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島歩きキャンプ(天売編)

焼尻島白浜野営場(6月6日〜8日)

雨具を着込んでキャンプ場を出発   トトロの森を抜けて

トトロとサツキのつもり 雨でしっとりと濡れたオンコの森は、木々の緑がさらに鮮やかになり、トトロの世界にでも迷い込んだような雰囲気だ。
 遊歩道のあちこちに大きなカタツムリが這い出てきているものだから、それを踏まないように気をつけて歩かなければならない。
 気休めに折り畳み傘も用意してきたけれど、土砂降りにならなければわざわざさす必要もなさそうだ。
 でも、森の中でこの傘をさしてみて、あることを思いついた。
 港の入り口に立っている巨大なオロロン鳥のモニュメント。その隣りに傘をさしたかみさんに並んでもらう。
 「う〜ん・・・」
 森の中のバス停で、さつきが傘をさしてトトロと並んでいる姿をイメージしていたのだけれど、目の前の光景は全然違っていたのだった。

 フェリーに乗って30分で天売島に到着。
 相変わらず雨が降り続いているので、まずは「海の宇宙館」に立ち寄って、そこでしばらく天気の様子を見ることにした。
 ここは、自然写真家の寺沢孝毅さんが私費を投じて作った施設で、天売島の様々な情報を得ることができる。
 最初に利用するときは300円の入館料がかかるけれど、これがシーズン券になっているので、後は自由に利用できる仕組みだ。
 コーヒーを注文し、天売島の海鳥や野の花の写真を見ながら時間を過ごす。
 雨も少しは小降りになってきたので、覚悟を決めて天売島一周に出かけることにした。

坂道が続く 島の東部には野鳥の姿を楽しめる遊歩道もあるみたいだけれど、今回は時間も限られているので、反時計回りで島を一周するだけにしておいた。
 天売島も焼尻島も島の西部へ行くほど標高が高くなっている。最高標高は焼尻島が94mで天売島が184m、90mの差がある分、天売島の方が坂道が長い。
 長いと言っても、緩やかな坂道なので歩くのにはそれほど苦にならない。
 島にはレンタル自転車もあるけれど、この坂を自転車で登るのは大変そうだ。
 もっとも、西端までたどり着いてしまえば、帰りはペダルを一漕ぎもしないで港までたどり着けそうである。
 自転車の場合は、上り坂の区間が短い、時計回りで回るのが良いかも知れない。

ノビネチドリ 自然林の残っている焼尻島と比べて、天売島はニシン漁が盛んだった明治の頃に森が乱伐され、それに加えて数度の山火事により、自然林は完全に消滅してしまったそうである。
 道沿いにも大きな樹木は全くなく、草原が広がっているだけだ。
 でも、そのおかげで島の端から端まで全てを見渡しながら歩くことができる。
 それに、道ばたではハクサンチドリや、それによく似たノビネチドリ、センダイハギにチシマフウロなど、所々でひっそりと花を咲かせていて、歩く楽しみを増やしてくれる。
 自転車や車で走っていれば気が付くことのないような花たちである。
 途中、観音岬展望台への分かれ道があったけれど、天気も悪いので帰りに時間があれば立ち寄ることにして、そのまま通り過ぎる。

断崖絶壁 天売島北岸の荒々しい断崖絶壁の景観も、所々から見下ろせる。
 天売島と言えば海鳥の島だけれど、道を歩いていると、カラスの姿の方が目に付く。
 そのカラスも、札幌で見かけるカラスとは何処となく違っていて、「私は天売のカラスよ!」とばかりに気取った顔をして木の枝にとまっている姿が、とても生意気に見えてしまう。
 やがて、海鳥展望舎が前方に見えてきた。
 雨が降っているので、今日の昼食はその中で食べることにする。
 幸い、観光客の姿は何処にも見えない。
 観光客の群がる観光地が我が家は大の苦手なので、天気が悪い方がたまには良いこともあるのである。


海鳥観察舎が見えてきた

 海鳥展望舎へと続く細い尾根上の道では、切り立った崖の遥か下から吹き上げてくる風にまともに晒されて、体が飛ばされそうになってしまう。
 その崖を見下ろした瞬間、思わず感動の声を上げてしまった。
 天売島を紹介する写真で何度も見ている風景だけれど、実際に目にした迫力は圧倒的である。
 目も眩むような岩壁に巣くう海鳥と、その周りを輪を描くように飛び回る海鳥の群れ、群れ、群れ。
海鳥の群れる断崖絶壁 遥か眼下の海面は美しいコバルトブルーに染まっている。
 曇り空の下でもこれだけ美しく見えるのだから、青空が広がっていれば一体どれほどの美しさになるのだろう。
 展望舎の中に入って、ようやく雨と風から開放されホッと、一息だ。
 昨日の夜に握ったおにぎりで昼食にする。
 もしもこの施設が無かったら、他に雨をしのげる場所も無く、かなり悲惨な昼食になるところだった。
 かみさんはおにぎりを食べるのももどかしそうに、夢中になって備え付けの望遠鏡を覗き込んでいる。
 「卵を抱いているのがはっきり見えるわよ!」
 「あ〜、ウミネコがその卵を狙ってる〜」
 「あっ、追っ払った」
 「キャー、今ウンチしたのが見えたわ!」
 何時までも望遠鏡の前から離れようとしないかみさんを促して、再び先へと向かう。
ウミネコ? その道の途中に猫がうずくまっていたのには驚かされた。
 「何でこんなところに猫が!これがホントのウミネコ?」
 私達が近づいていくとサッと逃げてしまったので、飼い猫とも思えない。
 「本物のウミネコがウミウの雛か卵を狙っていたように、このウミネコも海鳥の雛を餌にしながらここで生活しているのだろうか?」
 様々な生存競争がここでも繰り広げられているのだろう。

 前方の島の最高地点らしき場所に、展望台のような施設が見えている。道は当然そこに続いているのだろうと思っていたら、その手前で道は向きを変えて、どんどんと降っていってしまう。
 地図を確認すると、その先には灯台があるだけだった。
 島の最高地点に到達できなかったことを心残りに思いながらながら坂道を下っていくと、灯台が見えてきた。
 その付近の道は鳥の糞で汚れ、そして道路の脇のそこらじゅうに穴が掘られている。これがウトウの巣穴らしい。道路に分厚い鉄板が敷かれているのは、ウトウが道路の下まで穴を掘ってしまうからなのだろうか。
 周辺の木の枝にとまっているカラスが、泥まみれになっているのには笑ってしまった。ウトウの留守中に、その巣穴の雛でも狙っているのだろうか。
 奥行が1mもあるウトウの巣穴、そこにもぐるカラスも大変である。
通路の周りはウトウの巣穴だらけ 灯台の周りには金属製の通路が作られている。そして、その周辺の斜面全体は全てウトウの巣穴だらけだ。
 まさに壮観としか言いようのない光景である。
 60万羽のウトウと言われているので、つがいで一穴なら、それでも30万個の巣穴があることになる。
 付近の海に面した斜面は、さながら高級マンションか。そこからあぶれたウトウは、道路脇の舗装の下にでも家を構えるしかないのだろう。
 夕暮れになると、この巣穴にウトウが一斉に帰ってくる。その様子を楽しむウトウウォッチングなるツアーがあるそうだけれど、この巣穴の数を見ていると是非ともそのツアーに参加したくなってしまう。
 その場合は天売島に宿泊する必要があるが、残念ながらこの島には快適なキャンプ場が無い。
 ロンババ海水浴場がキャンピングガイドに紹介されているけれど、その場所を見た後でもテントを張れるのは余程の強者と言っても良いだろう。


見渡す限りウトウの巣穴

 眺めが良いので同じ道を引き返すつもりでいたけれど、かなり下まで降りてきてしまったので、そのまま島の南側の道を港まで歩くことにした。
島の南側の道 観音岬の展望台は次の機会に訪れることにしよう。
 ダラダラと上り坂が続いていた北側の道とは違い、こちらは一気に海岸近くまで下った後は、集落の間を縫いながら道が続いている。
 ここでも廃屋が目に付く。
 その中でもかなり大きな廃屋があったので、その家の前まで回ってみた。
 鰊番屋のような建物で、細部の造りもなかなか味があり、裏には瓦葺の崩れかけた土蔵まで建っている。
 人が住まなくなってから時間もかなり経っているようで、痛みも激しい。
 天売島にも郷土資料館があることはあるが、貸し自転車屋の2階を間借りして公開されているような状況で、とても入場料300円を払ってまで入る気にはなれないようなところだ。
 この歴史のありそうな建物を補修して郷土資料館にすれば、余程魅力的なものになると思うのだけれど、このまま朽ち果てさせてしまうには勿体無い廃屋である。
 他にも数軒の目を引く廃屋があり、それらは一応は再利用されているみたいだけれど、再び廃屋に戻ってしまうのも時間の問題のように思われる。
 廃屋好きな私だけれど、その廃屋にもう一度、命が吹き込まれるのならばそれに越したことは無い。
 島に活気が戻り、これらの廃屋が再び利用されるようになることを望むばかりである。


立派な廃屋   土蔵まである

 「海の宇宙館」まで戻ってきて、もう一度休憩させてもらう。
 オーナーの写真家寺沢さんが、ツアー客らしい人達にDVDの映像を見せながら何か説明していた。
 そのツアー客が何の反応も示してくれないので、何となく説明もしづらそうに見える。
海の宇宙館 写真家として世界中を旅して周り、天売島にこんな施設まで作ってしまう。
 寺沢さんのそんな生き方がとても眩しく、雲の上の人の様に思えてしまうけれど、こうしてツアー客を相手に苦労しているような姿を見ると、何となく身近な人に感じてしまった。
 そのままツアー客と一緒にどこかに出かけてしまったので、お話しする機会が無かったのがちょっと残念である。
 ようやく雨も上がり、最終フェリーで焼尻島へと戻る。
 そろそろ風呂にも入りたいので、日帰り入浴ができると聞いていた磯の屋旅館に電話してみたところ、何となく迷惑そうな口ぶりだったので、風呂は直ぐに諦めることにした。
 バックパッキングの旅では、風呂に入れないことくらい気にしてはいられないのだ。
 しかし、バックパッキングの旅でも、ビールはやっぱり欠かせない。昨日と同じ店で、今日は一人当たり500ミリリットル2本のビールを購入。
 タバコも残り少なくなっていたので、その店で買おうと思ったらタバコは置いていないとのこと。酒を売っている店なら当然タバコも置いてあるとの常識は、島では通じないようだ。
 他に売っている店はないかと聞くと、直ぐそこにあるとのこと。「店が留守だったら、隣りの床屋さんが同じ経営者なので、そちらに顔を出せば良い」と親切に教えてくれた。
 来る途中に、昔ながらのタバコの看板は見かけたけれど、そこで物を売っているような気配は感じられなかった。もう一度そこへ戻ってみたけれど、隣に床屋は見当たらないので、やっぱり違うようだ。
 そのままもう少し港の方に戻ると、床屋の回転灯を見つけたけれど、その隣りにタバコ屋は見当たらない。そして、床屋の入り口ドアには「しばらく留守にします」と書いた紙が張られていた。
 がっくりと肩を落とす私に、「もう諦めなさい!」とかみさんは言うけれど、吸いたくなった時にそこにタバコが無いことを考えると、安心してキャンプもしていられないのである。
奇跡のタバコ屋 もう一度タバコの看板があった建物まで戻って、ガラス戸越しに恨めしそうに中を覗いていると、通りかかったおばあちゃんが「その店ではもう何も売ってないよ!」と教えてくれた。
 今度はそのおばあちゃんに「タバコ売ってる店を知りませんか?」と聞いてみる。
 すると、おばあちゃんはちょっと困ったような顔をし、「何ていうタバコが良いの?」と聞きながらその建物の戸をガラリと開けって中に入っていった。
 「えっ?おばあちゃんはこの店の人だったの?」と思いながら、「あ、あの、ケント1ってタバコなんですけど・・・。い、いや、別にタバコなら何でも良いんですが・・・。」
 「これしか無いんだけど」と言って、おばあちゃんが指し示したガラスのショーケースの中には、タバコが2個だけ、ポツンと置かれていた。
 その2個のタバコが、偶然にも私が何時も吸っているKENT ULTRA1 100'sだったのを見て、思わず涙がこぼれそうになってしまった。
 全てのタバコを買い占めるのも悪いような気がして、その半分の1個だけ売ってもらって店を出たのである。
 それにしてもこの島の人たちは、何処でタバコを買うのだろう。なかなか理解できない島の暮らしである。

お家に帰ってきた気分だ すっかり通いなれた森の中の道を通って、キャンプ場を目指す。
 鶯谷の隣にある社で柏手を打ち、森の出口の般若の木にお参りする。
 ここに着いたばかりの頃は、近づくと逃げ出していた羊たちも、お帰りなさいといった表情で私達を出迎えてくれる。
 足の疲れは限界近くに達していたけれど、2島を歩き通した充実感は大きかった。
 ただ、トイレと上のサイトを繋ぐ坂道を上り下りする時、足が悲鳴を上げるのはどうしようもなかった。
 これで帰りに風呂でも入っていたりしたら、キャンプ場まで戻るのにタクシーを呼ばなければならなかったかもしれない。
 今日の夕食はフリーズドライの食品。
 このような山食を食べるのは初めてだったけれど、なかなか美味しいものだと感心してしまう。
夕食 これだけ疲れていると、腹を満たせれば何でも良いといった感じで、民宿に泊まってウニやアワビが山盛りのご馳走を出されても、胸焼けしてしまいそうだ。(でもないかな・・・)
 利尻島の方向に、ほんの僅かに夕日の姿が垣間見えた。
 もしかしたら、明日には青い空と青い海にお目にかかれるかもしれない。
 そんな淡い期待を抱きながら、今日も20時に就寝。
 昨日はあっと言う間に寝付いたのに、今日は何故かなかなか寝付かれない。
 羊の鳴き声、かえるの鳴き声、ひばりの囀り、オオジシギの飛翔音、これだけ賑やかなキャンプの夜もあまり記憶にない。
 遥か遠くの灯台の灯りが、規則的にテントを照らしていく。
 夜中に何度も目を覚ましながら、ようやく朝を迎えた。

 深夜に目を覚ましたときは、風も完全に止んでいたのに、再びテントを揺らすような風が吹いていた。
 4時を過ぎても、テントの中はあまり明るくなってこない。恐る恐るテントの外をのぞいてみると、霧のかかった海にどんよりと曇った空が見えた。
 結局、昨日の夕方の天気が一番良かったようである。
 昨日までとは風向きも変わって、海から吹き付ける風なので、テントの反対側の草刈をして、そこで朝食の準備をする。
炊事棟の前でテントを片付ける 途中から霧雨も降り始め、最終日の朝に最悪の天気になってしまった。
 ラジオの天気予報を聞いていると、全道のアメダス観測地点でこの時間に雨を記録しているのは焼尻島だけだと言う。
 「何でここだけ」と思ってしまうけれど、逆に、それでこの雨も長続きしないと予想できるので、少しは安心できる。
 ただ、晴れてくるわけではないので、濡れたテントは簡単に乾きそうに無い。
 しょうがないので、テントを張ったまま下のサイトへ運んで、炊事棟を利用して撤収作業をすることにした。
 長く伸びて雨に濡れた牧草の中で、風に吹かれながらの撤収はさすがに耐えられない。
 最初は、野宿のようなキャンプをするつもりでいたけれど、施設が充実していればどうしてもそれに頼ってしまう。
 それでも、バックパックキャンプの要領だけは何となくつかめた気がする。
 水や食料も無くなって、帰りのザックはかなり軽くなっているはずなのに、背負ってみるとやっぱり、ずしりと体にのしかかってきた。
 ヒツジ達にお別れの挨拶をして、森の中を名残惜しみながら通り抜け、港へと向かう。


キャンプ場を後にする   羊たちが見送ってくれる

 最後に郷土資料館に立ち寄る。分厚い壁の土蔵など、その建物が天売島で見た廃屋ととても似ていたので、なおさら天売の廃屋が勿体無く思えてきた。
フェリーに乗って島を離れる時、礼文でも奥尻でも独特の寂しさを感じたけれど、今回は何故か、何の感傷も湧いてこなかった。
「次は絶対に、天気の良い日にここに戻ってくるぞ」そんな思いだけで、遠ざかる島を見つめていたのである。

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