ハードなままごと、旭岳雪中キャンプ
旭岳山麓(3月12日〜13日)
こんなところにテントを張ったら最高だろうな。
去年の冬、旭岳山麓のアカエゾマツ天然林の中をスノーシューで歩きながらそう思った。
それ以来一年間心の中で温めていた思いを、今年のキャンプ始めで実現させよう。
ところがなかなか順調には事が運んでくれない。週末に天気が崩れるパターンは去年からそのまま引き継がれているし、個人的な予定もポツポツと入ってくる。
職場のOutlookの予定表と週間天気予報を見比べながらキャンプ決行のチャンスを窺っていたが、仕事を休めない日や用事のある日に限って天気が良いという何とも恨めしい展開で、時間だけが空しく過ぎ去っていく。
これ以上キャンプの予定を先延ばしすることは、精神衛生上非常に良くないことである。ついに業を煮やして、天気予報のことなど気にかけずにキャンプに出かけることに決めてしまった。
土曜日に低気圧が発達しながら北海道を通過し、その影響で全道的に雨が降った。翌日曜日は真冬並みの寒気団がやって来て冬型の気圧配置に変わり、日本海側は大雪や吹雪の恐れありと天気予報では言っている。
どう考えてもキャンプへ行くような天気ではない。
それでも「行ってみてダメならそのまま札幌まで戻って来たら良いだけのことだ」と、脳天気な考えで札幌を出発。
周囲に嫌な雲が浮かんでいるものの、旭川まで高速に乗りそこから東川町まで来る間、我が家の車は常に太陽の陽射しを浴び続けていた。
先日、天人峡へ行った時の同じルートを走っているが、天気だけは全然違う。その時は「家に残してきたフウマの恨み雪が降っているのだろう」と話していたが、今回はフウマも一緒なので「これはフウマ様の通力のおかげだよな〜」と、まことに身勝手な人間同士の会話が車の中で交わされていた。
東川町付近は風が猛烈に強くて、何も遮るもののない周りの雪野原から、真っ白な雪が地吹雪となってアスファルトの舗装面を舐めるように飛ばされていく。
山に囲まれた森の中へ入ってしまえば、この風も弱まるだろう。あくまでもポジティブに考えていなければ、弱気な虫が直ぐに頭をもたげてくるのである。
旭岳温泉と天人峡温泉への分かれ道付近にある湧き水スポットに立ち寄り、今回のキャンプで使う水を確保する。日曜日の朝だけあって温泉帰りの客で駐車場は満車である。
水を汲む順番待ちの列に並びながら、暖かな温泉にゆったりと浸かって疲れを癒し自宅へと戻る人達と、これから雪の中でテントを張らなければならない自分達とのあまりの立場の違いにがっかりしてしまった。
そこから見る旭岳の姿は灰色の雲に隠されているものの、我が家が近づくにしたがってその雲も晴れてくるはずだ。相変わらず自分の都合の良いように考え続けていたが、さすがにフウマの通力を持ってしても、山の神様がその身を隠す衣を剥ぎ取ることはできなかった。
それどころか細かな雪もちらつきはじめる。
ロープーウェイの駐車場に到着。ロープーウェイは強風のため営業を中止していた。
車を一晩置かせて欲しいと申し出たところ、「除雪の時に邪魔になるので、奥の方に雪を被った車があるからその横に駐めるように」と指示される。
そこに行ってみると、屋根に積もった雪の状態から見て前の日から置いてあるような車が4台程駐められていた。冬山登山の人達の車なのだろう。前の晩はかなり天候も荒れたはずで、そんな状況の中でテント泊をしているのだと思うと恐れ入ってしまう。
私達がこれからチャレンジしようとしている雪中キャンプなんて、彼らから見ればままごとのようなものだろう。
ザックの中には収まりきらずに、大型ソリにもままごと道具を積み込む。
ままごとキャンプなのだから、冬山登山と違ってキャンプ中も快適に過ごしたい。そうすると、小型のイスやテーブルにフウマ用のベッド等結構な荷物になってしまう。
途中で落とさないように、それらを細引きでソリに固定して野営地に向けて出発。
ザックを背負って、荷物を満載にした除雪用の大型ソリを引っ張り、足の短いコーギーもどきの犬を連れた夫婦連れ。ちょうど駐車場から出て行くところだった大型バスの窓からは、多くの不思議そうな視線が私達夫婦に注がれていた。
このソリが結構ズシリと重たい。
しばらくはスキーコース用に圧雪された場所を歩く。ロープウェイも止まっているので滑り降りてくるスキーヤーも殆どいない。
やや急な登り斜面にさしかかった。去年もこの斜面をスノーシューを履いて登っているが、それだけで汗だくになったのを覚えている。
今回はそこを重たいザックを背負って、しかも重たいソリを引っ張りながら登らなければならないのだ。
一歩一歩全力で足を踏み出す。何とかその斜面を登り切ったところで一休み、息が整うのを待ってから次の斜面に向かってソリを引っ張る。
その斜面の途中でとうとう力尽きてしまった。最後はかみさんと二人がかりでソリを上まで引き上げた。
そこまで登ると傾斜も緩くなってくるので、そこからいよいよ森の中へ入ることにする。
新雪の中に一歩足を踏み入れると、スノーシューを履いていてもズブズブと雪の中に足が埋まってしまった。昨日は全道的に雨が降っていたので、この付近でも雪はかなり締まっているだろうと思っていたが、その予想は完全に外れてしまった。
まるで真冬の深雪、スノーシューを履かなければ腰まで埋もれてしまいそうな感じだ。ソリを引っ張るのは諦めて、まずは野営地を先に探すことにする。
最高の場所をじっくりと時間をかけて探したいところだが、それ以上雪の中を歩き回るような体力も残っていなかったので、スキーコースが見えない程度に離れたところで妥協することにした。
テントが張れそうな平らな部分を見つけて、そこをスノーシューで踏み固める。フワフワの雪なので、踏み固めたつもりでもそこで少しジャンプしたらまた少し沈んでしまう。
きりがないので、概ね平らになったところでその作業を切り上げたが、これが後になって後悔することになってしまった。
残してきたソリをそこまで引っ張ってきてテントを設営する。あれほど踏み固めたはずなのに、スノーシューを脱ぐとズブズブと埋まってしまう。気温が低すぎて雪が固まらないのである。
以前、能取岬の森の中でキャンプした時も同じような状況だったのが思い出された。その時はサラサラのきめの細かい粉雪だったので、今回以上に大変な思いをしたものだ。
ここの雪質は同じようなサラサラの雪でも一つ一つの結晶が大きいので、まだいくらかは固まる様子が見られる。テント部分に穴を開けないように注意しながら、何とか設営が完了した。
たとえ冬のキャンプであっても、テントの設営が終わったらまずはビールをグイッと飲みたくなるところだが、今回は全然そんな気にならない。それだけ気温も低いのである。 |
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雪も降りはじめたのでテントの中に避難して、お湯を沸かしカップ麺の昼食を食べる。
昼食を終えて外に出てみると、テントの上にうっすらと雪が積もっていた。
スノーシューを履いて周りを歩き回っていたかみさんが、「あらっ、スキーコースが直ぐ近くじゃないの」と驚きの声を上げている。
何のことはない、コースから離れたつもりが、ぐるっと回ってスキーコースの直ぐ下にテントを張ってしまったようだ。まあ、ロープウェイが止まっているので、そこを滑ってくるのは山スキーヤーか物好きなボーダー程度だろうからそれほど気にすることもないだろう。
私もスノーシューを履いて森の中を歩いてみる。
何度見ても、ため息が出るくらい美しいアカエゾマツの森である。
今回、天気の悪い中を無理してでもやって来たのは、クリスマスツリーのように真っ白な雪が降り積もったアカエゾマツの姿を見たかったことも理由の一つだった。
それさえ考えなければ、別に4月に入っても雪はたっぷりとあるわけだし、気温も上がって快適な雪中キャンプができるはずである。
でも、雪が上に乗っかっていないアカエゾマツでは、私にとっては魅力も半減なのだ。
期待した通りの風景が周りに広がっている。ただ、惜しむらくは上空が雲に覆われていること。
これで太陽の陽射しが森の中に射し込み空が青空だったら、もう思い残すことはないような素晴らしい風景だったことだろう。
旭岳の雪中キャンプは、私にとってこれまで経験したことの無いような究極の雪中キャンプになるかも知れないと密かに期待していたのに、この天気では普通の雪中キャンプで終わってしまいそうだ。
これはきっと、ここで究極のキャンプを経験してしまってはその後の夢が無くなってしまうだろうと神様が気遣ってくれたのだ。そう考えて自分を慰めた。
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買ったばかりのGPSに森の中の展望ポイントを落としておいたのだが、ナビ画面で確認するとそこまではかなり離れているみたいだ。深雪をラッセルしながらそこまでたどり着くのは体力的に無理そうなので、周辺を歩き回るだけにとどめてテントまで戻ってきた。
その時である。上空にかかっていた雲が突然のように晴れて、我が家のテントサイトに日が射してきたのだ。
その間、僅か数分の出来事である。究極の雪中キャンプが実現した一瞬であった。
かみさんがスコップで穴を掘り始めた。どうやら自分用のトイレを作っているみたいだ。
それならば周りの木の陰でいくらでもトイレに使えそうな場所があるというのに、ひたすら深い穴を掘るのが楽しいようである。
まるで穴掘りに夢中になっている犬みたいだ。最後に自分の掘った穴に体を沈めて満足そうな顔をしていた。
私はと言えば、スノーシューで周辺を歩き回り、雪の中に遊歩道のような跡を付けて楽しんでいる。テントの周囲の森は全て自分の庭なのだ。明日の朝はこの自分の作った遊歩道を散歩することにしよう。
そんなくだらない遊びに夢中になっていると、また雪が降り始めた。
しょうがないので再びテントの中に避難する。
冬のキャンプにクーラーボックスを持ってくるわけはなく、そのまま雪の上に無造作に転がっている缶ビール。
帰りの荷物を軽くするためにも、頑張って飲まなくては。
この缶ビール1本を飲んだおかげで、体の芯から冷えてしまった。試しにテントの外に温度計を出してみると、あっと言う間にマイナス10℃まで下がっていった。
絶対にビールを飲むような気温では無いのである。
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相変わらずテントの外では雪が降り続き、こうなると朝までテントの中で過ごさなければならない。
この時の時間はまだ午後の4時、明日の朝5時に起きるとして、これから13時間もこの小さなテントの中で過ごさなければならないと考えると気が遠くなってしまう。
少し早いけれど夕食の準備をすることにした。我が家の雪中キャンプ時の定番、キムチ鍋である。
今回は、雪中キャンプでは初めての使用となるヨーレイカの二人用テントを持ってきた。前室が広めにできているテントとは言え、この中で夫婦二人とフウマが生活するにはかなり窮屈である。
ただ、テントが小さい分、中で火を使うと直ぐに暖まってくるのが良い。
暖まってくると困るのがテント内部の結露。
その結露も、テントが小さいので座ったままで天井全てを拭き取ることができる。以前のテントならそれだけで一仕事となっているところだ。
これならば結露も気にしないでテントの中でモウモウと湯気を上げながら鍋を食べることができるのだ。
ただ、困ったことが一つ。それはテントの中を禁煙にされてしまったことである。
前のテントならメッシュの窓を少し開ければ中でタバコを吸わせてもらえたけれど、この小さなテントではさすがにそれは許してもらえなかった。
もさもさと雪が降り続けるテントの外に顔だけ出してタバコを吸う。真っ暗な森の中で、本当のホタル族になった気分である。
夕食を終えると今度は、チーズフォンデューを肴にワインを飲む。
ウダウダしながらも結構時間が経つのは早いものだ。いつものキャンプでも焚き火にあたりながらウダウダしているだけなので、テントの中に籠もっていても時間の使い方は基本的に同じみたいだ。
ちょっとテントの外に出てみると、既にかなり雪が積もっていたのでビックリした。
かみさんがマツの枝を折ってきて、それをブラシ代わりにテントに積もった雪を下ろしている。
まあ、雪の重みでテントが潰れるようなことは無いだろう。時々、枝から落ちた雪がテントの上にドサッと落ちてくるが、フワフワの雪なのでそれも気にならない。
今夜の月相は十三夜、晴れてさえいればアカエゾマツのすらりとした黒いシルエットの向こうに丸い月が浮かんでいたはずだ。
欲を言えばきりがない。
8時を過ぎたところでシュラフに潜り込み寝ることにした。翌朝まであと9時間、無事に朝を迎えられるだろうか。
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何度か夜中に目が覚めたものの、寒さに震えることもなくぐっすりと眠ることができた。
枕元の温度計を見るとマイナス3℃、テントが雪に覆われ雪洞の状態になっているので、人間と犬の体温だけで小さなテントの中は十分に暖まるのだろう。
ただ、かみさんはぐっすりとは眠れなかったようだ。
私の寝ていた場所は平らだったけれど、かみさんの場所はかなり斜めに傾いていたみたいである。
やっぱり設営前の整地作業は手を抜いてはダメなのだ。
ガスストーブに火を付けると、直ぐに凍った結露が融けだして水滴となって落ちてきた。
昨夜結露拭きに使ったタオルはコチコチに凍り付いているので、新しいタオルで水滴を拭き取る。
恐る恐るテントの外に出てみると20cmほどの雪が新たに降り積もっていた。そして相変わらず細かな雪も降り続いていた。
昨日一生懸命に作った遊歩道もほとんどが雪で消えかかっている。
雪に埋もれた小さなテントを見ると、その中で人間二人と犬一匹が一晩寝ていたとは俄には信じられなかった。
私と一緒に嬉しそうに外に飛び出してきたフウマは、雪の多さにビックリして、用を済ませるとサッサと一人でテントの中に戻ってしまった。
携帯から天気予報サイトにアクセスして雨雲レーダーを確認してみるが、昨日と状況は変わらず道内にそれほど発達した雲は見られない。それでも旭岳山麓には雪が降り続き、やっぱり山の天気は別物なのだと思い知らされる。
この雪が直ぐに止むことは期待できそうにないし、テントの中で過ごすのにも飽きてしまったので、朝のコーヒーと朝食を済ませると早々に撤収することにする。
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これだけ雪が降る中での撤収は初めての経験だった。それでも気温が低くてサラサラ雪なので、雨の中の撤収と比べれば全然楽である。
もっとも、フウマは寒くて堪らんといった風情で、片付け中もテントの中の自分のベッドで丸まったまま外に出てこようとしない。 最後にテントを撤収する段階になって無理矢理外に追い出されてしまった。
足が冷たいのか、ぶるぶる震えながら代わる代わる前足を持ち上げている姿が不憫である。
テントのポールが凍ってしまって折りたたむことができない。連結部分を素手で握って氷を溶かせば抜くことができるが、凍傷になってしまいそうなのでソリに収まる長さまでたたんだところで妥協する。
テントももちろんバリバリに凍り付いているので、適当に丸めただけでそのままソリに積み込む。
そうして撤収完了し、スキーコースまでの最短ルートでソリを引き上げる。そこは傾斜がきつくて、昨日からさらに雪が深くなっているので、足を取られ、雪まみれになりながらも二人がかりで何とかスキーコースに出ることができた。
コース上には朝早くから圧雪車が通っていたので、とても歩きやすくなっている。山奥から突然文明社会の中に飛び出したような気分だ。
さっきまで雪の中でもがいていたフウマも、自由に歩き回れる場所に出られて嬉しそうだ。
ここから先は駐車場までずーっと下り坂、ソリを引っ張る苦労もない。かみさんと顔を見合わせて、「これで何とか生きて帰れるね」と笑みを交わした。
スケルトン競技のような体勢でソリに乗って滑ってみたりと、遊びながら坂を下る。この坂をソリを引っ張って良く登ってきたものだと我ながら感心してしまった。
そうして雪に埋もれた我が家の車まで戻ってきた。隣には昨日の車が1台だけ残っていて、その上にはさらに雪が降り積もっている。何日かかけて、大雪の山を縦走でもしているのだろうか。
我が家には想像のできない世界だが、その気分を少しだけ味わえたような気がする今回のままごと雪中キャンプであった。
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