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最後まで予定外の道南キャンプ

大岸第2キャンプ場(11月4日〜5日)

 上ノ国町に別れを告げて、最初に向かったのが江差町である。
 昨日の厚沢部町への往復の際に、道路から見える帆船がとても気になっていたので、まずはそれを見に行くことにする。
 何でこんなところに帆船が?と思っていたけれど、それは明治元年に徳川幕府最強の軍艦と言われた「開陽丸」が江差沖で沈没したものを昭和50年に引き上げ、平成2年に実物大で復元して、現在はその内部に引き上げられた遺物が展示されているとのことである。
 中を見学している時間も無いので、その先にあるかもめ島へと渡ることにする。
 このかもめ島については、キャンプ場があって、そこは荷物運びにとても苦労するようなキャンプ場らしい、と言う程度の予備知識しか持っていなかった。
瓶子岩の前で 陸地と島の間は、細長い堤防で繋がっているだけである。その堤防沿いには食事処のような建物があるので、観光シーズンには賑わいを見せるのだろう。そこを渡った先に、崖下に張り付くように民家らしい建物が建っているのには驚いてしまった。
 その家までは道路が無いので、そこの住人が車で外出する時は砂浜を走って陸地に出なければならないのだ。
 その民家の横に島の上に出れそうな階段があったが、とりあえずその民家の前を通って海の中に延びている遊歩道を歩いてみることにした。そこから少し沖には観光名所らしい瓶子岩が立っている。
 海の中に浮かぶ遊歩道から下を見ると、ムラサキウニやバフンウニが海底にゴロゴロと転がっているのが見える。
 海の上の遊歩道は島の北側まで延びていて、その先は岩場の海岸伝いに少し歩いて途中から階段で島の上に登るようになっている。島の西側は千畳敷と呼ばれる岩場が広がっているので、そのまま海岸伝いに歩いていくこともできそうだ。
 その階段を登ったところがキャンプ場になっているらしいが、明確にテントサイトが区分されている訳でもないので、島の何処にテントを張っても良さそうな感じだ。
 この島でキャンプをするのなら、登山のようにザック一つに収まるような荷物でやってこなければならないだろう。ファミリーキャンプの装備を数往復して島まで運び込み、ここでキャンプをしたと言う人の話を思い出し、その大変さを改めて思い知らされた。
かもめ島からの江差の街並み そのままぐるりと島を一周する。島の中には徳川幕府の砲台跡などもあり、戊辰戦争の戦場ともなったと言う話しなども思い出しながら、周りの風景を見ているとその当時の様子が頭の中に浮かんでくるような気がした。
 ただ、「千畳敷の海岸には弁慶が歩いた時の足跡が残っている」などと書いてある看板を見てしまうと、何だか急に安っぽい観光地に来ているような気分にさせられるのだ。
 島の中にはコンクリート造りの大きな建物もあるので、きっと何処かに車で来れる道があるはずだと思っていたけれど、一周して戻ってきても結局島に渡ってこられる場所は最初に見た民家横の階段しか無かった。
 工事中はその階段を車が通れるような道路として使ったのだろうけれど、現在のように歩いてしか来られない離れ小島となると、荷物運びに苦労してでもそこでキャンプをすると言うのは結構楽しいことかもしれない。
 江差の街に戻る時、港の入り口に漁協直売店があったので入ってみた。
 そこでは活ホタテや活アワビも売られていたけれどに、かみさんはそんなものには目もくれないで昆布を購入。
 我が家で使うダシ昆布は、これまでは何時もキャンプで道内を廻っている時に現地で仕入れていた。その昆布の在庫が無くなってしまったものだから、かみさんはキャンプへ来る前から「昆布を買わなくちゃ、昆布を買わなくちゃ」と騒いでいたのである。
いにしえ街道で これで、今回のキャンプでのかみさんの大きな目的が無事に達成されたことになる。
 「いにしえ街道」と名づけられた町内の道を車で走ってみた。ここも松前と同じく、道路沿いの家が全て昔風の街並みになるように建て替えられていた。
 その中に混じって本当の歴史的建築物があるのだけれど、それと並んで建っている何の変哲もないような店も京の町家風の造りなものだから、ついつい「おっ、ここは何だろう?」と中をのぞいてみたくなる。
 このような事業を批判しておきながら、そのトリックに見事にだまされて、一観光客として楽しみながらその風景の中を歩いている自分がいるのである。
 時間が無くて見られない場所も沢山残してしまった。
 松前、江差の歴史を辿る旅として、もう一度ここまで来ることになりそうな気がする。

 江差から先熊石町までは初めて走る道なので、何か観光地らしきものが無いか地図をチェックしながら走ったけれど特に興味を惹くようなものは無かった。
 元和台の海のプールを見たかったけれど、入り口が閉鎖されていて近づけず。子供が大きくなってしまった今は、このような場所には殆んど縁が無くなってしまった。
 他にも変わった風景の海岸線が何ヶ所か目に留まったけれど、そこに降りる道を見つけられずに、通り過ぎてしまった。
 乙部町に入ると「○○の水」と言った看板が目に付くようになった。自然の湧水に恵まれている乙部町では、その中の5ヶ所を「生命の泉」として整備しているようである。
 キャンプ初日に、もしもの場合に備えて八雲町の湧水で10リットルのポリタンクを満タンにしておいたけれど、その後、もしもの事態も発生せずにポリタンクの中にはその時の水がまだ半分程度残っていた。
流木集め中 乙部町の「生命の泉」の一箇所に寄ってみた。全ての「生命の泉」には、一度煮沸してからお飲みくださいと表示されている。地元の人はそのまま飲んでいると言う話だけれど、そんな表示を見てしまうと湧き水の価値も下がってしまうような気がして、そのまま水も汲まずに帰ることにした。
 今日泊まる予定の長万部公園は、既にオープン期間が過ぎているけれど、水道施設等はまだ使えるはずなので無理して水を用意する必要も無いのである。
 水は必要無さそうだけれど、焚き火用の薪だけは絶対に必要である。
 昨日と同じく、途中の海岸で流木の集まっている場所を見つけて、袋一杯に流木を拾い集め車に積み込んだ。
 そうして熊石町に到着。函館から松前を廻ってここまでが、北海道の海岸線で我が家が走ったことが無かった唯一の区間である。これでようやく道内をほぼ隈なく廻ったことになる。
 熊石町からは雲石峠を経由して八雲町へと向かう。この道はかなり昔に走ったことがあるはずだけれど、その時の記憶などもう殆んど残っていない。
 結局、古いことは次から次へと忘れ去ってしまうのだから、道内を全て回ったと言ってもそんなことには大して意味がないのである。毎年訪れるような場所ならともかく、たまにしか訪れないような土地では、その度に新しい感動に出会えるのだ。
雲石峠へ向かう途中で 紅葉の名所ともなっている雲石峠、木々の葉は殆んど散ってしまっているものの、山肌をまだ赤く染めているのはブナの紅葉だろうか。その中に混じって鮮やかな緑色の杉林が所々に見られる。
 道南旅行中にすっかりお馴染みになったそんな風景が、峠を越した瞬間にガラリと変わってしまった。
 それまでの杉林がアカエゾマツやトドマツの北方系針葉樹林に変わってしまい、その色合いも鮮やかな緑からくすんだ暗緑色に変わってしまった。
 広葉樹の方もブナからダケカンバへと植生が変わり、いよいよ道南ともお別れと言った雰囲気である。
 峠を降りたところに、今日の温泉地として考えていた八雲温泉がある。我が家の場合、それほど温泉好きなわけでもないので、普段の1泊キャンプの時は近くに温泉があってもわざわざ入りに行くようなことは少ない。
 それが長期キャンプになると、毎日お風呂に入りたくなるので、近場の温泉を探すようになる。特に道南は名湯が多いので、今回は温泉のガイド本を2冊も車に積んできていた。
 今回のキャンプで入った中では、ここ八雲温泉の町営おぼこ荘(おぼこレクリエーションセンター)の温泉が最高だった。特に晩秋の鉛川の風景を眺めながらの露天風呂が快適である。
 ここには鉛川キャンプ場もあるが、二つのホテルに挟まれた公園のような場所がキャンプ場になっていて、とてもテントを張る気にはなれないようなところである。
 何時もの我が家なら、他にキャンパーがいない方が嬉しいのだけれど、どうしてもここに泊まる必要が生じた場合は、できるだけ他のキャンパーで賑わっている時に利用したい。そこにポツンと一張りだけテントがあったとしたら、公園の中で寝泊りしている浮浪者にしか見られないと思うのだ。

 おこぼ荘で昼食も済ませたので、後は一気に今日の宿泊予定地長万部公園へと向かう。
 かみさんがキャンピングガイドを見ながら、「豊浦町の海浜公園キャンプ場もまだオープンしているみたいよ」と言ってきた。もう長万部公園に決めているのに今更何を言っているんだろうと、かみさんの声は軽く聞き流し、長万部町内で買い物を済ませて3時頃に公園に到着。この時間ならば今日はようやくキャンプ場でゆっくりとすることができそうだ。
 一応、管理事務所にも寄ってみたけれど、クローズ後なのでそこには誰もいなかった。園内の炊事場もトイレも問題なく使える。車中泊らしき車も1台泊まっていた。
 ここには3年前の同じような時期に一度下見に訪れ、クローズ後でも泊まれるのは確認していたし、その時は散り遅れた桜の紅葉も良い雰囲気だったので、そのうちに泊まりに来ようと考えていたのだ。
 「さて、何処にテントを張ろう・・・。」
 期待していたキャンプ場なのだけれど、何かしっくりと来ない。
 かみさんは私以上に乗り気でない表情である。園内の方々に立っている焚き火禁止の看板。初めてここに泊まった11年前、「焚き火していて注意されたことがある」とかみさん。私は全然覚えていなかったけれど、それがかみさんが乗り気でない理由らしい。それだから、途中で別のキャンプ候補地を探していたりしたのだ。
 一方、私がしっくり来ないと感じている原因は、ここが公園であることからきている気がする。ここは一応は公園の位置付けだけれど、キャンプ場としてもかなり快適な部類に入るだろう。しかしやっぱり公園は公園、我が家がキャンプするには似合わない場所である。
 そうしてやっぱり焚き火ができないと言うのは決定的だった。途中の海岸で拾ってきた大量の流木が無駄になってしまうし、今日の夕食もダッチオーブン料理なのである。

 結局かみさんの予定通り、豊浦町の海浜公園へと向かうことにした。昨日までは、予定変更で元来た道を引き返すことになっていたけれど、今日は予定変更して先へ進むのだから、これまでよりはましである。長万部から直ぐ高速道路に乗って豊浦まで行けるので時間的にも短縮できる。確かこのキャンプ場は最近オープンしたばかりのはずだ。
 「変なところじゃないよな〜?」
 「う、うん、現地に付いてから文句言わないでね」
 「な、なに!」
 かみさんは、キャンピングガイドを見ながら、気に入ってそこを選んだのかと思ったら、そうでは無く、たまたま11月でもオープンしているというだけの話しらしい。
 何だか嫌な予感がしてきた。そうして現地到着。
豊浦町海浜公園キャンプ場  「・・・。」
 目の前の光景に声も出なかった。
 広々とした芝生のキャンプサイト。その両側にある駐車場には車が一杯並んでいる。3連休の真ん中、散歩している人、海を眺めている人、沢山の人たちで賑わっている。そうして道路の反対側にはアパートが立ち並ぶ。
 ここでキャンプするくらいなら、このまま札幌まで帰ったほうがましである。
 「ちょ、ちょっとトイレに行ってくるね」と言い残して、サッサと逃げ出してしまったかみさん。
 犬連れで散歩している人が沢山いるので、それに向かって吠えまくるフウマ。
 途方に暮れてしばらくそこで立ち尽くしていたが、もう我慢できない。心は決まった。
 なかなかトイレから出てこないかみさんは放っておいて、キャンプ場の炊事場まで車を動かし、そこでポリタンクに水を満たした。これならば乙部町で湧き水を入れておけば良かったと後悔する。
 ようやくかみさんがトイレから出てきて、車を見つけて走ってきた。かみさんが乗り込むと同時に出発する。
 「大岸に行くぞ!」
 「私もそう思ってトイレを済ませてきたの!」
 大岸キャンプ場はとっくに閉鎖しているので、水もトイレも使えないはずなのである。
 この辺はまさしくあうんの呼吸と言える。大岸キャンプ場の話しなど一度も出なかったのに、このキャンプ場の様子を一目見た瞬間に、私達夫婦はそれぞれ次の目的地を大岸キャンプ場と考えていたのだ。今日こそは引き返さなくて済むと思っていたのに、やっまりまた10km以上逆戻りすることになってしまった。

夕暮れ迫る大岸キャンプ場  トンネルを抜けて大岸第2キャンプ場に着いたときは、既に太陽は山陰に隠れてしまっていた。
 キャンプ場の中央にある質素な水場は、蛇口毎取り払われて配管だけが残っていた。もしかしたらと期待していた、道路の反対側にある公園のトイレも、シャッターが降りてしまっている。
 最初からこれらの施設が使えるとは思っていなかったので、別に気にもならない。
 車が1台停まっていて、その持ち主が砂浜でレトリバーを遊ばせている。
 長万部公園のような管理された風景、豊浦海浜公園のような雑踏の風景などとは無縁な、本当に心落ち着く自然の風景が目の前に広がっていた。
 このキャンプ場は三方を山や崖に囲まれているので、両側にトンネルがある。道路に平行して線路も通っているので、トンネル口が四つもあるのだ。
 車や列車の通過音がかなりうるさいのを知っているので、礼文華側トンネルのちょうど陰になる部分にテントを設営する。
 テントを張るのに適した砂浜と旧道の間のスペースは、5年前に利用したときはただの草地だったのに、現在は綺麗な芝生に変わっていて、なかなか快適である。
 慌ただしく設営を済ませると、かみさんは直ぐに夕食の準備に取りかかる。私はサイトから降りたところの砂浜で焚き火の準備をする。
 日本海の海岸から運んできた流木を、その砂浜にドドーッとぶちまけた。でも、その周りを見渡すと、私たちが苦労して運んできた流木よりも、もっと乾燥して良く燃えそうな流木が大量に転がっているのに気がついた。
 せっかくの苦労が報われずにガッカリしたけれど、それよりも大量の流木がある嬉しさの方が勝っていた。
 その大量の流木で、しかも直火の焚き火が楽しめるとなると、これはもう言うこと無しだ。
 かみさんには悪いけれど、一人で先に焚き火を始めて、そこにイスとビールを持ってきて一足先にリラックスタイムに入る。
茶津崎の上に十三夜のほぼ真ん丸な月が昇っていた。

お先に焚き火してます   十三夜の月夜

 かみさんのパエリアの仕込みが終わったので、そのダッチオーブンを焚き火の上に吊した。
 果たしてダッチオーブンでパエリアが上手く作れるのだろうか。パエリアの場合、火力の調節がポイントになりそうだけれど、今日は直火なので強火弱火と自由自在に作り出すことが出来る。
 狭い焚き火台を使っていると、そうはいかないのだ。
 それでもやっぱりパエリアは難しかった。水分を上手く飛ばせなかったし、火力の調節に気を使ったつもりが結局焦げ付かせてしまった。
 リゾット風の少し焦げたパエリアだけれど、それでも十分に美味しい。
最後の夜の焚き火 夕食後は大量の流木で最高の焚き火を楽しむ。
 月に照らし出された海。静かに打ち寄せる波の音がずしりと腹に響いてくる。
 今日も暖かな夜だった。これが今シーズン最後のキャンプの夜だとはとても信じられない。
 貨物列車が頻繁に通過していく。
 列車が近づくときの警報機の音、トンネルを抜けた後で警笛を鳴らす列車もあったりしてとても賑やかだ。
 テントに入ると、波の音も増幅されて聞こえてくる。
 さすがに今夜は耳栓をして寝ることにした。かみさんは最近、私のいびき対策として耳栓を使うようになったけれど、これは結構役に立つものである。
 耳栓効果で、貨物列車の通行音や太平洋の波の音が遠くに聞こえるようになり、朝までぐっすりと眠ることが出来た。

 道南キャンプ最後の朝、今日の朝日は茶津崎の上のカムイシャチ史跡公園から楽しむことにする。
 今回のキャンプでは、テントサイトから朝日を見たのは湯ノ沢公園の時だけで、その他の3回は展望の良いところに移動しての朝日観望である。
 今時期のキャンプで4日連続で朝日の昇る姿を楽しめるというのも画期的なことかもしれない。
 まだ日が昇る前から車が1台やって来て、そのまま直ぐに二人の男性が海の中に入ってサーフィンを始めたのにはビックリしてしまった。
 世の中には変わった人がいるものだ。もっとも私たちも、こんな時期に変なキャンパーがいると驚かれていたのかもしれない。
 カムイシャチ史跡公園への急な階段を登っている時に、ちょうど夜行列車が通過していった。
 茶津崎の先端まで行く。今日の朝日は雲間から昇ってきた。毎日違う表情の朝日を見られるなんて本当に幸せである。
 また夜行列車が、朝日に照らされながら通過していった。車窓から見えているこの朝の風景も、さぞ素晴らしいものだろう。

最後の日の出   夜行列車を照らす朝陽

 テントに戻ってくると、先ほどのサーファーがキラキラと光る海の中でまだボードに乗っていた。
 その後間もなく、彼等は再び車に乗って何処かへ行ってしまったが、結局一度もボードの上で立ち上がる姿を見ることはできなかった。
シーズン最後のまったり 眩しいくらいの朝の光にテントが照らし出されている。
 いつもの朝のように焚き火を始めたが、焚き火の温もりも必要ないくらいに気温も上がっていた。
 朝食を終えた後は、Tシャツ1枚で日向ぼっこだ。とても11月のキャンプとは思えないようなシーンである。
 そうして、完全に乾いたテントを片付ける。丁寧に折りたたんでバッグの中に収納。多分もう4ヶ月程は出番も無いだろう。
 全ての荷物を車に積み終えた後、体全体が心地良い充実感に包まれた。

 帰る途中に「洞爺村温泉いこいの家」で最後の温泉に浸かり、夢のように過ぎ去った5日間を振り返る。
 筋書きのないキャンプ、もしくはドタバタキャンプ、計画があって無いような何時もの我が家のキャンプだったけれど、4泊ともそれぞれがベストキャンプになるくらいの素晴らしいキャンプだった。
 そんな思いを噛み締めつつ札幌へ向かっていると、中山峠では雪も舞い始めた。
 道南の暖かさに包まれて忘れていたけれど、季節は確実に冬に向かっているようである。

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