次の走者は新人のM上君。
今年4月の千歳川例会では、生まれて初めて乗るカヤックで、恐らくわがクラブの千歳川での沈記録を確実に塗り替えたほどに沈を繰り返し、それでいて最後までとっても楽しそうに笑っていた不死身の新人なのである。
本人はあまり公にして欲しくないらしい元海上自衛隊と言う肩書は、やっぱり本物だった。
初めて走るモエレの周回コースも、7分00秒の立派なタイムで戻ってきて、次の走者、我がクラブのちゃりんこチーム監督であるI山さんに自転車を渡した。
I山のタイムも7分00秒で監督としての面目を保つ。
そして次はクラブのエースI上さん。
I上さんならば当然6分台で戻ってくるだろうと誰もが考えていたが、7分過ぎても戻ってこない。
これは何かトラブルが起きたのかと皆が心配し始めた頃、フラフラしながらピットに戻ってきたI上さん。
その口からは血がポタポタと流れ落ちていた。
我が家が持ってきていた救急セットで対応できるような怪我ではなく、そのまま救護ステーションに直行である。
そう言えば、場内放送で「本部前で落車です」とか言っていたけれど、まさかそれがI上さんだったとは誰も思っていなかった。
本部テントは私達のピットのすぐ先なので、そこで起き上ったI上さんは口から血を流しながら残りの区間を走りぬいて7分21秒で戻ってきたのだ。
驚異的な頑張りである。
その頑張りのおかげで、K池さんが作ってくれた貯金はまだ十分に残っていた。
しかし、次のT津さんの時に自転車トラブルに見舞われてしまった。
転倒の際にハンドルの取付が緩んでいたのだろう。それが、T津さんが走っている時に、完全に外れてしまったのである。
これではとても走っていられない。工具も用意していたので何とか直せたけれど、大きなタイムロスとなる。
次はクラブのドクターKが秘密兵器として送り込んできた若手のT平君である。
彼は昨年の千歳川例会で、ドクターKの命により生まれて初めてカヤックに乗せられ、危うく一度も沈しないで千歳川を下りきりそうになったと言う経歴を持つ。
現役ドクターでもあり、M君とは対照的な若手新人である。
ドクターKの秘密兵器がどんな走りを見せてくれるか皆の期待も膨らむ。
しかし、8分経過しても彼は戻ってこなかった。
これはまたしても転倒か、それとも車体トラブルか。
8分23秒後、ようやく彼はピットに戻ってきた。
遅れた原因は転倒でも車体トラブルでもなかった。ただ遅かっただけなのである。
後で周回毎の順位を確認すると、この段階で我がチームは35位まで後退していた。
でも、これで私も気楽に走れると言うものだ。
もしも5位6位ぐらいの順位で私に回ってきたらたまったものではない。今年は楽しく走れば良いと思っていたのに、これではそんなことは言ってられなくなる。
それでも、一旦ママチャリにまたがると、全力でこぐことに変わりはない。
折角のレースなのだからそれでなくては面白くないのだ。
去年は、足を痛めてランニングができなかったこともあり、大会前には結構自転車でのトレーニングを積んでいた。
しかし今年は、毎日の通勤で片道3キロをのんびりと走っているだけである。
走り始めて直ぐにトレーニング不足を痛感した。
ランニングで使う筋肉と自転車でのそれは全く違うのだろう。
途中からペダルを踏む足に力が入らなくなってくきた。
筋肉の種類は違っても、持久力はランニングも自転車も変わりはない。
後は気力だけで、一周3.5キロのコースを走りぬいた。
次のI田さんに自転車を渡すと、そのままフラフラと芝生の上にひざまずく。
初めてこのママチャリに参加した時は、ひざまずくどころか倒れ込んでいたので、その時よりは体力もついているのだろう。
そして自分のタイムを教えてもらってがっかりする。
それなりに頑張ったつもりが7分26秒。
去年は雨が降り続ける中、同じコースをもっと速いタイムで走ったはずなのである。
更に追い打ちをかけるようにガッカリさせられたのは、私の後に走ったI田さんとN友さんのタイムを聞いた時である。
それぞれ7分02秒と7分03秒。
二人とも去年は私と同じようなタイムで走っていたはずなのである。
一体、この一年の間に何が変わってしまったのだろう。
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