トップページ > キャンプ > キャンプ日記 > 2013年キャンプ日記

往年のぬし?利尻島キャンプ

利尻島キャミリーキャンプ場ゆ〜に(7月26日〜27日)

カーブミラーで記念撮影利尻北麓野営場からファミリーキャンプ場ゆ〜にまでは約2.2キロである。
昨日はこの道を汗をかきながら登っていたのが、今日は昨日よりも湿度が低く、おまけに下り坂で、背負っている荷物も少し軽くなっているので、35分程でキャンプ場に到着。

その途中、草に埋もれた木製のアスレチック遊具が道路沿いに点在していた。
結構、新しそうな遊具だが、草の育ち具合から見ると、何年も前からこの状態らしい。
やたらに立派な公共施設が多い利尻島だが、反面、このような管理が放棄されたような施設もあって、良く分からないところである。

ここのキャンプ場の管理棟は場内の一番奥、しかも一番高い場所にあるものだから、この場内に入ってからの方が歩くのがきつく感じられた。
キャンプ場の奥にはスキー場のゲレンデがあり、冬期間はここがスキー場の管理棟にもなるので、こんな場所に建っているようだ。

 
草に埋もれた遊具   花と蝶
放棄されたアスレチック遊具   こんな風景に癒される

その管理棟で受け付けを済ませる。
北麓野営場の管理人さんはとても親切な方だったけれど、こちらの若い管理人さんは無愛想というか、全く言葉を発さない人だった。
別に、管理人さんに愛想良くしてもらいたいわけではなく、自動販売機で受付していると思えば大して気にはならない。

我が家のサイトここのキャンプ場も山麓野営場と同じく、サイトが階段状に造成されている。
残念ながら一番上のサイトは既に先客がいたので、我が家は中段付近の端っこにテントを設営。
他にも5張り程のテントが張られていた。
山麓野営場と比べると、こちらはさすがに、ファミリーやライダー、ソロキャンパーと、客層もバラエティーに富んでいる。
ただ、それでもやっぱり年齢層は高めである。
昔はこんな離島のキャンプ場は若者達で賑わい、年寄りは旅館に泊まるのが普通だった。
それが今は、キャンプ場に泊まっているのは高齢者ばかりで、若者たちはペンションなどに泊まるのである。
そんな状況は決して正しいものではないと思うのだけれど、自分たちも間違いなく高齢者に分類されるのであり、これを現実として受け止めるしかないのだろう。

テントを張り終えたら、取る物も取り敢えず、まずは温泉に直行である。
道路を挟んで町営の温泉施設があるのが嬉しいところだ。
温泉を出た後、館内のビールの自販機に視線が吸い寄せられたが、かみさんに諌められる。
夕食の買い出しにも行かなければならず、ここでビールを飲んでしまえば、それ以上動くことができなくなるのは確実なのである。
海まで下りてきた夕食は山食で済ませるとの選択肢もあるが、街の近くのキャンプ場に泊まって山食を食べる気にもなれない。

そんなことで、風呂から出てテントまで戻ってきたら直ぐに、今度は街中のコンビニまで買い出しに出かける。
キャンプ場からコンビニまで更に1.1キロ。
コンビニは海岸沿いに立つので、これで標高1721mの利尻山山頂から海抜0m近くまで一気に下りることになる。
孤島の山を登る時は誰もが憧れる0to0、2日がかりではあるけれど、これで一応達成である。

それなのに、コンビニを出ると、そこの駐車場にタクシーが停まっていたので、ついつい「空車ですか?」と聞いてしまった。
勿論、そんなことは無く、山麓野営場のバンガローに泊まっていたおばさん達がタクシーで買い出しに出てきて、それを待っているところだったのである。

その運転手さんと色々と話をしていて、その中で「利尻は登山だけじゃなくて、他にも良いところが沢山あるので、是非見て行ってください」と言われる。
翌日は一番のフェリーで帰るつもりが、確かにこのまま何処も見ないままに島を離れてしまうのも勿体ないと思えてきた。
そこで、キャンプ場に戻ると直ぐに翌朝8時にレンタカーの予約を入れたのである。

公園も立派だかみさんが「今回は島に渡った気がしない」と、島に着いた時からずーっと言い続けていたので、レンタカーで島を一周すれば、少しは利尻島を実感できるだろう。
島に着いてから、直ぐに山に入ってしまったことも、そう感じる一因かもしれない。
海を間近にしていなければ、島にいる実感はなかなか湧いてこないのである。

それ以外にも、島の民家や公共施設でやたらに立派なものが多いことが影響していそうだ。
島の厳しい風雪に晒された古い住宅などを見ると、そこでの生活を大変さをひしひしと感じてしまう。
特に、天売や焼尻ではそんな印象が強い。
それに比べて、天売島は島全体がお金持ちって雰囲気なのである。
最近の地方公共団体は何処も財政がひっ迫して、公共事業などは以前の三分の一程度にまで縮小しているのに、ここ利尻島はそんなことは全く感じさせないくらいに元気があるように見える。

ビールとつまみ「利尻の産業って利尻昆布くらいだよな〜」
そんな話をしながらキャンプ場に戻ってきて、ここでようやくビール解禁である。
疲れた体にビールが染み渡る。
350mlを2缶飲んだだけで、体がふらついてしまう。

場内に、上にブルーシートをかけ、立ち木に張ったロープに沢山の洗濯物を干しているテントが張られていた。
ライダーが集まるキャンプ場などで良く見かける「主(ぬし)」の雰囲気が漂っている。
でも、そのテントの持ち主が戻ってきたのを見て驚いてしまった。
年配のご夫婦とそのお孫さんらしき男の子の3人が、そこの住人だったのである。

キャンプ場のぬし?「子供の親は来なかったのかしら?」
「この子の親あたりは、キャンプをしない世代だよな〜」
「あのおじいちゃんは、昔は知床のキャンプ場でシャケバイとかしながら一ヶ月くらいテントを張ってたタイプだね」
1人で楽しそうに走り回っている子供を見ながら、私達は勝手なことを言い合っていた。

今日は、北麓野営場を出る頃から雲が広がり、そのまま空は雲に覆われたままだった。
それがようやく、雲の合い間から青空も見えるようになってきた。
利尻山の山頂を隠していた雲も取れて、サイトから山頂が見えるようになる。
手前の山が邪魔になって、山頂付近がちょっとだけ見えているだけだが、山を下った後でキャンプをしながらその山の姿を眺められるのは良いものである。

サイトから眺める利尻山山頂
ついさっきまで自分達が立っていた山頂を眺めビールを飲む

昨日と同じく、コンビニ弁当の夕食を済ませた後でワインを開ける。
私は疲れきっていたので、そのワインを最後まで飲む気力も無く、今日も7時前に寝ることにする。
残ったワインは、かみさんが自分のテントに戻ってからチビチビと飲むと言う。
明日の天気予報は、何時の間にか曇りから雨に変わっていた。
昨日の夜の天気予報を聞いて、今日じゃなく明日に山に登ることにしたおばさんグループがいたが、やっぱり天気予報をそのまま信じるのは間違いなのである。
問題は雨の降り始める時間である。
せめてレンタカーを借りる午前8時までは降らないでくれと祈りながら眠りについた。

朝寝るのが早すぎると、夜中の変な時間に目が覚めて眠れなくなるのは、昨日の夜と同じだった。
あまり熟睡できないまま4時過ぎには起き出すこととなる。
幸い、まだ雨が降りそうな気配も無く、ゆっくりと朝のコーヒーを飲んで朝食を済ませる。
しかし、雨雲の動きを見ていると、この空模様が午前8時まで持ってくれるかは、かなり微妙な状態だった。

アウトドアで、この雨雲の動きをリアルタイムで知ることができるのは、本当に便利である。
昨日もそのおかげで山に登る決断ができたし、今日もその動きを見ながらこれからの行動を考えることができるのだ。
もしもこの情報が無ければ、全くあてにならない天気予報に頼るしかないのである。

朝起きた時、キャンプ場の屋根付きバーベキューハウスで野宿をしている人がいた。
「凄い人がいるな〜」と思って見ていたら、シュラフの中から起き出してきたのは老婦人だったのでびっくりした。
他のキャンパーと話をしているの聞くと「利尻に登るのが夢でした」とか言っていたので、昨日利尻山に登って、私達が寝た後にキャンプ場にやってきて、そのままバーベキューハウスで野宿したのだろう。
まあ、色々な人がいるものだと感心してしまう。

ペシ岬に向かう朝食を済ませたら、何時雨が降り始めても良いように、そのまま直ぐに撤収を始める。
そうして午前6時、全てをザックに詰め込んでキャンプ場を後にした。
8時まではまだ時間もあるので、利尻島に着いた時からずーっと気になっていた、港の横にそびえるペシ岬の頂上まで登ってみることにする。
鴛泊のランドマークとも言えそうなペシ岬の頂上は標高93m。道路を歩いていても常にその姿が見えているのである。

それにしても、島に着いた時と同じくとても蒸し暑い朝だった。
気温は20度くらいだけど、全くの無風なので、歩いているだけで汗が吹き出てくる。
ペシ岬への登り口のところに写真家松井久幸さんのギャラリーがあり、その時間から既にオープンしていた。
喫茶コーナーも併設されていたので、帰りに立ち寄ることにして重たいザックだけを預かってもらい、空身でペシ岬の急な階段を登っていく。
ペシ岬その頂上からは、島に来てから初めて礼文島の姿を見ることができた。
利尻山の山頂からは、礼文島は雲海の下に埋もれて、その姿を見られなかったのだ。
利尻山の方は、今にも降り出しそうな灰色の雨雲に隠されつつあった。

ペシ岬の下の広場には会津藩士の慰霊碑が建っている。
江戸時代に幕命により北方警備で島に駐留した藩士は、水腫病などで多数が命を落としたそうである。
たまたまNHKの大河ドラマ「八重の桜」を見ていて会津藩の過酷な運命のことも知っていたものだから、その前で心から手を合わせた。


ポンモシリ島や礼文島が見える   利尻山と鴛泊港
ペシ岬からは礼文島が見えた   利尻山も雨雲に隠れそうだ

松井久幸さんのギャラリーでその後は松井久幸さんのギャラリーで時間をつぶさせてもらってから、フェリーターミナルへと向かった。
利尻山を覆っている雲は次第に下へと下りてきて、雨が降り始めるのも時間の問題である。
レンタカー会社のシャッターはまだ降りたままで、ここで雨が降りはじめたら雨宿りする場所も無い。
それでも、8時より少し早くにレンタカーを借りられて、これで一安心である。

車に乗り込むと同時にポツポツと雨が落ちてきた。
何度もお世話になっているセイコマで傘を買おうと思ったが、既に売り切れ。
まあ、小さな折りたたみ傘が1本あるので、それで間に合わせるしかない。
まずはペシ岬からも見えていた夕日ヶ丘展望台へ登ろうと思ったが、怪しい雲が直ぐ背後まで迫ってきていた。
車から降りるのを躊躇していると、間もなく土砂降りの雨が降り始めた。
正に危機一髪である。
もの凄い土砂降り最初の日も、テントを張り終えた途端に雨が降り始めたし、雨に降られて残念だったというよりも、雨にあたらずに恵まれていたというのが正しいのかもしれない。

その後は、沓形のセイコマでようやく傘を手に入れ、仙法志御崎公園、郷土資料館、オタドマリ沼、姫沼と観光してまわる。
御崎公園の岩場に作られた生け簀にアザラシが1匹飼われていて、観光客が土産屋で売っているアザラシの餌を食べさせている様子に、「何だかな〜」と思い、オタドマリ沼の駐車場に停まっている観光バスの多さに驚く。
レンタカーは3時間で借りているので、ゆっくりしている時間は無く、郷土資料館は面白そうな展示が結構あったのにじっくりと見ることができず、姫沼を一周する遊歩道は猛スピードで歩いた。


仙法志御崎公園   郷土資料館
仙法志御崎公園で団体さんの赤い傘が目立っていた   やん衆の会話に聞き耳を立てるかみさん

姫沼車で走っている途中でも、新築の家がやたらに目につく。
最初は「どうして利尻島はこんなに豊かなのだろう」と不思議に感じていたが、直ぐにその理由に気が付いた。
道路の拡幅工事に伴い、支障となった家が全て建て替えられているのだ。
最近は、北海道のどこでもこのタイプの公共事業が行われるようになってきているが、税金の使い道として何か間違っている気がするのは、私くらいだろうか。
「風雪に晒された家屋が並んでいるのが島らしい風景」なんて勝手なことを言っているのは旅行者のエゴでしかなく、拡幅地区に住んでいる住民にとっては税金で新しい家を建ててもらえるのだから、こんなにありがたい話は無いのである。

レンタカーを返してから、フェリーターミナルの前にある2軒食堂のうち、まだ入っていない佐藤食堂の方で昼食を食べる。
奮発して、2千円の刺身定食を注文したが、刺身のネタの半分近くがタコ刺しだったのでガッカリしてしまう。
うに丼以外に食い物は無いのか!と言いたくなった。

11時55分発のフェリーに乗って稚内へ戻る。
天気が良ければ、稚内森林公園キャンプ場でもう1泊しようと考えていたが、今日も一日雨の予報で、おまけに蒸し暑く、快適なキャンプはできそうにないので、一気に札幌まで帰ることにした。
雲をまとう利尻島海の向うには、利尻島が霞に包まれながらも頂上までが見えていた。
午前中の土砂降りの雨を厭わずに登っている人がいれば、今頃はその山頂からの景色を楽しんでいるはずだが、多分そんな人は殆どいないと思われる。

雨も上がって、途中にある海水浴場は何処も沢山のキャンパーで賑わっていた。
雲はまだ多いけれど、逆にこんな時の方が美しい夕焼けを楽しめることが多い。
何だか、キャンプをしないで家に戻るのが勿体なく思えてくる。
そこで、留萌市内で夕食を食べた後、せめて夕日だけでも見て行こうと、夕陽の名所である黄金岬に向かう。
ここでも、道路沿いの僅かなスペースにテントが沢山張られていた。
西の空には低い雲が広がっていたが、水平線近くに空がのぞいていて、そこまで太陽が下りてきたら低い雲の底が真っ赤に染まる、滅多に見られない様な物凄い夕焼けが出現するかもしれない。
その瞬間が刻々と近づきつつある時、低く垂れこめた雲から雨が落ち始め、サンセットショーは空しく途中で閉幕となったのである。

まあ、最後まで雨の影響から逃れられなかった3日間だったけれど、利尻山登山の目的だけは果たすことができて、満足できる旅となったのである。


黄金岬の夕焼け
留萌市黄金岬で、この後雨が降り始めてしまった


戻る   ページTOPへ ページトップへ