北海道キャンプ場見聞録
東北の旅(平泉)
休暇村気仙沼大島キャンプ場(6月17日~18日)
この日も朝から霧雨が降っていたが、ケビン泊なので全く関係ない。
午前6時半には片付けを終えて、お世話になった衣川ふるさと自然塾のケビンを後にした。
今日は平泉観光。
最初に向かったのは骨寺村荘園遺跡で、キャンプ場から20分程度で着いてしまう。
ここは奥州藤原氏ゆかりの荘園遺跡で、伝統的な農村景観が維持されていることで国の重要文化的景観に選定されている。
骨寺村荘園交流館の駐車場に車を停める。
朝の7時なので、交流館は当然まだ閉まったままだが、私たちの目的は荘園遺跡の中を散策することだったので関係ない。
散策マップも事前に手に入れてあるのだ。
骨寺村荘園の中を歩く
骨寺村荘園に虹がかかった
今年の山陰九州の旅でも荘園遺跡の田染の庄(豊後高田市)を訪れていたけれど、時間が無くて展望台からその様子を眺めただけ。
その時は、まだ水田に水が張られていなかったので、歩く気にもならなかったのだけれど、こちらは稲も少し大きくなって水田が一番美しく見える時期を迎えていた。
風景的には、山里では何処でも見られるようなものなのだろうが、私にとっては水田の風景自体が見慣れないものなので、その中を歩くだけで楽しくてしょうがないのだ。
そこに嬉しいことに虹までかかってくれた。
山々に囲まれ、曲がりくねった水路に、不整形の水田、これが日本の原風景なのだろう。
屋敷林に囲まれた家々の屋根は、ここでもやっぱり反り返っていた。
反り返った屋根の民家
一番奥の駒形根神社まで行ってから引き返す。
神社からは荘園の風景が良く見渡せた。
駒形根神社からは荘園全体が見渡せる
所々に野晒の古い墓が建っている。
北海道ではあまり見かけないけれど、生活の場の直ぐ隣に先祖代々の墓が並んでいる風景はこちらでは珍しくない。
そこに、北海道とは比べ物にならない古い歴史を感じてしまう。
こんな墓の風景にも惹き付けられる
今日予定している観光ルートでは、この後厳美渓に行くのが効率的なのだけれど、観光客で混雑する前に世界遺産中尊寺を先に見ることにする。
9時45分に駐車場に着いたけれど、車はまだそんなに停まっていなかった。
樹齢300年の杉が並ぶ月見坂を登っていく。
普通ならば、まずその風景に感動するところなのだろうけれど、3日前に羽黒山を歩いた後では、特に何も感じない。
中尊寺参道の杉並木
本堂の前も素通りして、一番最初に国宝金色堂へと向かう。
写真では何度も見ているけれど、実物を見るのは勿論初めて。
覆堂の中に収められている金色堂は、想像していたよりも小さく、当然のことだけど写真で見るのと全く変わらない。
私は金ぴか趣味じゃないので「何だ、こんなものか」と、大した感動も湧いてこない。
国宝金色堂はこの覆堂の中に収められている
鎌倉幕府によって建てられた昔の覆堂が境内に移築されていたが、金色堂よりもその覆堂の方を見て、そんなに昔から金色堂がこうして守られてきたのだと感動してしまう。
松尾芭蕉もここを訪れて句を詠んでいるのだが、当時の金色堂はこの覆堂の中にあったのだろうと思うとなかなか感慨深い。
昔の覆堂とその横に立つ芭蕉像
境内の建物で他に目を惹くものもなく、楽しみにしていた中尊寺は少々期待外れに終わってしまった。
ただ中尊寺の宝物館である讃衡蔵の展示物は、貴重な国宝のオンパレード。
金色堂の中に安置されている藤原氏親子四代の遺体を調査した時に出てきたもの等も展示されていて、とても見ごたえがあった。
参道の途中にある松栄堂弁慶園で名物弁慶餅を食べてから、次に向かったのは同じく世界遺産の毛越寺。
平安時代の伽藍は全て焼失し、礎石等の遺構が残っているだけ。
見どころは大泉が池を中心とする浄土庭園。
青空が広がっていたので、浄土庭園もそれなりに美しく見えたけれど、公園の池と大して違いはない
しかし、この庭園を見て一体どれだけの人が感動を覚えるだろうか。
平安時代の庭づくりの秘伝書「作庭記」に忠実に作られた庭園なのだが、学生の頃に勉強して「作庭記」の内容は知っている私でも特に感銘は受けないのだから、一般の人の目には公園の池と大して変わらなく映る気がする。
丁度、花菖蒲が咲いていたので楽しめたけれど、ここもまた私には期待外れの場所だった。
勝負の花が丁度満開だったのが良かった
平泉の世界遺産の資産は、他に観自在王院跡、無量光院跡などがあるけれど、何れも「跡」でしかない。
そんな「跡」にはあまり興味が無いので世界遺産巡りはこれで切り上げ、同じ跡でも松尾芭蕉の足跡を辿ることにした。
向かったのは高館義経堂。
高館は源義経最期の地であり、義経の像が祀られた義経堂も建っている。
私の興味があったのは、その義経堂ではなく、松尾芭蕉があの有名な句「夏草や 兵共が 夢の跡」を詠んだ場所であるということだった。
高台の上からは北上川が流れる風景を見渡せる場所があり、芭蕉もこの風景を見て句を詠んだのだろうと思いを馳せる。
夏草や 兵共が 夢の跡
一昨日は「「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」、昨日は「五月雨を 集めて早し 最上川」、そして今日が「夏草や 兵共が 夢の跡」と、期せずして松尾芭蕉の句に所縁のある土地を訪ねたことになる。
これならば最初から今回の旅のテーマを「松尾芭蕉の奥の細道を辿る旅」にしておけば良かったかもしれない。
昼食は近くの蕎麦屋に入るつもりだったけれど、運悪く臨時休業だったので、そのすぐ近くの「夢乃風」に入った。
私はこの店の一番人気だという「藤原三代お餅膳」、かみさんはご当地名物「はっと汁」を食べる。
お餅を5個も食べると少々胃もたれ気味になり、重たいお腹を抱えながら、次の目的地である達谷窟毘沙門堂へ向かった。
藤原三代お餅膳
はっと汁
岩壁に張り付くように建てられた毘沙門堂や、北限の摩崖仏と言われる岩面大仏など、なかなか見ごたえがあった。
今回の旅で持ち歩いている御朱印帳は、神社の御朱印だけを集めることにしていた。
毘沙門堂の入り口に鳥居が建っていたので、あまり考えずに御朱印を貰ったのだけれど、後になって「そう言えば毘沙門堂って神社じゃないよね」と後悔することとなった。
岩に張り付くように建てられた毘沙門堂
平泉観光の最後に訪れたのは厳美渓。
渓谷美を楽しめる観光地である。
渓谷の中の激しい流れを見ていると、どうしてもカヌーで下れるかどうかを考えてしまうのは、カヌー乗りの性である。
カナディアンでは無理そうかな
ここでは「かっこう団子」が名物である。
岩場のかごにお金を入れて合図の木づちを鳴らすと、対岸の店からロープを伝って団子が飛んでくるので「空飛ぶ団子」とも呼ばれている。
お餅が胃にもたれている私は団子を食べる気にはなれず、他の人が注文している様子を見学させてもらった。
こちらから合図してお金を入れると
対岸からお団子が飛んでくる
この後は一気に今日のキャンプ地である気仙沼を目指した。
この日は望洋平キャンプ場に泊まるつもりだったけれど電話をすると月曜日が定休日と言われ、次に電話したアストロ・ロマン大東ではまだオープンしていないと言われる。
結局、オートサイト1区画4110円+管理費1人410円の何時もならば敬遠する料金の休暇村気仙沼大島キャンプ場に泊まることとなったのである。
目の前に炊事場があるので、サイトの水道は無駄な気がする
各サイトには水道・電源が付いているのだけれど、電源は使わないし、目の前に立派な炊事棟があるので水道の有難味は全く感じない。
これならば隣のフリーサイトでも良かったと後悔した。
休暇村で温泉に入り、夕食を済ませ、6日前に十和田湖のキャンプ場で買った薪の残りを未だに持ち歩いていたので、炊事棟の中にあった炉でそれを使い切ることにした。
パッとしないキャンプ場で満月が最高の夜を演出してくれた
まったりと焚火を楽しみながら、ふと気が付くと、木々の間から月が昇ってきていた。
その月に照らされて海面も明るく輝いている。
考えてみると、今日が満月である。
梅雨入りしている東北でこんなに美しい満月を楽しめるなんて思ってもいなかった。
東北の旅先で見る満月は格別
明日からは三陸の海岸を北上する予定である。
震災後に初めて訪れる三陸、今日もキャンプ場まで来る途中に津波の爪痕を見ていたけれど、明日からは更に生々しい爪痕を目にすることとなるのである。