我が家のファミリー通信 No.40

秋の濃昼山道を歩く


 安政年間に開削され、昭和初期まで地元の人たちの生活道路として利用されていた濃昼山道。
 濃昼山道保存会の会員の手により草刈り等が行われた結果、2005年に濃昼から安瀬までの区間が全線を通して歩けるようになったと聞いてから、是非そこを歩いてみたいと思い続けていた。
 問題は、そこを歩き終えた後の車の回収である。バス路線があるけれど、現在は一日一便しか走っていない。
 しかし、地図で確認すると国道での移動距離は5キロ程度で、自転車ならばあっと言う間の距離である。
 と言うことで、キャンプへ出かける予定の無い週末、濃昼山道を歩いてみることにした。
自転車で車の回送 まずは濃昼山道の濃昼側入り口で荷物を降ろし、滝の沢トンネルを抜けた先の駐車スペースに車を停め、そこから自転車で濃昼まで戻る。
 この間の約5キロは、殆どがトンネルの中を走らなければならない。
 自転車でこんなトンネルの中を走るのは初めての経験だったが、本当に恐ろしかった。
 トンネル内にガンガンと響き渡る車の通行音。大型ダンプの通行も多く、追い抜かれる瞬間は風で煽られて自転車がふらつく。
 自分が車で走っている時、トンネル内で旅行中のチャリダーを追い抜くことが良くあるが、今回初めて彼らの気持ちを知ることが出来た気がする。
 まさに生きた心地がしない15分間だった。

濃昼山道入り口 濃昼側の山道入り口は以前は国道沿いにあったけれど、新赤岩トンネルが2008年秋に開通して道路が切り替わったので、現在は旧道の方に入り口があることになる。
 以前に見た時と随分様子が変わっていて、戸惑ってしまう。
 素晴らしい青空が広がっていた。
 紅葉も札幌よりは進んでいるかなと期待していたが、この付近でも紅葉は遅れているようで、周りの山の色づきはあまりパッとしない。
 ザックを背負い、熊避けの鈴を鳴らしながら歩き始める。
 手作りの小さな看板が道を示してくれる。
 山道と重なるように送電線が延びているので、所々でその管理用の踏み分け道と交差するが、この看板のおかげで迷うことは無い。
 最初のうちは、そんな踏み分け道と区別が付かない程の頼りない道だったが、次第にしっかりとした道に変わってくる。
 海岸沿いの国道が出来るまでは、この濃昼山道が住民の暮らしを支える道だったのだろう。
 その歴史は比べ物にならないけれど、何となく去年歩いた熊野古道に通じるものが感じられる。
 登山道や遊歩道を歩いている時とは違って、そこを歩いたいにしえの人々の足音が聞こえてくるような気がするのだ。
木漏れ日の射す濃昼山道 木々の間から射し込む木漏れ日が山道を照らす。
 濃昼峠まで緩やかな登りが続いている。
 峠の標高は357mなので、山道入り口からは、ほぼその標高差を登ることになり、軽い登山のようなものである。
 周りの樹木が大きく枝を伸ばしているので、見通しはあまり利かない。
 でも、大きな樹木が多いので、森の中を歩いているようで心地良い。
 カツラの甘い臭いが漂ってくる。
 山道沿いで目立つのはマムシグサの赤い実だ。
  ヤマブドウやコクワ、ツルアジサイなどの蔓が、縦横無尽に森の木々に巻き付いている。
 中には自分より太い蔓に巻き付かれた気の毒な樹木まである。
 なかなか厳しそうな、森の中の生存競争である。


マムシグサ 蔓が多い

送電線下は視界が開ける 送電線の下は樹木が切り払われているので、山道がそんな場所へ出てくると急に視界が開ける。
 そこには、シラカバの伐採木や切り株を利用した休憩所が作られていた。
 山道入り口からの距離標が木の枝にぶら下げられていたり、こんな休憩所があったりと、保存会の方々の心遣いがありがたい。
 そこから少し登ると、旧濃昼山道への分かれ道があった。
 江戸時代に最初に開削された道はそのルートで付けられていた様だが、草に覆われてその姿は確認できない。
 もしも当初の道の跡が残っているのであれば、そこも歩いてみたいものである。


手作り距離標識 丸太の休憩所

美しい景色を送電線が邪魔する 山道は尾根を越えて、日本海に面した斜面へと出てきた。
 それまでは山の風景ばかりだったのが、ここからはそれに海の風景も加わり、ますます眺めが良くなってくる。
 残念なのは、その風景の中に必ず送電線が入ってしまうことである。
 送電線の下でなければ見通しが利かないので、これは我慢するしかない。
 そして、そこに付けられた道は、樹木が生えていないため、足を踏み外せばそのまま急斜面を転がり落ちることになり、その恐怖にも耐えなければならない。
 山道の横に「眺めが良い」と書かれた矢印の看板があったので、山道から外れて矢印の方向へと登ってみる。
 そこは送電線の敷地の一番高い場所で、山の南側の緩やかに円弧を描く石狩湾の海岸線が見渡せた。
 今まで登ってきた方向を振り返ると、増毛・樺戸山地へと続く延々たる山の連なりが広がっている。
 そこが展望台の代わりになっていて、濃昼峠の看板が立っている場所自体は、樹木に囲まれて展望は利かない。
 濃昼の入り口から濃昼峠まで1時間10分ほどかかっていた。


転がり落ちそうな道 濃昼峠の向こう側の眺め

濃昼峠からの風景

濃昼峠を越えると林内が明るくなってきた 峠を越えると南向きの斜面に沿って山道が続くので、日当たりも良くなり、何となく周囲の森の雰囲気も明るくなったような気がする。
 林床が常緑の針葉樹に覆われているのはハイイヌガヤの群落だろうか。
 斜面に生えている木は、ことごとく根元が曲がった状態で育っていて、この付近の積雪の多さが窺われる。

 かみさんはクマやヘビを警戒しているのか、歩き始めてからずーっと私の前に出ようとしない。
 そのかみさんが後ろで「キャッ」と声を上げた。
 何事かと思ったら、道の真ん中に黒々としたウンコが転がっていたのだ。
 キツネにしてはその量が多すぎるし、もしかしたらクマさんの落し物かもしれない。
 しかし、よく見るとその周りにも同じようなウンコが転がっていた。
 クマが毎回同じ場所に糞をするなんて聞いたことが無いので、これは多分タヌキの溜め糞だろうとの結論になる。
 気が付くと、その溜め糞が結構そこら中にあるのだ。
 一つだけなら運良く通り過ぎることもあるけれど、それが溜め糞ともなると、まるで地雷原の中を歩くようなものである。
 周りの風景を眺めながら先頭を歩く私は、何度かその地雷原の餌食となってしまった。


南斜面は日当たりが良い 明るい濃昼山道

ムキタケ 地雷原の餌食になるのには、景色に気を取られている他にもう一つ理由があった。
キノコが生えていないか、常に回りに気を配って歩いているせいもあるのだ。
我が家はキノコには詳しくないけれど、キノコを探すのは二人とも大好きなのである。
そして途中で美味しそうなキノコを発見。
「これって食べれる奴だよな〜」
「え〜、本当に大丈夫なの?」
何て言いながらとりあえず収穫して、かみさんのザックに詰め込む。

 傾斜が急なところでは、杭を打って簡単な階段が作られていた。
これも保存会の方々の手によるものなのだろう。
その努力に感謝し、一歩一歩足元を確かめながら階段を降りる。
太島内川1の沢で昼食  太島内川1の沢まで下ってきた。
昼食は何処か眺めの良い場所でと考えていたけれど、そんなところは海から吹きつける風も強そうなので、ここで昼を食べることにした。
清らかな沢水が流れ、なかなか良い場所である。
橋も架かっていたのか、沢の両岸に立派な石積みが残っていた。
車が走るような時代でもなかっただろうし、荷物を積んだ馬車がここを行き来していたのだろうか。
その様子を想像するだけで何となく楽しくなってくる。

 食事を終えて再び歩き始める。
太島内川の2の沢を渡ると、そこにも色々な種類のキノコが生えていた。
その中から、かさのぬめりが強いのが何となく食べられそうなので、それだけを収穫する。
名前の分からないキノコ 何となく二人の目が血走ってきた。
「もっと見つかりそうだぞ!」
そしてその先でまた、木の根元にびっしりと密生するキノコを発見した。
「おお〜、すげぇ〜、これってエノキじゃないのか?」
「え〜、ニガクリタケってこんな形じゃなかった?」
さすがにそれは自信が持てず、収穫するのは止めておいた。
家に帰ってから調べた結果、最初に収穫したのはムキタケで間違いないことが分かり、味噌汁に入れて美味しくいただいた。
ぬめりの強いキノコの方は種類を特定できず、食べるのは諦めた。
キノコの事を知らなくても、秋の山歩きではやっぱりキノコを探すのが楽しいのである。

碍子が落ちていた この付近の濃昼山道は、沢を渡るときに若干の上り下りはあるものの、ほぼ等高線に沿って続いている。
 陶磁器製の碍子が落ちているのを見つけた。途中で電柱の建っていたような跡も見ていたし、昔は山道に沿って電線が通っていたのだろうか。
 昭和初期の時代ならば、現在の送電線の変わりに木製支柱の送電線があったとしても不思議ではない。
 その他の人工物としては、沢を渡るところに作られている石積み程度だが、他にもコンクリートの塊のようなものがあった。
 一見したところでは大きな岩にも見えるが、大小の石が混ざっているところを見るとコンクリートらしい。
コンクリートを抱え込む木 かなり傾斜のきつい斜面で、仮にそれが建物の基礎だったとしても、一体何が建っていたのか興味深いところだ。
 そのコンクリートの塊を抱き込むようにして育っている樹木もあった。その樹木は確実に樹齢50年以上はありそうな大 木に育っており、それから考えると明治時代か昭和初期の建物の遺構なのだろう。
 昔の様子を想像しながら歩くのは、なかなか楽しいものである。

 途中でけたたましいエンジン音が聞こえてきて驚かされる。
 モトクロスのバイクでも走ってきたのかと思ったら、送電線の下で草刈り作業をしている音だった。
 滝の沢トンネルの駐車場には我が家の他に2台の車が停まっていたが、この人達の車だったようだ。
 それにしても、ここまではかなりの距離があり、急斜面での作業も大変そうである。

 大沢を渡る大沢は結構水量の多い沢だった。
 もう少し水が増えると、ここを渡るのも難しくなりそうである。
 濃昼から歩き始めて、もしもこの沢が渡れなかったとすると、再び濃昼まで歩いて戻らなければならない。
 木の枝に引っ掛かっているゴミの位置から判断すると、この沢はかなり増水することもあるようで注意した方が良いだろう。

 それにしても、予想していたよりもかなり時間がかかっている。
 ネットからダウンロードした濃昼山道のパンフレットによると、全長8キロ、歩く時間は5時間半となっていた。
 標高差も大したことは無く、全長8キロならば3時間で歩けるだろうと考えていたが、大沢を渡るところで既に3時間を超えている。
 パンフレットでは、ここから滝の沢入り口まで更に1時間半かかることになっている。
 全体で5時間半まではかからないにしても、昼食時に20分ほど休憩した以外は殆ど休んでもいない割には、時間がかかりすぎである。
 後でGPSのデータを確認したところ、歩いた総距離は11キロ程になっていて、それでようやく納得がいった。


濃昼山道の風景

 ここから先は滝の沢を越えるだけだが、パンフレットには沢の別名として馬鹿臭い沢となっていた。
 ゴールを目前にして、沢を渡るために大きく迂回しなければならないから馬鹿臭く感じるのか、その名の由来は不明である。
 この通称馬鹿臭い沢は、流木も多く随分と荒れている印象だった。
 鉄砲水が走って山道がごっそりとえぐられた様なところもある。

濃昼山道歩きも終了 そしてようやく海岸線へと降りてきて、4時間半の濃昼山道歩きは終了した。
 驚いたのは、途中で見かけた下草刈りの作業をしていた人達が既にそこに降りていたことである。
 聞いてみると、トンネルの途中に直接降りてこられる場所があるらしい。
 一般の人がそこを降りるのはお勧めできないと言っていたが、ネットで濃昼山道のことを調べている時、沢が渡れなくてトンネルの途中に降りてきた話しを読んだような気がする。
 何れにせよ、その詳しい場所を知っている人がいなければ、歩かない方が無難である。

 想像していた以上に楽しい濃昼山道だった。
 ここを歩くのならば、紅葉の綺麗な今時期が一番良さそうだけれど、野の花も楽しめるような季節にもう一度歩いてみたいものである。

2010/10/16 
濃昼山道の写真 



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