地雷原の餌食になるのには、景色に気を取られている他にもう一つ理由があった。
キノコが生えていないか、常に回りに気を配って歩いているせいもあるのだ。
我が家はキノコには詳しくないけれど、キノコを探すのは二人とも大好きなのである。
そして途中で美味しそうなキノコを発見。
「これって食べれる奴だよな〜」
「え〜、本当に大丈夫なの?」
何て言いながらとりあえず収穫して、かみさんのザックに詰め込む。
傾斜が急なところでは、杭を打って簡単な階段が作られていた。
これも保存会の方々の手によるものなのだろう。
その努力に感謝し、一歩一歩足元を確かめながら階段を降りる。
太島内川1の沢まで下ってきた。
昼食は何処か眺めの良い場所でと考えていたけれど、そんなところは海から吹きつける風も強そうなので、ここで昼を食べることにした。
清らかな沢水が流れ、なかなか良い場所である。
橋も架かっていたのか、沢の両岸に立派な石積みが残っていた。
車が走るような時代でもなかっただろうし、荷物を積んだ馬車がここを行き来していたのだろうか。
その様子を想像するだけで何となく楽しくなってくる。
食事を終えて再び歩き始める。
太島内川の2の沢を渡ると、そこにも色々な種類のキノコが生えていた。
その中から、かさのぬめりが強いのが何となく食べられそうなので、それだけを収穫する。
何となく二人の目が血走ってきた。
「もっと見つかりそうだぞ!」
そしてその先でまた、木の根元にびっしりと密生するキノコを発見した。
「おお〜、すげぇ〜、これってエノキじゃないのか?」
「え〜、ニガクリタケってこんな形じゃなかった?」
さすがにそれは自信が持てず、収穫するのは止めておいた。
家に帰ってから調べた結果、最初に収穫したのはムキタケで間違いないことが分かり、味噌汁に入れて美味しくいただいた。
ぬめりの強いキノコの方は種類を特定できず、食べるのは諦めた。
キノコの事を知らなくても、秋の山歩きではやっぱりキノコを探すのが楽しいのである。
この付近の濃昼山道は、沢を渡るときに若干の上り下りはあるものの、ほぼ等高線に沿って続いている。
陶磁器製の碍子が落ちているのを見つけた。途中で電柱の建っていたような跡も見ていたし、昔は山道に沿って電線が通っていたのだろうか。
昭和初期の時代ならば、現在の送電線の変わりに木製支柱の送電線があったとしても不思議ではない。
その他の人工物としては、沢を渡るところに作られている石積み程度だが、他にもコンクリートの塊のようなものがあった。
一見したところでは大きな岩にも見えるが、大小の石が混ざっているところを見るとコンクリートらしい。
かなり傾斜のきつい斜面で、仮にそれが建物の基礎だったとしても、一体何が建っていたのか興味深いところだ。
そのコンクリートの塊を抱き込むようにして育っている樹木もあった。その樹木は確実に樹齢50年以上はありそうな大 木に育っており、それから考えると明治時代か昭和初期の建物の遺構なのだろう。
昔の様子を想像しながら歩くのは、なかなか楽しいものである。
途中でけたたましいエンジン音が聞こえてきて驚かされる。
モトクロスのバイクでも走ってきたのかと思ったら、送電線の下で草刈り作業をしている音だった。
滝の沢トンネルの駐車場には我が家の他に2台の車が停まっていたが、この人達の車だったようだ。
それにしても、ここまではかなりの距離があり、急斜面での作業も大変そうである。
大沢は結構水量の多い沢だった。
もう少し水が増えると、ここを渡るのも難しくなりそうである。
濃昼から歩き始めて、もしもこの沢が渡れなかったとすると、再び濃昼まで歩いて戻らなければならない。
木の枝に引っ掛かっているゴミの位置から判断すると、この沢はかなり増水することもあるようで注意した方が良いだろう。
それにしても、予想していたよりもかなり時間がかかっている。
ネットからダウンロードした濃昼山道のパンフレットによると、全長8キロ、歩く時間は5時間半となっていた。
標高差も大したことは無く、全長8キロならば3時間で歩けるだろうと考えていたが、大沢を渡るところで既に3時間を超えている。
パンフレットでは、ここから滝の沢入り口まで更に1時間半かかることになっている。
全体で5時間半まではかからないにしても、昼食時に20分ほど休憩した以外は殆ど休んでもいない割には、時間がかかりすぎである。
後でGPSのデータを確認したところ、歩いた総距離は11キロ程になっていて、それでようやく納得がいった。
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