北海道キャンプ場見聞録
GWのテーマは廃
あかんランド丹頂の里(5月3日〜4日)
昨年、HTBで放送されていた壇蜜古画という番組で、「消えた街 雄別」として雄別炭山が取り上げられていた。 そして、GW後半4連休の最初にその予定を組み込んだ。 過去に2回ほどこの道を走って鉄橋の写真などを写していたが、旧上茶路駅の跡だけは見つけられずに終わっていた。 しばらくウロウロしていたら、国道から脇道に入ったところで藪の中に錆の浮いた鉄骨製の上屋が建っているのを発見。 枕木の上を歩いて駅跡へと向かうが、棘の生えた低木が密生していて行く手を遮る。 プラットフォームには上茶路駅の看板が、一部は壊れかけているものの、そのまま残っていた。 駅舎の跡が公園化されて残されている所もあるが、ここのように自然の力に晒されて次第に跡型を消していく様子を見られる方が私は好きなのである。 夏には草木が茂って、今よりも近づくのは難しくなりそうだ。 しかし、難点も一つある。 |
トロッコの車輪だけが残っている | 信号機も良い味を出していた |
白糠の道の駅で酪恵舎のチーズと株式会社ジビエのエゾシカ肉を仕入れる。 阿寒町を過ぎて布伏内の集落までやって来ると、急に廃屋が目立ち始める。 真澄は布伏内集落の外れの方にある、素っ気ない外観の店だった。 店内での、店主とお客さんとの会話も「かみさんが家を出て行ったけど、娘はこちらに残った云々」などと、これまた土地の雰囲気に合わせたようなもので、隣で聞いている私達を独特の世界に引き込んでくれる。 肝心のラーメンの方も、塩ラーメンが四つのタイプの塩から選べて、見た目も味も札幌のラーメン屋ともまともに勝負できるレベルのものだった。 腹ごしらえをして、いよいよ主目的の雄別探訪である。 インターネットで雄別について検索すると、心霊スポット関係のページが沢山ヒットしてくる。 次に目についたのが大きなコンクリート製の建物だった。 ランとした建物の中を歩いていると、当時の賑わいが頭の中に蘇ってくるような気がした。 ここの壁にも落書きがあったが、その落書きを上から消したような跡も残っていた。 |
大きな開口部がデパートの正面玄関か? | ここには商品が一杯並んでいたはず |
建物裏の階段から屋上に登ってみた。 映画館の周辺は一般住宅の基礎と思われるものが半分草に埋もれて広がっている。 |
これは風呂桶だったのだろうか? | やたら綺麗だけど・・・ |
その周辺の探索を終えて車道を更に奥に進むと、巨大な煙突が現れた。 車から降りてその写真を撮っていると、後ろから1台の車がやってきて、助手席から女性が降りてきた。 道路を更に奥まで進み、煉瓦製の眼鏡橋などを見てからUターンして同じ道を戻る。 本当は、この病院廃墟を見に行くことは、あまり気が進まなかった。 廃墟好きの私としても、病院の廃墟だけは遠慮したい。 そんな様子を見て、私も病院の中に入る勇気が湧いてきた。 3階まで上がると、そこから延びた廊下の先には病室がずらりと並んでいた。 |
病室の窓 | この奥には足を踏み入れられなかった |
車まで戻って来ると、かみさんがいつの間にかアイヌネギを収穫して、ニコニコと機嫌良さそうにしていた。 喉が渇いたので、途中で見かけたカフェで一休みすることにした。 雄別の探索を終えて、今日のキャンプ地であるあかんランド丹頂の里へとやってきた。 ここは北海道キャンピングガイドではファミリー向けのキャンプ場として紹介されていたが、その通りの雰囲気である。 嬉しかったのは、キャンプ場内に雄別炭山の資料館があったことである。 先にここを見て、イメージを膨らませてから現地に向かうか、先に現地を見て、そこで抱いたイメージとの違いをここで確認するか。 |
SLも展示されている | 何時ものように人形と絡む |
この写真を見たかった |
その後は、ビールを飲んでたき火をしてと、いつもの我が家のキャンプ風景が繰り広げられる。 フェイスブックに雄別炭山の写真をアップしたところ、知り合いの方から「そこはやばいので近付かない方が良い、最悪は連れ帰ることとなって除霊した人もいる」とのメッセージを受け取った。 近付かない方が良いと言われても、既に近付き過ぎた後なのである これを書いている今のところは、悪霊に取り付かれた様子もなく無事に暮らしている。 翌朝のキャンプ場は、霧に包まれていた。 霧が晴れると上空には青空が広がっていた。 今日のこの後の予定は雌阿寒岳登山である。 |
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