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待ちくたびれて鵡川川原キャンプ

鵡川の川原(7月21日〜22日)

カヌークラブの7月例会で鵡川を下ることになった。
そうすると、キャンプ場は穂別あたりになるのだが、それでは面白くないので、鵡川の川原でキャンプをすることに決める。
我が家の秘密の川原があるのだけれど、そこは4年前のクラブの例会でスタート場所として利用して以来訪れたことがない。今でもテントを張れる状態なのか、不安だった。
赤岩青巌峡いや、それよりも川原へ入っていく道が残っているかどうかの方がもっと心配だった。高速道路の工事の関係もあって、この辺りは人もあまり入っていないはずなのである。

前日に川の下見をしてくれた方がその場所も見てくれて、車が入れることを確認できた。
これで心置きなく川原キャンプを楽しめる。
張り切って朝早くに札幌を出発。
土曜日には、泣く子も黙る赤岩青巌峡を下る事になっていたので、じっくりと川の下見もしておきたかったのだ。

何せ、大型のカナディアンで参加するのは私達夫婦だけ。
会長は「ヒデさんの奥さんは男前だから大丈夫だと思いますよ〜」なんて訳の分からない事を言っていたが、赤岩青巌峡はミニ例会の位置づけなので、参加すると決めた時点で全て自己責任なのである。

 
鵡川の瀬   鵡川の瀬
下れそうな気もするけれど   道路上から見下ろしてもその凄さは分からない

鵡川と並行して走る道路上から見える区間は全て確認しながら、川原への入口までやって来た。
そこからの道はしっかりと残っていたけれど、イタドリなどが両側から覆い被さっていて、それをかき分けながらゆっくりと車を走らせる。
たどり着いた川原は以前と全く変わっていなかった。
最高のテントサイトだただ、雑草がかなり茂っている。
鎌を持ってこようと思っていたのに、それを忘れたのはちょっと失敗だった。
それでも、ちょうど良い具合に草の生えていない場所があって、そこにテントを設営する。
そして、我が家のコールマンのタープを久しぶりに張った。

今日の集合時間は福山大橋の駐車場に10時。
その30分前に、キャンプの準備が全て整ってしまった。
かみさんは、赤岩青巌峡なんか下らないで、このままここでのんびりとキャンプを楽しんでいたい様子である。
10時を過ぎても、他のメンバーはなかなかやって来ない。
明日はここから福山大橋まで下る予定なので、下見でもしているのだろう。
皆が川原に到着した時は既に11時近くになっていた。


最高のテントサイト
理想的な川原キャンプのテントサイトである、熊が怖いけど・・・

赤岩青巌峡を下る皆さん今日は赤岩トンネルを抜けた先の高速道路下からスタートするという。
赤岩青巌峡と言えば、赤岩トンネルのこちら側、赤岩橋から下流の事を言うのだと思っていたが、一部の物好きな人達の間ではその上流部が赤岩青巌峡の核心部分になるらしい。
我が家は、赤岩橋上流の僅かな区間を見ただけで、とてもカナディアンで下れるような場所ではないと判断し、その下流から合流する事にした。

スタート地点に移動して、皆を見送る。
そしてトンネル入口まで先回り。
直ぐに皆の姿が見えてきた。
穏やかな流れの中を9艇のカヌーがゆったりと下ってくる。
ゆったりとした流れこの先で待ち受けているはずの修羅場と比べると、あまりにも対照的な風景である。

ラフト業者の間ではビッグママ、チーママと呼ばれている凄い場所もあるらしい。
そこを見るためには、今はもう草に覆われてしまった旧道を歩いていかなければならない。
今回のツアーリーダーであるT津さんは、昨日仕事を休んで、熊の気配に怯えながらそこを確認してくれていた。
今回のミニ例会の参加者の中では、一人がラフトで下ったことがある以外、赤岩青巌峡を下るのは全員が初めてなのである。
いくら水が少ないとは言っても、安全に下るためには、事前準備が肝心である。T津さんには本当に感謝するしかない。

岩を登る女性私達は本来の観光名所である赤岩青巌峡へ移動して皆を待つことにする。
そこから川の水面まで、大型のカナディアンカヌーを降ろすのはかなり大変である。
幸い、ラフト業者の方が使用しているロープが張られていたので、それを使わせてもらってカヌーを下まで降ろした。

既に昼を過ぎていたので、巨大な赤い岩の上でおにぎりを食べる。
この辺りはロッククライミングの練習の場としても人気のあるところで、その様子を眺めながら時間をつぶす。
しかし、待てど暮らせど、皆はやって来ない。
しびれを切らして、旧道を少し歩いて上流の方の様子を見に行ったけれど、影も形も見えない。

赤岩の上で待ちくたびれる赤岩トンネルの延長は約2キロ。
川の延長もそれと大して変わりはない。
たったそれだけの距離を下るのに、既に2時間を経過していた。
スタートが遅かったので、もしかしたら今日はここで時間切れになるかもしれない。
ツアーリーダーのT津さんの考えでは、元々が高速道路下からここまでのツアーにするつもりでいたらしい。
ところが、会長が「赤岩青巌峡って言ったらここから下流の事じゃないですか〜」って言うし、我が家も「途中から参加します」なんて言うものだから、下る区間を延長したのである。

我が家の場合、最初から「本当に我が家が赤岩青巌峡なんて下れるんだろうか?」って思っていたので、仮にここでツアーが中止になってもそれ程気にもならない。
ただ、苦労してここまでカヌーを降ろしたのに、一度も乗らずに帰ってしまうのも馬鹿らしい。
青巌峡を下った証拠を残す瀞場にカヌーを浮かべてかみさんに写真を撮ってもらう。
これで一応は、赤岩青巌峡でカヌーに乗ったと言う事実を作ることができたのである。

それにしても遅い。
スタートしてからもうすぐ3時間になる。
これは確実に誰かが怪我をしたのだろう。
そんな心配をし始めた頃、岩の間にT津さんの姿が見えた。
他のメンバーも、一応は一人も欠けることなく下ってきているようだ。
「ここはポーテージするしかないだろう」って見ていた岩だらけの場所も、ぶつかったり、乗り上げたり、張り付いたりしながらも、全員がそこを下ってくる。
しかし、その下流には舟やパドルや人間が次々と流されてくる。 全く呆れた人達である。

そんな様子を見届けた後にサッサと自分のカナディアンを片付けようとしていると、皆が何やら相談を始めた。既に午後3時半を過ぎて、まさかこのまま下り続けるつもりじゃないだろう。
どうするのかと思ったら、このままカヌーをここに置いておき、明日になってからこの続きを下ろうと言うのだ。
ようやく赤岩青巌峡から逃げ出せると思ったら、そう簡単には解放してもらえないみたいである。


岩の間を下ってきた   赤岩青巌峡の中を下ってきた
ようやく姿が見えた   皆、満足そうな表情を浮かべていた

楽しい川原キャンプカヌーをそこに残したまま、キャンプ地の川原まで戻ってきた。
車を買い換えてから2年も経つと、藪の中をかき分けて走るのも大して気にならないが、そんな道をピカピカのベンツで入ってこなければならないO橋会長は、少し顔が引き攣っていたようだ。

早速、鵡川の川原に焚き火の煙と炭を熾す煙が立ち上る。
缶ビールを開けるプシュッて音が次々に聞こえてくる。
美味しい焼き肉の香りも漂い始めた。
回りの草むらの中からは、クマさんが涎を流してこちらの様子を窺っているかもしれないが、酔っ払ったおじさん達に恐れをなして、草むらの中から出てくることはないだろう。
T津さんが知り合いの農家から仕入れてきたと言うメロンにスイカ。
さすがにその味に間違いはない。

焚き火を囲んで七輪を囲んでいた輪が、焚き火の方へと移動していく。
整備されたキャンプ場では絶対にこの楽しさは味わえない。
やっぱり川原キャンプは最高である。
ただ、焚き火を囲んで話される男達の会話は、ノグ○を何回した事があるとか、そんな話しばかり。
最高のシチュエーションの中で最高に楽しい話しが続く。
誰かが「あっ!蛍だ!」と声を上げた。
こんな場所で蛍を見られるとは驚きだった。
明日の赤岩青巌峡に備えて、夜更かしすることもなく、皆はそれぞれの寝場所へと入っていった。

寝るのが何時もより遅くても、目が覚める時間に殆ど変わりは無い。
4時前にはもう寝ていられなくなり、テントから抜け出す。
当然まだ誰も起きてきていない。
ニジマス大漁今回は釣り竿も持ってきたので、一人で釣りをすることにした。
小さなヤマメやニジマスを立て続けに釣り上げる。
かみさんが起きてきて、釣りたそうな顔をしているので竿を譲ってやる。
すると私が釣ったサイズを遥かに上回るニジマスを2匹も釣り上げてしまった。
それでその辺りの魚はいなくなったようで、再び私に変わっても全然釣れない。
まあ、朝の食事のアクセントにするには十分な数だったので、それで引き上げることにした。
皆から、ヒデさん夫婦ならどこでも生きていけるよねって褒められたけど、釣りは全くの素人。
私達に釣り上げられた魚の方が気の毒である。

朝食を終え、川原を綺麗に片付けて、再び赤岩青巌峡へと向かった。(川下りの様子はこちら


釣った魚を焚き火で焼く   焚き火の世話
ワイルドだろ〜   川原キャンプにダッチオーブンは欠かせない


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