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我が家のファミリー通信 No.86-6

奈良旅六日目(山の辺の道)

奈良旅六日目の日曜日。
山歩きならば人も少ないだろうと考えて、山の辺の道を歩くことにした。
東海自然歩道の一部で、奈良盆地の東の山麓に続き、日本最古の道とも言われている。

午前8時過ぎにはJR天理駅に降り立つ。
奇妙なデザインの駅前広場は2017年にオープンしたばかりで、古墳をモチーフにしたものらしい。

天理駅前広場コフフン
天理駅前広場 コフフン


そこから1キロ近くも続くアーケード街を歩いていく。
日曜日の朝で、歩く人も殆どいない。

天理本通
アーケード街の天理本通り


天理教の法被を着て歩いている人を見て、さすが天理市だと感心していたが、その後徐々に天理市が巨大な宗教都市であることが分かってきた。
アーケード街から外れてみると、千と千尋の神隠しに出てくるような変わった造りの巨大なビルが立ち並んでいる。
巨大な煙突も建っていて、一体ここは何をする建物なのだろうと考えてしまう。。
例えは悪いけれど、某宗教団体のサティアンが思い浮かんできた。
「何か変な物でも作っているんじゃないだろうか?」


初めてこの建物を見た時は本当にビックリした


後で調べてみると、信者の詰所とか学校とか病院とか、天理教関係の建物は殆どがこの様式で立てられているようだ。
アーケード街を抜けると天理教教会本部の立派な寺院に圧倒される。
多分、奈良の何処の寺よりも大きいのだろう。

天理教教会本部
天理教教会本部


道路を挟んだ反対側には、花が飾られた幅の広い道路が続き、その先には例の様式の立派な建物が建っている。
私の家の近くや実家の田舎町にも天理教の分教会があるが、その様子を見た限りで、天理教に対してちょっと寂れた宗教団体のイメージを持っていた。
しかし、その実態は全く違っていたのである。
一体どれだけの信者からどれだけのお金を集めればこれだけ立派な街を作れるのだろうと、恐れさえ感じてしまった。

天理大学
天理大学の建物らしい


そんな驚きに包まれながら、山の辺の道のスタート地点でもある石上神宮までやって来た。
境内に入って行くと鶏の鳴き声が聞こえてきた。
参道を鶏たちが自由に歩き回っている姿に面食らう。
この鶏に特に謂れは無いようだが、時を告げる鳥として神聖視され、40年前に奉納されて以来、神社の人気者になっているらしい。
石上神宮の拝殿は鎌倉時代初期の建築で、現存する日本最古の拝殿として国宝に指定されている。

石上神宮
国宝の石上神宮拝殿で参拝


その立派な拝殿に参拝し、いよいよ山の辺の道トレッキングのスタートである。
神様のお使いでもある鶏に挨拶して、歩き始めた。

石上神宮
鶏に睨まれて近づけないでいるかみさん


 

間もなくして内山永久寺跡へとやって来た。
昔は東大寺や興福寺、法隆寺に継ぐ寺領を有していたらしいが、今は桜が綺麗に咲く池が残るだけである。
現地の看板によると、明治の神仏分離・廃仏毀釈により壮麗を極めた堂宇や什宝はことごとく破壊、略奪されたとのこと。
明治政府の政策により、日本全体でどれだけの貴重な建物や宝物が失われたのかと思うと、本当に腹が立ってくる。

内山永久寺跡
内山永久寺の跡として残っているのはこの池だけ


道の周りは、果樹園や水田、竹林に集落と次々に様子を変え、その舗装もアスファルトや土、石畳と様々である。
桜が咲き、柑橘が実を付ける。
遠くに奈良盆地が見え、所々に歌碑が立つ。

山の辺の道
竹林の中の石畳の道


山の辺の道
集落の間を抜ける道も楽しい


日本の原風景とはこんなものなのだろうか。
そう思えるような風景が広がり、歩いていて楽しくなってくる。
熊野古道を歩いた時も楽しかったが、この道は熊野古道とは全く違った趣があるのだ。

山の辺の道
田園風景の中に続く道



天気も良くて歩くのが楽しい


夜都伎神社や竹之内環濠集落など途中の観光スポットも、それぞれは大したものではないけれど歩いている途中にあるアトラクションとして十分に楽しめる。

竹之内環濠集落
家の周りに濠をめぐらす環濠集落


山の辺の道沿いには沢山の古墳もある。
不自然に盛り上がった場所などは、その殆どが古墳と考えて間違いないだろう。
所々に古墳を説明する看板も建っていて、それが無ければ古墳と気付かずに通り過ぎてしまいそうだ。

西山塚古墳
西山塚古墳、これくらいだと直ぐに古墳だと分かる


衾田陵の標識を見つけて脇道に逸れる。
衾田陵は継体天皇の皇后の墓と伝わる前方後円墳で、西殿塚古墳と名前が付いている。
畑の中の道で迷っていると、果樹園で作業していたおじさんが親切に教えてくれた。

その果樹園の中に土盛りしたような場所が有ったので「それも古墳なのですか?」と聞いてみると、その山の上で篝火を燃やし、ここで松明に火を点けて衾田陵まで歩いていったらしいとのこと。
地元の人でなければ知らないようなそんな話を聞けて嬉しくなる。


果樹園の中のこんな小山にも古い歴史があるのだ


小さな神社があったので、とりあえず手を合わせておいたが、調べてみると大和稚宮神社は大和神社の境外末社で、大和神社のお祭りではここが神輿の到着地となり賑わうらしい。
歴史のある奈良は本当に奥が深い。

大和稚宮神社
神社境内に置かれている石、こんな石にも古い謂れがあるのだろう


その後も美しい里の風景の中を歩いていく。
民家の庭先から煙が上がっているのが見えた。
ゴミを燃やしているだけかもしれないが、奈良に都があったころから家々で煮炊きをする煙がこうして上がっていたのだろうと思うと、そんな風景にも感動する。

山の辺の道
1400年前から変わらない風景なのかもしれない



次に訪れた長岳寺は平安時代に空海が創建したという古寺で、結構な規模の寺である。
桜が美しく咲いていたが、その他の時期でも四季折々の花が楽しめ、花の寺としても親しまれているようだ。
散り始めた桜の花びらが池に浮かび、なかなか美しい。

長岳寺
花の寺長岳寺の池


その先の山の辺の道沿いに天理市トレイルセンターがあり食事もできる。
私たちは別の場所で昼食を食べる予定だったけれど、様子だけ見るのに立ち寄る。
結構な人がいて驚いたけれど、ここは山の辺の道を歩く人のための施設というより、食事のできるレジャー施設といった感じなのだろう。

崇神天皇陵の横を通り過ぎる。
全長230mの前方後円墳で満々と水をたたえた濠に囲まれている。

崇神天皇陵
崇神天皇陵


私たちはその先で一旦国道まで降り、景行天皇陵の前にある麺処の「大和まほろば」に入る。
天皇陵の拝所は店から直ぐの場所にあったが、私はこの様な天皇陵などの拝所には全く有難味を感じないので、そこには寄らずに山の辺の道へと戻る。
その途中に満開の桜の木があって、下にベンチも置かれていたので、そこで一服させてもらう。


桜の木の下で一服


桜の木の前にある民家の周りには、大きな石が何個も無造作に転がっていた。
その石はどう見ても、そこらの古墳から出土した石としか思えない。
この辺りではちょっと地面を掘れば、そこら中から古代の石積みなどが出てくるのだろう。


民家の軒先に転がっている石も、ただの石ではなさそうだ


途中でビュースポットと書かれた小さな手書きの看板を見つけて脇道に逸れる。
少し登った先には、大和三山を見渡せる素晴らしいビュースポットが待っていた。

山の辺の道
ビュースポットからの展望、奥に見えるのが葛城山と金剛山、手前の小さな山が大和三山


相撲神社へと向かう途中の小さな休憩スポットに纏向遺跡の説明版があった。
それによるとこの辺りは邪馬台国の東の候補地jと考えられているらしい。
そこから見る風景に古代のロマンを感じてしまう。

その先の相撲神社は社殿も無く鳥居があるだけ。
土俵らしい盛り土があったけれど、残念ながらその上にはブルーシートがかけられていた。
しょうがなく力士の像の前で記念撮影して、道へと戻る。

相撲神社
相撲神社なもので


その後、檜原神社、玄賓庵、狭井神社と回っていくと、次第にハイカーとすれ違う数が多くなってきた。
特に興味を持つような施設でもなく、道からの眺めも特筆する様なものも無く、余計に疲れが増してくる気がした。
何せ、ここまで20キロ近くを歩いてきているのだ。
そしてようやく山の辺の道の終点、大神神社までやって来た。

山の辺の道
ここでは農村の風景の方が楽しく歩ける気がする


そこで驚いたのは、田舎の神社の初詣くらいの賑わいだったことである。
本殿を設けずに拝殿の奥にある三つ鳥居を通してご神体の三輪山を拝する大神神社。
それ以外にこれといった特徴も無いように思えるのだが、奈良の人々はそんなに信心深いのだろうか。

大神神社
山の辺の道の終点大神神社


この御神体の三輪山には登拝料300円を払って登ることもできるのだが、それは登山ではなくお参りが主眼となる。
2時間もあれば往復できるみたいなので興味はあったけれど、さすがに20キロ歩いた後で山に登る気にはならない。
それに、この山は神域なので写真撮影も禁止なので、それでは登る楽しみも半減だ。

ここで今日の山の辺の道トレッキングは終了。
参道を三輪駅に向かって歩いていくと、これから参拝に行く人達と次々にすれ違う。

大神神社
日曜日なので参拝者も多い


午後2時半に三輪駅に到着。
結局、天理駅をスタートしてから21キロを歩いたのである


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