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我が家のファミリー通信 No.92

3年ぶりのフルマラソンは日本最北端わっかない平和マラソン

3年ぶりのフルマラソン出場となる日本最北端わっかない平和マラソンは、宗谷岬をスタートして稚内港の北防波堤ドームをゴールとするワンウェイコース。
そのためにゴール地点から朝7時の送迎バスに乗って宗谷岬へと向かう。
参加者の殆どはこの送迎バスを利用するはずなので、すんなりとバスに乗れるか心配していたが、バス待ちの列もできずにスムーズにバスに乗れた。

日本最北端わっかない平和マラソン
バス乗り場でも待つこと無くスムーズに乗れる


それもそのはず、この日の参加者は500名しかいなかったのだ。
定員1000名と元々が小さな大会なのだけれど、それが半数しか集まらなかったとなると、混雑とは全くの無縁の大会である。

日本最北端わっかない平和マラソン
宗谷岬公園に到着


それでも、日本最北端の地の碑前には記念撮影をする人達の列ができていた。
私たちは何回か訪れているので、その列を遠巻きにして写真を撮る。

天気は最高。
丘の上からは遠くサハリンの島影もハッキリと見えていた。
海沿いを走るコースからは利尻富士の姿も楽しめるはずだ。
ただ、稚内の今日の予想最高気温は23度。
フルマラソンを走るにはあまり良いコンディションとは言えない。

日本最北端わっかない平和マラソン
日本最北端の地の碑は記念撮影スポットになっている


それでも、風が弱いのが救いである。
ワンウェイコースなので、向かい風が吹くと殆どの区間で向かい風に晒されることになる。
招待選手挨拶でも第1回大会から参加している川内君が、そんな向かい風に苦しめられた話をしていた。

私のスタートは位置は、申告タイムが4時間45分以上のDブロック。
何時ものマラソン大会ならば、先頭に並んでいる人の姿など全く見えないのだけれど、参加者500人だと直ぐ目の前にいる感じだ。

日本最北端わっかない平和マラソン
スタートラインに整列しても、最前列から大して離れていない


稚内のゆるキャラ「りんぞうくん」の応援を受けて、わっかないマラソンのスタート。
半月板損傷により「フルマラソンはもう無理」と医者から宣告されたのは2020年の秋。
それからウォーキングのリハビリを初めて、それが早歩きに変り、次第に競歩のレベルになってきた。
ランニングは止めて競歩に転向しようかなと考えたこともあったけれど、競歩はやっぱりまどろっこしく、ついつい走り始めてしまう。
ゆっくり走る分には膝にもそれ程負担はかからない。

日本最北端わっかない平和マラソン
たすきが無ければ「「誰?これ?」って感じだ


膝に少し痛みは感じるものの、そのうちに20キロくらいなら何とか走れるようになってきた。
そこで再びフルマラソンにチャレンジする気持ちになったのである。
海沿いの道を気持良く走っていく。

日本最北端わっかない平和マラソン
稚内の街までほとんどが海岸線の道となる


普段の練習ではキロ6分30秒程度で走れるようになっていたので、目標タイムは5時間に設定していた。
それなりの練習はしていたし、膝の痛みさえ出なければ決して無理なタイムではない。
キロ7分ペースで走れば、5時間を切れるのである。

7分を僅かに切るペースを維持しながら走っていると、後ろの方が次第に賑やかになってきた。
もしや!と思いながら後ろを振り返ると、5時間のペースメーカーが引っ張る集団が直ぐ後ろに迫っていた。
慌てて少しペースを上げる。
集団の中では走りたくないので、ペースメーカーの前を走り、調子が良ければ少しでも引き離そうと考えていたのだ。

日本最北端わっかない平和マラソン
人がかたまっているのが5時間のペースメーカーの集団

 

海の向こうに利尻富士が見えてきた。
そこから先、海の上に浮かぶ利尻富士を眺めながら走り続けることになる。

日本最北端わっかない平和マラソン
最初に利尻富士が見えた時は感動したけれど


しかし、いくら走っても利尻富士が近づいてくるような感覚は全く無い。
その手前の水平線上に広がっている稚内市の街並みが、やたらに遠く感じてしまう。

日本最北端わっかない平和マラソン
走れども走れども全然近づいてこない利尻富士


大体5キロごとに給水所があり、そんなに喉は渇いていないが、こまめに水分を補給する。
15キロの手前でコースは内陸部に向かい、約5キロの往復コースになっている。
トップ集団の姿は見られないけれど、かみさんとならば何処かですれ違えるだろう。

集団の中で姿を探すのは難しいけれど、既にこの辺りではランナーの姿もまばらになっているので、直ぐに見つけることができた。
4時間半のペースメーカーのかなり前を走っていて、調子は良さそうだ。

日本最北端わっかない平和マラソン
ランナーが少ないので直ぐに姿を発見


ところが彼女は、最初のうちは知らずに4時間のペースメーカーに付いて走っていたらしい。
スタート時に、4時間半のペースメーカーが私の後ろで挨拶していたのだけれど、4時間半のペースメーカーならば一つ前のCブロックにいなければならないはずだ。
かみさんはCブロックに並んでいたので、4時間半のペースメーカーがそんな後ろにいるとは知る由もない。
かみさんは途中で気が付いたようだけれど、この最初のハイペースのつけが後で影響していたようだ。

日本最北端わっかない平和マラソン
折り返して再び海岸線を目指す


20キロ地点でトイレに入る。
汗はかいていたけれど、途中で飲んだ水は全部が汗では出てくれないようだ。
まだ我慢はできたけれど、この後の給水所で心置きなく水を飲むためには早めに用を済ませておいた方が良い。
トイレから出てくると、5時間ペースメーカーのグループが既にエイドに入ってきていたので、私は慌てて先を急いだ。

20キロのタイムは2時間19分23秒。
今のところは5時間を切れるペースだけれど、30キロを過ぎればタイムが落ちるのは確実だ。
2週間以上前に一度30キロを走っていたけれど、過去3年間でそれ以上の距離を走るのは初めてなのである。

海の向こうに見えていた利尻富士が道路の正面に見えるようになってきた。
路面には大きな文字で「シカ注意」と書かれている。
確かに、走っていても時々シカの姿を見かけるのだ。

日本最北端わっかない平和マラソン
利尻富士の見える方向は変わっても、その大きさは変わった気がしない


26キロの給水所で楽しみにしていたコーラは既に品切れで、水も少ししか残っていなかった。
強烈な日差しで体力が消耗しているのが分かる。
その先の個人エイドで氷の入った水を貰って、一気にがぶ飲み。
給水所に並べられている生ぬるい水はコップ一杯を飲むのもやっとなのに、冷たい水はいくらでも飲めそうだ。



冷たい水を飲んで生き返ったような気がしたけれど、そこからキロ7分を切れなくなってきた。
30キロの通過タイムは3時間30分44秒。

そして30キロを過ぎると、キロ9分までタイムが落ちてしまう。
走れなくなって毎日歩いていた時ならば、キロ9分でも歩けていた。
絶対に歩かないぞと思って、形だけは走り続けていたけれど、実際は歩くのと大して変わりない。

とうとう5時間のペースメーカーに追い越されてしまう。
制限時間は6時間なのでゆっくりと歩いても完走はできるけれど、少しでもタイムは縮めたい。
と言うよりも、少しでも早くゴールしてこの苦しみから解放されたい、と言うのが正直な気持だ。

日本最北端わっかない平和マラソン
利尻富士が内陸部に見えるようになってくる


20キロを過ぎると大体3キロごとに給水所があるのだけれど、30キロを過ぎるとその3キロがとても長く感じてしまう。
給水よりもスポンジをもっと増やして欲しい。
給水所の水は飲むよりも体にかける方が多いのだ。

参加者が500人だと、走っているランナーの間隔も広がり、殆ど1人で走っている気分だ。
当然のことながら、沿道からの応援は私1人に向けられることになり、その応援に反応しないわけにはいかない。

ランナーも疎らなのに、片側2車線を通行止めにして貰っているのが申し訳なく思えてしまう。
すっかり静かになった道路で、雄のエゾ鹿が中央分離帯の草を一心不乱に食べていた。
普段は車が多数行き交うメイン道路、こんなチャンスは滅多に無いのだろう。

日本最北端わっかない平和マラソン
近くまで行っても逃げようともしない雄鹿


市内の中心部に入ってきて、こんな状態で沢山の人から応援されるのは嫌だなと思っていたら、途中で裏道に入ってくれたのでホッとした。
水産加工場が並ぶ街区では生臭い臭いが漂ってきた。
そんなところで応援してくれるのは、休み時間で外に出てきたような東南アジア系の女性達である。

頑張って走ろうとすると両足のふくらはぎが攣りそうになる。
もう早歩きしかできなくなっていた。

日本最北端わっかない平和マラソン
この辺りでは殆どのランナーが歩いていた


36キロの給水所にあるスポンジを楽しみにしていたら、そのスポンジも無くなっていた。
スポンジを入れておくケースの中の水を両手ですくって体にかける。

38キロくらいでゴールの北防波堤ドームまで戻ってくるのだが、そこを通り過ぎなければならないのが辛いところだ。
そこから4キロ程度の折り返しコースとなる。
折り返しコースに入って直ぐにかみさんとすれ違った。
かみさんも結構苦しそうだ。
5時間のペースメーカーともすれ違う。
ペースメーカーに付いて走っているのは二人しかいない。

日本最北端わっかない平和マラソン
折り返してからも北防波堤ドームがなかなか近づいてこない


ランナーで走っているのはその辺りまでで、それより遅い人たちは殆どが歩きである。
私は早歩きもできなくなって、この辺りではキロ10分ペースまで落ちてしまう。

最後の北防波堤ドーム沿いのコースくらい走りたかったけれど、やっぱり足が攣るので歩くしかない。
ゴールする人も疎らなので、係りの人がわざわざ一人一人にゴールテープを張ってくれる。
私は歩きながらそのゴールテープを切った。

日本最北端わっかない平和マラソン
ここまで来てもまだ走れすに、走っているランナーに追い越される


私のタイムはネットで5時間22分45秒。
2017年の別海マラソンから5回連続で5時間切りを続けていた記録は途絶えてしまったけれど、その前にフルマラソンを走っていた頃のタイムよりは早かったのが救いである。
それに途中で膝が痛くなることも無く完走できたのは収穫だった。
この先もまだマラソンを続けられそうなことを証明できたのだ。

かみさんのタイムは4時間36分46秒。
最初のハイペースと今日の暑さが影響したようだ。

日本最北端わっかない平和マラソン
制限時間は6時間なので私がゴールした後からも次々にランナーが入ってくる


この大会ではゴールしたその場で紙の記録証を貰えない。
後で自分で印刷するしかないのだけれど、ゴールして直ぐに自分のタイムを知れないのは何となく張り合いがない。

それと、大会後に自分の写っている写真を探すのも楽しみの一つなのに、この大会では写真販売も無いのだ。
どおりでゴール地点にカメラマンが居なかったわけである。
スタッフらしき人がゴールで写真を撮っていたようだけれど、その写真も公開されない。
今まで大会毎の写真を集めていたのに、今回はかみさんもカメラを忘れてきたので、私の走っている写真は無し。

このタイムではリベンジも考えなければならないところだけれど、稚内マラソンを走るのは今回が最後になりそうだ。



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