北海道キャンプ場見聞録
紀伊半島の旅、最終章
つり橋の里キャンプ場他(4月24日〜27日)
玉置神社から下りてきた後、十津川村へと向かう。 明治22年の大水害で村が壊滅し、それをきっかけに北海道(現在の新十津川町)へ集団移住した。 これまで回ってきた他の地区も含めて、5年前の水害の爪痕はほとんど目立たなくはなっていた。 目も眩むような深い渓谷沿いに車を走らせ、十津川村の中心部付近にやって来ると、ようやく渓谷の底を流れていた川にも手が届きそうになり、何となくホッとする。 十津川村では歴史民俗資料館で、その歴史に触れる。 今回の旅では小辺路の縦走を終えた後、毎日違う温泉に入って、それが全て良いお湯の温泉ばかり。 そして今日の宿泊地であるつり橋の里キャンプ場へと向かう。 何処にテントを張るか、途方に暮れてしまうくらいに場内は広い。 テントを張り終えて、早速その吊り橋を渡ってみる。 長さ297m、高さ54m、揺れは大きいけれど、落下防止用のネットもしっかりと張られているので、怖さはあまり感じない。 吊り橋の上から眺めても、私達のテントが良く見えない。 |
迫力満点の吊り橋だ |
周りをネットで囲まれているので怖さは無い | 自分達のテントが見えなくてちょっと残念 |
それにしても、広大な敷地内に張られているテントは我が家の一張りだけ。 そうしてテントへ戻って来て、今まで自分達が渡っていた吊り橋を見上げながらビールを飲む。 河原には流木も結構転がっていて、それを拾い集めて夜の焚き火の準備をする。 夕食を終えたら早速焚き火タイム。 暗くなると吊り橋もライトアップされる。 |
吊り橋を背景に焚き火を楽しむ、本当はもっと美しくライトアップされるようだ |
朝目覚めると、青空が広がっていた。 河原には、白い石だけを並べて文字や絵が描かれている。 電動カートに乗ったお年寄りが吊り橋の上を渡っていく。 |
白い石で描かれた牛さん | 電動カートが渡っていく |
下から見上げても良い眺めである |
キャンプ場を後にして、今回の旅の最後の宿泊となる天川村の洞川温泉へと向かう。 でも、そんな道路を走っている時、突然目の前の道路が無くなっていて驚かされた。 方々で土砂崩れの復旧工事が行われていた。 国道から離れて、天川村へ向かう県道53号へ入ると道幅が一気に狭くなる。 この県道53号沿いにはキャンプ場が沢山あってビックリした。 天川村は標高が高いところにあって平均気温も低く、関西の軽井沢とも呼ばれているらしい。 私達は旅の最後の宿泊という事もあり、この日は洞川温泉のゲストハウス一休を予約していた。 |
風情のある温泉街の風景 |
龍泉寺の桜 | 泥川温泉の山でも桜が咲く |
洞川温泉センターで温泉に入ってから、ゲストハウスにチェックイン。 一休みしてから温泉街をそぞろ歩く。 そこら中に陀羅尼助丸の看板が出ていた。 夕食を済ませて一旦宿に戻り、暗くなってからもう一度温泉街に出かける。 しかし、まだ宿泊客が少なく、窓の明かりが消えている旅館も多かった。 |
宿の窓にもっと明かりが灯っていれば更に美しくなりそうだ |
紀伊半島の旅最終日は、0:30発のフェリーに間に合うように舞鶴まで移動するだけ。 かみさんがお土産の梅干しを買いそびれたので、少しだけ遠回りして九度山町の道の駅に向かう。 NHKの大河ドラマで真田幸村が題材になっているものだから、真田家に関係する九度山町には観光客が押しかけていた。 道の駅で無事にお土産用の梅干しをゲットした後、真田関係の観光施設はパスして、近くの慈尊院を見に行く。 この後も、フェリーに乗るまでたっぷりと時間があるので、高速道路を途中下車し、去年の京都旅行で行きそびれた勝持寺に寄り道。 そうしてようやくフェリーに乗船し、小樽港を目指す。 |
紀伊半島の旅最後の夕日を船上から眺める |
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