我が家恒例の年に一度の温泉旅行、テント以外で寝られる唯一の貴重な機会である。
職場の福利厚生の助成制度があって、毎年その助成のポイント全てをこの温泉旅行に当てるのだけれど、このポイントで泊まれるホテル等はJCBカードの利用できる施設との制約がある。
まず最初に「十勝岳温泉凌雲閣で絶景の露天風呂と三段山パウダースノー満喫ツアー」と言うマニアには垂涎ものの企画を立てたのだけれど、残念ながら凌雲閣はカードが使えなかった。
この近くではカードを使えるのは国民宿舎カミホロ荘しかない。凌雲閣には乗り気だったかみさんも、カミホロ荘の話しをしたら「え〜っ、こくみんしゅくしゃ〜ぁ」と、年に一度の温泉なのに国民宿舎なんかには泊まりたくないと言った様子だ。
ここは最近リニューアルしたばかりで、変なホテルに泊まるよりは快適だと思うのだけれど、かみさんはどうも国民宿舎に対して偏見を持っているようである。
そこで、かみさんに納得してもらえるように少しは名の通ったホテルと言うことで選択したのが、層雲閣グランドホテルである。
層雲峡温泉にはしばらく泊まったことが無かったし、ロープーウェイに乗って冬の黒岳の姿も見てみたい。かみさんも直ぐに賛成してくれたので、今年の温泉泊は層雲峡温泉に決定。
ところが、温泉に泊まろうと考えたその日には、ニセコ雪中キャンプの計画が先に入っていた。
どちらかをずらせば良いだけの話なのだが、キャンプの方は雪の状態や月明かりの具合から言ってもこの日がベストだし、ホテル泊の方も今年度のポイントの使用期限が迫っていて、もしもこの後休みが取れなかったりしたらそのポイントを捨ててしまうことになる。
無料で泊まれる高級温泉ホテルとテント泊のどちらを選ぶか?
普通はここで迷うことは絶対に無いと思うのだけれど、私にとってはこの両者が全くの同レベルなものだから、究極の二者択一になってしまう。
前日になってもまだ決められず、11時発表の天気予報で最終判断することにした。
そしてその天気予報によると、ニセコ方面の明日の天気は曇り。それでは月明かりのキャンプは期待できない。
これでようやく温泉旅行の方に軍配が上って、ホテルに予約を入れることが出来たのである。
これまで層雲峡をゆっくりと観光したことは無かった。
昔は国道を走りながらでも柱状節理の断崖の風景を楽しむことができたが、1995年に延長3,388mと道内で2番目に長い銀河トンネルが完成した後は、旧道を利用した遊歩道を歩かなければその景観を見られなくなっている。
一度はそこを歩いてみようと思っていたのだけれど、層雲峡はオホーツクへ抜けるための通過点地点と言った感じで、いつも車で通り過ぎるだけの場所だった。
今回はちょうど良い機会なので、そこをスノーシューで歩いてみるつもりでいた。
ところが現地に来てみると、遊歩道の入り口ゲートは堅く閉ざされていて、立ち入りを禁止する内容の看板まで立てられている。冬季間閉鎖されているのは知っていたけれど、立ち入り禁止看板まで立てられるとさすがにゲートを乗り越えるのは気が引けてしまう。
曇り空のうえに雪も降り始め、他にスノーシューを楽しめるような場所もないので、サッサとホテルにチェックインすることにした。
温泉に入ってビールを飲んで、夕食までまだ時間があるので家から持ってきた星野道夫の本を読む。
家にいる時は、こうしてゆっくりと読書をするような時間もなかなか取る事ができないので、何だかとても優雅な時をすごしている気持ちになる。
窓の外では雪の降り方が更に強まっていた。
もしも今頃キャンプへ行っていたら・・・。
先日の旭岳ではこんな天気の中でキャンプをしていたものだから、その様子がとてもリアルに頭の中に浮かんでくる。
今の状況とのあまりものギャップの大きさに、その事を想像するだけでも恐ろしい。
それなのに、窓の外の雪の降り方が少し弱まると、「もしかしたら今頃はニセコの空も晴れていて、美しい月が空に浮かんでいるかも」なんて考えが直ぐに頭に浮かんでくるのが困ったものである。
明日の天気予報は晴れのち曇り。明朝の素晴らしい雪景色を期待しながら、シュラフではなく快適なベッドの上で眠りに付いた。
朝、目を覚まして勢いよくカーテンを開ける。
「・・・・・。」
そこには昨日とまるで同じ風景が広がっていた。
朝風呂に入って、朝食を済ませてもまだ、晴れてくるような気配は全然ない。
ロープーウェイに乗って山に登っても、雲に覆われて何も見えなければ往復1,750円のお金が無駄に消えてしまう。
ホテルを出る頃には少し日も射してきたので、昨日ゆっくりと見られなかった銀河の滝、流星の滝の写真を撮りに行くことにした。
滝の前の駐車場までやって来てビックリ。観光シーズンでもない、しかも土曜日の朝だというのに、既にそこには観光バスがずらりと並んでいるのだ。
今でこんな状態なら、観光シーズンには絶対に近寄りたくないところである。
完全に凍りついた銀河の滝はアイスクライミングの場所としても知られているので、その滝の真下まで行ってみたかったけれど、川を渡れそうなところが何処にもない。
しょうがないので、一般的な撮影ポイントから滝にカメラを向けるけれど、全く同じような構図でこれまでに何百万枚もの写真が撮られているのだろうと考えると、撮影意欲が全然湧いてこない。
滝とは反対側の崖の上に双瀑台と言う展望台があり、そこまで登れば両方の滝が一目で見られるとのことである。
雪の無い季節ならば階段で登れるけれど、今は雪がまだ残っているので、さすがにそこまで登る物好きはいないみたいだ。
でも、その物好きが私なのである。観光客で溢れる層雲峡の中に残された僅かな穴場ポイント、まして冬ならば登る人も殆どいない。
そんなところにこそ写すべき価値のある風景があるかもしれない。
そう思ったものの、今日の天気では苦労して登ってもそれに見合うだけの風景は期待できそうに無いので、物好きな私もその途中まで登ってみただけで諦めることにした。
今度は、そこから銀河トンネルを抜けたところにある駐車場に車を停め、スノーシューで大函の方に歩いてみることにする。
そこには車が1台停まっていた。
かみさんによると、昨日ロープーウェイ駅の様子を見に行った時、そこの駐車場に停まっていた車だそうだ。
もしも昨日の悪天候の中を黒岳に登っていたとしたら相当のつわものだろう。もしかしたら小函の閉鎖されている遊歩道を歩いているのかもしれない。
同じようなことを考えている人間がいるものだと何となく嬉しく感じたけれど、直ぐにその後、私達夫婦のように冒険ごっこをして喜んでいるレベルの人たちではなかった事を知らされた。
彼らのものらしい足跡は、層雲峡の柱状節理の断崖を登ってその上へと消えているのである。切り立った断崖の中でちょうどその部分だけが少し崩れているので、何とか登ることが出来るみたいだ。
一体ここを登って何処へ行くつもりなのだろう。
断崖の上がどうなっているのか少し興味を惹かれたけれど、危ない真似はしないで、そのまま旧道の橋の上まで歩いて大函の景観を楽しんだ。
小函の方では結構な水量があったけれど、こちらの大函の中は真ん中をチョロチョロと水が流れているだけで、ほとんどが雪に埋もれている。
「これなら、大函の中を歩けそうだぞ・・・」
その付近には川まで下りられそうな場所が無かったので、一旦戻って上流側の駐車場へと車を回す。
冬以外はお土産屋も営業しているような観光客が集まる場所である。冬季間は正式に駐車場が除雪されているわけでもないので、間違って入ってきた観光客の車が雪に埋まってあずっていた。お土産屋も雪に埋もれて今にも潰れそうだ。
柵で囲まれたそこの園地からは、柱状節理の断崖が川の両岸にそそり立った観光パンフレットに良く載っているのと同じ風景を楽しむことができる。
他に展望できる場所が無いので、大函の風景はここか先ほどの旧道の橋の上からしか見ることが出来ない。
どうしても見たければ川の中をカヌーで下るしかない。去年の秋に、私の入っているカヌークラブのメンバーがここを下っており、その話を聞いてとても羨ましく思っていたのだ。
今はその大函の中を歩くことが出来る。
スノーシューを履いて、ほとんどが雪に埋もれている園地の柵を難なくまたぎ超えた。小函の遊歩道には立ち入り禁止の看板が立てられていたが、ここにはそんな表示も無い。
管理者がいるような施設では、管理責任を問われないためにもそんな看板が必要になってくるのだろうが、大函の中にいたっては完全な管理区域外。そんなところに勝手に入り込んで運悪く落石にぶつかって死んだとしても、それは入った人間の責任なのである。
しかし、もしも本当にそんなことが起こったとしたら、その人間の責任とは言いながらも川を管理する開発局などが「危険なので大函の中には入らないでください。」と書いた看板を立てることになるのだろう。
今の日本に、本当の意味での自己責任という言葉は存在しないのである。
そんなことを考えて少し気が引けながらも、大函の中に恐る恐る足を踏み入れた。
その下に岩が隠れてお饅頭のように盛り上げっている雪の上を、一つ一つ渡りながら奥へと進む。もしもその下が空洞にでもなっていたら突然ズボッと埋まってしまうかもしれないと、最初はおっかなびっくりだった。そのうちにスノーシューを履いていればそんな心配も無さそうなことが分かってきて、次第に大胆になって大函の中を好き勝手に歩き回った。
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