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月を見るためオホーツクへ

三里浜キャンプ場(3月7日〜8日)

 3月最初の週末はニセコサヒナで雪中キャンプ、私の心の中でこの予定だけは絶対に外せないものだった。
 と言うのも、日曜日の7日はちょうど満月にあたり、月の明かりに浮かび上がる羊蹄山の姿と言った素晴らしい光景を楽しめるはずだ。そしてこの時期のサヒナから見る朝日は、ちょうど羊蹄山の中腹あたりから昇ってくるはずである。
 サヒナでの雪中キャンプは以前から楽しみにしてもいたし、それには今回が絶好のチャンスだった。
 しかし、この二つのイベントを楽しむためには空が晴れていると言うことが絶対条件でもある。
 週間予報を毎日眺めながら、その日が来るのを待ちわびていたのだが、週末が近づくにしたがって次第に雲行きが怪しくなりはじめた。
 期待が大きかった分、その落胆も大きい。最近は週末毎に天気が崩れるパターンが続いている。
 仕事をする気力も無くしてしまい、空の神様に向かって文句を言っていると、悪魔のささやきが聞こえてきた。

 「週末がダメならば、月曜日を休めば良いだけの話しだろ」
 むむっ、悪魔のささやきとは言え、これはとっても妥当な考えである。日曜日が満月なのだから、日曜日にキャンプへ行くと言うことは至極当然な話しだ。
 そう考えると急に気分が良くなって、仕事もはかどりはじめた。
 ところが最近の神様は何処までも意地が悪い。今度は日曜日の夜から日本海側で雪が降り始めるというのだ。
 ここまで来ると、もう我慢できない。こちらにだって意地があるのだ。
 別にサヒナになんか行かなくても良いんだもん。予定をオホーツクの流氷キャンプに変更するという奥の手を隠しておいたのである。
 満月に照らし出された流氷原の神秘的な美しさ、そして流氷を赤く染めながら昇ってくる朝日、これなら文句ないだろう。
 冬型の気圧配置になれば、オホーツク海側の方は天気に恵まれるはずだ。
 しかし、この逆襲計画にも大きな欠点が一つだけ残っていた。その時点でオホーツクには流氷が接岸していなかったのである。

 それでも、インターネットのサイトで流氷の動きを見ていると、6日の朝になって流氷が岸に近づく様子を見せ始めた。その後も北東よりの風が強く吹いているので、このまま行けば7日の朝には接岸しそうだ。
 出発当日の朝になってもまだ最終結論を出せずにいた。
 札幌の空は薄曇りで日も射している。日本海側の天気が本当に崩れるのかは信じられないし、オホーツク海側が晴れるという保証もない。
 その日の流氷のレーダー画面が更新されるのは午前9時、それを待ってtいてはオホーツクまで行くためには遅くなりすぎる。
 雲の動きの衛星画像、アメダス地点の風向の変化などをチェックしながら、1時間前になって、ようやく目的地をオホーツクの三里浜に決定することができた。
 いつものことながら、出発直前まで目的地が決まらないというのには我ながら呆れてしまう。
 もっとも、出発してからも目的地が決まっていないなんてことも有ったので、それと比べるとまだましな方かもしれないが。

 午前8時30分に札幌を出発した。高速道路を北上するにしたがって次第に雲も晴れてきて、本当に今日は天気が崩れるのだろうかと予報を疑ってしまう。
 道路状態も良く、快調なペースで走ることができて、3時間後には270km離れた遠軽の町に到着した。
 そこで昼食をとることにしたが、ちょうどラーメンの「さんぱち」を見つけたのでそこに入ることにする。平日の12時前だというのに店内は結構な混みようだ。
 まだ開店してそれほど経ってないような感じの店だが、遠軽にはそれまでまともな味のラーメンを食べさせる店が無かったのだろうか。
 知らない町で食事をする時、蕎麦屋ならば何処に入ってもそれほど当たり外れはないが、ラーメン屋となると、どうしてこんなまずいラーメンが作れるんだと驚いてしまう店がたまにある。
 そんな危険を冒すことなく、一定のレベルのラーメンを食べられるので、こんな店があると有り難い。
 そこから先サロマ湖までも、すっかり走り慣れた感のある道である。周辺の積雪は、例年よりもかなり多い感じだ。
 やがて真っ白な雪に覆われたサロマ湖が見えてきた。湖上に散らばるワカサギ釣りのテントも、これまた見慣れた風景である。
 そんなサロマ湖の様子を横目に見ながら、キャンプ予定地の三里浜に到着した。
 ここへ来るまで、オホーツク海の様子は道路からは一切見えない。ドキドキしながら車から飛び降りて、駐車場横の雪山に駆け上がった。

 あら?

 それまでの真っ白な世界から一変して、黒々とした砂浜が目の前に広がっていた。
 そしてその先にはオホーツク海の青い海面が・・・。
 私の流氷接岸予報は完全に外れてしまったようである。
 2年前の3月に初めてここを訪れた時も、全く同じような状況だった。その時はまだ、はぐれ流氷が幾つか海面を漂っていたはずだが、今回はそんな流氷も見あたらない。遥か沖合の流氷が白い線のように見えているだけである。
 それでも、浜辺に打ち上げられた流氷の巨大な固まりが延々と連なっている様は結構迫力があった。
 かみさんが、「まだ時間も早いからそこら辺をドライブしてこない?」と聞いてきた。
 遙々とオホーツクまでやって来て、海を埋め尽くした流氷の姿を見ずに帰るのも情け無い話しだ。
 能取岬の方で流氷が接岸しているのは知っていたので、そちら方面に行ってみることにする。
 ただ、そこから能取岬までは直線距離なら40kmほどなのに、道路を走るとすると、サロマ湖をぐるりと回り、能取湖もぐるりと回り、おまけに岬の西側の道路は冬期間通行止めなので網走まで迂回することになり、結局100kmも走ることになってしまう。
 ある程度はこんな事態も予想していたので、いざとなれば能取岬でのキャンプも考えてはいた。
 三里浜には未練があったが、諦めてそちらに向かうことにした。
 途中、常呂町付近から流氷が接岸していたので、テントを張れそうな海岸を探してみたが、そんな適当な場所は見つからない。やっぱり能取岬まで向かうしかなさそうだ。

能取岬で  能取岬の流氷 

 能取岬の周囲はぐるりと流氷に囲まれていた。
 初めての流氷キャンプでここを訪れた時は、その光景に感動したものだが、流氷キャンプ歴4年ともなるとその感動も薄くなってくる。
 ここは眺めこそ素晴らしいが、切り立った崖になっているので、流氷に近づくことはできない。
 私にとっての流氷は、眺めて楽しむものではなく、その上に乗って触れて歩いて楽しむものなのである。
 岬をぐるりと一周したが、流氷の上を吹いてくる風のあまりの冷たさに身体も縮み上がり、逃げるようにして車の中へ飛び込んだ。
 駐車場の近くにテントを張ろうかとも考えたが、観光客の出入りも多くて、とても落ち着けそうにはない。以前にテントを張った林の方へ戻ることにする。
 そこは風も遮られて、観光客の好奇の目も届かず、雪中キャンプには最適の場所である。
 ただ、今ひとつ気が乗らなかった。せっかくの流氷キャンプ、どうせなら海の近くにテントを張りたい。その時の時間は午後3時、三里浜まで一気に走れば暗くなる前にはテントを張り終えることができる。
 チラッとかみさんの方に目をやったが、彼女も同じ意見のようである。
 「よし、戻ろう!」
 これが札幌付近の道路ならば、とてもそんなことは考えないのだが、道東方面では100km程度の距離ならば苦にしないで走れるのである。
 三里浜まで戻ってくると、ちょうどこの日の走行距離が500kmに達した。

 蓮の葉氷 夕暮れのオホーツク 

 荷物を持って砂浜に降り立つと、いつの間にか海の上には一面に薄い蓮の葉氷が漂っていた。何時の間に流されてきたのだろう。
 最初に見た時は小さな波さえ立っていたオホーツク海が、今はしんと静まりかえり、蓮の葉氷が音もなく海面の上を流れていく。海水は信じられないほど澄んでいて、海底の砂の一粒一粒がはっきりと見える。西の空が薄いピンク色に染まりはじめた。
 急いでテントを建て終え、カメラを抱えて波打ち際に走っていった。黄昏色に染まるオホーツクの風景に夢中になってシャッターを切っていると、今度はサロマ湖の方に日が沈みはじめた。
 今度は慌ててサロマ湖側へと走る。雪に埋まりながら何とかサロマ湖の湖岸までたどり着いた。
 サロマ湖もこの付近では結氷していない。湖面を赤く染めながら夕日が沈んでいく。その写真を撮り終え、テントまで戻ってきてやっと一息つくことができた。
 その間にかみさんはキムチ鍋の準備を整え、今度は焚き火用の流木を拾い集めている。
 一息つくまもなく、私も流木拾いに加わった。あまり数は拾えなかったが、明日の朝にちょっとだけ暖をとる程度の量は集めることができた。
 かみさんが夕食の支度をしている間に、私はテントの中でマットやシュラフを広げたりと、到着が遅かった分何かと忙しくなってしまう。
月の出 すると突然テントの外からかみさんの声が。「凄い!早く出てきて!月が!凄い綺麗!」
 すっかり油断してしまっていた。テントから出てみると、真っ赤な月が静まりかえったオホーツクの海面にその姿を写していた。
 急いで三脚を引っ張り出し、カメラをセットする。
 頭の中に抱いていた、流氷原を青白く照らし出す月の光、というイメージではなかったが、薄い氷が浮かんだ海を照らす満月の姿は感動的に美しかった。
 この光景を見るためだけにオホーツクまでやって来たのは、やっぱり正解だった。
 でも寒い。
 わずかな風が海の上から吹いてくる程度なのだが、その風が信じられないくらいに冷たいのだ。
 カメラのボタン操作のために手袋を脱いだら、あっと言う間に指先の感覚が失われていく。尋常な寒さではない。
 月が上空の薄い雲に隠れたのをきっかけに、テントの中に逃げ込んだ。
 後で調べて解ったのだが、この時の気温はマイナス15℃で、翌朝までの間でも一番気温が下がった時間帯だったのである。
 それも、1時間前と比べて一気に気温が6℃も下がっていた。この急激な温度の変化は流氷の上から吹いてくる風の影響だったのだろうか。
 オホーツクの自然の厳しさをチラッとかいま見せられたような体験だった。

 テントの中で熱々のキムチ鍋の蓋を開けたら、もうもうとした湯気でテントの中は真っ白になった。結露のことを考えると憂鬱になってしまうが、この寒さではテントの外で食事する気にもなれない。
 激辛キムチ鍋とワインのおかげで、ようやく身体がほんのりと温まってきた様な気がする。
 テントの窓を少しだけ開けて外の様子を窺うと、冷たい空気がそこからテントの中に流れ込んできて慌てて窓を閉める。どうやら雲が広がり、月も隠れてしまったようだ。
 お湯を沸かして、歯を磨く。口をすすいだ水は足元の砂を掘ってその中に吐き出す。寒いので、トイレ以外は一歩もテントの外には出たくないのだ。
 明日の朝日を楽しみに早めに寝ることにした。
 夜中にテントを揺らす風の音で目が覚めた。
 風向きまでは解らないが、もしかしたらこの風のおかげで、朝になると流氷が海を埋め尽くしているかもしれない。
 そんな期待を抱いて再び眠りについた。

 オホーツクの朝日  オホーツクの朝日

 目が覚めると5時半だった。
 気合いを入れてシュラフから抜けだし、ガスストーブに火を付ける。ノブが凍り付いているので、それを回すのにも一苦労だ。
 少し暖まったところで、服を着込んでテントの外に出る。
 期待していた流氷は、何処にも見あたらなかった。それどころか、昨日の夕方に漂っていた薄い氷も全て消えてしまっていた。
 オホーツクの流氷は本当に気ままである。
 やがて太陽が昇ってきた。
 朝の焚き火海岸に打ち上げられた流氷が、その光でキラキラと輝いている。
 昨日集めた流木に火を付けて、オホーツクの朝日を眺めながら朝のコーヒーを味わう。
 こんなに充実したキャンプは、他では絶対に味わえないだろう。
 一度これを体験してしまうと、3年連続で冬のオホーツクまでキャンプをしにやって来る羽目になるのだ。
 急にあたりが明るくなった。
 水平線近くの薄い靄の中から太陽が抜け出したのだ。
 その時の気温もマイナス10℃くらいだったのだろうが、少しも寒さなんか感じない。太陽の光のありがたさを身にしみて感じることができた。

 朝食を終えて、海岸沿いに少し歩いてみることにする。
 打ち上げられた流氷の固まりは、一つ一つ皆違う表情をしている。それを見ながら歩いていると少しも飽きることがない。
 気が付くとサロマ湖が海と繋がっている部分まで歩いてきていた。
 時計を見ると、もうすぐ仕事が始まる時間だった。休みの連絡を入れなくては。
 「只今サロマ湖の先端に到着いたしました。空は快晴、沖合には真っ白な流氷が浮かんでおります。これから札幌まで下山いたします。聞こえますか、どーぞ」
 なんて電話するとひんしゅくをかいそうだったので、「ちょっと急な用事ができたので、今日は休ませて下さい。」と言うに止めておいた。
 そこまで歩いてくる時は、砂浜の表面が凍っていたのでとても歩きやすかったのだが、太陽の光でそれが融け始め、帰る時は歩くたびに足が砂に埋まって、とても歩きづらい。
 途中からは拾った流木を杖代わりに歩くような有様だ。
 それでも、「何だかテレビドラマの、砂の器のラストシーンみたいだね。」なんて、楽しみながらテントまで戻ってきた。

 打ち上げられた流氷 砂の器のつもり? 

 片づけを終えてサロマ湖を後にした。
 帰り道は、丸瀬布付近から雪が降り始め、白滝付近では前が見えないような猛吹雪になってきた。
 2年前の流氷キャンプでも、帰り道はこんな天気だったはずだ。車の運転にも緊張するような状況なのに、何となく笑いが込み上げてきた。
 ラジオから流れる交通情報では、激しい雪のため、高速道路も通行止めになっていた箇所が出ていたみたいだ。
 私たちが通る頃にはその通行止めも解除されて、無事に札幌まで戻ってくることができた。
 当然ニセコ方面も雪模様、選択を間違えなくて本当に良かったとしみじみと感じたものである。

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