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アンヌプリの懐に抱かれて

ニセコアンヌプリ山麓(4月6日〜7日)

 本来ならば先週に出かけているはずだったニセコでの雪中キャンプ。
 それが、温泉旅行と言う何とも軟弱な目的のために延期させられる羽目になってしまったのだが、これがかえって幸いした。
 土曜日の夜に用事が入っているので、キャンプへ行くとしたら金曜日から出かけるしかない。その金曜日の天気予報がピカピカの晴れマークになっていたのである。土曜日も晴れのち曇りで問題なし。
 ただ、先週の金曜日も温泉旅行のために仕事を休んでいたので、2週連続の金曜日休みとなるさすがに気が引けてしまう。
 それでも勇気を振り絞って「天気が良いので明日は休みま〜す」と宣言すると、職場の同僚は引きつったような笑みを浮かべて、それを快く了承してくれたのである。

 ニセコでの野営地は五色温泉付近を考えていた。その場所はニセコアンヌプリとイワオヌプリに挟まれ、山岳キャンプの気分を手軽に楽しめるところである。
 そこにテントを張るのは初めてなのだけれど、テントサイトからの素晴らしい山の景観をはっきりと頭の中に思い浮かべることができる。
 キャンプの他にも、山スキーでイワオヌプリに登り、そこからの真っ白なニセコの山々の景色を楽しんで、五色温泉か雪秩父の温泉で汗を流して・・・。
 できれば夜は、星空よりも月明かりの方が魅力的である。満月に照らされた真っ白な山の姿、考えただけで嬉しくなってくる。
 残念ながらこの日は満月から3日ほど過ぎて、月の出の時間も遅くなっているので、そちらの方はあまり期待できない。これがあったので、できれば先週にキャンプをしたかったのである。

 ワクワクしながら当日の朝を向かえた。
 ところが、朝の天気予報を見て愕然としてしまった。昨夜まであれほどの晴れマークを付けておきながら、それが今朝になって突然、雲マークどころか雨マークまで出てきているのだ。
 おまけに翌日は朝から曇りだという。
 今回ほど天気予報の好い加減さに腹を立てたことは無かった。私だって、昨日のひまわりの雲画像を見て「これで明日は本当に晴れるのかな」と思っていたくらいなのだから、どうして気象予報士たるものがそんな予報を出すのだろう。
 まあ、そんなことで怒っていてもしょうがないし、朝はまだ青空が広がっていたので、天気が崩れないうちにと予定よりも早く自宅を出発した。
そば処楽一 まずは羊蹄山の湧水に立ち寄って、キャンプ用の水をペットボトルに確保する。
 雪中キャンプでは、コーヒーを入れるのと歯を磨く時くらいしか水は使わないのだけれど、せっかくだから僅かな部分だけでも贅沢を楽しみたい。
 その後は何処かで昼食を食べようと、適当な店を探しながら走っていると、アンヌプリスキー場入り口近くで「楽一」と言う蕎麦屋の小さな看板が目に留まった。廊下のようなテラスを渡って店に入るような、ちょっと変わった作りの店である。ちょうど11時の開店の時間だったのでそこに入ってみることにした。
 靴を脱いで中に上るとカウンター席があるだけの小さな店内である。
 蕎麦を注文すると、その場でそば粉をこねるところから始めたのには驚いてしまった。値段はちょっと高めだけれど、正に打ちたてと言って良いその蕎麦は文句なしに美味しくて、思わずおかわりしたくなったほどである。

 美味しい蕎麦に気分を良くして五色温泉へと車を走らせた。
 春に向かって道路の除雪も進められているようで、五色温泉を過ぎた先の通行止めゲートの向こうまで黒々としたアスファルトが顔を出している。
 ゲートの手前に広めの駐車スペースがあり、山スキーの人達らしい車が数台停まっている。我が家がテントを張りたいのはアンヌプリ側なのだけれど、そこからでは私の背丈以上の垂直の雪壁が立ち上がっているので、とても荷物を運び上げることは不可能である。
 温泉の方に少し戻ったところにその雪壁の低くなっているところがあったので、何とかそこから荷物を上げることができた。ソリに荷物を積み込む
 もしもその場所が無かったとしたら、スコップで雪壁を崩すなどかなり苦労することになりそうだ。
 上空にはまだ青空が広がったままで、もしかしたら天気予報が良い方に外れてくれたのかもしれない。
 ソリに荷物を積み終え、「さて、何処にテントを張ろうか?」とあたりを見渡した。
 夏の間、野営場となっている付近は、周囲の建物が丸見えで、わざわざそんなところにテントを張る気にはならない。
 人工の建築物から少しでも離れようと、アンヌプリに向かってなだらかな傾斜が続くその山すそをソリを引いて登ることにした。
 今時期ならば雪面もほとんど堅雪になっているだろうと思っていたが、春の堅雪の上を比較的新しい雪が10cmほど覆っていて、その分だけ足が埋まってしまう。
 一応スノーシューを履いているけれど、それが無くても歩くのに不自由は無さそうだ。
 フウマも広い雪原を自由気ままに歩き回れて楽しそうな様子である。
 しかし、何処まで登っても平らな場所が無い。背の低いシラカバが林のように茂っている場所でようやくテントを張れそうなところが見つかった。何も無い大雪原のど真ん中にテントを張るのも考えたが、やっぱり樹木の生えているところのほうが何となく落ち着けるので、今夜の野営地はそこに決まった。
 車を停めた場所からは200m以上離れていて、それ以上ソリを引っ張り上げる余力は無かったと言うのもそこに決めた理由なのだが。
 背の低いシラカバと言っても、多分数メートルは雪に埋もれているのだろう。その付近でもまだ若干傾斜があるので、テントを張る部分の雪を均してできる限り平らにする。
 表面を覆っている真っ白な雪をスコップで除けると、その下に現れた雪は黄色く染まっていた。やはりここにも黄砂の影響があるみたいだ。ニセコでの雪中キャンプはもっと遅い時期まで楽しめるのだけれど、その時期になると黄砂で汚れた雪が表面に出てきてしまい、せっかくの真っ白な雪景色が黄色っぽく見えてしまうかもしれない。
 そう思っていたものだから、ここでの雪中キャンプをなるべく早い時期に実行したかったのである。最近になって新たに積もったらしい雪のおかげで、今日は純白の雪景色が広がっていた。
 今回も、庭木を剪定した枝を1m程の長さに切りそろえてペグ代わりに持ってきたけれど、雪の中ではこれが本当に役に立つ。
 ただ、今日はその枝が雪の中に刺さりづらい。スコップで掘ってみると、20cmほど下はスコップも刺さらないくらいの硬いアイスバーンになっていた。このアイスバーンが表面に出ていた時期なら、テントを張るのも大変だったと思われる。

設営完了 それぞれのテントの設営が完了。
 「何でわざわざそんなところにテントを張るかな〜」とかみさんから馬鹿にされた。
 確かに、テントの出入口の真横から雪の中に埋もれたシラカバの枝が突き出しているのだ。自分でもちょっと後悔しているけれど、限られた平らなスペースの中でテントを張っていたら、結果的にこうなってしまったのである。
 かみさんのテントだって、結構傾斜のある場所に張られているので、寝る時には苦労すると思うのだが。
 まあとりあえず、一晩の寝場所が出来上がれば、それがどんな場所であれ一安心できる。
 テントの真正面にはニセコアンヌプリが聳えている。期待していたとおりの素晴らしいロケーションである。こんな贅沢なロケーションを独り占めできるキャンプ地なんてそうあるものではない。
 しかし、その感動も長くは続かなかった。
 テントの設営を始めた頃、南の遠くの空に現れてきた雲が、その後急速に広がってきて、あっと言う間に空全体を灰色に染めてしまった。
 そして白いものまでチラチラと舞い始める。
 天気予報どおりと言ってしまえばそれまでだけれど、さすがにガッカリしてしまう。前回の旭岳キャンプの時も雪が降ったけれど、森の中の雪中キャンプならばそれもまた風情があって良いものである。
 しかし今回のキャンプはロケーション命のキャンプなので、それが曇り空や、まして雪が降って見通しが利かなくなったりしたら、楽しみが半減してしまう。
青空とニセコの山々 それでも時々、雲の切れ間から青空ものぞくようなので、予定通りイワオヌプリに登ることにする。
 この雪の状態ならフウマも一緒に登れるかなと思ったけれど、老犬に無理をさせるわけにもいかないので車の中で留守番させることにした。
 私達が登り始めると、それまで上空を覆っていた雲が風に吹き払われるように次々と流されて、その後には澄み切った紺色の空が広がっていた。
 イワオヌプリの頂上に着く頃には全ての雲が消えて無くなり、そして紺碧の空を背景に真っ白なニトヌプリやイワオヌプリの山々が浮かび上がっていた。
 遠くには日本海や積丹半島の海岸線まで見通せる。ニセコアンヌプリなどは、手を伸ばせば届きそうなくらいに近くに見えている。
 その麓に張られた我が家のテントは米粒よりも小さく見える
 ただ、雲を吹き飛ばしてくれた風はイワオヌプリの山頂にも強烈に吹き付け、足を踏ん張っていないと体が吹き飛ばされそうだ。
 山頂からの風景をたっぷりと満喫した後は、一気に下まで滑り降りる。苦労して登っても、降りるときは本当にあっと言う間である。
 車に戻って、そのまま五色温泉に直行。
 雪中キャンプで泊まる当日に温泉に入るのはこれまで避けてきたけれど、山から下りた後はやっぱり温泉である。今日なら暖かいので湯冷めすることも無いだろう。

ニセコアンヌプリ


 五色温泉の湯ですっかりリラックスしてテントまで戻る。
 ただ、少しリラックスし過ぎたようで、そのテントまでの上り坂がイワオヌプリへ登った時よりも辛く感じ、まるで本当の高山にでも登っているように一歩一歩ゆっくりと歩を進めなければならなかった。
この先に我が家のテントが 日は既に西に傾いてきており、その光を真正面から浴びたニセコアンヌプリが我が家のテントの背景にそびえている。
 やっとの思いでテントまでたどり着き、直ぐにビールを開ける。
 体の中にはまだ温泉の温もりが残っていて、喉から流れ込むビールがその熱を心地良く冷してくれる。
 雪中キャンプで飲んだビールの中で、今回ほど美味しく感じたビールは無かった。
 一息ついた後、周辺を少し歩いてみる。
 五色温泉側から見るニセコアンヌプリは三角形に小さくまとまった山体にしか見えず、その裏にグランヒラフや東山、アンヌプリなどのスキー場がひしめき合っているとはとても想像できない。
 その三角形の裾野は緩やかな斜面となって広がり、我が家のテントはその斜面の途中にポツンと立っている。
 アンヌプリの懐に抱かれる、と言った表現がピタリと当てはまるようなテントサイトである。
サイトの背後にそびえるイワオヌプリ その反対側にそびえるイワオヌプリは、所々にゴツゴツとした岩が露出し、スキーで滑るには恐ろしくなるような急斜面が続き、全体的にはアンヌプリより険しいイメージがある。
 やや気温が下がってきたせいか、日中に解けていた雪の表面が少し堅くなってきた。
 人間が歩くとその堅い雪面は簡単に割れてしまうけれど、やや太り気味のフウマの体重くらいなら支えてくれるようである。
 足が埋まらずに歩きやすくなったフウマは、好き勝手にアンヌプリ山麓を歩き回っている。そして、これはここに到着してからずっとなのだが、時々雪を掘ってはその下の何かを食べ続けているのだ。
 よく見るとそれはウサギの糞だった。
 「こらっ、フウマ!そんなもの食べるな!」と叱ると、一応は止めるのだけれど、場所を変えてまた雪を掘り始める。キツネの糞と違ってウサギの糞なら害も無いだろうしと、途中からは好きにさせておくことにした。
 しかしこのウサギの糞、雪に埋まっているものばかりで無く、雪の上に一つ、また一つとそこら中に転がっているのである。
 多分、風に飛ばされて雪面を転がってくるのだろう。
 外観はドッグフードそっくり、臭いまで嗅ぐ気にはなれなかったが、転がっているの見つけたら必ず食べているみたいなので、味もまあまあなのだろう。
餌?を漁るフウマ フウマにしてみれば、ここはドッグフードがいくらでも転がっている天国みたいな場所だと思っているのかもしれない。
 体に害は無いだろうと分かってはいても、ウサギの糞を腹一杯食べられたら、やっぱり心配である。
 ブラブラと歩いていると雪面が少しくぼんでいるところがあって、そこにはフウマが見れば狂喜しそうなくらいのウサギの糞が吹き溜まっていた。
 「こ、こらっ、フウマ、ダメだ、こっちに来るな〜!」と慌ててフウマを追い払った。

 テントサイトは谷あいに位置するので、日が沈むのも早い。
 ところが、太陽が山陰に隠れテント周辺に日があたらなくなっても、アンヌプリの山だけはまだ西日に照らされている。
 その山肌に描かれたスキーのシュプールが、輝くように浮き上がって見えている。
 空は夕焼けに染まることなく、暗い青へとその色を変えていく中で、それまで真っ白だったアンヌプリが次第に赤く染まってくる。
 そんな風景の変化を、二人でテントの横に立ちつくしたまま呆然と眺め続けた。
 やがて夜の帳が降りてくると西の空では宵の明星が一際明るく輝きはじめた。
 先ほどまで赤く染まっていたアンヌプリは、暗くなった空を背景に元の白さを取り戻したようである。是非とも満月の夜にここに泊まって、月明かりに照らされたアンヌプリの姿を見てみたいものだ。
 夕食のメニューは雪中キャンプの定番、と言うよりも雪中キャンプ時のマンネリメニューと化したキムチ鍋である。
 テントの中で濛々と湯気を上げても、今夜はテントの中もそんなにひどくは結露しない。外の気温もあまり下がっていないのだろう。
 いつもなら二人でワイン1本を空けても、寒さのせいで体の何処に入ったのか分からないくらいだったのに、今夜はそれなりに酔いが回ってきた。
 外に出ると冬の星座オリオン座が浮かんでいた。
 「明日の朝まで、このまま晴れていてくれたら良いな〜」
 そう願いながら、それぞれのテントに分かれて眠りについた。

サイトから見えるアンヌプリ   夕日に染まるアンヌプリ


  前回の旭岳キャンプの時と違って、寒さを感じることは全くなかった。
 テント設営時に雪面を平らに均したつもりが、やっぱり微妙な傾斜があって、寝ている間に何度もマットから転げ落ちてしまう。安眠するためには平らなところにテントを張るのが第一条件である。
 5時頃にかみさんが先にテントの外に出てくる気配を感じた。
 「晴れてるかい?」と声をかけると、「晴れてるわよ!」の返事。それを聞いて、私も慌てて起き出した。
 既にあたりは明るくなってきていて、空に浮かんでいる月の光も少し薄れていた。もう少し早起きしたら、もっと綺麗な月が見られたのにと少し後悔する。
尾根の上を目指す やがてイワオヌプリの山頂に朝の光が届いてきた。
 予想はしていたけれど、アンヌプリの陰に隠れてテントサイトからは朝日の姿を直接見ることはできない。朝日に背を向けて、反対側の山々に日があたる様子を楽しむ。
 かみさんが山の上に向かって歩き始めた。
 アンヌプリ山頂から続く稜線は、サイトからは直ぐ近くに見えるので、簡単にその上まで登れそうな気がする。そこまで行けばもしかしたら朝日を直接見られるかもしれない。
 私もその後に続いた。
 今朝は完全な堅雪になっているかと思ったら、冷え込みが弱かったせいか表面が割れて足が埋もれてしまう。
 それでも長靴で歩くのに不自由はしない。
 緩やかな傾斜に見えても、登り始めると結構きつく感じる。上に登れば登るほど、更に傾斜もきつくなってくる。
 最初は元気に付いてきたフウマもさすがに疲れてきたようだ。
糞を食べながら斜面を登るフウマ ところがこんなところにも、ウサギの糞が所々に転がっている。一体どこから飛んでくるのだろう。
 フウマはその糞を一つ食べては、またその先に落ちている糞を目指して歩き始める。結果的にそうやって糞を追いかけているうちに山を登っていることになる。
 もしもフウマと一緒に山を登るとしたら、こんな風にドッグフードを一粒ずつ落としながら登っていけば、どんな険しい山にでも登ってしまうかもしれない。
 人間の方は目前にそんな餌が無いものだから、尾根の上まで登るのは止めて、途中からの風景で満足することにした。
 真っ白なニトヌプリにも朝の光が当たっている。
 やがてニトヌプリの向こうから雲が広がりはじめた。
 今日は曇りの予報になっていたので、朝の青空を見られただけでラッキーだったのかもしれない。
 テントに戻って朝のコーヒーを飲むことにする。

朝日の当たるイワオヌプリを背景に   山の途中から朝の風景を楽しむ

 朝食を食べ終わってもまだ、テントサイトまで日が射してこない。
 朝日はアンヌプリの稜線の角度に沿って昇ってきているようなので、これでは頂上を過ぎないと朝日の姿を見ることはできない。
 そのうちに空は完全に雲に覆われてしまった。
大湯沼を奥から眺める もう十二分にニセコキャンプを楽しんだので、朝日が見られないくらいは全然気にもならない。
 気分良く撤収を開始することにした。
 帰りは雪秩父の温泉に入ることにする。予定より早く撤収してしまったので、日帰り入浴受付の9時半までまだ30分もある。
 そこで、隣の大湯沼の周りを歩いて暇をつぶす。今の季節はスノーシューがなくても何処でも歩き回れるのが楽しい。
 大湯沼の奥の山の上まで登ってみた。そのままもっと奥にある小湯沼まで歩いて行けそうだったが、さすがにそこまでの元気は残ってないので、素直に温泉に入る。
 一番風呂なので誰も入っていない。山の風景を眺めながら露天風呂にゆったりと身を沈め、ニセコキャンプの余韻に浸る。
 帰り際にはニセコ甘露水をペットボトルに汲んで、最後までニセコの自然を満喫することができた充実の雪中キャンプであった。

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