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燃やし尽くした奥尻キャンプ

賽の河原キャンプ場(7月29日〜31日)

良い思いをし過ぎた場所へは、その後あまり足が向かなくなる。その時以上に良い思いをすることは、ほとんど有り得ないからである。
我が家にとっては奥尻島がそんな存在だった。

奥尻島に思い残した事は何も無い。一つ有るとすれば、それは奥尻島での海キャンである。
それが9年ぶりの再訪を決めた大きな理由だった。

雷電海岸瀬棚から奥尻へと向かうフェリーは1日1便。
瀬棚発が14:05なので、朝に家を出た後は岩内から寿都への海岸風景を楽しみながら、のんびりと車を走らせる。
それにしても酷い蒸し暑さだった。
北海道は暫く前から本州の梅雨のような天気で蒸し暑い毎日が続いていたが、特に今日はそれがピークに達した感じだ。

今年の夏休みは何時何処へ行くか。
毎年悩んでいる事だけれど、今年は特に天気がパッとしないので、余計に悩んだ。
4泊5日程度の夏休みを考えていたのだが、5日間天気が続く事など望むべくもない。
続いてもせいぜい3日。
その日数で出かけられる場所として奥尻島が候補に挙がり、かろうじて晴れ間が望めそうな7月最後の3日間に狙いを定めて、出かける事にしたのだ。

 
雷電海岸の岩山
雷電海岸の岩山

寿都ホッケめし昼食は寿都町のダイマル大谷会館に入る。
海鮮系が美味しいと聞いて入ったのだけれど、今日は漁に出ていないとのことで、刺身定食等はなし。
しょうがないので、寿都のご当地グルメ「寿都ホッケめし」を注文。
それなりに美味しかったので良しとする。

天気はずーっと曇り空。
奥尻島に到着しても天気は変わらず。
どんよりとした空の下では、気分も盛り上がらない。
港で出迎えてくれたうにまる君も、9年前と比べると随分薄汚れたように見える。

9年前はフウマが一緒だったので車で島に渡ったが、今回はレンタカーを借りる事にした。
島に1軒だけあるコンビニで飲み物を仕入れてから、島の北端の賽の河原キャンプ場を目指す。
北へ向かうほど、雲が少し薄くなってきた。
テント設営到着したキャンプ場に他のキャンパーの姿は無し。
テントの設営を終えたら直ぐに、売店兼食堂の「北の岬さくらばな」へと駆け込む。
山食の準備はしていたけれど、せっかくの奥尻島なので、少しは美味しいものを食べたかったのだ。

しかし、残念ながら今日はもう食事は出せないとのこと。
キャンパーの多い時ならば午後6時頃まで営業しているみたいだが、今日は誰もいないので5時には店を閉める準備をしていたらしい。
時間は既に4時半を過ぎているのでそれもしょうがない。

ビールのつまみになりそうなものを探していたら、おばちゃんが塩ウニを進めてくれた。
1600円だけれど、店でうに丼を食べる事を考えれば安いものだ。
流木の上で金麦を飲むそれが夕食のおかずとなる。

テントに戻り、サイト前の巨大な流木に腰掛け、まずは何時もの金麦で乾杯。
ここから2泊3日の奥尻キャンプの始まりである。

西向きの海岸なので、晴れていれば目の前に沈んでいく夕陽を楽しめる。
今日は雲が多くてそんな夕陽は見られそうに無いが、薄くなった雲から日が射してきていた。
上空には青空だって覗いている。
島に着いたときの鉛色の空を思えば、これだけ晴れてくれれば御の字だ。


金麦   ハマナスが実を付ける海岸
お決まりの金麦  

ハマナスの実が真っ赤に色付いていた


生活スペース玉石の浜に生活スペースを作る。
焚き火用の流木はいくらでも転がっているし、かまどの様に石で囲った場所が所々に作られていた。
その中で焚き火をした跡が無いのは、多分、風除け用に積まれた石なのだろう。

賽の河原は、島の先端に突き出した形なので、風がまともに吹きつけてくるのだ。
今日はそんなに風の強い日じゃなかったのに、ここに来ると結構な風が吹いていた。

かまどの一つを利用して早速焚き火を始める。
夕食は勿論うに丼だ。
どんぶりはシェラカップ、白飯はフリーズドライの山食。
焚き火とウニ丼それでも、今朝剥いたばかりの塩うにをどさりと乗せて食べると、店で食べるうに丼と全く変わりはない。

暗くなりかけた頃に、ファミリーが一組やって来て、テントを設営し始めた。
タープも張ろうとしていたが、風が強くて諦めたようだ。

そんな様子を遠くから眺めながらビールを飲む。
ビールが無くなると、次にワインを開ける。
ビールは金麦だけれど、ワインは奮発して、1本二千円の奥尻ワインである。
ただ、普段はあまり飲まないロゼを買ってしまったので、「やっぱり、セイコマの500円ワインにすれば良かった」と、かみさんの口には合わなかったようだ。

焚き火風を受けて焚き火が盛大に燃え上がる。
これだけ風があっても寒さは全く感じない。
もしもこの風が吹いてなければ、暑くて焚き火の近くには居られなかっただろう。

雲の切れ間から月が姿を現した。
明後日が満月なので、ほとんど満月と変わらない明るさで、辺りを照らしている。
その月も、流れてきた雲に直ぐに隠されてしまった。
ワインが空いたところで、それぞれのテントに潜り込んだ。


灯台の灯と月光
灯台の灯と月光、そして焚き火の炎

翌朝はテントを叩く雨音で目が覚める。
昨日の天気予報では、道北の方が天気が崩れることになっていたのに、雨雲レーダーを確認すると奥尻島周辺に雨雲が流れてきていた。
雨の朝本当に当てにならない天気予報である。
それでも、そんなにひどい雨は降らせずに雨雲も通り過ぎ、6時前にはテントから出ることができた。
濡れた石も直ぐに乾いたので、浜に下りて朝のコーヒーを飲む。

賽の河原を歩いてみる。
まずは、南西沖地震の津波で亡くなられた方に手を合わせる。
ここの賽の河原は道南5大霊場の一つに数えられ、地蔵や卒塔婆が立ち並んでいる。
今朝の鉛色の雲に覆われた空が、この場所にはとても似合っていた。

玉石の浜には、そこら中に石が積み上げられている。
石を積む行為にはどんな意味が込められているのだろう等と考えながら、その間を歩いていく。
そんな賽の河原から続いている同じ海岸で、キャンプしながらビール飲んで騒いでいて良いのだろうかと思ってしまう。
でも、家では仏壇の前で酒を飲む行為もごく普通であり、これが日本の文化なのかもしれない。


賽の河原
賽の川原の風景には曇り空が似合っている

テントが乾いたところで撤収開始。
今日は場所を変えて、何処か眺めの良い海岸でテントを張るつもりでいた。
島の東海岸を南下する。

宮津弁天宮の急階段宮津弁天宮や鍋釣岩の観光名所にも立ち寄るが、今日の天気では海も鉛色なので、全然見栄えがしない。
島内観光は9年前に十分に楽しんでいたので、それも大して気にならない。

青苗地区を過ぎて西海岸へと回り込む。
沖に無縁島が見える藻内の海岸。
ここが野営地の第一候補に考えていた場所である。
しかし、9年前には道路沿いに仮設トイレが有ったはずなのに、そのトイレが見当たらない。

道路から丸見えで何も遮るもののない海岸で、さすがにトイレ無しで我慢しろとは、かみさんには言えなかった。
海水浴も観光の売りにしている奥尻なのだから、せめてそんな海岸には仮設トイレくらい設置しておいて欲しいものである。

青苗辺りから天気も良くなってきた。
東海岸では霧雨の降っていた場所もあったのに、小さな島でも場所によっては天気が随分違ってくるようだ。
変わらないのは蒸し暑さである。
北追岬のキャンプ地それも、北海道では経験したことの無いような蒸し暑さだった。
おまけに、借りている車にはエアコンが付いていないときている。
気温は25度程度なので、走り始めれば涼しく感じるが、止まったままだと蒸し暑さに耐えられない。

キャンプ地が見つからないまま、9年前に2泊した北追岬までやって来た。
フウマと一緒にそこでキャンプをしたことが懐かしく思い出される。
好きな場所だが、この蒸し暑さの中でここにテントを張る気にはなれない。

やっぱり海キャンしか考えられず、もう一度賽の河原まで舞い戻ることにする。
既に昼も近く、周辺に適当な店も無いため、昼食も賽の河原の「さくらばな」で食べることにする。
そうして一気に車を走らせ、賽の河原まで戻ってきた。
さくらばなでは、新鮮なイカ刺し定食を食べる。
今回の旅でイカ刺しを食べることを大きな目標にしていたかみさんは、これでようやくひと満足である。

同じような場所にもう一度テントを張ってから、神威脇の温泉に入るため、同じ道をまた引き返す。
自分でも無駄な動きをしていると思ったが、腹が減っていたし、温泉に入った後にテント設営で汗をかきたくなかったし、車で走っていた方が涼しいのである。

タヌキのため糞奥尻島の山間部を抜けて西海岸へと下りるこの道は、観光パンフレットにも載っているくらいに、狸を目にすることが多いようだ。
実際に私達も途中で狸の姿を見ていた。
そして、観光パンフレットには載っていないけれど、この道では狸の溜め糞も沢山目にするのだ。
同じ場所に糞をする習性のある狸だけれど、何でわざわざ道路に出てきて糞をするのか不思議である。
道路際に積みあがった糞の山を見ると、その強烈な臭いを思い出してしまう。

温泉に行く前に、岩場の海岸に降りてみた。
少しだけ日が出ているので、辺りの海がかろうじて奥尻ブルーに染まって見えていた。
本当の奥尻ブルーは、真っ青な空が広がらないとその鮮やかさを発揮できないのだ。
これも、9年前に見た風景を思い出すしかなかった。


少しだけ奥尻ブルーの海
少しだけ奥尻ブルーの海が見られた

神威脇温泉では、かみさんが2階の展望風呂の方が温度が低いことを知らずに1階の風呂に入って、その熱さに飛び上がったみたいだ。
温泉のご主人の話しだと、もう少し温度を下げようと思っても地元の人が許してくれないそうである。
漁師町の温泉は、何故か熱いお湯が好まれる傾向にあるような気がする。

賽の河原で二泊目セイコマで買出ししてキャンプ場に戻ってきた頃には午後3時を過ぎていた。
キャンプ場には昨日のファミリーのテントがあるだけだった。
無駄な時間を過ごしてしまったが、太陽も顔を出し、ようやく奥尻らしい夏の海キャンを楽しむ事ができる。

ビールを飲みながらカニ釣りをして遊ぶ。
静かにしていると、回りの石の上に黒い虫が這い出してくる。
海のゴキブリとも言われるフナムシである。
こちらが少し身体を動かすと、ササッと石の下に隠れてしまう。
あまり気持ちの良いものではないが、海には付き物なので無視するしかない。
でも、何時の間にかカマボコを入れてあったシェラカップの中に入り込み、そこから出られなくなってもがいていたのにはガッカリした。


カニ釣り   フナムシ
カニと戯れる  

海のゴキブリ


石を積む奥尻島の東海岸には、御影石だけの浜辺が広がっているが、ここの海岸にも真っ白な御影石が目立っている。
その御影石だけを使って、私も石を積み上げてみた。
微妙なバランスを保って積みあがった石の姿に、かみさんからお褒めの言葉をいただいた。

夜の焚き火用の流木を集めて回る。
キャンプ場の前浜の流木は、全て拾い尽くしてしまった。

さくらばなのおばちゃんの話しでは、今週末辺りからキャンパーが増えてくるらしい。
その中には、海岸での焚き火を楽しみにしているキャンパーも居るかも知れない。
気の毒だが、私達がキャンプした後には焚き火用の流木は一本たりとも残らないのである。

夕日に輝く海西日が目の前の海を輝かせる。
このまま海に沈む夕陽を見られたら、海キャンの最高のシチュエーションとなるのだが、水平線近くに広がっている雲を見れば、それが儚い望みである事が直ぐに分かる。

それでも、何となく赤く染まる西の空を眺めながらの夕食となる。
今日のメニューは、フリーズドライの完全な山食だが、焚き火の前で美しい海を眺めながら食べていると、それがとても贅沢な食事に思えてくる。


夕焼けと焚き火
少しだけの夕焼けと豪勢な焚き火

最後の夜の焚き火隣のテントのファミリーは、今日は完全に暗くなってからテントに戻ってきた。
朝に居なくなったはずの不思議な男女が、何時の間にか舞い戻っていて、昨日と同じように豪快に炎を上げながら焚き火をしているのを呆れて見ていたことだろう。

霧が出てくると、灯台の明かりがスポットライトのように夜空に伸びる。
大量に集めておいた流木もほぼ燃やし尽くし、セイコマの500円ワインを空けたところで、奥尻キャンプ最後の夜をお開きにした。

奥尻島の最終日は、12時5分のフェリーで瀬棚に戻る。
天気は相変わらずの曇り空。
島内でまだ行ってない場所は球島山の展望台くらいだが、この天気では登ってもしょうがない。
キャンプ場でのんびりと過ごすことにする。

残しておいた流木で最後の焚き火をする。
海岸にはゴミも沢山流れ着いていて、ハングル文字や中国語の書かれたペットボトルがやたら目に付く。
対馬海流に乗って運ばれてくるのだろう。

雨も上がったスマホで雨雲レーダーを確認すると、何時の間にか雨雲が近づいてきていた。
雨が降り始める前にテントを片付け、荷物を車に積み込んでしまう。それから、周辺を一回りして戻ってくる頃にちょうど雨が降り始めた。
キャンプをしていて、こうして雨雲の様子をリアルタイムで確認できるのは本当に便利である。
隣のファミリーは、雨が降り始めたところで慌てて撤収を開始していた。

港に戻ってくる頃には雨も上がっていた。
レンタカーを返して、港近くの吉野寿司に入る。
私達が昼のフェリーに乗るのを聞いて、それに間に合うように急いで生寿司を握ってくれた。
フェリーターミナルまで送るというのを丁重にお断りして店を出る。
さくらばなのおばちゃん、神威脇温泉のおじさん、レンタカー屋のおばちゃんやおじさん、そしてすし屋のおばあちゃん。
今回の旅で縁の有った人達は、本当に優しい人ばかりだった。

出港するフェリーの汽笛は何時も心に沁みる。
天気は今一だったけれど、夕陽も月も奥尻ブルーの海もちょっとだけ見られて、うに丼、イカ刺し、生寿司と島のグルメも味わえ、そして目一杯焚き火も楽しむことができて、楽しい夏の思い出となった奥尻キャンプを終えたのである。

奥尻キャンプの写真 


うにまる君のお見送り
うにまるくんに見送られて奥尻島を後にした


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