アップダウンを繰り返しながら尾根上に付けられた道を歩いていくと、突然目の前にブナの巨木が現れた。
大地にしっかりと根を張ったその姿はマザーツリーよりも立派で、太さも上回っている。
そんな巨木が名前も付けられずに、散策道の真ん中に立ち塞がっているのだ。
私たちは勝手にそのブナの巨木をグランドファザーツリーと名付けた。
地上に持ち上がった根張りが椅子代わりになりそうなので、そのブナの木にお願いしてここで休ませてもらうことにする。
歩き始めてからおよそ1時間40分が経過していた。
食事を終えて再び歩き始めると、間もなくして小さな展望広場風の場所に出てきた。
崖際まで笹が刈られているので岩木山などの姿を一望できる。でも、そこから見渡せる山々は白神山地のコアエリアとは反対側になるのがちょっと残念だった。
そこから先、道は突然急な下り坂となり、横に張られているロープを頼りに下りることになる。笹も茂っているので、そのロープが無ければどこに道があるかも分からない様な状態である。
しかもその道は、細い痩せ尾根の上に付けられているので、一歩間違えればそのまま崖下に転落しそうである。笹が茂っているので転落の恐怖は和らげられるけれど、もしも笹が生えていなければ、恐怖で足がすくんでしまうことは間違いない。
何とか痩せ尾根地帯は通り過ぎたけれど、急な下り坂はまだ延々と続いている。
ザックの重みが自分の体重と合わさって、一歩一歩踏み出す足にかかってくる。
3か月前の大雪山縦走時の黒岳からの最後の下りを思い出した。重たいザックを背負っての下りは本当に辛い。
回りには相変わらず美しいブナ林が広がっているのに、それを楽しむ余裕も無くなってきた。
途中で突然、道が笹薮の中に消え失せていた。
焦って周りを見渡すと、下の方の斜面に何となく道らしきものが見えていた。
落ち葉が積もっているので、それが正式な道なのか、それとも沢筋に落ち葉が集まった場所なのか、判然としないのだ。
不安に感じながらも底を下っていくと、どうやらそれで正解だったようだ。尾根伝いに続いていた道が、そこから尾根を外れて下っていたのである。
途中で行く手を塞ぐようにロープが張られていた。邪魔なロープだなと思いながらそれをまたごうとした瞬間、その手前で別の方向に道が続いていることに気が付いた。
そのロープは、間違った方に進まない様に張られたものだったのである。
でも、簡単にまたげる高さに張られた細いロープで、何の表示もなく、ぼんやりしていたらそのまま通りすぎてしまいそうだ。
落ち葉に覆われた道は真っ直ぐに続いているように見えて、もしもそのロープが切れていたりしたら、そこで道が曲がっていることには絶対に気が付かないだろう。
そこは沢状の地形に落ち葉が溜まって道の様に見えていたので、もしもそのまま下っていけば、やがて本当の沢の中に入り込んで、初めて道に迷ったことに気が付くことになりそうだ。
特にこの辺りまで下ってくると、疲れのために注意力散漫になっているので、余計に道を間違えそうだ。
この辺りで道を間違えやすいことはネットの情報で事前に知っていて、念のためにハンディGPSにはルートを登録しておいたけれど、幸いにもそのお世話になることなく、今回は無事に歩き通すことができた。
かなり下ってきたところで連続して巨木が出迎えてくれた。
ブナではなくミズナラの巨木である。
疲れ切った体に、その巨木が少しだけ元気を注入してくれた気がする。
次第に人里の気配がしてきたけれど、まだまだ下り坂は続く。
このルートには高倉森自然観察歩道の名前が付いているけれど、絶対に高倉森登山道の名前の方が合っていると思う。
荷物を背負っているせいもあるけれど、山を下るのにこれだけ疲れたのは黒岳以外に記憶はなかった。
そうしてようやくアクアグリーンビレッジANMONに到着。歩き始めてから3時間30分。やっぱりコースタイム通りの時間がかかってしまった。
管理棟で受け付けをしてテントサイトへと向かう。平日だけれど、紅葉の最盛期。世界遺産の白神山地周辺でキャンプできる場所はここしかない。
当然、他にもキャンパーは沢山いるだろうと考えていたのだが、我が家以外には誰もいなかった。
バンガローも1棟が埋まっているだけだ。
その事実に驚いたけれど、我が家にとっては嬉しい事態である。
道外に来てまでもキャンプ場を貸切で利用できるなんて思ってもいなかった。
フリーサイトの料金はテント1張り500円。
何時もは別々にテントを張るのだけれど、さすがに今回は荷物を軽くするためにテントは1張りだけ。
暗門川の清流に隣接した快適な広場を500円で独り占めできるのだから堪らない。
テントを張り終え、汗で濡れた服を着替えとところで、管理棟で買ってきた冷えたビールで乾杯。
現地でビールが帰るかどうかが一番の心配事だったけれど、ビールどころか食料品も結構売られていた。
併設されているレストランが日中だけの営業なので、山食を持参してきたけれど、それも必要なかったようだ。
一息ついたところで施設内の温泉で汗を流す。そしてまたビールを買って、テントに戻って乾杯。もう極楽キャンプである。
夕食は、荷物を少しでも減らすために持ってきた山食を食べる。
テントから出ると素晴らしい星空が広がっていた。
川のせせらぎを聞きながら午後8時頃に眠りにつく。
寝台列車での寝不足と歩き疲れで、朝の5時まで約9時間、ぐっすりと眠りこんだ。
キャンプでこんなに長い時間寝るのは初めてである。
朝のコーヒーと朝食は、全て炊事場の建物の中で済ませる。
何せ、他にキャンパーはいないので施設を自由に使うことができるのだ。
やがて、キャンプ場の周りを取り囲んだ山の頂に朝日が当たり始め、紅葉が照り映える。
それが次第に下界へと降りてきて、我が家のテントの隣に立つカツラの木が真っ黄色に染め上げられた。
暗門川の川面からは川霧が立ち昇り、夜露を溜めた草の穂がキラキラと光り輝く。
こんなに美しい朝のキャンプ場の風景はあまり記憶にはない。
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