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日本の果てキャンプ

日本の果てのような場所(9月24日〜25日)

アゼチの岬 道東キャンプの2日目、まずは琵琶瀬川でカヌーを楽しみ、その後は「霧多布温泉ゆうゆ」で一汗流す。
 素晴らしい青空が広がり、霧多布岬からの絶景も楽しみたかったけれど、昨日のことがあるのでどうもそちらには近づく気がしない。
 その代わりにアゼチノ岬の方へ行ってみることにした。
 道東の海岸線は全て回りつくしたつもりでいたけれど、この岬だけは抜けていたようだ。
 霧多布までは何度も来ていたけれど、殆どが天気の悪い時ばかりで、ゆっくりと観光するような余裕も無かったのである。
 目の前に浮かぶ小島とその向こうの嶮暮帰島、霧多布岬よりもこちらの方が眺めが良いかも知れない。

 その後は昼食を食べてから、今回の道東旅行で一番の目的の場所へ向かうことにする。
 その途中に、朝の散歩の時に見つけた「粉の実」と言うパン屋に立ち寄る。
 道路沿いの看板に従って道を入ると、普通の民家の一角が店になっていた。
 何のことはない、サイトから常にその姿が見えていた家だったのである。
 でも、ここで買ったパンはとても美味しく、店の外見と中身は大違いだった。
ファームデザインズ 相変わらず文句の付けようのない青空が広がっているものの、目的地の方向の空には若干だけど雲が広がっているのが気がかりだった。
 昼食は国道44号線沿いにある牧場直営のレストラン「ファームデザインズ」に入る。
 アメリカンスタイルの建物が根釧原野の中にポツンと建っている風景は、何となく日本離れしている。
 アメリカのハイウェイを走って、砂漠の中で一軒だけ営業しているパブに入るような感覚である。
 この後は明日の昼までフリーズドライの山食しか食べられないので、ここで腹を満たしておかなければならない。
 都会のレストランで食べるのと全く変わり無いような食事で腹一杯になって、店を出る。

日本の果てに向かう駐車場  そしてとうとう目的地の駐車場に到着した。
 私のホームページの2010年キャンプ日記のトップページに「日本の果てでキャンプをしてみよう」と書いた時、私の頭の中にはこの場所がイメージされていたのである。
 それなので、今年のうちには絶対にここでキャンプをしなければならないと考えていたのだ。
 本当の目的地はこの駐車場から2時間ほど歩いた先である。
 そこが本当に日本の果てのような場所なのか、一度も行った事がないので分からないが、航空写真でその場所を確認して、私の頭の中には最果ての風景が完全に出来上がっていた。
 心配していた通り、空には次第に雲が広がってきていた。
 おまけに海沿いなので、霧多布湿原にいた時よりも更に風が強く吹いている。
 一応は観光地でもあるのだけれど、周りに人の姿は無く、気分だけは早くも最果てである。
 重たいザックを背負って歩き始める。
果てに向かって歩く 山に登るわけでもなく、2時間くらいしか歩かないので、ザックが重たければ重たいほど旅をしている気分にひたれる。
 とは言っても、かみさんのようにワインのボトル1本をそのままザックの中に入れて歩くのはどうかと思うのだが。

 途中から木道を外れ、いよいよ原野の中に続く道に足を踏み入れる。
 その先には展望塔もあって一応はまだ観光地の中であるが、その展望塔も老朽化のため立ち入り禁止となっていて、今は歩く人も疎らのようだ。
 人間よりも鹿の方が沢山歩いているようで、そこら中にフンが落ちていて、周りの風景に気を取られていると直ぐに踏みつけてしまう。
 展望塔を過ぎると、更に道は覚束なくなってくる。
 ずーっと先には休憩小屋が見えているが、そこも今は朽ち果てているのだろう。
道が消えてきた ところがその小屋まで行ってみると、建物全体がサルオガセのような蘚苔類に覆われているものの、立ち入り禁止にはなっていなかった。
 2階の展望テラスへ続く階段を、足を踏み抜かないように一歩一歩慎重に登る。
 テラスの上から、これから向かう先を眺めてみたが、目的としている先端部分までは確認できなかった。
 そこから先にも、踏み分け道のような道がかろうじて続いていた。
 こんなところまで歩いてくる物好きが結構いるのかもしれない。
 しかし、更に歩いているうちにそうではなさそうなことが次第に分かってきた。同じような踏み分け道があちらこちらにできているのだ。
 遊歩道の一部だとおもって歩いていた道は、どうやらエゾシカが歩いてできた獣道だったようだ。周りの草がペタリと倒れているのは、そこでエゾシカが寝ていた跡なのだろう。
 私達は完全な鹿のテリトリーに入り込んでいたのである。


展望テラスから果てを望む

 獣道を歩くのも大変なので、海との間に延びる砂丘を越えて海岸沿いを歩くことにする。
 そしてその砂丘を越えると、私達の目に飛び込んできたのは車で走れるダート道だった。
砂利道があった 予めネットで調べて、そんな道があることは知っていたけれど、やっぱり少し興ざめである。
 海との間には、他では見たことの無い石を積んだ護岸造られている。
 工事標柱を見ると、この施設が造られたのは比較的最近のようだ。
 獣道よりもやっぱりこちらの方が歩きやすいので、素直に砂利道の上を歩くことにする。
 護岸の石の上で子狐が1匹、気持ち良さそうに眠っていた。
 私達が近づくと、びっくりして飛び起き、もの凄い速さで遥か彼方まで走り去っていった。
 海から吹きつける風が更に強まり、波しぶきが護岸を超えて時々飛ばされてくる。
 空を覆っている雲も次第に怪しげな色に変わってきた。
 かみさんは「キャンプしないでこのまま引き返したら?」と言うが、私としてはどんなに条件が悪くてもテントを張らずに戻るつもりは無かった。
 最果てキャンプなのだから、この程度のことは覚悟の上なのである。


昼寝中の子ギツネ   風で帽子が飛ばされそう

最果てへの道はここで行き止まり 全く唐突に道は行き止まりになっていた。
 湿地と海との間に伸びていた細長い砂嘴がそこで切れていて、2〜30メートル程だけれど海水が流れ込んでいるのだ。
 石積みの護岸もちょうどそこで終わっていた。
 Googleの航空写真で見てもそんな切れ目は無かったのに、その護岸のために波の力が変えられた結果なのだろう。
 先端に達することができない無念さと共に、これ以上進まなくても良いという安堵感を覚えた。
 何しろその先に見える砂嘴は幅も狭く、風を遮るようなものも無く、真っ白な波が容赦無く打ち付けているのである。
 たとえその切れ目が無かったとしても、この状況でそこから先に進んでいたかどうかは分からない。

 とりあえずは、ここを最果てキャンプの場所にするしか選択肢は無かった。
 少しでも風を遮れるように、小高くなった砂丘の裏側に回る。
 目の前に湿原が広がりロケーション的には最高の場所だが、小さなハマナスの潅木がそこら中に生えていて、うっかりとその上にテントを張れば直ぐに穴が開いてしまう。
鹿のフンを拾う 何とかテント2張りを張れそうなハマナスの生えてない場所を見つけたが、そこには私達をあざ笑うかのようにシカのフンが沢山転がっていた。
 私が途方に暮れていると、かみさんが「軍手持ってる?」と聞いてきたので、ザックのポケットに入れてあった軍手を貸した。
 するとかみさんは自分の手袋の上からその軍手をして、それで直接シカのフンを拾い始めたのである。
 ここに来た時には呆然としていたのに、いざとなると女は強いものだと感心してしまう。
 それでも、乾いたフンならば良いけれど、生のフンを始末する時はかみさんの顔にも苦痛の表情が浮かんでいた。

 二人で協力しながら強風の中でそれぞれのテントを設営。
 どんな場所であっても、テントさえ張ってしまえば安住の地を得たように安心できる。
テントさえ張ってしまえば その安心感の大きさでは、これ以上のものは過去には無かった。
 それだけで最果てキャンプの目的を達したようなものである。
 それぞれのザックに入っていた500mlの金麦で乾杯。
 生温い発泡酒でも、最果ての地で飲む味わいは格別である。
 上空に広がっていた雲も疎らになっていた。
 西の空が次第に赤く染まり始める。
 私が頭の中に思い描いていた通りの最果てキャンプで見る夕日である。
 ハマナスの棘に足を引っ掛けながら砂丘の上に上ってみる。
 荒野の中にポツンと張られた二つのテント。
 少しだけ星野道夫の気分を味わえたような気がする。


最果ての地での野営

夕焼け 西の空を真っ赤に染める夕陽。
 炎を上げるように燃え上がった空は、日が沈んでからもしばらくの間、その炎が熾火になったかのように赤く染まったままだ。
 そんな豪華な風景を楽しみながら 、質素な夕食を食べる。
 食後はかみさんが運んできたワインを飲む。
 つまみは今日も酪恵舎で買ってきたチーズ。
 夕焼けの色が消える頃、東の空からは月が昇ってきた。
 しばらくすると その月に暈がかかっていた。
 天気が崩れる前兆である。
 数日前の天気予報ではキャンプ旅行の間は晴れるはずだったのに、太平洋を北上してくる台風がその予報を狂わしているようだ。
 ワインを1本空けて、かみさんは自分のテントへ戻っていった。
 テントを大きく揺らす風の音しか聞こえなくなる。
 大自然の真っ只中にポツンと張られたテントの中で過ごす贅沢さを、しばらくの間享受していたかったけれど、シュラフにもぐり込んだ途端に深い眠りに落ちてしまった。

残照   月夜

 夜中に一度目を覚ますと、風も止んで辺りは静寂に包まれていた。
 耳を澄ませても何の音も聞こえてこない。
 もしかしたら夜中にシカの群れに取り囲まれるかもと期待していたが、突然出現したテントに警戒されたのか、そんな気配も全く感じられない。

曇り空の朝 朝目覚めると、テントがカサカサと音をてたてている。
 再び風が吹き始めたようである。
 テントの外を覗くと、空は鉛色の雲に覆われていた。
 月にかかった暈は、天気予報よりも正確である
 朝のコーヒーを飲んでいると、丹頂の鳴き声が聞こえてきた。
 私達のテントからはちょっと離れているけれど、2羽の丹頂が湿地の中で餌を啄ばんでいる姿が見える。
 昨日ここまで歩いてくる時にも姿を見かけていたし、丹頂が普通に生息する道東の自然の素晴らしさを改めて実感する。

 撤収完了ザックに荷物を詰め込む。
 私達がここで一晩を過ごした痕跡は、潰れた草だけである。
 シカが寝てできた跡と区別は付かないだろう。
 最果ての野営地に名残惜しさを感じながら帰途へつく。
 砂利道を歩いていると、砂丘の上から数頭のエゾシカが私達を見送っていた。
 途中でエゾシカの甲高い鳴き声が聞こえたので、こっそりと砂丘の上に登ると、私の姿に驚いた10頭程の群れが大急ぎで逃げていく。
 中には、沼に飛び込んでそこを泳いで渡るものまでいる。
 畑の中に群れているようなエゾシカと違って、ここのシカたちは警戒心が強いようだ。


鹿が見送ってくれた   沼に逃げ込む鹿

無事だった車 そんなシカのテリトリーを抜けて、7時半に駐車場まで戻ってきた。
 納車後一週間しか経ってないエクストレイルは、いたずらされることも無く元の姿を留めていた。
 私はいたずらされることより「駐車場に車が停まったままで運転手が戻ってこない」と警察に通報されることの方が心配だったが、幸いあたりに捜索隊の姿は見られない。
 一方、かみさんは「今頃はロシアの船に乗せられているのでは」と心配していたらしい。

 道の駅「スワン44ねむろ」に立ち寄り、車中泊の人たちに混ざって顔を洗う。
 最新の天気予報を聞くと、釧路根室地方は夕方から雨になるらしい。
 意地悪な台風のおかげで、今後の予定がかなり狂ってきそうだ。
それでも日中は天気も持ちそうなので、当初の予定通り別寒辺牛川を目指して車を走らせた。

 家に帰ってからGPSデータで確認したら、今回の野営地は目的としていた場所までの2/3までも到達していなかったようだ。
 それでも十分に日本の果てキャンプの気分は満喫できたのである。

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