7 田舎暮らしとは

 先日、グリーンツーリズムに関するフォーラムに出席する機会があった。
 その中でパネラーの一人が、学生を連れて朱鞠内湖の近くの「まどかの家」という施設に泊まった時、学生達がそこの何もないことにとても驚いていたと言う話しをし、朱鞠内こそが北海道の本当の田舎であると力説していたが、それを聞いて思わず笑ってしまった。
 確かに朱鞠内の集落は田舎というイメージがぴったりかもしれない。
 朱鞠内には、お酒や日用品を売っている店が2軒ほど有る。
 そこで発泡酒を買おうとした人が、「店の人がその商品の値段を知らずに、いい加減な値段で売りつけられそうになった」と腹を立てて、あるBBSに書き込みをしているのを見たことがあるが、何時もスーパーのレジを通してしか買い物をしない人には信じられないことなのだろう。
 私も朱鞠内湖でのキャンプの時、その店を何回か利用したことがある。
 品物が何だったかは忘れたが、店番のおじいちゃんに「○○有りますか?」と聞いたところ、「うーん、確かこの辺に有ったはずだなー」と、店の中に無造作に積み上げられた商品を引っかき回し始めた。
 しばらくしてようやく見つかったと思ったら、今度は「えーと、これはいくらだったかなー」と帳面を引っ張り出してその値段を調べ始める。
 全てがこの調子なので、スーパーのレジに並んで前の人が遅い時に直ぐにイライラしてしまうような都会の人間にとって、このスローペースは耐えられないかもしれない。
 でも、自分の時計を田舎時間に合わせてしまえば、そんな時でも、待っている間に色々とおじいちゃんと話しをしたりとか、楽しく過ごせるだろう。
 田舎と言われる条件の一つとして、時間がゆっくりと流れる場所、と言うことが挙げられそうである。

 30年前の清水町は、人口も現在より多かったし、町にも活気が満ちていた様な気がする。それでも確かに、清水町は田舎だったというイメージが残っている。
 前回にも書いたが、今の清水町は札幌の郊外の雰囲気と大して変わらないのだ。
 その原因は何だったのだろうと考えてみたら、今と違うのは生活が不便だったことくらいである。
 風呂に入るのにも、蛇口をひねればお湯が出てくるような現在の生活と違って、まずはポンプで水を汲んで、次は薪を燃やしてと、一仕事をしなければならない。
 買い物だって、スーパーやましてコンビニなど有るわけもなく、豆腐は豆腐屋へ、魚は魚屋へと、それぞれの店を巡り歩かなければならない。
 でも、この程度のことならば、昔は大きな町に住んでいたって似たような状況だったはずだ。
 都会に住んでいても、本人が望めば昔のような不便な生活をすることだってできてしまう。
 田舎の条件としては、生活が不便と言うことはどうやら関係なさそうである。

 自然に囲まれた生活?
 田舎暮らしをイメージする時に、やっぱり最初に浮かんでくるのは、これかもしれない。
 確かに、私が子供の頃の実家の周りには、小さな自然がいっぱいあった。そんな自然の中で遊んでいた時の懐かしい風景は、今でも時々夢の中に出てくる。
 私の憧れている自然の中の生活と言えば、森の中で四季の移ろいゆく姿を眺めながら、ログハウスでひっそりと暮らすことだ。
 清水町での生活を考えると、周りに広がるのは何もない畑の風景だけ。もしもこれが、森の中に家を建てられるような環境だったならば、何の迷いもなく今すぐにでも仕事を辞めて実家に戻っているはずである。
 森の中で暮らすことだけを考えるのであれば、札幌の中でもそんな土地は見つけることができそうだ。でも、これではさすがに田舎暮らしとは言えないだろう。

 もう一つ、田舎と言って思い浮かべるのが、濃密な人間関係である。
 隣に住んでいる人間の顔も知らないと言った都会の希薄な人間関係と違って、田舎では人と人の繋がりが深く、人情味にあふれた人間関係が今でも残されている、と一般的には言われている。
 ところが、田舎に移り住んだ人が、地元のドロドロとしたような人間関係になじめずに悩んでいる、なんて話しも良く聞く。
 私もどちらかと言えば、都会の希薄な人間関係の方が好きである。
 少なくとも、隣近所に住んでいる人の顔は大体解るし、会えば挨拶もするし、簡単な会話も交わす。でも、それ以上の深い関わりは無い。
 垣根を乗り越えて、他人の生活にずかずかと踏みいっていくような無遠慮さは、都会ではほとんど経験することがないと思う。
 私が子供の頃は、昼食時でも突然お客さんがやってきて、そのまま一緒にお昼を食べて帰って行くなんて事もよくあった。
 その中で一人、いつもべろんべろんに酔っぱらって訪ねてきて、思いっきり唾をあたりにまき散らしながら大声で話しをするおじさんがいたが、子供心にもそれが嫌で嫌で堪らなかった。
 昔はこんなおじさんが、田舎には何人もいたものである。彼らは時代の移り変わりと共に次第に姿を消し、今では田舎であっても比較的あっさりとした近所付き合いになってきているような気がする。

 色々と書いてはみたが、私の場合は田舎暮らしと言っても、今のところは選択肢は一つしかないのである。
 そこが田舎であろうと、プチ都会であろうと、祖父が開拓した土地を引き継いで、農業を営んでいくことになるのだろう。
 それでも、やっぱりその土地は田舎だと思う。
 その気になれば、今でも湧き水がチョロチョロと流れている窪地で、その水をせき止めれば池が作れそうだ。新しく家を建てるとすれば、窓の外には常に日高山脈が見えるようにしたい。
 畑の一番奥に家を建てれば、その直ぐ隣には河畔林が繁り、野鳥の囀りに包まれた生活ができる。周りに木を沢山植えれば、10年もすれば森の中の生活も夢ではない。
 とにかく、自分の意志で自分の望む生活をすることができる。
 田舎暮らしとは、結局は自由な暮らし方の事を言うのではないだろうか。

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