トップページ > キャンプ > キャンプ日記 > 2017年キャンプ日記

体調回復四国最終章へ

四国三郎の郷オートキャンプ場(4月12日~13日)


久しぶりに見る青空の気がする

しおや宿に宿泊した翌朝、ようやく天気も回復してきた。
次の日は更に天気が良くなるとの予報である。
その次の日は、四国最後の宿泊となり、ツアーで指定されている坂出のホテルまで行かなくてはならない。

最初に考えた四国の旅の計画の中で、一つだけやり残していたのが吉野川の川下りである。
下るとしたら明日しかチャンスはない
体調も回復してきたので、最後に吉野川を下ることにした。
それで今日の宿泊場所は、川下りに一番便利そうな吉野川沿いの四国三郎の郷オートキャンプ場に決める。

そこまで移動する途中に適当な観光地がないかと地図を見ていたら、近くに龍河洞という鍾乳洞があることに気が付いた。
しおや宿を出て、まず最初にそこに向かう。


ここで包丁を購入

龍河洞の前には立派な観光会館や宿泊施設などが建ち並び、一大観光地の様相を呈していた。
しかし、既に廃業しているような店も多く、何となく寂れた感じである。

時間が早かったせいか、鍾乳洞の入口までずらりと並んでいるお土産屋もシャッターを下ろしたままで、刃物屋が1軒開いているだけだった。
その刃物屋の若いお兄ちゃんが早速声をかけてきた。
自分はこの店の4代目で、自分の店で包丁を作っているとのこと。

無視して通り過ぎようと思ったら、かみさんが足を止めて、そこで売られている包丁を欲しそうに眺めている。
以前から良い包丁を1本買いたかったとのことなので、四国旅行の記念として土佐打刃物の包丁を買うことにした。
鍾乳洞を見ている間に、サービスで名前を刻んでくれるとのこと。

龍河洞についての予備知識は何も無かったけれど、日本3大鍾乳洞の一つであるらしい。
実際にその内部も、私がこれまでに見た鍾乳洞とは比べ物にならないくらいに、素晴らしいものだった。
鍾乳洞の中には滝も流れ落ちていて、昨日までの雨の影響もあって、なかなか迫力のある滝になっていた。


見応えのある鍾乳洞だ



2000年前の壷が鍾乳石と化している

ここでは約2000年前に弥生人が生活していたそうで、その時に使われていた土器の壷が長い年月を経て鍾乳石と化して、鍾乳洞の中に転がっていた。
この壷は「神の壷」と呼ばれている。

鍾乳洞を歩いていると、自動的に説明の放送が流れる。
それが、神の壷だけは、そこにおばさんが一人ポツンと座っていて、私達が近づいて行くと、突然神の壷について喋り始めた。
それだけ、この神の壷が特別な存在と言うことなのだろうが、別にここにおばさんがいなくても良いのにと思ってしまう。

鍾乳洞の中ではひたすら上に登っていくので、入った場所よりかなり高いところに出てくる。


自然が作り出した複雑な造形美だ

入口に向かって下っていくと、途中に1軒の刃物屋があった。
最初に包丁を買った店の4代目から、「そこで何を言われても気にしないように」と言われていた。
その店のオヤジが「見ていけ」としつこく話しかけてきて、挙げ句には「龍河洞では自分のところで刃物を作っている店はない」と言い始めた。

入口まで戻って来て、最初の店で名前を刻んだ包丁を受け取る。
そのオヤジの話をすると、「困ったオヤジで皆迷惑しているんです」とのこと。
どちらの言い分が正しいのか判断は付かないが、やっぱり私達が包丁を買った方の店の方を応援してあげたい。

この龍河洞を見るためだけに四国を訪れるのも有りかなと思わせるくらいに素晴らしい鍾乳洞なのに、その前の商店街は寂れているし、今回の旅で参考にした「まっぷる四国」では龍河洞のことは取り上げられてもいない。
個人的には、別子銅山よりもこちらの方が遥かに見応えがあると思えるのに、宣伝の仕方やお金のかけ方でこれだけ差が付いてしまうのだと、ちょっとした驚きだった。

次に向かったのが桜百選にも入っている鏡野公園。
龍河洞からは直ぐ近くだ。
ここの見所は延長200mの桜のトンネル。
それは勿論素晴らしかったけれど、四国入りして今日で9日目。
その間ずーっと、何処へ行っても満開の桜を楽しめるなんて、本当に今回の四国の旅は、天気を除けば恵まれすぎているような気がする。


鏡野公園の桜のトンネル


鏡野公園を後にして、国道32号を走っていると「日本一の大杉」の看板が目に入った。
私にとっての日本一は、やっぱり屋久島の縄文杉である。
「何が日本一だ?」と思いながら、駐車場に車を停める。

山道を歩かされるのかなと思いながら八坂神社の境内に入っていくと、いきなりその大杉が目に飛び込んできた。
「で、でかい」
屋久島に何度も通って、巨大な杉は見慣れているつもりだったけれど、この大杉は樹高も太さも屋久杉に勝るとも劣らない。


これならば本当に日本一の大杉かもしれない


幹の治療跡は痛々しいけれど、そんな杉の巨木が2本も並んで立っているのだ。
屋久島の屋久杉のほとんどは、苦労しながら山奥まで入ってようやく対面することができる。
それが、国道から少し入ったところにこんな大杉が生えていることが信じられなかった。


小歩危ではラフトを楽しんでいる姿も

そのまま国道32号を走っていくと、再び小歩危の横を通ることになる。
5日前に見た時よりも桜が美しく咲いていた。

やっぱり川の様子が気になるので、途中で車を停めて川を覗いてみると、何とそこではファミリー風の3人が楽しそうにラフトで下っていたのである。
これは目の毒だった。
私達は明日の下流部のダウンリバーで我慢するしかなかった。

そのダウンリバーに備えて、川の下見をする。
ゴール地点の川島沈下橋ではご夫婦のお遍路さんの姿を見かけた。
私達も去年の暮れにこの橋を渡り、そこから見た川の水の美しさに感動し、それが今回の旅のきっかけとなったのである。

下見を終えて、午後5時前に四国三郎の郷オートキャンプ場に到着した。
ここではフリーサイトを利用するつもりでいたが、中学生の団体がフリーサイトを使っているので、オートサイトしか空いていないと言われる。


こんなに料金お高いキャンプ場に泊まるのは初めてだった

しょうがないのでオートサイトを利用することにしたが、お金を払う段になってビックリした。
「5230円になります」と言われたのだ。
一瞬聞き間違えたかと思ったが、その通りの料金だった。
テントを張るためにこんな料金を支払ったのは初めてである。
夫婦二人でビジネスホテルに泊まるのと大して変わらない金額だ。

サイトには電源があるだけで、流しも付いていない。
トイレは洋式だけれどウォシュレットじゃない。
普段はそんな事は気にもしないけれど、これだけのお金を払うのだから、その金額に似合う分の快適さを求めてしまうのだ。

フリーサイトは満員でも、オートサイトの利用者は私達だけ。
四国での宿泊は最後までこんな感じだった。

体調はかなり回復したけれど、まだ食欲はなく、夕食はスープを飲んだだけだった。

翌朝は快晴。
晴れた分、放射冷却で気温はかなり下がっていた。
テントも夜露でびしょ濡れである。

体調は完全に回復。
私の体調は天気に連動しているようである。
片付けを済ませて、吉野川の川下りへと向かった。

(川下りの様子はこちら


吉野川



うだつの街並みを見学

川を下った後はふいご温泉で汗を流す。
この日の宿泊はツアーで指定されている坂出のホテルである。
そこへ向かう途中、美馬市脇町のうだつの街並みを観光。

その後は一気に坂出まで走ってホテルにチェックイン。
夕食は近くの食堂一楽へ。
並べられたおかずを自分で選ぶ方式。
どれも美味しそうなので色々と食べてみたかったが、一品一品の量が多いので沢山は選べない。
気の良い店主がご飯を思いっきり大盛りにしてくれたが、そんなに食べられないからと減らして貰う。
周りに工場が多いので、そこで働く人達が食べに来るような店なのだろう。

おかずを少し取り過ぎたかと思ったが、体調も回復していたので何とか完食。
腹一杯食べても1000円もかからない、リーズナブルな食堂だった。


こんぴらさん参りに

翌日は舞鶴発深夜0時過ぎのフェリーに乗るだけなので、時間は1日たっぷりとある。
ホテルの朝食バイキングを腹一杯食べて、こんぴらさん参りにでかける。

四国お遍路では、ついでにこの金比羅宮にもお参りする人が多いようだが、私達は先を急いでいたのでここはパスしていたのだ。

午前9時前に着いたので、まだ人は少ない。
金比羅さんと言えば本宮までの785段の階段が有名である。
満開の桜を楽しみながらゆっくりと登って、30分もかからずに本宮に到着。

そこで帰ろうと思ったが、もう来ることもないだろうから奥社まで登ることにする。
本宮から更に583段の石段が続く。

かみさんはスイッチが入ったようで、凄い早さで登り始めた。
私も負けじとその後を追いかける。
15分で奥宮到着。


讃岐平野と讃岐富士

讃岐平野の眺めが素晴らしい。
そこで一際目立つっているのが讃岐富士と呼ばれる飯野山である。

昼食はやっぱり讃岐うどん。
何処で食べるか迷ったが、かみさんの希望で「小縣屋」へ。
ここでは大根を自分ですり下ろしして食べるしょうゆうどんが有名。
でかい大根が丸々1本出てきて、「これを余したら勿体ないんじゃないの?」と心配になったが、二人でこの大根を使い切ってしまい心配無用だった。

その後は、ホテルで見たテレビニュースでまんのう公園でチューリップやスイセンが満開と言っていたのを思い出して、国営讃岐まんのう公園へ。
国営公園は維持管理にもお金をたっぷりとかけているのでさすがに綺麗に管理されている。
でもやっぱり、人工的な美しさにはあまり心を動かされない。


国営讃岐まんのう公園のスイセン畑



丸亀城と満開の桜

そして最後に丸亀城に向かう。
お遍路の時は、時間がなくて石垣の下から天守閣を眺めただけで終わっていたのだ。
その時は「あの石垣の上まで登れば良い眺めだろうな~」と思っていたのだが、その通りの良い眺めだった。
特に、間近に見える讃岐富士の姿が格好良い。
ここでもまた満開の桜が出迎えてくれた。

以上で、四国観光を滞りなく終え、後は姫路城に寄り道して舞鶴へ向かうだけ。
ところがかみさんが、野菜を買いたいと言い始めた。
四国を回っている最中、道の駅では色々な種類の野菜が信じられないくらいに安い値段で売られているのを見てきたが、そこで買っても札幌まで持ち帰られないので、眺めるだけで済ませるしかなかった。
それが今ならば、後は札幌に帰るだけなので、好きなだけ野菜を買えるのだ。

近くにある農家の直売所を探して行ってみたが、そこは普通のスーパーと大して変わらない品揃えと値段だった。
何軒か回ってみたが、何処も同じ様なもの。
やっぱり道の駅に行かなきゃダメかなと、近くの道の駅を探して車を走らせる。
しかし、そこにも大したものは無かった。
街の近くの道の駅では、こんなものなのだろう。


瀬戸大橋を渡って四国にお別れ

野菜を買うためだけに、時間とガソリンを使いすぎてしまったようだ。
これでは姫路城を観光する時間がなくなりそうだ。

高速道路に乗って四国にお別れ。
四国入りは大鳴門橋からだったが、帰りは瀬戸大橋経由。
途中の与島PAで瀬戸大橋を眺める。
これだけ大きな橋を良く架けたものだと感心してしまう。

時間は既に午後4時。
姫路城の開城時間は午後4時までだが、外からその姿さえ眺められれば満足である。
しかし、高速道路を降りてから渋滞に?ってしまい、時間だけが過ぎて行ってしまう。
こうなったら城の周りを一周して車の中から眺めるしかない。

午後5時45分、ようやく姫路城の姿を目にする。
西日を受けた真っ白な城の姿があまりにも美しすぎる。


姫路城には改めて訪れてみたい



フェリーで北海道へ

駐車場が空いていたので車を入れる。
2~30分しか停めないのに600円も取られるのは馬鹿らしいが、もう少しゆっくりと城の姿を眺めたかったのだ。
満開の桜に姫路城。
できればもう少し明るい時にその姿を見たかった。

そうして全ての予定を終えて舞鶴発のフェリーで北海道へと戻ってきたのである。
ちなみに、帰りのフェリーは揺れずにホッとした。

四国を代表する3本の川を下り、満開の桜に彩られた四国の風景を堪能し、とても充実した四国の旅であった。


体調回復四国最終章への写真へ

    
ページトップへ