現在のアリーを買って15年。それ以来私の心の中では、河原でキャンプしながら川下りをしたいという思いがくすぶり続けていた。
しかし、カヌー歴は長いものの、実際に川を下った経験も少なく、キャンプ道具を満載したまま沈をしては堪ったものではない。カヌークラブに入ったのも、ダウンリバーキャンプを出来る程度のスキルを身につけたいと言うのが大きな理由だった。
とは言っても、カヌーにキャンプ道具を積み込んでそんな激流を下るわけでもなく、その気になりさえしたら何時でもダウンリバーキャンプはできていたはずである。。
ただ、その決断が出来ないまま時を過ごしていたというのが本当のところだ。
愛犬フウマも今年の2月で11才になり、もうすっかり老犬の部類に入ってしまい、このままズルズルと先延ばししていたら、フウマと一緒の川下りも出来なくなってしまう。
そこで、今年こそは絶対にダウンリバーキャンプを実行しようと、早くから心に決めていたのである。
コンパクトなシュラフやテント、大きめの防水バッグ等を少しずつ買い揃え、必要な装備もほぼ揃った。そして9月に入った最初の週末、場所は此処しかないということで歴舟川で決まり。
ワクワクしながらその日がくるのを待っていると、カヌークラブのサダ吉さんから同じ日に歴舟川のキャンプ場に泊まってヌビナイ川を下りましょうとの誘いが入ってきた。
それを聞いたかみさんが「エッ?ヌビナイ!クダリタイ、ゼッタイクダリタイ!」と騒ぎ始めてしまった。もともとダウンリバーキャンプにそれほどこだわっていないかみさんは、ヌビナイ川ダウンリバーの方が魅力的に見えてしまうらしい。
このままでは半年前からの私の計画が、ヌビナイ川の魅力にあっさりと負けてしまいそうだ。
するとサダ吉さんから、ヌビナイを一緒に下ってキャンプ場で荷物を積み込み、そこから歴舟川を下ったらとの提案を受けた。そして翌日は、河口まで迎えに来てくれるというのだ。
当初の計画では河口に車をおいて、そこからタクシーでキャンプ場まで戻ってくるように考えていたので、これはありがたい話しで直ぐにその好意に甘えることにした。
かみさんはヌビナイ川を下れることになって無邪気に喜んでいたが、私はちょっと不安な気持ちになっていた。
ヌビナイ川はそれほど簡単に下れる川でもないし、果たしてアリーで下れるのだろうか。そして、その後続けて歴舟川を下れる体力が残っているのだろうか。
不安を抱えたまま朝7時に札幌を出発した。
我が家を含めて8人のメンバーで、12時頃からヌビナイ川を下り始め、午後4時過ぎにカムイコタンキャンプ場へ到着した。
ヌビナイ川は本当に美しい流れで、アリーも破損することなく無事に下り終えて大満足。
普通はここでめでたしめでたしとなって終わるところだが、今回はこれからが本番である。
センターの浮力体を取り外し、そこにキャンプ道具を積み込む。
車の中で留守番していたフウマも、張り切って河原へ飛び出してきた。
皆は、「このままキャンプ場に泊まれば良いのに!キャンプ場の河原にテントを張れば同じことだよ!」
かみさんまでその気になり始めたが、「ダメ!ソレハゼッタイダメ!」
それではまるで普通のキャンプと同じで、私の思い描いていたダウンリバーキャンプとは全く別物なのである。
荷物は予定どおりカヌーに全て収まった。テントを入れる防水バッグまで買う余裕は無かったので、ゴミ袋の二重重ねで間に合わせる。沈することは想定していないのでこれで十分だろう。
カヌーを水に浮かべようとしたが、重くて持ち上がらない。かみさんが、「本当に大丈夫なの?」と不安そうな顔をするが、昔は息子と3人で乗っていたのだから、水の上に出てしまえば重さは大して問題にならない。
底に穴を開けないように注意しながらズルズルと引っ張り、ようやく川に浮かべることが出来た。
遂に憧れのダウンリバーキャンプへの出発である。
本当ならば意気揚々としているはずなのに、既に体は疲れ切っていて、時間も夕刻が迫ってきている。歴舟川はこの時期にしてはやや水量も多めだが、その分少し透明度も下がっている気がする。
曇った空に青黒い水、気持ちもなかなか盛り上がってこない。
とりあえずは一刻も早くテントを張れそうな河原を見つけなければならない。
でも、まずはキャンプ場から遠ざかることが先決だ。皆から見えるようなところにテントを張っていたら、良い笑いものである。
それにダウンリバーキャンプでは、なるべく人里離れた場所にテントを張らないと面白くない。
サダ吉さんが、「大樹町の近くに適当な河原があったはずで、そこなら道路にも近くて安心ですよ。」と言ってくれたが、元よりそんな場所にテントを張る気は全然無かった。
キャンプ場近くの神居大橋が見えなくなるまでは、ひたすらパドルを漕いだ。水量が多い分、瀬の中では結構な波が立っていた。
ガンネルから顔を出していたフウマに思いっきり波がぶつかる。瀬を越えるたびにカヌーの中にも結構な水が入ってくる。
フウマの場合、自分から川に入って泳ぐくせして、カヌーの中で濡れるのは嫌いなのである。そうなるとカヌーから降りたがってそわそわし始めるのだ。
この付近の歴舟川独特の景観である土の壁が見えてきた。この土壁を過ぎると、ようやく神居大橋も視界から消えさる。
橋が見えなくなったところで最初の河原に上陸。しかしそこは、大きな玉石ばかりでテントを貼れそうな場所がない。
諦めて再び下り始め、次の河原に上陸。そこは小高い部分に砂地があり、テントを張るのにも申し分ない。ただ、河原と陸地との間がやや低くなっているので、増水した場合そこが中州として取り残されてしまうことになる。
今夜の予報で雨が降ることは考えられないので、私はここに決めようと思ったが、かみさんがやっぱり嫌だという。
確かに、もしも不測の事態が起こった時、こんなところにテントを張っていたら無謀なキャンパーと新聞ネタになってしまう。そんな素人臭い真似はしたくないので、ここも諦めて先に下り続けることにした。
何気なく下っている時はキャンプできそうな河原が沢山あるように見える川だが、こうして注意して見てみると、そんな場所は限られている感じだ。
果たして適当な河原は見つかるのだろうか。次第に不安がつのってきた。
そうして5時を過ぎた頃、何となくピンと来るものを感じさせる河原が見つかった。
そこに上陸してみると、いざというときに避難出来そうな林も直ぐ近くにあり、水面からの高さも十分、テントを張れそうな砂地もあり流木も転がっている。川の反対側は土壁がそそり立ち如何にも歴舟川らしい景観だ。
まさに、ここで河原キャンプを楽しんで下さいと言った風情の、最高の河原である。
キャンプ地が見つかってホッとしたが、暗くなるまでの時間を考えると、これがギリギリのタイムリミットだったかもしれない。
まずは濡れた服を着替える。こんな場所なので平気で裸になれるのが良い。
さすがにかみさんはそうもいかないので、私が着替え終わったら直ぐにテントを設営する。脱いだ服はカヌーの上や大きめの石を見つけてその上に並べた。
長めの流木を組んで物干し場も作りたかったけれど、そこまで凝っている時間もない。
対岸の土壁が夕日に照らされて赤く染まってきた。
今日の夕食はレトルトカレーだが、ご飯もレトルトではさすがに味気なさ過ぎるので、飯だけはちゃんと炊くことにした。
私が夕食の準備をしているうちに、いつの間にかかみさんが流木を集めて焚き火の準備を始めた。あっ、それは俺の仕事なのに!と思いつつも、私が全て準備した今回のキャンプなので、大人しく飯炊きに専念する。
集めた流木は良く乾燥しているので、火を付けると直ぐに景気の良い炎を上げて燃え上がった。
ここでようやくビールを開ける余裕ができた。
プシュッ、グビグビ、プハーッ。
カヌーに積み込んだ荷物の中で、氷とビールが一番の重量物だったが、苦労して持ってきた甲斐があるというものだ。
かみさんは、この他にワインも持ってきたがっていたけれど、さすがにそれは勘弁してもらった。
ご飯も上手く炊きあがり、質素だけれど美味しい夕食を済ませる。
いつの間にか、西の空の雲が真っ赤に染まっていた。
その展望を妨げている背後の河畔林がちょっと邪魔だ。
もっと広い河原にテントを張れば、空一面の夕焼けと赤く染まる歴舟川の姿を楽しめたのにと思ってしまうが、そこまで贅沢を言ってもしょうがない。
フウマも疲れ切ってしまったのか、荷物の間に倒れ込んで寝ている。
そんなフウマをデジカメで写した時だった。
撮影後、液晶に表示された画面を見てみると、何やら怪しげな白い影が・・・。
ビックリしてもう一度写し直してみると、今度は普通に写っていた。
先ほどの画像を表示させると、やっぱり白い影が写っている。
何なんだ、これは!背筋に冷たいものを感じた。
かみさんを怯えさせてしまうので、写真のことは黙っておくことにした。
恐怖の心霊写真のことは直ぐに忘れ去り、河原キャンプの最大の楽しみ、流木の焚き火の前にどっかりと腰を据えた。
この焚き火がやりたくて、ダウンリバーキャンプにチャレンジしたようなものである。
かなり太い流木でも、良く乾燥しているので直ぐに火が回る。
長い流木はその端から焚き火の中に入れ、燃え尽きるにしたがって少しずつ焚き火の中央に押し込んでいく。
キャンプ場では何時も焚き火台を使ってチマチマした焚き火ばかりしているものだから、火ばしは必需品だ。
今回のキャンプでも当然火ばしは必要だろうと思って、持ち物リストの中にしっかりと小さな火ばしを入れておいたのだが、そんな火ばしは河原での焚き火に全く必要はない。
かみさんから、「その火ばし、全然役に立っていないわね。」と笑われてしまった。
邪魔なガスランタンの明かりを消すと、河原は闇に包まれ、焚き火の炎がその周りを柔らかく照らしている。聞こえてくるのは川の水音だけだ。
昼間のカヌーの疲れとビールの酔いが相まって、焚き火の前でウトウトとしてしまう。
雑誌BE-PALに、サラリーマン転覆隊の連載が載っていたことがあり、それを何時も楽しく読んでいた。毎回、川下りと河原キャンプの様子が書かれていたが、その中で焚き火をしながら玉石の河原で眠ってしまっている隊員の写真が載っていたことがある。
それを見て、石がゴロゴロしたこんなところでよく寝られるものだなと感心していたけれど、自分がこうして同じような状態になってみると、その気持ちよさが良く理解できた。
疲れと酔いで体中の骨がクニャクニャになってしまった感じで、石の隙間に体が自然とはまりこんでしまうのである。
焚き火で火照った肌に、砂の冷たさがとても心地よく感じられる。
そのまま眠ってしまいたい誘惑を振り払って、歴舟川の水で歯を磨き、早々にテントに潜り込んだ。
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