの道路の案内標識には常に曽木の滝の方向が示されているので、ナビを頼りにしなくても迷うことはない。
駐車場も広く、周辺は曽木の滝公園として整備されていて、この辺りではメジャーな観光地なのだろう。
この辺りからは滝の上部が見渡せる
東洋のナイアガラとも呼ばれる曽木の滝は、ナイアガラの名に恥じない豪快な滝だった。
所々に立っている看板を見ていると、豊臣秀吉が訪れたとか、柳原白蓮がここを訪れた時に詠んだ歌の歌碑があったりとか、昔からの観光地だったのだろう。
曽木の滝、一番のビューポイント
曽木の滝のことは事前に写真などで見て大体のことは知っていたけれど、滝の下流には以前に発電所があって、その遺構が残されていることは、ここに来て初めて知ったのである。
滝にも感動したけれど、発電所の遺構も私好みだった。
岩をくり抜いたトンネルや苔生した石積みなど、なかなか見ごたえがある。
滝の直ぐ近くにある発電所遺構
車で移動した先の展望台からはレンガ造りの曽木第二発電所の遺構も見ることができる。
昭和41年に下流に鶴田ダムが完成し、季節によってはダム湖の中に沈んでしまうらしいが、今はその姿を完全に確認することができた。
曽木の滝からその発電所遺構までは遊歩道も作られているようで、時間さえあればそこを歩いてもっと近くからその姿を眺めてみたかった。
曽木第二発電所の遺構、ここはもっと近くで見てみたい
若干心残りだったけれど、曽木の滝を後にして伊佐市内に戻り、さくら名所百選にも選定されている忠元公園を見に行く。
こちらも道路標識にその名前が出ていて、迷わずに行くことができた。
残念ながら、ここの桜は殆ど散ってしまい葉桜になりかけていた。
九州入りしてから、私のフェイスブックに「今日の桜」と第して桜の写真を一枚ずつアップしていたが、これも3月の終わりとともに今日で止めることにした。
桜のトンネルに見えるけれど殆ど葉桜である
伊佐市観光はこれで切り上げて人吉市へ向かうこととする。
伊佐市では、西南戦争の激戦地で砲弾の跡も残っている高熊山にも行ってみたかったが、これ以上寄り道していると今日もキャンプ場到着が遅くなりそうなので諦めることにした。
伊佐市は鹿児島県だけれど、人吉市は熊本県になる。
せっかく鹿児島に入ったのに熊本に逆戻りって感じである。
旅行前に作った計画では無駄な動きをしないように行程を考えていたのに、最初のキャンプから予定が変わってしまって、事前に作った行程表は全く役に立たなくなっていた。
人吉に着いて、まずはラーメンで腹ごしらえ。入った店は「らーめん龍風」。
熊本ラーメンは豚骨スープが特徴らしい。
メニューに書かれた「濃厚なとんこつスープ」の文字を見て、あっさり系ラーメンの好きな私達は店の選択を間違えたかと後悔する。
しかし、実際に食べたラーメンは意外とあっさりしていて、美味しく食べることができたのである。
これが熊本ラーメンなのかは分からないが、なかなか美味しかった
食後の観光は、本殿などが国宝に指定されている青井阿蘇神社。
神社までやってきて驚いたのは、鳥居の前にある橋の赤い朱塗りの欄干が壊れたままだったことである。
これが最初に目にする7月豪雨による被害の様子だった
去年の7月の豪雨で人吉市が大きな被害を受けたことは知っていたが、実際の被害を目にするのは初めてだった。
神社に展示されていた写真を見ると、青井阿蘇神社の境内も水に使っていたようだ。
境内は道路からも少し高くなっているのに、そこまで水が上がってきたとは、周りの街の様子を見ても直ぐには信じられなかった。
洪水時はこの階段の上まで水が上がり、先に見えている楼門も水没したようだ
国宝に指定されている藁葺き屋根の本殿や拝殿、楼門などは素晴らしかったが、それ以上に壊れたままの禊橋の赤い欄干が強く印象に残ったのである。
水には浸かったけれど国宝の建物に大きな被害が無かったのは幸いだ
今日の宿泊は人吉クラフトパーク石野公園キャンプ場。
道の駅人吉に隣接するキャンプ場である。
午後1時からチェックインできるので、先にテントだけ設営してから人吉市内を観光することにした。
このキャンプ場、オートキャンプはできないけれど、空いている時ならば駐車スペースの直ぐ近くにテントを張ることが可能である。
私達のチェックイン時には誰も居なかったけれど、すぐ後からソロキャンパーの男性がやってきた。
最初は私達の直ぐ近くにテントを張ろうとしていたので、「こんなに広いのにわざわざそこにテント張るのか!」と思ったが、結局少し離れたところにテントを張ってくれてホッとした。
まずはテントだけを設営
設営を終えてから市内観光へと戻る。
向かったのは人吉城址。
ここも去年の豪雨による被害が大きかったのか、立ち入り禁止になっている場所が多い。
そしてその一部には仮設住宅も建てられていた。
今日のキャンプ場もその近くに仮設住宅が建っていて、まだ不自由な避難生活を強いられている人も多いのだろう。
石垣の先に見えているのは氾濫した球磨川
人吉城址は、建物等は西南戦争の時に殆ど焼失してしまい、現在残っているのは石垣くらいである。
しかし、その石垣がなかなか見応えがある。
特に、新緑のモミジと石垣の組み合わせが何とも美しい。
九州は桜の季節から新緑の季節へと完全に移り変わっているようだ。
モミジの新緑が目に眩しい
場内からは人吉の街並みも見渡せる。
目の前には、氾濫して人吉市内を水没させた球磨川が流れているが、河川敷で重機が動いている以外に豪雨の被害を思い起こさせる風景は見当たらなかった。
この球磨川が氾濫して人吉市内が水に浸かったとは想像できない
人吉城址を見た後は温泉に入るつもりだった。
人吉は泉源が50も有る温泉の街でもある。
人吉城址の直ぐ近くに人吉温泉元湯があり、昔ながらの銭湯風で観光客にも人気があるらしい。
しかし、入浴料は200円で、もしかしたらシャワーも無いのじゃないかと心配になって他の温泉を探した。
そうして探して入った温泉も、番台に人がいなくて箱の中に自分で料金を入れる。
人吉の温泉は、大きなホテル以外はこんな素朴な温泉が多いのかもしれない。
その外観から大きな温泉かと思ったが、番台には誰もいなくて地元の人達の立ち寄り湯といった感じの施設だ
温泉に入った後は買い物をしてキャンプ場に戻るだけだが、その前に球磨川の様子をどうしても見ておきたかった。
市内を回っただけでは、去年の水害の様子が殆ど分からないのである。
それに球磨川は川下りの盛んな川でもあり、その点でも興味があったのだ。
人吉から八代へと流れる球磨川に沿って走る国道219号線を八代へ向かって車を走らせる。
そして、市街地を過ぎた直ぐその先で、豪雨災害の酷さを見せ付けられることとなった。
水害後、全く手を付けられないまま残された多くの家屋。
広い範囲に人が住んでいる様子が全く無い。
国道沿いの建物も被災した時のまま手も付けられていない
そしてその先で、球磨川は人吉盆地から狭い山間へと流れていく。
その地形を見れば、行き先を失った大量の水がその付近に溢れ出すことは容易に想像ができた。
山間部では道路の遥か下の方を美しい清流が流れていた。
しかし、道路の周りの立ち木にはゴミが引っかかっていて、洪水時にはそこまで水が上がったことが良く分かる。
空知川の洪水跡を見て、こんな場所まで水が上がるのかと驚いたことを思い出す。
穏やかな流れにしか見えないが、自然が牙を剥くと恐ろしいものだ
国道はその先で通行止めになっていたので、キャンプ場に戻ることにした。
当初の計画では、この国道を八代から人吉に向かって走るつもりでいたので、計画変更になったのは幸いだったのかもしれない。
キャンプ場に戻ってきてもキャンパーは増えていなかった。
このキャンプ場には2匹の猫が住み着いているようで、食事の準備をしていると物欲しそうに近づいてくる。
この黒猫は意外と控えめ
私もかみさんも猫好きなのだけれど、こんなところで餌を与える気にはなれない。
心を鬼にして追い払う。
そうすると追い払われた猫はソロキャンプの男性の方に向かって歩いていった。
一人焼肉をしていた男性にとって、その猫は丁度良い相棒になっていたようだ。
こちらの猫はかなりしつこくて男性をぴったりマーク
この日は、今回の旅で初めてかみさん手作りの夕食を食べることできた。
やっぱり、キャンプ場には余裕を持って着いた方が良いのである。
この日以降のキャンプでは毎回手作り料理を食べさせてもらった
テントの周りの樹木は全部がサクラだったけれど、花は殆ど散ってしまっていた。
これが満開だったら最高の花見キャンプを楽しめたことだろう。
この桜が満開だったら最高だったのだが
ここのキャンプ場の猫は誰かが世話をしているようだ。
炊事場の下に寝床と餌の入れ物が置かれていたのだ。
それを知ったかみさんは、翌朝の帰り際、安心してこの猫にウインナーを食べさせていた。