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海・薄・彫刻に囲まれた奥尻キャンプ後編

北追岬キャンプ場(9月22日〜24日)

 目が覚めて時計を見ると午前4時だった。
 明るくなるにはまだ早い中途半端な時間だけれど、今朝は球島山まで行って朝日を見る予定だったのでちょうど良い時間だった。
 直ぐに起き出すと、フウマが「もう起きるの?」と眠たそうな表情で見上げてきた。
 山の上で飲むコーヒーなどの準備をする。今時間はまだ真っ暗なはずなのに、水銀灯の灯りがあるのでこんな時だけはその明るさがありがたく感じられる。
 すると突然その灯りが消えて、あたりは闇に包まれてしまった。点灯する時間もそうだったけれど、消える時間も夏時間のまま変更されてないみたいだ。
 もう少し明るいままでいてくれたら、車でキャンプ場を出る時に隣人のテントをヘッドライトで照らし出してしまうこともなかったのにと、恨めしく思ってしまう。
 それでもできるだけ音を立てないようにして、そっとキャンプ場を出発した。
 道路に出て少し走ったところで、電光表示の案内板に信じられないメッセージが出ているのに気が付いた。
 【神威脇から稲穂まで夜間通行止め】
 「ま、まさか・・・」
 球島山へ行くには、その通行止めになっている道を通るしかないのである。そんな表示は見なかったことにして構わず先に進んだが、直ぐその先で非情なゲートが道路を塞いでいた。
 キャンプ場へ戻るにしても、再びライダー君の安眠を妨害することになってしまう。
白み始めた東の空 日の出まではまだ時間があるので、とりあえず東海岸に回って日の出だけは見ることにする。
 そのまま島をぐるりと1周すれば球島山まで行くことはできるけれど、さすがにそこまでする根性は無かった。
 まずは島の南端、青苗地区を目指す。
 こちらの方は今日の日中にじっくりと観光するつもりだったで、同じ道を2度走らなければならなくなるのがちょっと癪だ。
 青苗に付く頃には空もだいぶ白んできていた。
 イカ漁から帰ってきたような漁船が次々と港に入ってきている。
 近くまで見に行って「大変そうですね〜」なんて話しかけたら、「観光の人かい?イカで良ければ好きなだけ持ってけ!」なんてことになったりして、とかみさんに話してみたけれど、「テレビの旅番組じゃあるまいし!」と軽く一蹴されてしまう。
 高台から朝日を眺められそうな場所を探したけれど、適当なところが見つからず、御影石の玉石がゴロゴロと転がる海岸で朝を迎えることになった。
朝日を楽しむ 海の向こうの北海道の陸地から昇ってくる朝日は美しかったけれど、球島山からその朝日を眺められなかったのが心残りだった。

 キャンプ場へ戻る途中、テントを張れそうな海岸を探しながら車を走らせた。奥尻島での2泊目は海キャンをするつもりでいたのだ。
 島の観光ガイドマップにも、所々の海岸にキャンプ適地のマークが付いているくらいなので、夏場はそんな海水浴客がこの島に押し寄せるのだろう。
 その中の一つ無縁島海岸は、小砂利の浜になっていて道路際には簡易トイレも置かれ海の眺めも良く、まさに最高の海キャンを楽しめそうなところだった。
 ところがかみさんは「今のところにもう1泊したいな」と言いはじめた。
 これにはガクリときてしまった。今年になって、やたら海キャンがしたいと言っていたのはかみさんなのである。
 もっとも私も、今のキャンプ場に連泊するのに何の不満も無かった。眺めも環境も良いし、温泉も近いし。週末なので宴会キャンパーがやってくる恐れもありそうだが、そんな時はさっさとここに逃げてきたら良いだけの話だ。
 連泊することに心を決めてキャンプ場へ戻ってきた。
 ライダーの彼も起きていたので、早朝にうるさくした事を謝ったら、全然気づかずに寝ていたとの事だった。
 焚き火に火をつけて朝のコーヒーを楽しむ。今日のフェリーで函館に帰るというライダー君を見送って、我が家だけになった場内でゆっくりと時間を過ごした。

ずぼら洞入り口 上空には雲一つ無い青空が広がっていた。今日も明日も快晴の天気に恵まれそうだ。
 今日はまず公園内の彫刻を見て回ることにする。北追岬には8つの彫刻があり、いずれも流政之氏の作品だとか。
 途中に藪の中を切り開いたような道があったので、そこを歩いていくと彫刻の一つ「はぐれ鳥」のところへ出てきた。もう一つ同じ ような道があり、そこの途中には「ずぼら洞」の看板が立つ巨大な岩の下をくぐり抜けるような場所があったりして、ちょっとした探検気分を楽しめる。
 公園の入り口に大きな地図があるだけで、道の途中には一切標識なども無く、このおかげで迷路の中を歩いているような感じがして、余計に探検気分が盛り上がる。
 道の先にキジが現われた。道路脇の臭いを嗅ぎまわりながら歩いていたフウマが、その姿に気が付いて近づいていく。
 トコトコと藪の中に逃げ込むキジ。体の中に流れる猟犬の血が目覚めた(ホントか?)フウマは、その後を追って藪の中に飛び込んだ。
 そしてしばらくの静寂の後、藪の中からバタバタと音を立ててキジが飛び立ち、またしばらくすると藪の中から残念そうな表情を浮かべたフウマがトボトボと出てきた。何度かそんなことが有り、ここではフウマも探検気分を楽しんでいるようである。
 最後に丘の頂上に上った。
 今日は天気も良くて青い海が一際輝いて見える。その海を背景にして、風に揺れるススキがなんとも美しい。
 「今日はここから夕陽を見ようか」とかみさんに提案したところ、直ぐに賛成してくれた。

丘の頂上へ続く階段   丘の上からの眺め

 朝の散歩を終えて、島内観光に出かけることにする。
 まずは昨日ここへ来るときに通り過ぎてしまった、「復興の森」へ行くことにした。
 そこまでは産業開発道路と言う全く味気ないネーミングの道を走るのだが、ブナの森に覆われた山間を抜けるこの道路はなかなか快適なドライブルートである。
産業開発道路からの眺め 所々に海岸や海を見渡せるビューポイントがあって、思わず車を停めてカメラを構えてしまう。
 この「復興の森」だが、ぶな林の中の散策が楽しめるかと思ったら、部分的に下草が刈られているだけで特に面白い場所ではなかった。入り口にあるログハウスも、以前は森林学習にでも使われたのかもしれないが、現在は殆んど使われた様子も無い。バーベキュー小屋もかなり古ぼけてきている。
 「復興の森」と言うよりも「忘れ去られた森」と言うネーミングの方がピタリとはまりそうな場所である。。
 でもそんなことはどうでも良く、手ごろな枯れ枝が沢山落ちていたので、私達夫婦は急遽焚き火用の巻き集めを始めてしまった。林内には古くなったシイタケのほだ木も放置されていて、かみさんはそこから新しいシイタケが生えているのを見つけて大喜びだ。
 一体何をしにここまで来たのか良く分からなかったりする。
無縁島海岸で その後再び海岸線に戻り、次は青苗の奥尻島津波館を見に行くことにする。
 途中で、朝にも立ち寄った無縁島海岸に寄り道した。
 太陽の光で温められた小砂利の浜、その上に大の字に寝転がったら最高に気持ちが良い。次に奥尻に来る機会があれば、その時こそこの浜にテントを張りたいものだ。
 真っ黒な小砂利を手にすくって見ているうちに、元に戻すのが勿体なく感じてきて、そのままゴミ袋の中に詰め始めてしまった。
 車まで持ち帰れる限界の量まで小砂利を詰め込む。これを我が家の外の水道の周りに敷き均せば良い感じになりそうだ。
 かみさんが私のそんな行動を呆れた様子で見ていたが、その水道の周りにはかみさんが川から拾ってきた平たい石が敷き詰められているのだ。全く、似たもの夫婦なのである。
誰の顔? かみさんが穴の開いた貝殻を使って、石の上に人の顔を作っていた。その顔がやけに私に似ているものだから笑ってしまった。
 しばらくそこで遊んだ後、津波館へと向かう。
 受付で入場料を払っていると、その隣で案内係らしき女性が待機している。
 「館内の説明でもしてくれるのだろうか?自分達で自由に見て回るからほっといてくれれば良いのに」と思っていたが、払い終わると直ぐに館内の説明を始められたのでそのまま黙って聞いているしかない。
 説明の最後に「それではこちらの写真からご覧ください」と言われ、ようやく自分達のペースで見て回れるようになった。
 そこに展示されている写真を見て、殆んど忘れかけていた13年前の津波の被害の様子が頭の中によみがえってきた。地震の翌朝のテレビニュースで、火災の黒煙に覆われたここ青苗地区の映像に衝撃を受けたものである。
 昨日、島に渡って来てからも、美しい海の風景ばかりに目を取られて、そんな地震のことなどまるで思い浮かばずにいた。
 しかし、先ほど通ってきたばかりの場所が13年前はその写真のような状況になっていたのを間近に見せられ、今では過去のものとなった島民の人たちの苦労を改めて思い知ったのである。
奥尻島津波館で その写真を見終わった先で、再び案内係の女性が待ち構えていた。
 「それでは、次はこちらの・・・」
 そんな調子で案内されながら、最後に映像ルームへ連れてこられた。
 「それでは最後にここで2本の映像を見てもらいます。」
 「おいおい、それも強制かよ。」と思いながらも、それぞれ10分少々の津波や奥尻島の映像は結構楽しむことができた。
 これが彼女達の仕事なのだからしょうがないけれど、できれば説明付きか、自由に見て回るか、入場者が選択できるようなシステムに変更した方が喜ばれると思うのだが。
 そこを出た後は、これまでと同じ島の風景や街並みの影に、島の人たちの努力と苦労が垣間見られるような気がした。

 今日の昼食は青苗で食べるつもりで店も決めてあったけれど、残念ながらその店は閉まっていた。しょうがないので観光パンフに載っている店を見て回ったけれど、適当な店がなかなか見つからない。
 寿司屋に入って昼食に数千円も支払いたくないし、たまたま道路沿いに「潮騒」と言う食堂があったのでそこに入ることにした。
 観光パンフには載っていない店で、店内は結構混みあっていた。メニューを見ると天丼、カツ丼、カレーライスと、まるで普通の食堂である。
お食事処「潮騒」 せっかく島に来たのに味気なさ過ぎるな〜と思いながらメニューの下のほうを見ると、「イカ定食」があった。私は迷わずにそれに決めて、かみさんは正油ラーメンを注文。
 出てきたイカ定食は、思わず笑みがこぼれる位に美味しそうなイカ刺し定食だった。昨日食べたイカ刺し定食もまずまずだったけれど、こちらの方が量も多くてイカも新鮮で、十分に満足できるものだった。
 かみさんのしょう油ラーメンも合格点の味で、店内が混んでるのも納得できる。観光客向けの店より地元の人に利用される店、観光地で食堂に入る時はやっぱりこれが鉄則なのだろう。

 同じ道を何度も行ったり来たりしているものだから、ガソリンもかなり減ってきていた。ぐるりと一周しても66km程しかない島なのに、島に渡って来てから既に200km近く走行しているのである。
 全くの予定外だったけれど、ガソリン価格が一切表示されていない島のスタンドで恐る恐る給油することにした。10リットルで十分だったけれど、ついつい見栄を張って20リットルも給油してしまう。
 後でレシートを見ると、リッター174円のガソリンだった。まあ、島の経済のお役に立てたと考えれば、この金額も我慢することができる。
 飲み物や氷も補充し、釣具屋もあったのでそこでさびき仕掛けも購入。
 キャンプ場に戻り、温泉に入る前に港で竿を出してみた。昨日そこで見た釣り人は、入れ食いと言いながらも、しっかりとまき餌はしていたし餌も付けていたようだ。
 さびき仕掛けだけでは、さすがの奥尻でも余程の群れがやってこない限りは釣れるわけがない。釣りの気分だけ味わって、さっさと温泉に入ることにした。
 今日は1階の方の温泉に入ったけれど、同じ源泉のはずなのにこちらはやや温めで、かろうじて水を入れずに湯船に入ることができた。
 その後はキャンプ場に戻ってのんびりとした時間を過ごす。
 何時もせわしないキャンプばかりしている我が家にとって、久しぶりののんびりしたキャンプである。それでも他のキャンパーからは、テントの前で座っている事が殆んど無い落ち着きの無いキャンパーとして見られてしまうだろう。
 そんな我が家でももう1泊したら、本当にゆったりした時間を過ごせるのかもしれない。

何やらせるんだ! 週末だけれど、今日は他のキャンパーがやって来そうな気配も無い。
 日が西に傾き始めたので、彫刻のある丘の上に登って夕陽を楽しむことにする。
 昨日は夕方になって雲が増えてしまったけれど、今日は快晴の空が広がっているので文句の無い夕陽が見られそうだ。
 丘の上の広場中央に立つ彫刻「回転が原」は、朝・昼・夕と時間の経過と共にその表情を変えているような気がする。それが製作者の意図したものかどうかは分からないが、これが屋外彫刻の良いところだ。
 最初は丘の頂上にポツンと飛び出て見える人工物が何となく目に触ったけれど、2日間ここで過ごしているとその風景が北追岬の風景としてすっかりと心に刻み込まれてしまった。
 背景の山肌、ススキの草原、神威脇漁港、遠くに見える島影、全てが夕暮れ色に染まってきた。ススキの穂が夕陽に照らされ、今にも燃え上がりそうだ。
 しばし声も無く、水平線に沈む夕陽に二人とも魅入られる。
 最後の瞬間、光の雫が一滴、水平線上に浮かんだかと思った刹那、掻き消すようにそれは見えなくなってしまった。

夕暮れ色に染まる風景   燃え上がるススキ

 サイトに戻ってきてもまだ水平線が赤く染まっている。
 焚き火に火をつけ、夕食の支度をしながら、その色が次第に薄れていく様子を楽しんだ。
 今日の夕食は炊き込みご飯とキムチ鍋。食事を終える頃には、あたりはすっかり闇に包まれてしまった。
残照に見とれる 昨日は沢山見えていた漁火も今日は一つも出ていない。土曜日は漁が休みなのだろうか。
 そのおかげで今夜は水平線近くの星までがくっきりと見えている。水銀灯が点灯するまでの僅かの時間、満天の星空を楽しむことができる。
 特に今夜は天の川がとてもくっきりと見える。空の端から端まで見事に全天を横切り、そして星の集まりの濃いところ薄いところの様子までがはっきりと見分けられる。
 これまでに見た天の川の中でも最高の美しさかもしれない。
 その感動も午後7時で終わり。後は水銀灯に照らされて真昼のような明るさになった場内で、焚き火を楽しんだ。
 寝る前にもう一度、水銀灯の明かりが届かないような木に囲まれた場所まで行って素晴らしい星空を眺める。その暗闇に身を置いている時に南西沖地震でこの島でも多くの人が亡くなったことを突然のように思い出してしまった。
 すると何だか周りの暗闇が薄気味悪く感じてきてしまい、かみさんにばれると馬鹿にされるので、何気ない表情をつくろいながら慌てて明るい場所まで駆け戻ってきた。

朝の風景 翌日も朝から素晴らしい青空が広がっていた。
 テントの中で寝ているときに人の話し声が聞こえたものだから、ホテルの宿泊客が早起きして散歩に来たのだろうかと思ったら、それは漁に出ている漁船が無線機で交信している音だった。
 沖には漁船が数艘浮かんでいる。
 東側に山があるので、サイトまで朝の光が届くには、日の出からしばらく時間がかかる。まず最初に沖に出ている漁船が朝日を受けて白く輝き、その後、丘の頂上の彫刻にも日が当たり始める。
 そうしてようやく、我が家のテントにも日が当たってきた。
 周りのススキが朝日を受けて一斉に輝き始めた。
 美しい海、サイトの周りに点在する彫刻、そして風に揺れるススキの風景、この三つが今回のキャンプの中でも特に印象に残るものになった。

 今日も青苗周りで奥尻港まで戻ることにする。
 観光マップを確認しながら、昨日見落としたポイントを隈無く回る。
 最初にホヤ石の滝。看板は無いし、道路からも滝は見えず、観光マップが無ければ全く気が付かない場所である。川が流れ出る渓谷があったので、私だけその奥まで行ってみることにした。
誰の顔? 道路からの奥行きはそれほど無いけれど、崩れ落ちた大岩を乗り越えながら進まなければならないので、結構ハードである。 途中でチョロチョロと落ちるミニ滝はあったけれど、本来の滝はもっと奥にありそうだ。しかし、そのミニ滝を作っている岩を乗り越えて進むには軽装過ぎたので、諦めて引き返すことにした。
 その間にかみさんは、ホヤ石と呼ばれる巨大岩の海岸で遊んでいた。そこの海岸も、思わずテントを張りたくなってしまうような浜辺である。
 かみさんがまた石を並べて、人の顔を作っていた。それがまた自分に似ているものだから嫌になってしまう。
 その後は、昨日見逃していた青苗岬や青苗漁港を見学して奥尻港へ向かう。
 昼食はフェリー乗り場前の○○に入った。ここも、夏場はうに丼、アワビ丼がメニューに加わるみたいだけれど、今時期は普通の食堂メニューしかない。
 タラのあら汁が唯一の港町らしいメニューだったので、親子丼とタラのあら汁と言う変な組み合わせの昼食になってしまった。
 やっぱり奥尻島で海の幸を満喫するには民宿に泊まるしか方法は無さそうだ。
遠ざかる奥尻島 うにまる君の見送りを受けてフェリーが出航。
 こうしてフェリーで島を離れる時は何となく感傷的になってしまう。また近いうちに島に渡って、その時こそ思う存分海キャンを楽しみたいものである。
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