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廃墟日和のコムケキャンプ

コムケ国際キャンプ場(5月1日〜2日)

 今年のGWは5連休、不順な天候が続いていた4月からは打って変わって天気に恵まれた連休になりそうである。
 行楽地は何処も混雑しそうだけれど、我が家が向かう場所にそんなところは含まれない。特に最近は、意地になってそんな場所ばかり探して出かけているような気がする。
 そして今回は、道北から道東方面へ向けて2泊3日のに旅に出かけることになった。
 1日から天気が良くなる筈が、数日間続いていた雨はこの日になっても降り止まない。それでもオホーツクまで出れば、雨の区域からは抜け出せそうである。
雪の自動車道 その予想通り、旭川紋別自動車道に入るとようやく雨も上がってきたが、途中の電光掲示には夏タイヤ禁止と表示されていた。
 今年は雪解けが遅れていたので夏タイヤへの交換も遅らせ、もう大丈夫だろうとスタッドレスから履き替えたのが昨日のことである。
 夏タイヤ禁止と言われても、高速を降りて一般道を走ればもっと条件は悪くなるだろうし、そのまま進むしかない。
 浮島インターを過ぎる辺りから路肩には雪が残り、走行車線だけがアスファルトが出ている状態となる。
 気温は2度、今時期の北海道ではそれほど珍しいことではないけれど、それにしてもGWにこんな雪の中を走ることになるとは思ってもみなかった。
 長いトンネルを抜けて白滝側に出てくると、その雪も消えてなくなりホッと一安心である。

増水の湧別川 途中で、今月のカヌークラブ例会で下る予定の湧別川の様子を見てみる。
 スタートを予定している瀬戸瀬ダム下流の橋の上までやって来て川を眺めた瞬間、その荒々しい流れに呆然とする。
 もの凄い勢いでダムから噴出した水が、川幅一杯に轟々と流れている。
 今年の例会は初心者でも下れるような川を中心に選んだつもりだったけれど、目の前の状況はとてもそんな川ではないのだ。
 その下流の堰堤、遠軽市内の落ち込み、何処を見ても恐ろしい流れである。
 二日後にクラブのメンバーが下見でここを下ることになっていたが、そこに参加しなくて良かったと胸を撫で下ろすと共に、下る人達の安全を祈るしかなかった。

 昼を食べる予定だった遠軽町の洋食屋「トレモロ」は、12時前なのに既に満席。しょうがなく駅前の蕎麦屋に入って、何処でも食べられるような蕎麦を食べて腹を満たした。
 木楽館にも立ち寄る。
 木の工芸品は気軽に買えるような値段ではないのが普通だけれど、ここで売られているものはリーズナブルなものが多く、ついつい手が出てしまう。
 その後は、今回の旅の一番の目的地でもある鴻之舞鉱山跡へと向かう。
 国道を湧別町に向かって走っている時、道路の案内標識に書かれている「鴻之舞」の地名が以前から気になっていた。
 鴻之舞金山の名前だけは知っていたけれど、北海道と金山のイメージが私の中ではどうしても結びつかない。そのために、「一体そこは、どんな土地なんだろう?」との興味が、私の心の隅に引っ掛かったままでいたのだ。
美しい廃屋 そして、「今年のGWは何処に行こうか?」と考えた時に、真っ先に思いついたのが鴻之舞だったのである。
 事前に調べたところでは、鉱山は昭和48年に閉山となり、最盛期には13,000人以上が暮らしていた土地も、今では誰も住んでいないとのこと。
 これは素晴らしい廃墟に逢えそうだと、廃墟マニアの心がワクワクとしてくる。
 雨は上がったものの、空はどんよりと曇ったままで風も強い。
 「廃墟巡りには好都合な天気だよな〜」と強がりを言いながら車を走らせていると、牧草畑の中にポツンと建っている美しい廃屋に目を奪われた。
 多分、農機具の倉庫として使われていた建物のようだが、まるで映画のセットとして細部まで作り込んだ様な美しい廃屋である。
 鴻之舞鉱山とは何の関係も無い廃屋だけれど、なかなか幸先の良い展開である。

精錬所の大煙突 雪に覆われた峠を越え下っていくと、山の中にポツンと建つ巨大煙突が見えてきた。
 金竜町と書かれた小さな錆びた看板の前に車を停める。
 その付近はまだ雪が融けたばかりらしく、フキノトウもようやく花を開きかけたところだ。
 枯れ草に埋もれた建物の基礎を見つけて近づいてみると、浴槽のようなものが残っていた。それも、壁を隔て二つの浴槽が並んでいる。
 これは銭湯の遺構らしい。浴槽の反対側の壁には水道の蛇口を取り付けていたような金物が規則正しく並んでいた。
 建物の基礎が残っているだけでは、そこに何が建っていたのかを想像するのは難しいけれど、これだけハッキリとしていると発見した喜びも大きい。
 その近くには、鉱石が捨てられたような広大な敷地が広がっていて、まだ植物が侵入していないところを見ると、まだ現役で使われている場所なのだろう。
 そこに、その周りだけが土砂が埋められずに生かされている木が1本だけ残されていた。それほど立派な木にも見えないし、ここまでして残していることにどんな意味が隠されているのだろう。
 色々と想像を巡らせるのも廃墟巡りの楽しみの一つである。


銭湯の遺構   土捨て場に残された木

火葬場の煙突 墓地跡の看板を見つけて、まだ雪の残る道を入っていくとその奥にレンガ造りの煙突が1本立っていた。
 火葬場の煙突だと直ぐに分かる。写真撮影の前に両手を合わせたけれど、さすがにそれ以上近づくことは出来なかった。
 道へ戻って更に進むと、コンクリート製の2階建て住宅が周りを木立に囲まれて立ち並んでいるのを発見。
 屋根や窓、ドアなどは全て無くなり、コンクリートの外壁と煙突だけが残っている。
 窓の跡からは太い葡萄の蔓が傍若無人に建物の中へと入り込んでいる。
 そして部屋だった筈の場所からは、まるでそこが森の中だと言わんばかりに樹木がすくっと立ち上がっていた。
 そこまで変わり果てても、部屋の中にポツンと置かれたヤカンだけは、つい先日まで使われていた様子で存在している。
 昔懐かしいローラー絞り機の付いた洗濯機が、枯れ草の中で錆びた姿を晒している。
 そんな様子をたっぷりと楽しみニコニコしながら車に戻ってくると、かみさんが呆れた顔でこちらを見ていた。
 かみさんはここに着いてから、まだ一歩も車の外へは出ていない。
 まあ、廃墟歩きの楽しさは、女の人には全く理解できない部分なのかもしれない。


窓から侵入する葡萄の蔓   部屋の中に生える木

 その後も、小学校跡やトロッコ軌道の橋脚、急な山肌に作られた桟道、建てられた当時と変わらぬ姿で残っている蔵など、そこまで歩いていったり、道路上から写真だけ写したりとしているうちに、時間がどんどんと過ぎてしまう。
 このままではキャンプ場の到着が遅くなってしまうので、泣く泣くこの地を後にすることにした。
 しかしその前にもう一箇所だけ立ち寄る予定の場所があった。旧上藻別駅逓である。
 北海道の開拓時代に物資や郵便物を扱ったり宿泊も出来る交通拠点として整備されたのが駅逓であり、現存するのは道内に10ヶ所程である。
 この上藻別駅逓は地元の有志の方々により保存されており、鴻之舞鉱山の資料も展示されているらしい。
 鴻之舞鉱山跡を通り過ぎると、直ぐにその駅逓があった
 駅逓の建物以外にも、手作りの遊具など地元の人達が周囲を整備しているようだ。
 駅逓の建物内部は、まるで郷土資料館のように昔の道具や什器類が所狭しと並べられていた。
 ここの管理人らしき人が先客の案内を終えて、今度は私達に展示物の説明をしてくれる。
 廃屋などには興味を示さなかったかみさんも、この様な骨董品的なものは好きなようで、その説明に「へぇ〜、すごいですね〜」と何度も相槌を打ちながら聞き入っていた。
 鴻之舞鉱山の写真や、そのジオラマの展示物は、先程見てきたばかりの廃墟のイメージと重なって余計に興味深い。
 こんな施設が無料で楽しめるのだから、地元の方々の努力には頭が下がるばかりである。


上藻別駅逓   駅逓の展示物に喜ぶかみさん

 そこから紋別へと抜ける道沿いでは、由緒のありそうなミズナラの巨木を見つけて写真を写す。
 洋風建築の廃屋を見つけ、その写真も撮ろうと車で入って行ったところ、それは廃屋ではなくて人の住んでいる家であることが分かり、慌てて車をバックさせて逃げてきたりと、相変わらずのドタバタ劇を演じながら、この日の宿泊予定地であるコムケキャンプ場へとたどり着いた。
テント設営中 5年ぶりに訪れたコムケ。場内の木々は丸裸で、空は薄暗く、湖からの冷たい風が吹き抜け、何とも寒々とした様子である。
 既にオープンしているはずだけれど、管理等のシャッターは下りたまま。
 私達の直前に到着したらしい若い男女のキャンパーが、テントを設営する場所を探している様子で、他にキャンパーの姿は見当たらない。
 水場の蛇口を捻ってみると水が出てきたのでホッとする。
 ここのキャンプ場には芝生広場の中に大きなカシワの木がポツンと生えていて、その下にテントを張れば素晴らしい画になるところだ。
 5年前に訪れた時も、その下にテントを張ろうと考えたけれど、荷物が多かったので断念。
 今回のキャンプは軽装備なので、荷物運びは全然苦にならない。
夕日を眺めながらの夕食 しかし、今日は風が強くて、特にその木の付近はまともに風が吹きぬけるところだった。そして葉が出ていない今の季節では、わざわざその木の下にテントを張る意味も無さそうである。
 そこで、少しは風が遮られる林間部分にテントを張ることにした。遊具の置かれている場所に近すぎるけれど、今日ならばそこで遊ぶ子供がいる訳はない。
 ビールを飲んで一息ついた後は、直ぐに夕食の準備に取りかかる。日が長くなるこの季節は、明るい中で食事を作れることがありがたい。
コムケ湖の向こうに雲の切れ間が広がり、そこから赤く染まった夕日が現れる。
天気は確実に回復傾向にあるようで、夕日を眺めながらの食事を楽しんだ。


かろうじて夕日を楽しめた

 ここのキャンプ場は全面が手入れされた芝生地になっているので、たき火台を使うのも気が引け、場内の野外炉を利用して焚き火を楽しむつもりでいた。ところが、テントを張った近くにファイヤーサークルがあったので、これを使わない手はない。
 おまけに場内を清掃した時に出た枯枝が、そのサークルの真ん中に積まれていて、他にも場内の方々にも同じような枯枝の山が作られている。
焚き火し放題 これはもう、微力ながらも場内の片付けに協力するしかない。
 雨が続いていたので少々湿っぽかったけれど、自宅から乾いた薪も持ってきていたので、全く問題ない。
 食後は直ぐに、そのファイアーサークルで焚き火を始める。
 場内の枯れ枝は無尽蔵と言っても良いくらいだ。
もしかしたら管理する側でも、場内に集めておけばキャンパーが勝手に燃やしてくれるだろうと考えているのかもしれない。
 さすがに1泊では全てを片付けるのは無理だけれど、後2泊くらいすれば広い場内を完全に掃除できる自信はある。
 これまでもオープン間もないキャンプ場に泊まった時は、場内の清掃に大いに協力してきたのである。
 気が付くと上空には星も輝き始め、明日が良い天気になることを願いながら一日目を終えた。

コムケの朝 朝目覚めると既にテントの中が明るくなっていた。枕元に置いた時計を見るとまだ午前4時前である。
 テントのファスナーを少しだけ開けて外の様子を見てみると、東の空が既に赤く染まり、その上には青空が広がっているようだ。
 まだ眠たかったけれど、そんな様子を見てしまうとそれ以上寝ていることも出来ず、テントから外へと出る。
 出来ることなら海岸まで行って、海から昇る朝日を楽しみたかったけれど、既に太陽は顔を出し始めていた。
 樹林越しの朝日を眺めながら朝のコーヒーを味わう。
 その後、場内をぐるりと一回り。
 新たに二組のキャンパーが増えていた。
 キャンプ場内の独立木の姿はやっぱり美しい。この木の下にテントを張れるのは何時になるのだろう。


シンボルの木

青空とコムケ湖 その後は車でコムケ湖の海岸線へと行ってみる。 5年前はコムケ湖とオホーツク海の間の細い砂丘をそのまま走り抜けることが出来たのに、その道は通行止めになっていた。
 次に、シブノツナイ湖へと回る。湖岸にはアオサギが沢山いたけれど、私が車で進んでいくと次々に飛び立って行ってしまう。
 湖岸沿いの道が砂深くなってきたところでそれ以上進むのを諦めてキャンプ場へと戻った。
 朝食を食べ終わって時計を見ると、まだ朝の7時前である。早起きをすると1日がとても長くなるのだ。
 早めに撤収できるようにテントの露を拭き取っていると、かみさんが「そんなことをすると、また雨が降ってくるわよ」と私をからかう。
 確かに、こうして私がテントを拭いていると、その後に雨が降ってきて、拭いた意味が無くなってしまうのは毎度のことである。しかし、今日の青空ならばそんな心配は微塵もない。
 そうして荷物を全て片付け終え、最後にテントを畳もうとした時である。全く突然に、パラパラと雨粒が落ちてきたのだ。
 慌ててテントを両手で抱え込み、東屋の屋根の下へと逃げ込んだ。
 直ぐにその雨は止んだけれど、いつの間にか空一面に雲が広がっていて、今年も自分の雨男ぶりは健在だと再認識することとなったのである。

ミズバショウ群生地 紋別方向に少し戻って、昨日見つけたミズバショウの群生地を歩いてみる。
 観光地でも何でもなく、小川沿いの湿地にミズバショウが自生しているような場所だけれど、長靴に履き替えてその中を歩いてみると意外と奥行もあり、規模の大きな群生地だった。
 ミズバショウの観光地などでは、木道などが作られて歩きやすく整備されているが、それは木道から外へは出られないということでもある。
 北海道内の湿地ならば何処にでも生えているようなミズバショウ。わざわざ観光地へ行くよりも、こんな場所のほうが自然のままの姿を楽しむことが出来る。
 サロマ湖沿いの芭露にもミズバショウの大きな群生地があったので寄ってみたが、こちらは木道が作られていて、そこを往復して戻ってくるだけ。面白くもなんともない。
 走るようにしてそこを見た後は、今日の本来の目的地である津別町に向かって車を走らせた。

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