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花と山菜の様似から

百人浜オートキャンプ場(5月3日〜4日)

5連休二日目の予定は様似山道のトレッキング。
今時期の日高路は何度か訪れているので、大方の場所は行き尽くしていた。
その中でまだ残されていたのが様似山道である。
様似町のアポイ岳ジオパークの中では「江戸幕府によって開かれたいにしえの道」のフットパスコースとして紹介されている場所でもある。

ここを歩く場合、スタート地点に戻るためにはバスを利用しなければならない。
しかし、調べたところバスの時間は11時47分と、その後は14時12分しかない。
コースタイムは7キロ、4時間。でもフットパスコース程度ならば、急げば2時間で歩けるはずである。
幌満コミュニティセンター11時47分のバスに乗る予定で逆算し、キャンプ場を午前7時に出発した。

時間的にも十分に余裕があるので、のんびりと車を走らせて、様似町の幌満コミュニティセンターに到着。
広々とした駐車場に車を停め、山歩きの準備をする。
時間は午前9時15分。
ちょっとのんびりし過ぎたかなと思ったが、帰りのバスの時間まではまだ2時間以上あるので、問題はない。
幌満川を渡り、川原を少し上流まで歩いたところに様似山道の入り口がある。
私達の前に、夫婦らしき二人連れが山道を登っていくところだった。

サクラソウと行者ニンニクの大群落その後を追うように私達も山道へと入っていく。
その途端に私達は歓声を上げた。
小さな沢伝いに登っていく山道の斜面にはネギ(行者ニンニク)畑が広がっていたのである。
そこには一緒にオオサクラソウも沢山花を咲かせていた。
先を急いでいるのに、いきなりここでネギを採っているわけにもいかないので、ネギは無視することにする。

急傾斜の沢の中を登っていく。
山道とは言っても、沢の中に道が付いているわけではない。
所々に目印として付けられている赤いテープを頼りに、岩だらけの沢の中を、自分で歩くルートを探しながら登っていくのである。
札幌を出る前にかみさんから「様似山道を歩くのに登山靴を持っていった方が良いの?」と聞かれ、「普通の靴で十分だ」と答えていた。
それがいきなり、こんな沢登りのような場所を歩かされ、かみさんの口から文句がこぼれる。

 
険しい沢を登る   沢に咲くサクラソウ
沢の中の険しい登りが続く   花は綺麗だけど足下は悪い

歩くのは大変だけれど、その風景は素晴らしかった。
狭い谷の中では、いたるところでオオサクラソウの群落が花を咲かせているのだ。
周囲の木々も芽吹き始め、シダや様々な植物が芽を伸ばしてきている。
谷全体が淡い緑に染まり、その中でオオサクラソウのピンクが一際鮮やかに見える。


エゾオオサクラソウ   エゾオオサクラソウの群落
正式名称はエゾオオサクラソウ   オオサクラソウの群落があちらこちらに

新緑のシダの風景
こんなシダの風景も美しい

しかし、相変わらず急な登りは続き、途中で先を歩いていたご夫婦を追い越した。
150mほど登って沢の源頭付近まで達した頃、目印のリボンは沢から離れて横の斜面へと続いていた。
道の跡そこからようやく道らしきものが現れる。
昭和2年に海岸沿いの道路が完成するまでは、地域をつなぐ道として機能していたのだろう。
それが、今となっては踏み分け道程度の面影しかない。

傾斜も次第に緩くなり、尾根の上へと出てきた。
沢から離れても相変わらずサクラソウがあちこちで花を咲かせていた。
かみさんの好きなヒトリシズカも咲き始めている。

そんな花々の写真を撮っていると、直ぐ隣にシカと思われる頭骨が転がっていた。
以前に幌満峡をドライブした時にも同じ様なシカの頭骨が転がっているのを見かけたことがあり、どうもこの辺りでは頭骨に縁があるみたいだ。
シカの角なら喜んで持ち帰るけれど、頭骨ではどうしようもない。


鹿の頭蓋骨   ヒトリシズカ
森の中に転がる頭骨   ひっそりと咲くヒトリシズカ

碍子そんな奥深い自然の中の山道だけれど、その脇に全く場違いのように真っ白な碍子が落ちていた。
今となっては想像もできないが、昔はここに電柱も立っていたのだろう。
落ちていた碍子には1958年の刻印が付いていた。
私の生まれた年よりは後になるので、電柱が立っていたのはそれほど昔のことではない。
と言うか、それは私の年齢を基準にしての話しで、一般的には十分に昔なのかもしれない。

道は下り坂へと変わってきた。
最初は緩やかだった下り坂が、次第に急になってくる。
100m以上下ってきたところに沢が流れていた。
その沢を渡る前後が崖のような急傾斜なので、ロープが張られていた。
そのロープを頼りに沢を渡る。

ロープを伝ってトラバースそこは二つの沢が合流しているところで、直ぐにまたもう一つの沢を渡る。
なかなか美しい場所だが、道も険しい。
二つ目の沢を渡った先では、崩れた崖をロープを頼りにトラバースしなければならない。

フットパスの名前から、簡単に歩ける道だと思い込んでいたが、この険しさはちょっとした登山道並みである。
時計を見ると既に午前10時半を回っていた。
GPSで現在地を確認すると、まだ全行程の3分の1くらいしか歩いていなかった。
ここで初めて危機感を覚え、歩くスピードを速める。

しばらく登りが続いた後、日高耶馬渓展望地への分かれ道があったので、先を急いではいたけれど寄り道をすることにした。
しかし、海霧がかかってそこからの展望は今一。
元のルートまで戻って先を急ぐ。


沢を越える   日高耶馬渓
沢沿いの険しい道を歩く   ガスがかかって展望は今一

原田宿跡原田宿跡に到着。
明治初期までここに旅籠屋があったとのこと。
地図を見るとここが様似山道の中間点で「お弁当を広げるのも良い」とも書かれていた。
時間は既に10時55分、休んでいる余裕は全くなく、写真を撮っただけで直ぐに歩き始める。

バスの時間まで後50分、原田宿跡が中間点だとすれば残り3.5キロ。
急ぎ足で歩けば1時間で6キロは歩けるので、計算上は十分に間に合うことになる。
しかし、アップダウンの続く山道で、これまでにかかった時間を考えれば、かなり難しそうにも思える。
下り坂は小走りに歩いても、登りではスピードがガクッと落ちてしまう。

つづら折りの急な山道を下っていくと、そこにもまた素晴らしいサクラソウの群落が広がっていた。
そんな風景を見ると、急いでいても足が止まってしまう。


エゾオオサクラソウの群落
こんな風景が歩みを遅くする

最後の沢を渡るそこを下りきったところで再び沢を渡る。
残り時間25分でとてもバスの時間には間に合いそうもない。
バスに乗り遅れたらタクシーを呼べば良いだけなので、この美しい沢で一休みしようとかみさんに提案する。
しかし、かみさんはまだ諦めてはいなかった。
こうなったら行けるとこまで行くしかない。

突然山を抜けて広々とした場所に出てきた。
そこは昆布干し場になっていて、昔は休憩所があった場所らしい。
そこから先は舗装道路になっていたので、殆ど駆け足状態でそこを進む。
海岸に下りる道と交差するT字路にぶつかった。
そこの標識では、様似山道は舗装道路をそのまま進むことになっていたが、私達はここで山道ウォークを打ち切ることにした。
T字路海岸方向に曲がり、坂道を一気に駆け下りる。
そして国道まで出てきたところに、ちょうどバス停があった。
次のバスの時間まで約10分。ぎりぎりセーフである。

バスに間に合った時間通りにやって来たバスに乗り幌満へ戻る。
既に12時を過ぎていたので、車で様似町市街地まで引き返し、来るときに目星を付けておいたラーメン店「水鶏」に行くが、人気店らしくて満席。
並ぶのも面倒なのでコンビニ弁当を買って、日高耶馬渓の風景を眺めながら、車の中でそれを食べた。

その途中、様似山道で追い越してきたご夫婦が、国道を歩いて幌満まで戻るのとすれ違った。
バスの時間にこだわらなくても、その方法があったのである。
距離を測ってみたら僅か3.4キロ。
私達ならば30分ちょっとで歩けるような距離である。
今回はバスに乗ることにこだわり過ぎたと、少し反省である。

その後は幌満峡ドライブへ。
5年前にも途中まで走ったことがあったが、なかなか良い景観の道である。
ただ、かなり荒れたダート道なので、かみさんはここを走ることにあまり良い顔はしない。

幌満峡そんなかみさんをなだめすかしながら、幌満川に沿ったダート道を上流に向かって車を走らせる。
途中からは幌満川を遥か眼下に見下ろす渓谷美に感動する。
上流に向かうに従って、遥か下に見えていた幌満川との高低差が無くなってくる。
カヌーをやっていると、川を見るとまず、そこを下れるかどうかを考えてしまう。
道路の上から見下ろす感じは、鵡川の赤岩青巖峡やトナシベツ川のイメージである。

しかし、更に上流部では岩に挟まれたクリーク状の流れに変わり、こうなると完全にエキスパートの世界である。
自分では下れないとは分かっていても、真っ白に泡立つ激流を見るのは爽快である。

古いダムを通り過ぎて更に奥へと進むと、幌満川稲荷神社がある。
前回は確かここで引き返したはずだが、更に先の幌満ダムまで行ってみる。
満々と水をたたえた幌満ダムから先は風景ががらりと変わる。
幌満湖水面が大きく広がる幌満湖の奥には真っ白な姿の日高の山並みが見えていた。
道は更にその先まで続いていたが、きりがないので途中から引き返す。

帰り道は、道路脇に生えているタランボを収穫。
既に大きくなり過ぎているものも多く、また、採られたばかりのものも目立っている。
私達より先に車が1台入っていたので、一足先に収穫されてしまったのだろう。
それでも、二人で食べるには十分すぎる量を収穫できた。

サクラやコブシも今が盛りと咲き誇っている。
特にここではコブシの木が多いようで、周りの山でもコブシの白い色が目立っている。

幌満の市街地まで戻ってきて、後はこの日のキャンプ地に予定している百人浜オートキャンプ場に向かうだけである。
しかし、その前に様似山道の入り口に生えていたネギを収穫しなくてはならない。
海霧が霧雨のようになって身体を濡らす中、急いでネギを収穫。
ネギが沢山入った袋をぶら下げて、幌満川に架かる橋の上をブラブラと歩いていたら、カヤックを積んだ車が通りかかった。
今時期にこんな場所をカヤックを積んで走っている車なんて滅多にない。
多分知っている人間だろうと思ったら、案の定、明日一緒に歴舟川を下ることになっている同じクラブのサカタツさんだった。
それにしても、橋を渡って車に戻る僅か1分ほどの間にすれ違うのだから、すごい偶然である。


幌満峡   幌満峡
埋もれたダム   コブシの花が沢山咲いていた

幌満峡
カヌーで下りたくなる幌満川の流れ

襟裳岬を観光してからユースに泊まるというサカタツさんと別れて、私達はキャンプ場を目指した。
こんな霧の中でキャンプをするのは嫌だなと思っていたが、海霧は日高側だけに発生していたようで、襟裳岬を回った先にあるキャンプ場付近では青空さえも見えていた。
このキャンプ場に泊まるのは6年前の8月以来2度目である。
その時はフリーサイトにテントを張っていた。
我が家のサイト荷物搬入時は場内の通路に車を入れられるので、荷物運びにも苦労しない。
それならば、我が家には使い道のない電源付きのオートサイトに、高い料金を払ってテントを張る必要はないのである。

しかし今回は2泊目ということもあって、やや疲れ気味。
少しでも楽をしたいので、奮発してオートサイトを利用することにした。
テントを張ったら直ぐに、隣の高齢者センターで風呂に入る。
風呂から戻ってきたら、せっかくの電源付きサイトだからと言って、そこにドライヤーをつないで髪を乾かし始めた。
私もせっかくの電源を有効利用しなくてはと、スマホを充電しようとしたが、コードのアダプターが邪魔でコンセントにさすことができず。
我が家のキャンプに電源は全く必要ないことを再認識することとなった。

オートサイトには大型のトレーラーが1台と、フリーサイトにテントが二張り張られているだけ。
昨日の混雑した判官館のキャンプ場を見て「キャンプブームの再来か」と思ったが、ここの様子を見て、そうではないことが良く分かった。
フリーサイトはともかく、ここのオートサイトは使い勝手が悪そうだ。
使い勝手の悪いオートサイト駐車スペースの隣に、小高くなった芝生のテント床らしきものがあるが、ここが狭すぎるのである。
その狭いところにブロックで囲んだかまども作られているので、余計にテントを張るスペースがなくなっている。

我が家の小さなソレアードでさえ張れないのだから、もっと大きなテントのファミリーキャンパーはどうしているのだろうと心配になってしまう。
別にこの狭いところに無理してテントを張らなくても良いのだが、それ以外の場所は起伏が多くて、テントを張っても快適には眠れそうにない。
キャンパーが少ないのは、ここにも理由があるのかもしれない。

夕食はアイヌネギと豚肉の炒め物に鍋。
タランボは昨日テンプラで食べているので、明日のカヌークラブでのキャンプのお土産にする。

夕食が終われば、隣の林の中から拾い集めてきた枯れ木で焚き火を始める。
せっかくなので、焚き火台は使わずに、備え付けのかまどを利用する。
かまどで焚き火このかまどだが、煮炊きやバーベキューをするのには役立ちそうだが、焚き火をするのにはとても使いづらい。
風は通らないし、3方を囲まれているので、せっかくの焚き火の熱がさえぎられてしまうのだ。
今時、かまどで料理をするキャンパーなど滅多にいないだろうし、焚き火用のかまどにした方が喜ばれそうな気がする。

そして、全てのサイトのかまどに鉄ピンに取り付けられた空き缶が用意されている。
多分これは吸殻入れの代わりなのだろう。
別にそれが悪いとは言わないけれど、今の時代で何か違っているような気がする。
私も、キャンプとカヌーの時だけはタバコを吸うのだけれど、ここでタバコを吸っても吸殻は焚き火の炎の中に放り込むだけである。

焚き火の前で、偉そうにそんなキャンプ場の評価をしながら、ワインを飲む。
木々の間から月明かりが射してきた。
GWキャンプ二日目がこうして終わりを告げた。


キャンプ風景

焚き火をしているといつの間にか月が昇ってきていた


夜中に目覚めると、ポツポツとテントに落ちてくる雨粒の音が聞こえた。
雨が降っているわけではなく、テントの上を覆っている木の枝から水滴が落ちてきているようだ。
濃い霧が出ているのだろう。

朝起きると、昨日と違ってテントはびしょ濡れである。
昨日燃やし残した薪も、霧で濡れてしまっていた。
キャンプ場の朝それでも直ぐに火は付いて燃え始める。
拾い集めた枝がまだ沢山残っているので、キャンプ場を出る前に全て燃やし尽くさなくてはならない。
別に、余れば拾ってきた森の中に戻せば済む話しだが、拾い集めた薪を残してしまうのは自分の焚き火の美学に反するのである。
湿って燃えの悪い薪を、苦労しながら燃やす。

テントに付いた水滴を雑巾でふき取る。
薄い雲に隠されながらも日も射してきて、朝食を終える頃にはテントもほぼ乾いていた。
薪も全て白い灰に変わっていた。

我が家のキャンプはこれで終了。
この後はカヌークラブのメンバーと合流し、川下りとキャンプを楽しむことになるのだった。

百人浜キャンプのアルバム 




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