北海道キャンプ場見聞録
我が家のファミリー通信 No.13
京都紅葉の旅
帰りの飛行機は関西空港16時40分発なので、まだ半日はゆっくりと観光ができる。
昨日までの二日間は、私の方が歩き疲れてヨレヨレになっていた感じだが、今朝起きるとかみさんも足の甲の筋を痛めていたみたいだ。 足を引きずるようにして歩いている。何だか老夫婦の京都旅行と言った風情で、情けなくなってしまう。
まず最初に伏見稲荷大社へと向かった。
駅から稲荷大社へ向かう参道には土産屋が軒を連ねているが、京都の他の土産屋とは何となく雰囲気が違っている。昔ながらの駄菓子屋さんといった感じの店が多い。
歩いているだけで楽しくなってくる参道だ。
入り口の楼門前では、こま犬ならぬ二匹のキツネ像が出迎えてくれる。ガイドブックに載っていたこの狐像の写真にとても魅力を感じて、今回の観光先の一つにここを加えたのである。
伏見稲荷大社 | 凛々しい狐像 |
本殿横の建物ではちょうど雅楽の演奏をやっていて、何だかとても奥ゆかしい雰囲気が漂っている。
そのまま奥へ進んでいくと、千本鳥居の入り口があった。実は、この千本鳥居がここでの一番の楽しみだった。真っ赤な鳥居がびっしりと建ち並びトンネルのようになっている様は、一種独特な光景である。
不思議な気持ちに包まれて、そのトンネルをくぐり抜けていると、途中でそれが二股に別れている場所にぶつかった。
出口は同じ場所にあるみたいなので、二人で別れて進もうかとも思ったが、何となくここで別れてしまうと、別々の世界に入り込んでしまい二度と会えなくなるような気がして、結局二人で同じ道を進むことにした。本気でそんなことを心配してしまうくらいに、不思議な場所なのだ。
もっとも、かみさんの方は「何を馬鹿なこと言ってるの」と、まるでその場の怪しげな空気を感じ取ってはいないようだ。
鳥居のトンネルをくぐり抜けると、そこにもまた奉拝所が有った。
このまま山へ入っていくものだとばかり思っていたので、ちょっと驚いた。そこが奥の院と呼ばれる場所のようだ。
そこから先にもまだ千本鳥居は続いていた。
案内図を見てみると、ずーっと山の奥まで続いているようで、できればぐるりと一回りしてみたかったが、時間と体力の余裕も無いので、途中の池のある場所まで行ってみることにする。
鳥居にはそれぞれ奉納した人の名前や会社名が書かれているが、中には根元が腐って倒れてしまっているものもある。きっとこの会社は倒産してしまったんだよなー、等と無責任なことを言いながら千本鳥居の散策を楽しんだ。
千本鳥居 | 熊鷹社 拝所 |
立ち並ぶ鳥居の隙間からちょっと外へ踏み出してみると、結界の中から外れてしまったような不安な気持ちにさらされる。
「うわーっ、結界が破られたーぁ」なんて一人で騒いでいる私を、相変わらずかみさんは冷めた目で見ていた。
新池と呼ばれる池の付近までやって来ると、そこには小さなほこらが沢山建てられている。それぞれのほこらの前では、狐の像がしっかりと目を光らせていた。
池に付きだした薄暗い拝所の中では、大きなろうそくがゆらゆらと炎を上げ、その明かりに狐の黒々とした影が浮かび上がっている。
ろうそくに火を灯した一人の参拝者が、ブツブツと何かを唱えながら一心不乱にお祈りをしていた。それが鬼気迫る様子に感じられ、まるで違う世界に足を踏み入れたような不思議な感覚にとらわれてしまう。
ここがすっかり気に入ってしまったが、時間もないので泣く泣くそこで引き返すことにした。
稲荷大社を出て、東福寺へと向かった。
地図を頼りに家並みの間の細い道を歩いていく。途中で不安になって、地元の人に道を尋ねたが、本当に親切に教えてくれる。昨日も途中でおばあちゃんに道を尋ねたが、こちらが恐縮してしまうくらいに親身になって教えてくれた。京都の人って本当に優しいんだなと感激してしまう。
地元に住む人の生活が身近に感じられる、この様な生活道路を歩くのも楽しいものだ。
そんな道を楽しみながら、東福寺へと到着した。
入り口を入ると、巨大な三門が出迎えてくれる。南禅寺の三門よりも歴史が古く、大きさもこちらの方が大きいみたいだが、見た目の迫力では南禅寺の方が勝っているような気がする。
稲荷大社から東福寺へ | 東福寺三門 |
それでもその迫力は圧倒的だ。
ここも京都の紅葉の名所の一つで、渓谷を渡る橋廊の上からの紅葉の眺めが有名である。その紅葉もかなり散ってしまってはいたが、その分静かに楽しむことができた。
東福寺を出て、バスに乗る前に喫茶店で一休み。
東福寺橋廊から | 東福寺紅葉 |
いよいよ後一箇所で、京都のお寺見学も最後になる。
最後はなるべく京都駅の近くと言うことで、三十三間堂へ行くことにした。
京都へは何度も来ているが、ここも含めて街中にあるお寺などはほとんど見ていない。何となく、賑やかな場所にあるお寺にはあまり魅力を感じなかったのだ。
駐車場には修学旅行らしき大型バスが停まっていたが、ちょうど帰るところみたいだ。入り口も、修学旅行専用のものがあったりして、如何にも有名観光寺と言った雰囲気で興ざめしてしまう。
しかしそんな気分も、中に入って吹き飛んでしまった。
千手観音像がずらりと並ぶその光景はまさに壮観である。
700年以上の時を経た建物、それになんと言っても千手観音像の前に並んだ28体の仏像が素晴らしかった。お馴染みの阿修羅魔王像、風神・雷神像等々、国宝となっている仏像が手を伸ばせば届きそうな距離から眺めることができる。
稲荷大社の結界の神秘を感じられなかったかみさんも、ここでは夢中になって仏像に魅入っている。
時間があればもっとゆっくりと見学したかったが、そろそろ帰りの時間が近づいていた。
名残惜しかったので、帰り際に売店で三十三間堂を解説した本を買ってしまった。
こうして我が家の京都旅行は終わりをむかえた。
まだまだ京都には見たこともない名所が沢山残されている様な気がする。
次ぎに京都に来るのは何時になるのだろう。