喉が渇いてきたので、飲み物を仕入れるためにフェリーターミナル側の入り口まで出ることにした。
そこで嬉しいものを発見。
先程その前を通った時に喫茶店に下がっていたcloseの看板が、openに変わっていたのだ。
何だか、砂漠でオアシスを発見したような気分だった。
しかし、こんな小さな島の喫茶店である。どんな店なのか想像もできず、恐る恐るドアを開けて中へと入る。
意外と言うのも変だが、先客の男女が一組、食事をしているところだった。
店主は年齢不明な女性である
予めこんな事態になることを知っていれば私達もここで食事をしたいところだったが、既にワカメ大量天ぷら定食でお腹一杯なのでコーヒーを注文。
壁を埋める様にずらりと本が並び、その間には小さな雑貨類が所狭しと並べられている。
小説類も含めてまるでジャンルレスにも見えるが、何となくこの店の主人の生活が分かるような気がする。
先客が帰った後で、彼女の話を聞いたところ、横浜から札幌経由でこの島に住み着き6年目とのことだった。
職業はカラーコーディネーターに建築デザイナーにインテリア何とかだとか、4〜5種類の名前を出していたような気がする。(多すぎて覚えきれない)
島の廃屋を色々と探している中で、最終的にここの店の前の木々に覆われた細い坂道が気に入って、場所を決めたとのこと。
屋根が完全に落ちたような廃屋だったのを、建築デザイナーだけあって、全て自分で設計して建て直したらしい。
確かに、店の前の坂道は異次元へと通じる緑のトンネルのようで私もとても気に入っていて、おまけに廃屋マニアの私なので話がはずんでしまう。
「この先の池の横にある廃屋もなかなか良いですよね」
「そうそう、私も何回か交渉したけれど駄目だったわ」
島での生活の話しも面白い。
小田商店の生鮮品の値段の高さも話しに出てきた。
昨日そこで買い物をしたばかりなので、余計に話が弾む。
はっきりとした性格の女性なので、多分島民の中では異質な存在かもしれない。
でも、周りに迎合しない彼女だからこそ、この島で6年間楽しく暮らせているのだろう。
田舎暮らしに憧れていても、そこのドロドロした人間関係などに嫌気が差してしまう人は多いのだ。
今では、魚は頭と内臓を落とした状態で、ワラビなどの山菜はアク抜きした状態で、隣近所から届けてもらえるそうである。
ここでかなりの時間を過ごさせてもらい、次のお客さんが入ってきたのをきっかけに店を出ることにした。
港に戻って新沼食堂のおばちゃんに荷物を預かってもらったお礼を言い、ついでにそこで売っている手作りかまぼこも購入する。
フェリーまで時間があるので、そこでまた長話が始まり、おばちゃんの子供や孫のことまで詳しく知ることとなる。
そこでもまた小田商店の一個三千円のスイカの話が話題になる。どうも、小田商店は高すぎると島民の間で陰口を叩かれているようだ。
でも、この様な島では生鮮食料品を仕入れるだけでも大変なのだろう。次に島に来る時は、アスパラでも一杯背負ってきたら、民宿1泊分くらいは直ぐに稼げそうである。
おばちゃんが「ところでキャンプ場にテントが張ってあったのは貴方達かい?」と聞いてきた。
「そうです」と答えると、「今朝、そこのトイレの掃除をしてきたんだよ」とのこと。
かみさんが朝、トイレに入っていると外からノックされて驚いたと話していたけど、それがこのおばちゃんだったのだ。
本当に狭い島である。
そしてようやくフェリーの到着する時間が近づいてきた。
欠航を知った時は途方に暮れてしまったけれど、喫茶店と新沼食堂でゆっくりさせてもらったおかげで、待ち時間を苦にすることなく過ごすことができた。
島で暮らしているとフェリーが欠航することなど日常茶飯事だそうで、そんな時はただ天候の回復を待つしかない。
私達のように一便遅いフェリーになっただけで、待ち時間に何をすれば良いのかと途方に暮れるのは、都会暮らしをしている人間の感覚なのだろう。
でも、そんな話しをしていたおばちゃんも、お子さんが住む札幌まで出てきたような時には、電車が1本遅れるだけでイライラすると言う。
島に渡った時は、自分の時計を島時間に合わせ直す作業が必要なようだ。
天気予報どおり、空はすっかり雲に覆われてしまっていた。
フェリーが着岸して、焼尻までの乗客が全員降り終った後、おばちゃんに手を振って船に乗り込む。
ドアを開けて2等船室入った瞬間、思わず足が止まってしまった。苦しそうにビニール袋の中に顔を埋める女性とそれを介抱する人たち。
どうやら羽幌からここまで、相当に船が揺れたようである。
その脇を通り抜けて船室へ上がる。他にはご夫婦らしい2組のお客さんがいるだけだ。
直ぐにフェリーは出航した。かみさんは酔いそうだからと、天売までの30分、ずーっと立ったままでいるつもりらしい。
他の2組の様子をチラッと見ると、何と、それぞれがビニール袋をしっかりと手に持っているのだ。
「そ、そんなに酷いの?」
隣りのご夫婦に「かなり揺れましたか?」と聞いてみると、奥さんが「はい、私は初めて船に酔いました」とのこと。
旦那さんは何故かとっても嬉しそうな表情で「これを見てください!」とデジカメの画像を見せてきた。
デジカメの液晶画面には、フェリーの舳先が波しぶきの中に消えていく瞬間が映っていた。
焼尻島の島陰を走っている時はそれ程酷くは揺れなかったけれど、島陰を出た途端にまるでラフトで川を下っているかのように、大型のフェリーが波に揉まれる。
最初のうちは、波の谷間に船が落ちていき、フェリーの舳先にザッバ〜ンと水しぶきがかかるたびに「ワォ〜」って叫び声を上げて喜んでいたけれど、次第に声も出なくなる。
そのうちに別のものが出てきそうになってきた頃、フェリーは天売港の防波堤の中へと滑り込んだ。
もしも羽幌から焼尻の1時間、こんな状態で揺れていたら、私もビニール袋の中に顔を埋めることになっていただろう。
フェリーを降りて直ぐに、問題のロンババキャンプ場へと向かう。
実は今回の天売焼尻の旅で、一番気になっていたのが、このキャンプ場のことなのである。
以前は港内の資材置き場のような場所がキャンプ場として開放されていたようだが、去年からその場所が変更されたらしい。
去年はそれを知らずに「ここが本当にキャンプ場なのか?」と驚いたものである。
しかし、その後にネットの情報で知った変更後のサイトも、相当なものらしい。
ガイドブックなどを見ても、海水浴場になっている海が写っているだけで、サイトの様子は全く分からない。
もしも本当に酷い場所だったら、港から少し離れた愛鳥公園で野宿をする心の準備も出来ていた。
そこはトイレがあるだけの公園だけれど、去年の記憶だけから考えたら、そちらの方がまだ快適そうに思えたのだ。
港を通り過ぎた直ぐ先に、ロンババの浜と書かれた小さな看板が立っていた。その看板の矢印に従って海岸沿いの砂利道へ入る。
「なかなか良さそうでないの?」
入り口からの風景を見ただけでそう感じた。
私がどうしてもテントを張る気になれないキャンプ場は、直ぐ横に民家があったりとか、キャンプと関係ない人間の目に晒されるようなところなのである。
ここは、海側には消波ブロックがびっしりと並び、砂利道沿いには空き家となった民家も建っているけれど、静かそうな環境で野宿地として見た場合は何の不満も無い。
キャンプ場ガイドの写真に撮っていたのと同じ海岸風景を見つけて、そこがロンババの浜であることを確認できた。
数日前に草が刈られたばかりのようで、焼尻島の時よりもテントを張りやすい。
そして嬉しいことに、そこでは風が殆ど吹いていなかった。
古ぼけた磯舟が置かれていて、その前にテントを張ればシュールなキャンプ風景となりそうだが、トイレも近くて、かみさんが嫌がるので、素直に海側の場所にテントを設営した。
その後、直ぐにまた港までビールを仕入れに戻る。
キャンプ場のことが気がかりで、フェリーから降りたら買い物をするのも忘れて歩き始めてしまったのだ。
港近くの商店でビールを買って、サイトへと戻ってきた。 |