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流氷一人旅キャンプ

浜小清水の海岸(2月19日〜20日)

雪の舞う道央自動車道 雪の舞う道央自動車道を、1985年オリコンヒットチャート曲を大音量で聴きながら、車を走らせていた。
 普段なら直ぐに「うるさい!」と言ってくるかみさんの姿は助手席には無く、そこには大きなザックが一つ置かれているだけである。
 かみさんは、一週間前に罹った風邪が回復せず、前日の朝になって「これじゃあテント泊は無理みたい」とリタイア宣言をしたのである。
 今回の目的は流氷キャンプ。
 日頃から流氷キャンプに乗り気ではないかみさんなので、単独行動の方が私にとっては自由が利いてやりやすい。
 一人ならば何処ででも寝る事ができるし、流氷が接岸していなければ、知床の山の中で羅臼岳から登る月を眺めながらキャンプをする代案も密かに考えていたのだ。
 しかし、金曜日に北海道の東を発達した低気圧が通過し、その低気圧が吹かせた北風によって網走から斜里にかけての海岸には大量の流氷が押し寄せているはずなので、代案の必要性は無さそうだった。
除雪されていない旭川紋別自動車道 旭川紋別自動車道に入ると、青空が広がってきたものの、昨日の夜から今朝にかけて積もった10センチ以上の雪が全く除雪されていなかった。
 ハンドルを取られないようにしっかりと握って、雪の積もったままの追い越し車線から強引に追い抜きをかける。
 家を出る時に「安全運転でね」と言っていたかみさんの顔が浮かんできたが、長距離を走るときはどうしても先を急いでしまう。

 終点丸瀬布で高速道路を降り、美幌経由で東藻琴へ向かう。
 上空には素晴らしい青空が広がり、最近積もったばかりの真っ白な雪とのコントラストが、如何にもオホーツクらしい風景を演出している。
 チーズを買おうと立ち寄った東藻琴の乳酪館は、残念ながら休館日だった。
 町内の農協の店舗やスーパーも全て休業。「何で日曜日が休みなの?」と言うのは、都会で暮らす人間の感覚なのだろう。
藻琴駅内の「とろっこ」 チーズは諦め、そこからは海を目指すことにして道道102号をオホーツク海に向かって北上する。
 その道道が海岸沿いを走る国道に突き当たったところに、味わいのある木造駅舎の藻琴駅がある。
 無人の駅舎の中ではラーメン喫茶&軽食の「トロッコ」が営業していて、今日の昼食はここで食べることにした。
 ラーメンが美味しそうだったけれど、今日の夜は粗食で耐え忍ばなければならないので、ご飯もののカレーライスを注文。
 食事を終え、斜里に向かって国道を走り始めると直ぐに、流氷で埋め尽くされた真っ白なオホーツク海の風景が広がってきた。
 工事用に除雪された海岸線の道を見つけて、車を乗り入れる。
 車を降りれば目の前が海岸なので、流氷の近くに手軽にテントを張るには良さそうな場所だったが、交通量の多い道路に近すぎて、さすがにここでキャンプをする気にはなれない。

流氷ノロッコ号 国道に戻ると、隣接する線路上を深緑色の列車が走ってくるのが遠くに見えた。
 慌てて車を降りてカメラを構えていると、その前を流氷ノロッコ号が通り過ぎていく。
 実は、このノロッコ号の撮影も今回の行動計画の中に含まれていたのだ。
 そのために、わざわざノロッコ号の時刻表まで調べておいたのに、それを見るまでもなく、あっさりと目的を達成してしまったのである。

 途中で通り過ぎた北浜駅の前には、大型バスが何台も停まり、その隣りの木製の展望台には観光客が鈴なりになっていた。
 多分、全員が中国人なのだろう。
 藻琴駅と同じような、小さな木製の無人駅舎。
 オホーツク海に一番近い駅として知られ、ドラマや映画の撮影にも使われたそうだけれど、大型観光バスが停まるような観光施設とは思えない。
 これが流氷観光の実態だとすれば、何ともお寒い話しである

浜小清水の前浜 今回の流氷キャンプ地の候補になっていた、浜小清水の前浜に到着。
 3年前に下見で訪れた時と同じく、駐車スペースが綺麗に除雪されていた。
 流氷キャンプは、その気になれば何処でもできるのだが、近くに安心して車を停められる場所があるのが第一条件である。
 隣接する丘の上にフレトイ展望台があるので、そのための駐車場として除雪しているのだろうか。
 海岸に下りてみる。
 この付近では海面が開いている場所があり、波が打ち寄せていた。
 その波の中には小さな砕けた流氷が沢山混ざっているので、波しぶきではなく氷の塊が飛び散る。
 初めて目にする氷の波は凄い迫力だった。
氷の波が打ち寄せる キャンプ地としても申し分なかったが、本命にしていた候補地が別にあったので、そちらも見ておくことにする。
 その前に、道の駅「はなやか小清水」に寄り道した。
 もしかしたら東藻琴で買いそびれたチーズがあるかもしれないと思ったが、大したものも無く、隣のマートフレトイの方にも入ってみる。
 町のスーパー風の店内には、興味を惹かれるものが色々と置いてあった。
 その中でも私の目を引いたのは、充実したお惣菜コーナーである。
 今日の夕食はフリーズドライの山食なので、つまみくらいは豪華にしたいのだ。
 目的のチーズを買えなかった代わりに、チーズちくわやホタテのフライを購入。
 十勝ワインのトカップのハーフボトルも購入。
 中身は十勝ワインでも、ラベルは知床ワインになっているので、流氷の上で飲むにはちょうど良かった。

 そうして本命候補地に到着。
 こちらも、道路から入った川の縁に数台分の駐車スペースがある。
 除雪されているわけではなく、車が入って自然に踏み固められた場所のようだ。
 雪の少ない土地なので、それで十分なのだろう。
 それにしても、川は禁漁になっているし、誰がここを利用しているのかは不明である。
本命候補地の海岸 JRの鉄橋の下をくぐれば直ぐに海岸に出られるので、流氷見物の隠れた穴場スポットなのかもしれない。
 鉄橋をくぐった先は、河口部分の海面が開いているものの、その他は真っ白な流氷に埋め尽くされていた。
 そしてその流氷原の向こうには、やや霞んでいるものの知床連山の姿が見えている。
 ロケーションは完璧で、後はテントを張る場所である。
 予定では砂浜部分にテントを張るつもりでいたが、流氷原を展望するような形でテラス状になった流氷があり、その先端が良い具合に平らになっていた。
 まるで「どうぞここにテントを張ってください」と言わんばかりの様子である。
 まだ時間も早く、知床まで足を延ばそうかとも思っていたが、そんな様子を見ると知床の事など頭の中から消し飛んでしまった。
 キャンプ道具を取りに、急いで車へ戻り、そうして道具一式を背負って、流氷のテラスへと舞い戻った。
 テントを組み立て、フライシートの固定用ペグをハンマーで叩くと、小気味良く氷の中へ入っていく。
 氷瀑登攀のハーケンを打ち込んでいる気分になって気持ちが良い。
 そうして今夜の寝床が完成した。

 
寝床完成   目の前は流氷原

安定した流氷の上にテントを張った 流氷キャンプを何度か経験するうちに、最終的には流氷の上にテントを張ってみたいと考えるようになっていた。
 一方で、さすがにそれは無茶だろうとも思っていた。
 陸続きの雪の大地のように見えても、実際には海の上に浮かんでいる流氷なのである。
 寝てる間の安全の保証は何も無いのだ。
 どうしてここだけが流氷原より一段高くなっているのかは分からないが、大きな流氷が岸に打ち寄せた時の名残なのかもしれない。
 普段の海岸線と比べたらこの場所は確実に海の中のはずだが、流氷の下部はしっかりと海底に付いていると思われ、安心して眠れそうだった

 スノーシューを履いて、テラスの下の流氷原に下りてみる。
 そこから先は本当の海の上である。
 二日前の低気圧では猛吹雪になったのだろう。流氷原は、まるで冬山のシュカブラの様な風紋に覆われ、流氷の上を歩いているような気がしない。
流氷原に走る亀裂 しかし、そこに入った一筋の亀裂が、自分が今、不安定な氷の上にいる事を思い出させてくれる。
 流氷原は遥か沖まで続いているようにも見えるが、途中からは海面が小さな氷に覆われているだけらしく、波の様に大きくうねっていた。
 そして時々、そのうねりが氷の平原にぶつかってきて、大きな波しぶきを上げている。
 その時に打ち上げられた氷の塊が、山のようになって積み重なり、流氷山脈となっている。
 本来の流氷山脈は、次々に押し寄せる流氷が行き場を失ってそのまま海岸に積み重なってできるものなので、流氷の勢力が本当に大きい時にだけ現れる。
 私の前の流氷山脈は、小さく砕けた流氷が波の力で積み重なってできたものなので、今年の流氷の勢力が弱い事を表しているのかもしれない。

 恐る恐る、流動化している流氷のギリギリのところまで近づいてみた。
 噴火する火山の火口の縁に立つ火山学者になって気分だ。50センチ先には地獄の入り口が蓋を開けて待っているのである。
 もしもかみさんが一緒だったら、流氷原に降りるだけで「危ないから止めなさい!」と言われていた筈である。
 一人は気楽で良かった。


海別岳と流氷山脈   火山の火口に立っている気分だ

 何時の間にか雲が広がってきていた。
 道路の橋のあたりに、車が何台も停まっている。まさか私の様子を見ているわけじゃないだろうが、何だか気になる。
 寒くなってきたので、車に服を取りに戻った時、そこに集まっていた人たちの正体が判明した。
ノロッコ号と私のテント 彼らは、鉄ちゃんだったのである。
 狙いは勿論、流氷ノロッコ号。ここは、鉄橋や背景の流氷を入れた写真が撮れる撮影ポイントになっているらしい。
 私も、にわか鉄ちゃんとなってカメラを構えていると、その前をあっと言う間にノロッコ号が通り過ぎていった。
 ノロッコ号の乗客からは私のテントはどのように見えているのだろう。
 「何か今、変のもの見えなかった?」と話には出ても、「きっとキャンプしているのよね」なんて話しにまでは、なるわけはなさそうだ。
 川からはハクチョウ達の鳴き声も聞こえてくる。
 素晴らしい野営地である。

 河口の流氷の脇で一人の男性が長い柄の付いた網を振るっていた。以前にここに来た時も同じような親子連れを見ていたが、クリオネを獲っているのである。
 男性は「今日は全然駄目だ」とぼやいていた。
雪が降ってきた テントに戻ってビールを飲む。
 空はすっかり雲に覆われてしまった。
 そのうちに雪まで舞い始める。
 当初は土日の予定だったのを、天候がより回復するのを待って日月に変更したのに、この雪は全くの想定外だった。
 今回のキャンプの楽しみの一つに、知床連山からの月の出も入っていたので、余計にその雪が憎らしかった。
 しばらくして雪は止んだものの、一向に雲が取れそうな気配は無い。

 暗くなってきたので、かみさんから借りてきたLEDランタンのスイッチを入れる。
 しかし、数秒経つと突然消えてしまって、何度スイッチを入れ直しても同じである。
 しょうがないので自分のヘッドランプのスイッチを入れると、こちらは完全に電池切れで、つきそうな気配も無い。
 電池を交換しようとしたが、何時も持ち歩いている各種電池を入れた袋が見当たらなかった。
 車に置いてきたのかと思って探しに行ったが、そこにも無い。
 忘れるはずの無い物を忘れたのはちょっとショックだった。
 致命的な忘れ物ではないけれど、どうやって暗闇の中で夕食の準備をしようかと途方に暮れる。
 かみさんに電話して「何処かに忘れてないか?」と聞いたところ、「えっ?黒いメッシュの袋に入れておくって言ったじゃない」との返事。
 ザックへのパッキングは全て自分でやらないと、こんな恥ずかしいことになるのである。
 何とか無事に夕食を食べる事ができた。

月の出 テントの外を覗くと月が出ていた。
 ちょうど東の空の低いところの雲が取れていたのだ。
 楽しみにしていたシーンだけれど、寒くてテントの外に出る気になれない。
 気温もかなり下がってきているようだ。
 テントの中に入ったままで三脚を立てて、月の出の様子を撮影した。

 ハーフボトルのワインを飲み終えて眠りに付く。
 私にはこれくらいが適量なのだ。
 しかし、そのアルコールの効果が持続したのは3時間だけだった。
 目を覚まして時計を見ると、まだ12時前。
 それからが長い夜の始まりだった。
 寒くて眠れないのである。
 今回のキャンプには、去年に買ってからまだ一度も使っていないモンベルの#0のシュラフを持ってきていた。
 これまで使用していたのは#2。シュラフの耐寒性のを表すその数字では、#0は国内の3000m級の冬山できるレベルとされているので、寝る時の寒さ対策の事など全く気にもしていなかったのである。
 寝る時に脱いでいた服をもう1枚ずつ着込んでも、寒さは変わらない。
 考えてみれば氷の上に寝ているのである。体の下に敷いているサーマレストのマット以外は、氷の冷たさを遮れるものは何も無い。
 雪も氷も同じだろうと軽く考えていたが、どうやらそれは根本的に間違っていたようである。
 朱鞠内湖での-30度キャンプ以来の「車の中に逃げ込もうか」との考えが浮かんできたが、そんな事態だけは意地でも避けたかった。
月明かりが辺りを照らす 流氷のきしむ音を聞きながら眠ると言うのも私の夢の一つだったが、聞こえてくるのは氷の波が打ち寄せる轟音だった。
 何も知らずにその音だけを聞いていたら、ジェット機が飛んでいるのかと思うだろう。
 ハクチョウ達の鳴き声も賑やかに聞こえてくる
 どちらも子守唄代わりにはなってくれない。
 それでも最後に2時間くらいはウトウトできただろうか。
  時計を見ると、時間は4時半だった。
 テントの換気穴から外を覗くと、真正面に月が浮かんでいた。
 曇っていたら、辺りが暗いうちに起きても意味が無いが、晴れていれば話しは別である。
 覚悟を決めてシュラフから抜け出し、服を着込む。テントのファスナーを開けると、内部に付いてた霜がパラパラと頭の上から降ってくる。
 満月から2日過ぎた月に照らされ、流氷原は真昼のような明るさだった。
 空を覆っていた雲は完全に吹き払われ、そこでは月明かりにも負けずに星が輝いている。
 そして、まるでその星が映り込んでいるかの様に、雪面もキラキラと輝いている。
 私の楽しみにしていた風景が目の前に広がっていた。


昼のような明るさの流氷原

 それにしても寒い。
 手袋をしていても、指先が痛くて堪らなく、そのまま放っておけば確実に凍傷になってしまいそうだ。
 車の中に逃げ込んでエンジンをかける。温度計は-18度を示していた。
 エクストレイルで唯一不満なのが、エンジンをかけても暖まるのが遅いことである。
朝焼け それでも外にいるよりは少しはましだった。
 指先を両脇の下に挟んで暖めていると、ようやく指先に感覚が戻ってくる。
 一息付いて外に出た。
 東の空が次第に紅く染まり、海別岳や斜里岳がシルエットとなって浮かび上がる。
 動いている方が体が温まるので、流氷原の中を彷徨い歩く。
 頭の中には何故か、昨日車の中で聞いた中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」がエンドレスで響いている。
 海別岳の麓に明るい点が現れたと思ったら、それは直ぐに強烈な光となって流氷原に広がった。
 流氷の海から立ち上るけあらしが朝日を受けて紅く染まる。
 海の彼方まで延々と広がる流氷原が一斉に照らし出される。
 その雄大な風景の中で、私はあまりにも小さな存在だった。


流氷を照らす朝日

 昨日よりも波は静まったようなので、安心して流動化している流氷の境目まで近づける。
 しかし、昨日までは無かったはずの亀裂がそこら中に走っている。
 突然、静まり返っていた流氷の海が、生を受けたかのように動き始めた。
流氷の中のオオワシ 自分の目の前の流氷がぐぐっとせり上がってくる。
 何時でも逃げられる体勢をとりながらも、その迫力に圧倒される。
 静と動の流氷の対比が、自然のダイナミズムを思い知らせてくれるようだ。
 沖合の流氷の上にポツンと止まった一匹のオオワシが、その流氷と共に悠然と動いている様子が何とも雄々しく見える。
 周りの流氷原は、キタキツネの足跡だらけである。
 どれも新しい足跡ばかりなので、真夜中に歩き回っているのだろうか。
 彼らの棲み処は、後ろの砂丘の中のようだ。遠くでは、一匹のキタキツネがその棲み処に戻っていくところだった。
 私も砂丘の上に登ってみる。 斜里岳の姿が間近に迫って見える。
 その砂丘の上からは、JRの線路が良い構図で見えていた。昨日の鉄ちゃん達にも教えてあげたくなるような撮影ポイントである。

けあらしが赤く染まる   流氷山脈が朝日に照らされる

 テントに戻って朝食にする。
 朝日に照らされ、目の前の流氷原を眺めながら食べる温かな雑炊は、とても美味しかった。
 そして食後に飲む温かいコーヒー。
テントにも朝日が当たる 寒くて眠れなかった辛さなど、完全に忘れ去っていた。
 そろそろ、この場所を去るべき時間となっていたけれど、あまりの心地良さに踏ん切りがつかず、最後にもう一度流氷原の中を歩く事にする。
 考えてみると、朝起きてからずーっと流氷の上を歩き回っているような気がする。
 かみさんが一緒だったら呆れられていたことだろう。
 最後の流氷ウォークを楽しみ、ようやく片付けにかかる。
 橋の辺りにはまた人が集まり始めていた。
 午前中の流氷ノロッコ号通過する時間が近づいているらしい。
 中には流氷を見物に海岸まで入ってくる人もいたが、何故か私を遠巻きにして歩いていく。
 これは以前の流氷キャンプでも感じた事だけれど、普通の人にとっては、真冬に流氷に囲まれた中でキャンプをする人間がいるなんて理解できない事であり、理解できない物には近づかないようにする事が処世術なのだろう。
フレトイ展望台からの展望 冬の釧路川を下っている時は、そこで出会う人たちとの連帯感を感じることができたが、流氷キャンプではその隔たりが大きいようである。

 ノロッコ号を見送った後、私もその場所を離れ、昨日立ち寄った海岸まで戻ってフレトイ展望台に上ってみる。
 網走から知床にかけての海が流氷に埋め尽くされている様子を一望できる、なかなかのビューポイントである。
 観光客でごった返していた北浜駅よりも、こちらを整備して流氷観光のルートに組み込んだ方が喜ばれそうな気がするのだが。

 その後は小清水温泉「ふれあいセンター」で流氷キャンプの疲れを癒す。
 近くにあるからとの理由だけで入った温泉だったけれど、54度の源泉を加水無しで温度を下げてかけ流し、PH9とアルカリの強いお湯は入っただけで肌にぬるりとまとわり付く。
 これが300円で入れるのだから、素晴らしい施設である。

私の好きな道 帰りは十勝経由で走ることにして、その途中に来運神社に立ち寄る事にする。
 小清水から斜里へと向かう道、正面に海別岳がそびえ、横を見ると斜里岳の姿も。
 北海道の中の私の好きな道ベストスリーには確実に入ってくるところである。

 来運神社は大田神社に並ぶ北海道のパワースポットの一つであると聞いていたので、去年大田神社に魅了された私としては、かなり期待が大きかった。
 神社よりもそこに湧き出る来運の水が有名なので、キャンプに持ってきていた2リットルの水タンクにその水を汲む。
 かみさんから「流氷のお土産はいらないから」と言われていたけれど、固体じゃなくて液体なら喜んでもらえるだろう。
 肝心の神社の方は特にパワーも感じず、ちょっと期待外れだった。

 その後は清里町郊外のそば店「秀峰庵」へ。
 その店の名の通り、ここからも海別岳と斜里岳の美しい姿が望める。
帰り道の夕日 何も考えずに訪れたけれど、この店の営業は月水金の週3日だけ。危ないところだった。
 ここの蕎麦もまた、文句なしに美味しく、満足して店を出た。
 そして後は札幌を目指すだけ。
 そこから殆どノンストップで札幌の自宅まで5時間半、途中の道東道では恵庭岳に沈む夕日も楽しめたけれど、さすがに運転疲れを感じてしまう。
 でも、美しい風景をたっぷりと楽しんだ後のとても心地良い疲れだったのである。

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