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我が家のファミリー通信 No.57

洞爺湖マラソン


我が家にとって2回目のフルマラソンチャレンジ。
5月の洞爺湖マラソンか6月の千歳マラソン、どちらにしようか迷ったけれど、走って楽しそうなのは洞爺湖の湖畔をぐるりと一周する洞爺湖マラソンの方である。
そう考えてエントリーしたのだけれど、一つ誤算があった。
洞爺湖マラソンメインステージそれは夫婦揃ってシラカバ花粉症の私達。その症状が最悪の頃にマラソン大会を迎えてしまったのだ。
走るのにはそれ程影響はないけれど、鼻水や涙をダラダラと垂らしながら走るのは気持ち良いものではないのである。

グリーンステイ洞爺湖に前泊して、午前6時前に会場に到着。
既に洞爺湖文化センター前の駐車場は満車。でも、その近くの臨時駐車場に入れたのでまずは一安心。
私達の隣に入ってきたのがしげさんの車だったのにはビックリした。キャンプ場を出たところから、我が家の車の後ろを走っていたらしい。
この臨時駐車場も15分程で満車になってしまった。
会場近くに車を停めようと思ったら、午前6時過ぎ頃までには来なければならないようだ。

スタート地点へと向かう人の列昨日と比べて湖の波は治まっていたけれど、風もまだ少し吹いていて、肌寒さを感じるくらいだ。
ランニングシャツに短パン姿のランナーがとても寒そうに見えてしまう。

スタート場所は、タイムによって四つのゾーンに分けられて。ゼッケンの色もそれに合わせて白、青、黄、緑と分かれている。
私達はもちろん、一番遅い4時間以上でゼッケンは緑色である。
タイムはあくまでも自己申告制で、スムーズにスタートできるように区別しているにすぎない。
そうとは分かっていても、ゼッケンの色を見て「むむっ、こいつは速そうだぞ」なんて思ってしまうのだ。


テントが並ぶ湖畔 湖畔でストレッチ
湖畔にはベース基地用のテントがずらり スタート地点へ向かう前にストレッチ

スタート前去年の別海マラソンと比べると参加者が段違いに多いので、後ろの方だとスタート前のセレモニーで何をやっているのか全然わからない。
そのうちに微かなピストルの音が聞こえて、それと同時に大きな集団が動き始めた。
その動きが私達のところに伝わってくるまでにやや時間差があり、まずはゆっくりと歩き始める。
スタート地点が近付くころになって、ようやく走り始めることができた。

去年の別海マラソンで自分の脚力不足を痛感したので、その後はLSDトレーニングを多めに取り入れるようにしていた。
そして、3月4月と200キロ以上走り込んで、その間に3時間走4回と30キロ走2回をこなしていた。
本番3週間前の最後の30キロ走のタイムは3時間9分。自分としては必要十分な準備をしてきたつもりである。

今回の目標は、歩かずに完走すること。そして5時間を切ることの二つだった。
後者の方は、一応の目標にはしていたけれど、内心では4時間40分くらいで走れるだろうと見込んでいたのである。

折り返し地点まではキロ6分20秒のペースを保ち、30キロを過ぎて余力があれば少しずつスピードアップする作戦だった。
温泉街を抜けると、走るコースが1車線に規制される。
前の方から遅れてくる人、後ろから追い抜いてくる人とが混ざりあって、走りづらくてしょうがない。
常にGPS腕時計でラップタイムを確認し、周りのペースに惑わされないようにする。

湖畔の道を走る気温も低めで汗もあまりかかないけれど、5キロ毎の給水ポイントでは確実に水分を補給する。
最初のエイドでは美味しそうな温泉まんじゅうがあったので、欲張ってそれを二つも手にとった。
でも、温泉まんじゅうはお茶を飲みながら食べるもので、それを走りながら口に頬張ると、むせてしまうことが良く分かった。

仲洞爺のキャンプ場付近では、キャンプ場の横を通り抜ける道路にコースが切り替わる。
オートサイトにはキャンピングカーが何台も停まっていた。
その前でキャンパーが声援を送ってくれている。
それはそれで良いのだけれど、リラックスチェアーに深く腰掛け、足を組んだ姿勢から「頑張れ〜」と言われても、一生懸命走っているこちらとしては、正直あまり嬉しくはない。

そのオートサイトの端の方に停まっていた一際大きなキャンピングカーから降りてきたインド人風の男性。
直ぐに気が付いて「ヘーイ、ムスターク!」と声をかけたら、彼も「オーッ、ヒサシブーリ」と答えてくれた。
でも、彼とは美笛で一度会ったことがあるだけなので、後になって「あれは誰だったのだろう?」と悩んでいたかもしれない。

道路沿いの花壇仲洞爺キャンプ場がちょうど15キロ地点になっていて、そこで当初の予定通り栄養補給ジェルを一つ飲んだ。
今回はこれを二つ用意していたので、もう一つは30キロで飲む予定である。

その先では、何処かの施設の入居者らしき人たちが車イスから応援してくれていた。
このような人たちから声援を送られると、「こうして走ることができる自分はもっと頑張らなくては」と、本当に励みになる。
リラックスチェアーに腰掛けたオートキャンパーからの声援とでは、ありがたさが違っていた。

22キロあたりからコースは湖畔を離れて山の中へと入っていく。
ココがコース中の一番の難所らしい。
湖畔を離れるということは、その先が上り坂になるということである。
その登りが延々と3キロも続くのである。

一本道の往復コースただ、それ程急な坂ではないので、これまでの6分20秒ペースは何とか維持できている。
それまで大人しく私の後ろを走っていたかみさんが、ここにきて前に出てきた。
去年の別海では、中間地点から先に行かれたが、それは多分私のスピードがそこで落ちたから。
今回は、私もまだ頑張っていた。
周りでは苦しそうな表情を浮かべるランナーが増えていたが、私はまだ余力が残っている感じだ。
途中から折り返すこの一本道で、私のマラソン師匠のこうめさんとすれ違うだろうが、その時は元気な姿を見せられそうだ。
その前に、しげさんとすれ違った。かなり速いペースで飛ばしているようだ。

一本道を走れども走れども、折り返し地点がなかなか見えてこない。
坂道を登りきった先が折り返しだろうと思って走っていくと、更にその先までランナーの列が延々と続いていて、さすがにうんざりしてしまう。

一本道を下る次にこうめさんとすれ違った。
そして、ようやく折り返しが見えてきた辺りでかみさんとすれ違う。
かみさんとの距離はまだそれ程離れていない。
折り返し後は湖まで下り坂。
ここまではなかなか良いペースで走ってきていた。
別海では23キロくらいから歩き始めていたことを考えると大した進歩である。

しかし、下り坂に入っても、思ったようにスピードが上がらない。
登りよりも遅くなっているくらいだ。
再び湖畔の道路に出てくる頃には、キロ7分までペースが遅くなっていた。
上り坂で調子に乗り過ぎたのかもしれない。

やっとの思いで30キロポイントまでたどり着いた。
残りの栄養補給ジェルを飲み、エイドのバナナを食べ、ようかんと塩飴をポケットに入れる。
近くに公衆トイレがあったので、そこで用をたす。
5キロごとにしっかりと水分補給をしていたのだが、その割に汗をかかないので、とった水分がそのままオシッコになってしまったようだ。

温泉街が見えてきた栄養補給をして、出すものも出して身体も少し軽くなって、再び元気に走りだす。と思っていたのに、ラップは相変わらず7分台だ。
33キロを過ぎたところで、とうとう立ち止まってしまった。
でもこれは、景色を撮影するのに立ち止まったのであって、疲れて歩き出したわけではない。
そう、自分に言い訳をする。
カメラをしまって、この後は何とか35キロまで走り続けようと自分にムチを入れた。

ところが、35キロポイントにたどり着く前に、今度こそとうとう歩き始めてしまったのである。
湖の向こうにはゴールとなる温泉街が既に見えていたが、それが遥か遠くに感じてしまう。
次第に足が動かなくなってくる。何度も立ち止まっては足の屈伸やストレッチを繰り返し、スポンジで足を冷やす。


コース沿いに咲く桜 コース沿いに咲く桜
桜の花が綺麗だ 歩いているので写真を撮る余裕だけはある

ペースは8分台まで落ちていた。
歩かずに完走の目標は既に失敗に終わっていた。こうなるともう一つの目標、5時間切りだけは達成したい。
残り4キロの看板。現在のタイムは4時間24分。残りを8分ペースで走れば、十分に5時間は切れる。
そこからの1キロは7分台までペースも回復した。

ゴールまであと少しこれで行けるぞと思ったが、残り3キロで再び足が止まり、最後の2キロでは完全に足が動かなくなってしまった。
ペースは9分台後半。急ぎ足で歩くスピードより遅いのだ。
ゴールが見えてきて、応援する人も多くなってくる。
せめてこんな場所では走りたいのだけれど、足が動かない。
ゴール直前の100m、何とか走って、最後は両手を挙げてゴールゲートを通過した。

シューズに付けてあるランナーズチップをスタッフの方に外してもらって、そのまま芝生の上に大の字になって倒れ込んだ。
タイムは5時間4分。別海よりも8分短縮できたけれど、走り終えた後の疲れは今回の方が遥かに上回っていた。
ちょっと動かす度に足がつって、暫くの間起き上がることもできずにいたのである。

大の字に倒れ込んだ十分な練習をしてきたつもりでも、やっぱり最後は脚力不足を痛感。
いくら練習を積んでも、自分はフルマラソンを走りきることってできないんじゃないだろうか。
そんな風に自信を喪失した洞爺湖マラソンであった。

かみさんの方は4時間31分で別海の記録を2分くらい短縮。
一度も歩かずに頑張ったのに、別海と大して変わらないと不満そうにしていた。
それでも、ゴール近くで大きな集団をゴボウ抜きにしたことが嬉しかったみたいである。
しかし、それだけ余力が残っていたのなら、私のペースに付き合わなければもっと良いタイムを出せたはずである。

フルマラソンを走りきるのは本当に難しい。
二人でそれぞれの課題を持って、次は何処の大会に出場することになるのだろう。



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