楽しかった然別湖のキャンプやシーソラプチ川下りから、いつの間にか2週間が過ぎ去っていた。
その余韻だけでしばらくは静かに過ごせるだろうと思っていたが、10日も経てば記憶も薄れてきてしまう。次のキャンプの予定は9月に入ってからだ。
お盆が終わるのを待ちかねていたように、家の周りではカンタンの鳴き声が響きだした。毎年のことだけど、このカンタンの声を聞くと虫の音に包まれて眠るようなキャンプに無性に行きたくなってしまう。
そんな状況の中、満員電車に揺られて職場に向かい、心が開放されることのない仕事にひたすら堪え続けるような毎日を過ごしていると、顔が能面のように変わってしまいそうだ。
後一週間そんな生活に我慢しなければならないと考えると、かろうじて心の張りを保っている細い糸がプツンと切れてしまいそうなので、心のリフレッシュのために急遽キャンプへ出かけることにした。
とりあえずは、虫の音に包まれて眠れるだけで良い。それなら我が家の庭にテントを張るのが一番手っ取り早いが、それではあまりにも味気なさ過ぎるし、ご近所からは夫婦げんかで家から追い出されて庭にテントを張って寝ている可哀相なお父さん、という目で見られてしまうのは確実だ。
そこで考えた候補地が青山農場キャンプ場である。何だか以前にもこんな理由で青山農場でキャンプしたことがあったような気がする。
ところが、かみさんは土曜日の夜まで用事があるので、出発を遅くしてもキャンプへは行くことができない。今更キャンプを中止する気にもなれないので、久しぶりのソロキャンプへ行かせてもらうことにした。
今年になってから既に一回ソロキャンプを経験しているが、その時はカヌークラブの例会キャンプへの参加だった。純粋なソロキャンプとなると苫前グリーンヒルに行った時以来の4年ぶりだ。
息子は学校へ行って、かみさんも朝から出かけてしまい、一人でキャンプの用意をする。オートキャンプなのだから何時もどおりの装備で出かけても良いのだけれど、せっかくだからソロキャンプ仕様にチャレンジしてみることにした。
別に普通のバッグでも良いのだが、わざわざ去年山スキー用に購入したザックを引っ張り出してそれに荷物を詰め込む。
シュラフにマット、雨具や身の回り品を入れただけでザックは満杯になってしまった。テントに食器類、イスやテーブルは全て車に積み込む。これでは普段のキャンプと殆ど違いはない。車の荷室の空きスペースが広いだけだ。
これではデイパッカーへの道は限りなく遠い気がする。やけくそになって、空いたスペースに薪をたっぷりと積み込んだ。
今回のキャンプは虫の音を聞きながら寝るだけで十分と考えながら、結局家でじっとしていることができずに、午後1時過ぎに札幌を出発した。
キャンプ場がもっとも混み合うお盆の時期でさえ数組程度のキャンパーしか来ていなかったという青山農場、今なら利用者もほとんどいないだろう。
しかし、そうは考えていても、何処かの団体さんに占領されていると言う可能性も無いわけではない。
新しく立てられた手書きの看板を目印に道路から曲がる。キャンプ場へ続く坂道を上り、林の間を抜けて、キャンプ場の姿が目にはいるまで、果たして先客はいるだろうかとドキドキしてしまう。
結局、そこには誰もいなくて、何時もどおりの静かな青山農場の景色が広がっていた。
車から降りると虫の鳴き声に包まれた。フウマも待ちかねたように車から飛び出して、誰もいない場内を走り回る。
珍しく芝生も刈られたばかりで、一体何処までがサイトで何処からが牧草畑なのか迷ってしまうようなこともなく、快適なキャンプを楽しめそうだ。
さて、何処にテントを張ろう。他にキャンパーがいないとなると、逆に悩んでしまう。決してテントを張る場所に迷ってしまうような広いキャンプ場では無いのだが、微妙な景色の違い、虫の声が良く聞こえる場所、芝生の僅かな起伏、昨日の雨でジュクジュクしているようなところもあり、結局は一番無難な中央付近にテントを張ることに決めた。
テントは今回で2回目の使用になるヨーレイカのニューテントだ。やや風があるので前回よりも設営に苦労する。前室が広く居住性は優れているが、雨の日などにパパッと設営できるテントでないことは確かだ。
気温も高く設営後のビールをグッと飲みたいところだったが、まだ時間も早いので車で写真を撮りに行くことにした。
今回のキャンプでは、オオハンゴンソウの写真を撮るのも密かに楽しみにしていた。
オオハンゴンソウは、今時期になれば何処の道路沿いでも花が見られる、いわゆる雑草の一種である。
この雑草が、テレビドラマ「北の国から」の中に登場したことがある。正吉が蛍にプレゼントした百万本のバラならぬ百万本のオオハンゴンソウ、加藤時子の歌が流れるそのシーン、「北の国から」の中でも私の印象に強く残っているワンシーンだ。
このドラマを見てからと言うもの、車で走っていて道路沿いに咲くオオハンゴンソウを見ると、ついつい百万本のバラのメロディーが頭の中に浮かんできてしまう。
キャンプ場まで来る途中に、そんなオオハンゴンソウの群落がある場所に目を付けていたので、そこに直行する。
同じようにセイタカアワダチソウの黄色い花もあちらこちらに群落を作っていたが、それには見向きもせずに対象はあくまでもオオハンゴンソウである。
日の光を浴びて黄色く輝くオオハンゴンソウの群落を見ると、この花で埋め尽くされた蛍のアパートの部屋の様子が頭によみがえってきた。
もしもドラマに使われたのがセイタカアワダチソウならば、この花の写真ばかり撮っていたかもしれない。
花の美しさは、特にそれが雑草ともなると、主観的なものに左右されてしまうという良い見本である。
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