我が家で出場予定の石狩川カヌーレースを翌日に控えて、今回のキャンプ地は石狩川の河原である。
と言うと聞こえは良いが、実際は旭川市の街の中に架かる「新橋」という橋の下で、交通量も多く周辺もビルが建ち並ぶような、とてもキャンプを楽しめるような場所ではない。
当然、普段はここに勝手にテントを張ることはできない。レース事務局が事前に許可をとっているのである。
石狩川カヌーレースは今年で20回目を迎え、それを記念して道内各カヌークラブの対抗戦もやろうと言うことで盛り上がっていた。
その前夜祭としてそれぞれのクラブのメンバーが集まるということなので、我が家も覚悟を決めてこの橋の下に泊まってみることにしたのである。
当日は時雨模様で時々雨の降るパッとしない天気だった。
まずは翌日のレースが行われる区間を、クラブのメンバーと下見を兼ねて下ってきた。レースのゴール地点がこの「新橋」になる。
周辺の河川敷は公園として綺麗に整備されているが、テントを張れる橋の下は土がむき出しで石もゴロゴロ。
こんなところに本当にテントを張るんだろうかと不安になってしまう。
上流に駐めてあった車をとりに行って再びここへ戻ってくると、その橋の下は既にテント村と化していた。
その時には雨は止んでいたものの、雨を避けるように橋の真下にぎゅうぎゅう詰めにテントが張られている。
実際にそのテントで寝る人は少なく、ほとんどが車の中で寝るのだろう。
我が家も今回は、かみさんが車の中で寝て、私一人がテントで寝ることにしていた。
橋の下は大宴会場となるのは目に見えているので、そこから少し離れた場所に小さなテントを設営した。
クラブのメンバーが大きなテント型のタープを張ってくれたので、寒くなっても大丈夫そうだ。各クラブそれぞれが、そんなタープを用意している。
再び小雨が降り始めた。橋の下で雨は避けられるだろうと思っていたら、それは大きな間違いだった。橋の上に降った雨は排水管を通ってその下のテント村に付近に落ちてくるような構造になっていたのである。
クラブのタープの直ぐ横に、そこだけが石ころだらけの場所があってちょっと気にはなっていたけれど、そこに雨水が落ちてくるのだ。
それほど強い雨ではなかったので、水しぶきが飛び散るくらいで済んでいたが、大雨になっていたらちょっと悲惨だったかもしれない。
それぞれが夕食の準備にとりかかる。
我が家は焚き火を使ってダッチオーブン料理である。
去年、遅ればせながら我が家もダッチオーブンを購入し、支笏湖のオコタン野営場で初めて使用したのだが、その時以来キャンプで使うのは2度目である。
二人だけのキャンプでは、なかなかダッチオーブンを使ってまで手の込んだ料理を作る気にもなれない。
今回作るのもタマネギとベーコンを入れて火にかけておくだけなので、料理と言えるような代物ではないが、ダッチオーブンを吊すスタンドと合わせて、まあ、焚き火のアクセサリーみたいなものである。
殺風景な橋の下でその周りを荒くれ男が取り囲む様は、西部劇の一シーンみたいで結構格好良かったりする。
隅の方でこっそりと料理を作っていたかみさんが、ニンニクのたっぷりと利いたサケとイクラのスパゲッティを出してきた。
荒くれ男達はそれを、美味い美味いと言いながらあっと言う間に喰い尽くしてしまう。
これも何だか西部劇の一シーン、田舎町の小さな酒場で荒くれ男達に食事を出しているちょっと年増の看板娘といった図に見えてしまった。
酔いが回ってくると、そこが最初はテントを張るのさえ躊躇われるようなパッとしない場所に感じていたのに、いつの間にか快適なキャンプ地に変わっていた。
各クラブの有力メンバーがお酒を持って回ってくる。レースの競争相手を前の晩に酒で潰してしまおうと言う目論見で、早くも前哨戦が始まっている感じだ。
カヌークラブガンネルズのテントの前で皆が集まって歓声を上げている。誰かが持ってきた火熾しセットで、火熾しにチャレンジしているみたいだ。
面白そうなのでちょっと覗いてみる。丸い棒を両手を擦り合わせるようにして一生懸命回すのだけれど、なかなか火種に着火しない。
交代でやっているうちに、そのうちに見物客まで無理矢理に参加させられてしまう。
我がクラブのN村さんがチャレンジすると直ぐに煙が上がりはじめた。それでもやっぱりなかなか着火しない。
「さすがN村さんは凄いな〜」と皆に煽てられ、必死に頑張るN村さん。
そこでハッと気が付いた。これってもしかして、相手チームの人間を疲れさせようと言う巧妙な作戦なのかも知れない。
それに気づかず、必死に棒を回し続けるN村さん。
そう言えば、今回のレースではチーム戦も組まれていて、N村さんは私とは違うチーム、いわゆるライバルの一人である。
「やっぱりN村さんは何をやらせても上手ですねー。」
私も一緒になってN村さんを囃し立てた。
こうして前哨戦の火花を散らしながら楽しく夜は更けていく。丸ごとダッチオーブンに入れてあったタマネギは、溶ける一歩手前になっていた。
このタマネギがやたらに甘くて美味しい。
焚き火を楽しみながらのダッチオーブン手抜き料理、これならこれからのキャンプでもダッチオーブンが活躍してくれそうである。
たっぷりと用意してきた薪が無くなる頃、まだまだ続きそうな宴会の輪を抜け出して明日のレースに備えてテントに潜り込んだ。
テントに入ると、宴会の声はそれほど気にならないものの、それまで気にならなかった橋を通る車の音が結構うるさく感じられた。しかし、その音よりも、車が橋の継ぎ目を通過した時に鳴るドーンという金属音の方が、もっと激しく響いてくる。
これはちょっと寝られないかなと心配になったが、酒の酔いも手伝って何時の間にか眠りに落ちた。
しかし、夜中の2時半頃に目が覚めてしまい、静かになった分、ドーンという音が余計に気になりはじめる。
それに寒さも加わってきた。テント内の温度は10度とそれほど下がってもいないのに、何故か寒く感じられる。今回は夏の間使い続けている薄いダウンのシュラフを持ってきたのだけれど、快適睡眠域は6度となっているので、これくらいの寒さは平気なはずである。
長袖シャツにフリースの上着を着込んだけれど、一度冷えた体は服を着たくらいでは暖まらない。
田舎の道なら夜も更ければ交通量も減ってくるのに、さすがに都会の道は夜中になってもひっきりなしに車が走っている。
眠れないと目を瞑っている苦痛に感じられる。
寝たのが11時半頃だったので3時間は眠れたことになるが、さすがにこのままでレースに出るのはきつそうだ。
どうせ眠れないのだから、気分転換にトイレに行くことにした。オレンジ色の街灯の明かりが連なり、河原から見る街の風景はとても美しい。
キャンプで見る風景と言うよりは、酔っぱらって深夜に街の中をふらついている時に見るような風景である。
この気分転換のおかげで、何とか4時過ぎには再び眠りにつくことができた。
朝は6時に目覚める。
昨夜までの時雨模様の空から一変して、素晴らしい青空が広がっていた。
最高のレース日和になりそうだ。
「新橋」の上流に架かるアーチ状の姿が美しい「旭橋」が、ぼんやりと朝日の光に霞んでいる。
最近作られる無機的な表情の橋と比べると、その姿にも何となく暖かみを感じてしまう。
レースの朝は忙しい。
10時のスタートまでに車の移動などを済ませておかなければならないので、朝8時には上流へ移動することにする。
朝食もほとんど立ったままで済ませる。
昨日の夜がカウボーイ達の焚き火の風景ならば、今朝の風景はパリ・ダカールラリーのキャンプ地の朝を思わせる風景だ。
そうして皆で協力して後かたづけを済ませ、いよいよカヌーレース本番を迎えるのであった。
そして楽しいカヌーレースを終えて、この日はカヌークラブの納会である。
宿泊場所はキトウシ森林公園の「大正時代体験の家」という施設だ。
前回の釧路川例会では、温泉付き別荘が宿泊地だったけれど、「道東まで出かけて屋根の下で眠るのは面白くない」という、普通の人には全く理解されないような理由で、我が家だけ別のキャンプ場に宿泊していた。
今回も、キトウシ森林公園にはまだ泊まったことの無いキャンプ場もあるし、当然テントを張るつもりでいた。
ところが、クラブのS吉さんがこの公園内にある「大正時代体験の家」と言う施設を見つけて、そこを納会の宿泊場所として確保してくれたのである。
写真で見ると、これがなかなかノスタルジックな建物で面白そうだ。道北のピンネシリオートキャンプ場にも似たような「体験の家」があって、機会があればそこに泊まってみようとも考えていたので、今回はこの同じような施設で素直に屋根の下に寝てみることにした。
太陽が西に傾く頃、現地に到着。西日を受けた「大正時代体験の家」は期待していたとおりの良い雰囲気である。
玄関から入った居間の中央には昔懐かしい囲炉裏がある。
その奥には襖で仕切られた8畳間が4部屋、その2方が縁側がで囲まれていて、30人くらいは楽に泊まれそうな感じだ。
「大正時代体験の家」と言いながらも、暖房用にFFストーブが設置され、湯沸かし器にガス台のついたキッチンも完備されている。
囲炉裏の中央に吊された鉄瓶でお湯を沸かそうと思ったが、その囲炉裏は展示品みたいなもので、使用しないで下さいとの張り紙がしっかりと貼られていた。
大正時代の生活までは体験できそうにないが、手軽に泊まれる便利な施設だ。
これで一人1,050円で泊まれて、最低6人分の料金で1棟貸し切れるのだから、お得である。
ちなみに隣に建っているバンガローは、1泊15,000円もとられるのである。
かみさんが、「ちょっと来てみて、夕日が凄く綺麗!」と私を呼んだ。
ここの公園自体がやや小高い場所にあり、東川町の田園地帯がその下に広がっているので眺めも良い。
窓から見える夕日も、そんな田園風景を赤く染めて、なかなか素晴らしい光景だ。
ただ、キャンプをしながら見る夕日と、こんな風に建物の中から見る風景では、その感動の度合いが全然違う。
窓の木の枠のために、まるで監獄の中から夕日を眺めているような気持ちにさせられてしまう。
やっぱり、我が家に屋根の下は似合わないのである。
一息ついたところで、公園内にあるキトウシ高原ホテルのトロン温泉に皆で入りに行く。
このホテルは山の上の方に建っているので、きつい坂道を登っていかなければならない。
その坂道の横に広がる林の中が、キャンプ場のテントサイトになっていた。そこでキャンパーが一組テントを張っていたが、それを見て、「この寒いのに、よくテントなんか張っているな〜。」と本気で感じてしまう。
そんな自分の感じ方の変化に、ちょっと屋根の下に入っただけで気持ちまでこんなに軟弱になってしまうのだと、自分でも驚いてしまった。
空には三日月がくっきりと浮かび、ホテルの駐車場からの風景も素晴らしかった。
今年の我が家のキャンプはずーっと天気に恵まれず、たまにこんな日が有ったかと思えば、その日に限って屋根の下に泊まっているのだから何とも皮肉な話しである。
風呂から戻っていよいよ宴会の始まりである。
部屋を突き抜けて長テーブルを並べ、そこにずらりと皆が並んだ様は、建物の雰囲気と相まってまるで親戚の法事に集まって宴会をやっているような感じである。
今日のレースの結果をネタにして話しは盛り上がった。
ほぼ食事が終わったところでビンゴゲームを始める。
ビンゴの景品の買い出しはO会長と私がやっていた関係から、ゲームの進行までやらされてしまった。
クラブの会費で購入した景品は安物ばかりだったけれど、今回のレース主催者である旭川カヌークラブの方からスノーピークのミニテーブルとかコンパクトなギガパワーストーブなどが提供されて、それがビンゴゲームの目玉商品になりそうだ。
今年のカヌーレースの賞品は豪華な品物がたっぷりと用意され、順位に関係なくほとんどの人が賞品をゲットしていた。
その後のジャンケン大会でも沢山の景品が出され、持ちきれないくらいの賞品を抱えて帰って行った人もいるくらいだ。
それなのに我が家が手に入れたのは参加賞だけと言う惨めさ。
我がクラブの中でも、そんな憑きに見放された人間はF本さんと私たち夫婦くらいしかいなかった。
そんな状況の中、ギガパワーストーブは以前から欲しかった品物なので、否が応でもゲームに力が入ってしまう。
最初のビンゴ達成者は予想通り、迷わずにスノーピークのミニテーブルを選択。2番目の人は我がクラブで用意した一番高い景品のキャンプ用チェアを選んだ。
まあ、ここまでは妥当な選択だろう。ギガパワーストーブはまだ残っている。そして3番目のビンゴ達成者は・・・。
な、何と、我が家と同じく憑きに見放されているはずのF本さんだった。
やっぱり我が家だけが、徹底的に憑いていないみたいだ。私のビンゴカードもほとんど開かずに残ったままである。
すっかり意気消沈していると、嬉しそうな笑みを浮かべながらF本さんが選んできたのは、何の変哲もないパーコーレーターだった。
「えっ?こ、これで良いの?」、F本さんってなんて謙虚な人なんだろう。
再びやる気が湧いてくる。
今日のカヌーレースの時、沈したカヌーにコースを塞がれ最下位まで順位を下げ、すっかりやる気を失ってしまったが、その後、前を行くカヌーが次々とひっくり返って再び順位を戻して俄然やる気が戻ってきた。
まるで同じ展開である。
そして4番目の「ビンゴ!」の声。聞いたことのある声の方に目を向けると、そこには高々とビンゴカードを差し上げたかみさんが立っていた。
「分かっているだろう!」
一旦景品部屋に消えたかみさんが、嬉しそうに手にして戻ってきたのは当然ギガパワーストーブである。
「神様って本当に公平なんだ!」
この時ばかりは神に感謝してしまった。
一番欲しかったものをゲットできたので、後は自分のビンゴカードのことなど気にしないで、ひたすら盛り上げ役に徹する。
残った賞品をジャンケン大会で片付けて、最後は恒例のバザーである。
去年のバザーでは使わないものばっかり買い込んでしまい、かみさんからお叱りを受けてしまったが、今回は防水バッグなど、1泊カヌーツーリングに役立ちそうなものを手に入れられて大満足である。
我が家がバザーに出品したのは、シェラデザインズのシューズ。
北海道キャンピングガイドのフォト広場に入選した時の賞品だが、サイズが26.5cmなので私も息子も小さくて履くことができなかった代物である。
定価1万円のシューズが500円で落札された。
ちょっと安すぎるかなって気もするが、落札した人が喜んでくれたし、1000円で手に入れた大型の防水バッグと合わせて、差引プラスと言ったところだろう。
時間も遅くなってきたので畳の部屋1部屋を残して、後の部屋に布団を敷き詰める。
まさか布団の上で寝られるとまでは思っていなかった。
延々と続きそうな宴会から抜け出して、明日の川下りのために早めに布団に潜り込んだ。
翌朝目が覚めると、全身の筋肉が固まってしまったような感じだった。少しずつ揉みほぐしながら何とか布団から起きあがる。
あれだけ全力でパドリングしたのだから、もっと悲惨な筋肉痛に襲われるかと思ったが、それほどひどい状態でも無さそうだ。これなら、今日の川下りも何とかなりそうである。
ところが、かみさんはそうでも無さそうだった。
私が起きた時は、既に朝食の準備をしているところだったが、さすがにちょっと早すぎる。案の定、ほとんど眠れなくて、しょうがないから早起きしたというのだ。
一日くらいなら大丈夫だろうが、さすがに2晩眠れないと体に堪えてしまう。
喉も痛いと言うし、「今日は下れそう?」と聞いてみたら、「何とか下れると思うけど、岩は避けられないと思うわ」との返事。
一緒に漕いでいて、疲れて集中力が落ちている時のかみさんの状態はよく分かっているので、素直に今日の川下りは諦めることにした。
その朝、東川町の田園地帯には低い霧が立ちこめていたが、その霧が晴れると素晴らしい青空が広がっているのだろう。
ちょっと口惜しい気もするが、岩に乗り上げながらの川下りを考えると諦めもつく。
カヌー仲間と楽しく過ごした2日間、今日より明日の朝の筋肉痛のことを心配しながら札幌への帰途についた。 |