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時間の止まったYAMANONAKAキャンプ

YAMANONAKAカムイミンタラキャンプ場(11月26日〜27日)

 殆どのキャンプ場はクローズし、川下りのシーズンもとっくに終わり、山に登るにも中途半端な積雪で、ランニングも雪が積もると走りづらく、要するに何もすることのないのが今の季節。
 そんな時は暖房の効いた屋内で温々と過ごすに限ると思っていたけれど、やっぱりそれだけでは我慢できなくて、何か刺激が欲しくなってくる。 今時期に可能なアクティビティはキャンプくらいしか思いつかない。
 そして突然、「今週末はキャンプへ行こう」と言い始めた私にかみさんは呆れ顔をしていたが、それでも反対されることは無かった。

吹雪の高速道路 目的地は道東の音別町にあるYAMANONAKAカムイミンタラキャンプ場。北海道の中でも数少ない、通年オープンしているキャンプ場の一つである。
 朝の7時前に家を出て、夕張から占冠間が繋がったばかりの道東道に乗り、一気に本別まで走る。
 先週末は私の実家のある清水町までこの道東道を利用したけれど、距離にして20キロ、時間にして30分の短縮となった。
 高速料金の出費は痛いけれど、道東方面に足を延ばす時にはとても利用価値があるのだ。
 途中、夕張付近からは吹雪模様の天候となり、これからキャンプをしようとしている自分たちのことを我ながら呆れてしまう。

 それでも十勝に入ると青空が広がってきた。 十勝平原SAで一休み。 十勝平原PAからの展望 道東道で東へ向かう時は、ここがちょうど良い休憩ポイントとなる。
 天気は良くなっても風は強くて気温も低く、相変わらずキャンプ気分は盛り上がってこない。
 本別の道の駅に寄り道し、その後は国道392号を通って白糠へと向かう。
 このルートは昨年9月の道東キャンプ、今年1月の釧路川下り、そして今回と、最近は頻繁に走っているところだ。
 本別から白糠まで約65キロ、そのほとんどが山間部でカーブも多く、あまり楽しいドライブコースとは言えない。
 でも、今回はそこに一つの楽しみがあった。旧国鉄白糠線の遺構を辿ることである。

 昭和58年に廃線となった白糠線は、白糠から二股まで国道とほぼ並行して走り、同じく並行して流れる茶路川などに多くの橋が架かっている。廃線になった後も、これらの橋のほとんどがそのまま残っていて、最初にここを通った時は白糠線はまだ現役の路線だと勘違いした程である
二股神社の鳥居 それもそのはずで、途中の上茶路から二股の終点北進駅までは開業したのが昭和47年なので、施設が作られてからまだ40年ほどしか経っていないのだ。
 それはまた、開業してから廃線となるまで11年しか営業運転していなかったということでもある。
 旧国鉄時代のそんな無駄な事業のことには敢えて目をつぶり、これからはただ朽ちていくだけの鉄道施設を巡って、その頃の時代の匂いだけでも嗅いでみようと考えたのである。

 まずは、白糠線終点北進駅のあった二股地区。駅の跡は更地となって、特に見るべきものもない。
 昔は賑わっていたであろう二股地区も、残っている建物は少なく、そのほとんども空家となっている。
 そこらに停まっている車には全て根釧西部森林管理署の名前が入っていて、現在はその関係者しか住んでいないのかもしれない。

真新しいコンクリート橋 そこから先は茶路川にかかる橋梁の写真を撮りながら走っていく。
 鉄道橋と言えば鉄製の橋のイメージが強いけれど、ここでは建築年代が新しいのでコンクリート製の橋が多い。
 ちょっと見ただけでは道路の橋と区別がつかず、廃線の遺構と言った雰囲気ではない。
 ほとんどの橋はその気になれば上を歩くこともできて、それどころか車で通れるような橋まである。
 一か所だけ鉄桁の橋があって、そこには枕木も残っていた。
 旧白糠線の中でも一番のビューポイントと言えるかもしれない。

 
鉄橋の上を歩ける   第6茶路川橋梁
橋梁の上を歩ける   第6茶路川橋梁はここでは珍しい鉄橋だ

第6茶路川橋梁
第6茶路川橋梁の鉄橋は一番のビューポイントだ

茶路川の釣り人 周辺には釣り人もたくさん入っていて、見ている間だけでも2匹ほどヒットしていた。
 この茶路川は流れも穏やかで、周辺の景色も美しく、カヌーで下っても楽しそうである。
 でも、釣り人が多すぎて、そちらに気を使うのに疲れてしまうかもしれない。

 入口を塞がれることもなく、トンネルもそのまま残されている、
 遺構を見つける度に脇道に逸れて写真を撮っていると、時間がどんどんと過ぎていく。
 先を急いでいると、何時の間にかチーズ工房酪恵舎まで来てしまった。
 旧白糠線探訪の中では、線路やホームが残っている上茶路駅跡を見るのを一番の楽しみにしていたのに、何時の間にか通り過ぎていたようだ。
はまなす亭のメニュー 既に12時を回っていたので上茶路駅は諦めて、酪恵舎でチーズを購入した後は真っ直ぐに白糠へと向かった。
 フレッシュベーカリートムソーヤでパンを買い、はまなす亭で昼を食べる。
 トムソーヤのパンはハード系でも柔らかめで私好みである。
 はまなす亭のメニュー種類が多くて目移りしてしまう。
 かみさんは酪恵舎のモッツァレラチーズの乗ったトマトのスパゲティ、私は阿寒ポークのカットステーキを激うまソースで食べるとんテキ定食を注文。
 どちらもとても美味しかった。
 多分、この店では何を選んでも満足できるのは確かだろう。

 天気は良いけれど風は相変わらず弱まりそうにない。
フンペリムセ発祥地の碑 パシクル沼の手前で、海岸沿いの空き地の中にポツンと建っている奇妙なモニュメントを見つけた。
 一瞬で通り過ぎてしまったけれど、面白そうなのでUターンする。
 アザラシの様に見えたそれはクジラ(フンペ)のモニュメントで、フンペリムセ発祥地の記念碑であった。
 そこから丘の上に通じていそうな砂利道があったので車で登っていくと、素晴らしい展望地に出てきた。
 そこからは何も遮るものが無くパシクル沼と太平洋の海岸線が一望できる。
 この発見に気を良くして、一路キャンプ場を目指した。


パシクル沼や太平洋の海岸線を一望できる展望地
素晴らしい眺めの場所を見つけた

 海岸沿いの音別の市街地から山側に向かって20キロ程走ると、舗装道路が途切れるところにYAMANONAKAカムイミンタラキャンプ場がある。
 途中の風景に見覚えは無かったけれど、道路沿いに立つキャンプ場の看板と霧里小学校の校舎を再利用したツーリストハウスは、16年前と全く同じ姿のままそこに存在していた。
16年前と変わらないキャンプ場の看板 懐かしさが込み上げてくる。
 校舎の中からはピアノの音が聞こえてきた。なんだか、それに合わせて子供たちの歌声が聞こえてきても不思議ではない様な気がする。
 管理人さんの奥さんが弾くピアノの音だった。
 さすがに管理人さんの顔までは覚えていなかったけれど、16年前に訪れて「犬がいるんですが」と言った時、「それじゃあ端の方のサイトの方が落ち着きますね」と言ってくれた優しさに変わりは無かった。

 まだ午後2時なのに、既に太陽は山陰に隠れてしまっていた。山が近くに迫っているため、今の季節は1時半には日が沈んでしまうとのこと。
 旧白糠線を探訪しながらも先を急いでいたのは、今の季節は日が短いからなのである。それが、余裕を持ってキャンプ場に着いたというのに、既に日が沈んでいたのにはちょっとがっかりだった。
サイト付近だけは日が陰ってしまう 牧草地を刈りこんで作ったサイトも全く昔のままだ。16年前はサイトとそうでない場所の区別があまりはっきりしてはいなかったが、現在はそれが明確になっているところに年月の経過を感じる。
 気温はまだプラスのはずなのに、サイトの地面は固く凍り付いていた。すぐ横を流れる小川の水たまりも氷が張ったままだ。
 風が強いのでそれを避けるようにテントを張る。
 回りの山にはまだ日の当たっている場所があるのが恨めしかった。せめて設営が終わって一息付くところまでは、日差しを浴びていたいものである。
 設営完了後のビールも飲む気にはならず、最初からワインを開けることにする。
 酪恵舎で買ったチーズを肴にワインがすすむ。いくら飲んでもアルコールが体に回ってこないのは寒さのせいだろう。
 普段はウイスキーなど見向きもしないのに、こんな時は体を温めるためにもウイスキーが欲しくなる。

 ようやく風が少し治まってきたので焚き火を始めることにした。この季節に焚き火無しではキャンプはしていられない。いざとなればストーブの燃えているツーリストハウスを自由に使うことができるのだけれど、それよりも焚き火の前にいる方がずーっと楽しい。
我が家のテントとツーリストハウス 最近は冬のキャンプでもストーブを使って暖かく過ごすキャンパーが増えたけれど、私たちはそこまでして冬のキャンプをする気にはなれない。
 勿論私たちも小さなヒーターを使って最低限の暖をとることはしている。でも、それ以上の快適さを求めていると冬のキャンプの本当の醍醐味を見失ってしまう気がするのだ。
 実はここのキャンプ場は、これまで通年でオープンしていたのが、数年前から冬期間のキャンプ場営業はやめて、ツーリストハウスだけ冬も営業を続けている。
 キャンプ場の利用料金は一人500円なので、それで管理棟でもあるツーリストハウスを暖房していては採算的に合わないとの理由からだそうである。
 ツーリストハウスの料金は1500円。それでも採算的にはギリギリだろう。
 数日前に電話して初めてそのことを聞いた時には焦ってしまった。せっかく企画したキャンプが流れてしまう。普通ならば「ツーリストハウスに泊まれるのだから何で困るの?」と不思議に思われるところだろう。
 ところが、私が電話口で戸惑っていると管理人さんは私の気持ちを察してくれたようで「ツーリストハウスの料金を払ってテントで寝るのは自由ですが・・・」と言ってくれた。
一番星が出た 管理人さんとしては、テントキャンプをするのにツーリストハウスの料金を取るのが心苦しかったようだけれど、私としては料金が1500円のキャンプ場に泊まると考えれば何の不満もない。
 それだけ、冬でも営業しているキャンプ場というものは貴重な存在なのである。

 夕食はトマト鍋。酪恵舎で買ったモッツレラチーズが丸々1個入っている。それと一緒にトムソーヤで買った柔らかいハード系パンを食べる。
 夕食メニューにパンが出てくるのは我が家にとっては珍しいのだけれど、ワインを飲みながらの食事には良く合っている。
 夕食を終えて焚き火の前で2本目のワインを開ける。
 目の前には素晴らしい星空が広がっていた。時計を見るとまだ午後6時前である。
焚き火を楽しむ 今年は大雪山で、白神山地でと、最高の星空キャンプを楽しめたけれど、ここの星空もそれに勝るとも劣らないものだった。
 特に、自分たちのランタンと焚き火以外には何の明かりもないので、どこに目をやっても満天の星空が眺められるのだ。
 ツーリストハウスの中には明かりが付いているけれど、カーテンがしっかりと閉じられているので、そこからは明かりはほとんど漏れ出てこない。
 風は弱まっていたけれど、それでも時々突風となって吹き付けてくる。それも吹いてくる方向がその度に変わっているので始末が悪い。
 テントに向かって火の粉が飛ぶ時は身を挺してそれを遮る有様である。
 そのうちに再び風も強まってきたので、2本目のワインが空いたところで、焚き火は諦めることにした。


星空
最高の星空が広がった

薪ストーブの燃える室内 歯を磨きにツーリストハウスの中に入る。
 部屋の中では薪ストーブがチロチロと赤い炎をあげながら燃えていた。それまでの火の粉が飛び散る焚き火とは大違いのとても穏やかな光景である。
 中にはグランドピアノを含め3台ものピアノが置かれ、一方の壁には漫画を中心とした本がずらりと並んでいる。
 薪ストーブの近くの壁には新聞の切り抜き記事が何枚も貼られていた。どれもこの周辺での熊の事件に関するものである。
 人間がヒグマに襲われて死ぬような事件は北海道でもまれにしか発生しないと思っていたけれど、この周辺ではそれが結構起こっているみたいだ。
 そこへ管理人さんがやってきた。今時期は人と話す機会も少ないせいなのか、堰を切ったように言葉が出てくる。
 自分でキャンプ場を始めた方と話をするのは興味深くてとても楽しい。
 管理人さんはここへ来る前には長野の方でキャンプ場をやっていたのだけれど、そこに開発の波が押し寄せてきたことで嫌気がさして北海道へやって来たそうである。
グランドピアノが置かれたツーリストハウス 私が「ここが昔と全く変わっていない」と言った時に喜んでくれたのは、そんな過去があったからなのだろう。
 若者ライダーいなくなっておじさんライダーばかりになったこと、キャンプ場で徒党を組むリタイアキャンパーのこと、車中泊が増えた嘆かわしい現実など、最近のキャンプ事情の話に花が咲く。
 その中でも面白かったのが、管理人さんも私達と同じく冬キャンプでのストーブ否定派だったことだ。
 その考え方は私達よりもはっきりとしていて、冬期間のキャンプ営業を止めてしまったのも、そんなキャンパーが増えてきたことが一因らしい。
 これは私の勝手な憶測だけれど、たとえテント泊だったとしても、それは寝るだけのために使って、くつろぎの時間はツーリストハウスを利用してもらって一緒に語り合いたいというのが管理人さんの本音じゃないだろうか。
 夜も更けたので失礼してテントに戻る。ガソリンランタンを付けっ放しだったので、テント内もほんのりと温まっていた。
 缶ビールを1本飲んで就寝。

 翌朝は思ったよりも冷え込まなかった。シュラフの中から手だけを出してテントに触れてみたが、しっとりと濡れているだけでザラザラとした氷の感触は無い。
 それでも、温々としたシュラフの中から出るのには覚悟が必要だった。シュラフから抜け出し、体がまだ温まっている間に大急ぎで服を着込む。
朝日が昇る かみさんが先にテントの外に出て、「シカがいるわよ」と声を上げた。その瞬間に、シカ独特の警戒する鳴き声が辺りに響いた。 私がテントから出た時は、既にシカ達は山の斜面を駆け上っていった後だった。
 昨夜の満天の星空から一変して、空は雲に覆われていた。気温は0度、雲が広がったおかげで気温も下がらなかったようだ。
 風も止んでいたので直ぐに焚き火を始める。
 朝日が昇ってきた。
 サイトのすぐ近くにまで山が迫っているので日が沈むのは早かったけれど、東の方向だけには山が無いので、通常の日の出の時間に朝日を拝めるのがありがたかった。
 周囲の木々に朝日が当たり始めるのに合わせて、鳥たちのさえずりが聞こえてくる。空を覆っていた雲も何時の間にか消えてなくなり、昨日のような青空に変わっていた。
 まさかこの時期でこれ程快適なキャンプの朝を迎えられるとは思ってもいなかった。
 管理人さんがツーリストハウスの薪ストーブに火を付けたのだろう。煙突からモクモクと煙が上がっている。この霧里小学校の校舎がキャンプ場の風景を大いに魅力あるものに変えているような気がする。
 そしてここが、何とも懐かしく、居心地の良い空間に感じられるのである。


霧里小学校校舎を利用したツーリストハウス
小学校の校舎を朝日が照らす

我が家のテント   ポンムリ沢川
我が家のテントを朝日が照らす   サイトの隣を流れるポンムリ沢川

 朝食を終えて一休みしてからランニングシューズに履き替える。今回のキャンプではとうとうランニングシューズを持ってきてしまったのである。
 「それは完全にランニング中毒」と笑われるかもしれないけれど、キャンプの朝に散歩するのは毎度のことである。その散歩をランニングに切り替えれば、同じ時間で遠くの場所まで行くことができる。そしてそれだけその土地のことを良く知ることができるのである。
 キャンプ場から奥に向かえば砂利道のトレイルラン、舗装道路を戻れば普通のランニング。トレイルランの方が面白そうだけれど、新聞の切り抜き記事のことを思い出すとちょっと怖いので、素直に舗装道路を走ることにする。
キャンプ場の近くでランニング 田舎道を走るのは気持ちが良い。
 放牧されている牛たちが私たちの姿を見ると、それまで寝そべっていたのが突然起き上り、そして私たちと一緒に走り始めた。
 朝の食事の時間と勘違いしているのだろうか。他の場所にいた牛も同じように走り始めるので、何だか申し訳なく思ってしまう。
 カーブを曲がるとその先でエゾシカがピョンピョンと跳ねながら逃げていくところだった。
 山の中に逃げ込もうとするのだけれど、そこには鹿避け柵が張り巡らされているので、そのまま道路の上を走り続けるしかないのだ。
 路肩には鹿のマークが描かれた注意標識が立っていて、その風景に笑ってしまう。
 5キロ地点で折り返す。
 その頃から再び雲が広がり始めて見る見るうちに空を覆っていく。
 今にも雨が落ちてきそうな様子の雲なので焦ってしまう。今日の天気予報は曇りのち雨なのだ。


牛たち   シカの道路標識と
この後一緒に走り出した   標識のとおりにシカが出てきた

それでも、雨に降られることなくキャンプ場へと戻ってきた。
そのままムリ川の川原に出て、ランニング後のストレッチをする。
川原にはひびの入った石が沢山あって、それを掴もうとするとひびの入った場所からバラバラに割れてしまう。
泥岩の一種なのだろうか。川原の石を見ているとその上流の地質のことも分かってくるので、なかなか面白い。


ひびの入った泥岩   バラバラになった泥岩
ひびの入った石を触ると   バラバラに崩れてしまう

 風もまた強まってきたので、そのまま撤収を開始する。片付を終え、管理人さんに挨拶をしてキャンプ場を後にした。
 16年ぶりに訪れたYAMANONAKAキャンプ場だったけれど、次に訪れるのはそれほど遠い先のことではなさそうな気がした。
 その後は、こんな時でなければ立ち寄ることの無さそうな浦幌の留真温泉に入る。
帰り道もみぞれ混じりの雨が しばらく休業していたのが、今年の3月に新しくなって再オープンしたばかりの温泉だ。
 浴槽は小さいけれど、アルカリの湯が肌に心地よい。
 昼は池田町のご馳走家ゆたかで究極の親子丼と池田牛のハンバーグを食べる。
 今回のキャンプでは行きも帰りも美味しいものを食べられて満足である。
 そして道東道に乗って雨の降る中を一気に札幌へ。
 途中ではその雨がみぞれに変わり、音別で季節外れの穏やかなキャンプを楽しめたのは、やっぱり偶然だったことを思い知らされた。

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