かなり昔の話になるが、多分キャンプ場ガイドブックだったような気がする。その表紙を飾っていた旭岳青少年野営場の写真、トドマツの林に囲まれた小さな一張りのテント、まるで一枚の絵のような風景だった。
それを見て以来、一度はここに泊まりたいという思いをずーっと持ち続けていたのだが、なかなか利用する機会が無いまま年を重ねてしまった。
毎年、シーズンに入る前に、絶対に行きたいキャンプ場として数カ所程度をリストアップするのだけれど、今年はその数少ない候補地の中にこのキャンプ場も含まれていたのである。
ついに長年の夢を実現させることができる。今回のキャンプではこの夢の実現の他に、美瑛の丘をゆっくりと見て回るという計画も含まれていた。
道内の観光地はほとんど行き尽くしたつもりでいるのだが、美瑛の丘だけは何時でも行けるような気がして、ついつい後回しになっていたのだ。
これまでは十勝岳に向かう途中に、そのルート上の拓真館などを見た程度である。
美瑛に行くとなると、天気も心配だった。
曇り空の下の美瑛の丘では、その魅力も半減だ。
しかし、週末の天気予報は・・・。
時々小雨がぱらつくような、雲に覆われた札幌を出発した。それでも、天気は次第に回復傾向との予報に変わっていたので、希望を持って車を走らせる。
西側の空には青い部分が見えているものの、何処まで走っても目の前の雲は晴れずに小雨が降り続いていた。雨雲と一緒に移動しているような感じだ。
美瑛の町に到着する頃には、ようやく青空が私たちに追いついてきてくれた。
まずは最初に腹ごしらえ。何処で昼食にするか色々と調べてみたが、Niftyのキャンプフォーラムで勧められた「おきらく亭」に入ることにする。そこで注文したメニューも、お勧めの「ポトフ」である。
テーブルに出てきたそのポトフを見てびっくり、量が凄い。キャベツなんか1/4個が丸ごと入っている。
口の中でとろけるような良く味の染みこんだ野菜達、さすが人気の店なだけはある。でもさすがに、1/4個のキャベツは食べきれずに、店の人には悪かったが少し残してしまった。
満足して店を出て、次はこれもキャンプフォーラムの中で勧められた、こぼら会と言うところで発行している「びえいMAP」を近くの写真店で購入(50円)。
美瑛の丘の道の複雑さはよく解っている。以前に冬の美瑛で道に迷い、同じ場所をグルグルと回ったようなこともあった。
インターネットから印刷した地図や、前回美瑛を訪れた時に手に入れた地図を持ってきてはいたが、それだけではちょっと心もとない。
ここで手に入れた「びえいMAP」はお勧めの撮影ポイントなどが細かく地図上に書かれているので、行きたい場所をリストアップして、後はその地図を頼りにルートを辿るだけだ。
今日は美瑛の北側一帯を廻ることにした。MAPを頼りに丘の間を縫うように車を走らせる。
丘の頂上で青い空に吸い込まれるように消えて無くなる1本の道路、丘を上ってその場所までたどり着くと急に別の世界が広がる。
地図を見ながら、「あれがパフィーのポプラかなー」、「恋人の木ってそこに見えてたやつなの?」、「どうしてこれが兄弟の木なんだろう?」。
そのうちに、「あれなんか、じっちゃんの木って感じかな」、「じゃああれが、ばあちゃんの木」、勝手に自分たちで名前を付けながら丘を巡った。
既に収穫の終わった畑が多いので、自慢のパッチワークの風景もちょっと色あせては見えるが、それでも楽しいドライブだ。
ただ気になるのが、頭上の青い空と白い雲の美しいコントラストとは対照的に、東側の空一面に広がった薄暗い雲の固まりだった。本当ならば、その辺には十勝岳などの美しい姿も見られるはずなのに、麓の方まで完全に雲に覆われてしまって何も見えない。
ドライブの最後に、有名な「セブンスターの木」と「ケンとメリーのポプラ」も見に行ったが、何じゃこりゃあと言った感じである。遠くから眺めて初めて絵になるような独立木なのに、その木の横に駐車場が作られ、売店まで有ったりするので完全に興ざめだった。
まあこの辺は、お決まりの観光地の風景ということで気にしない方が良いのかもしれない。
美瑛の丘ドライブを終えて、いよいよその暗い雲に向かって車を走らせることにした。
車の向きを東に変えただけで、もう視界には青い空は映らなくなってしまった。気分も急に重たくなってくる。
途中の道路沿いでは、忠別ダムの大規模な工事が進められていた。洪水防止とか、旭川市などへの水道水の供給を目的として作られているようだが、本当に必要とされているダムなのだろうかと疑問が湧いてきてしまう。
建設反対運動が起こって全国的に注目されるようなダムがある反面、誰からも反対されずに着々と工事が進められているダムもある。
ここに建設事業の概要が載っていたが、国土交通省が他の場所でやっていることを見ていると、そこに書かれているダムの必要性について、すんなりと信じる気にはなれない。
空模様と相まって、ますます気持ちが落ち込んできてしまった。あまり状況が悪ければ他のキャンプ場へ変更しなきゃ駄目かな、なんて弱気な考えも浮かんでくる。
標高800m地点でとうとう霧の中に突入してしまった。キャンプ場は標高1000mの場所にあるというのに、今からこれでは一体この先どうなるんだろう。
しかしまだ道路が濡れるほどの霧ではない。それでも標高が上がるにしたがって、その霧も次第に濃さを増してきた。ほとんど視界ゼロの状態である。
ゆっくりと車を走らせていると、急に道路の横に温泉の建物が現れた。どうやらそろそろ目的地に着いたみたいだ。
霧の中でかろうじてキャンプ場入り口の看板を見つけ、砂利道に車を乗り入れた。すぐに管理棟らしき建物を見つけた。
そこから先がキャンプ場のようだが、サイトは一体どこにあるんだ?霧に包まれて何も見えない。
ここのキャンプ場は中央の芝生広場を囲むように五つのサイトが作られている。とりあえず雨具を着て、そこを端から順番に廻ってみることにした。
キャンプ場のクローズも間近でおまけにこんな天気、ほとんど利用者なんていないだろうと思っていたら、大間違いだった。各サイトにはそれぞれ2、3張りのテントが既に張られていたのである。
それぞれが各サイトのベストポジションを抑えている感じで、後から来てその近くにテントを張るのはどうしても気が引けてしまう。かろうじて、駐車場に一番近いAサイトだけが、常設テントが張られているだけで他に利用者はいない。
このキャンプ場の中の一番最高の場所にテントを張ってやろう、ここへ来る前はそんな風にかなり入れ込んでいたものだから、かなり不本意な気分だ。まあしょうがないか。気持ちを切り替えて、そこのスペースの一番隅にテントを設営することにした。
テントを張り終え、改めてあたりを見渡してみると、それほどがっかりするような場所では無いのかも知れない。
サイトの隣に聳える見上げるようなトドマツ、苔むした岩、このキャンプ場では何処にテントを張っても同じような満足感に浸れそうだ。
最初は恨めしく感じられた濃い霧も、幻想的な風景を演出してくれている。その濃さの割には体がずぶ濡れになることもない。ただ、外に長い間いると体がしっとりと濡れてきてしまう。
他にすることもないので温泉に行くことにした。
近くの湯駒荘だが、キャンプ場ガイドブックでは日帰り入浴は午後3時までとなっている。とりあえず様子を見に行ったところ、受付が4時半まで、入浴が5時までだった。
1200円という入浴料はちょっと高すぎる気もしたが、評判も良いみたいなのでそこに入ることにする。
お湯はかなりぬるめだ。露天風呂はやや狭いが、頭の上まで木の枝が張り出してきて、とても野趣に富んでいる。
お湯の中に体を沈めながら山の空気を思いっきり吸い込んだ。
温泉から戻り夕食の準備を始める。
いつの間にか我が家のサイトには、ペットを連れた中年夫婦とライダーが一人、テントを張っていた。それでも、お互いの距離は十分に保たれ、静かな夜を過ごせそうだった。
霧もその頃には薄くなってきて、テーブルをテントの外に出して静かな夕食の一時を楽しんだ。
かなり寒くなってきたような気がして温度計を見たら、目盛りは10度。それほど寒さを感じるような気温ではない。
温泉で暖まった身体が次第に冷えてきて、逆に熱が奪われていくような気がした。やっぱり秋のキャンプで温泉を利用する時は寝る前に入るのが良いみたいだ。
焚き火を始めようかとも思ったが、再び霧が濃くなってきてしまった。今日は早く寝て、明日の天気に期待した方が良さそうだ。
時間はまだ8時、さすがに早すぎる気もするが、たっぷりと眠って日頃の疲れを取り、翌朝気持ちよく目覚めて朝の静かな一時を楽しむ、と言うのが我が家の最近のキャンプスタイルである。
炊事場へ歯を磨きに行く途中、キャンプ道具を抱えたおばさん達とすれ違った。
「エッ?まさかこれからテントを張るの?」
服装を見ると山登りの人達みたいだ。下山するのが遅くなったと言うわけでも無いだろうし、明日の登山のためにどこかからやって来たのだろうか。
サイトへ戻ってみると、我が家の直ぐ隣にテントを張り始めていた。せっかく静かに眠れると思ったのに、こんな事態になるとは。トホホな気分である。
それでも私の場合、少しくらいうるさくてもキャンプの時は直ぐに眠ることができる。
気の毒なのはかみさんである。せっかく早く眠ろうとしたのに、結局彼女らが眠りにつく11時過ぎまでは、その話し声が気になってずーっと眠れなかったみたいだ。
8時に寝るのが常識外れなのか、8時にキャンプ場へ来るのが常識外れなのか、キャンプ場は一般常識が通じない世界なのである。
4時頃目が覚めた。テント内は明るくなっているが、街灯の明かりか朝の明るさなのか良く解らない。
マットに空気を入れ過ぎていたみたいで、寝返りをうつたびにマットから転がり落ちて、あまり熟睡できなかった気がする。
4時半頃になって、ようやく朝の明るさが感じられるようになってきた。シュラフの温もりがとても気持ちが良いと言って、かみさんはなかなかシュラフから出ようとしない。
テントの窓を開けて外の様子を窺うと、期待していた通り霧も晴れて上空には青い空ものぞいていた。
それを聞いて、かみさんもようやくシュラフから抜け出す決心が付いたようだ。
隣のおばさん登山者風グループも、既に起き出していた。みんな腫れぼったい顔をしている。キャンプはやっぱり早寝早起きにかぎるのだ。
朝のコーヒータイムを楽しんでから近くの山道を散歩する。フウマが気持ちよさそうに急な坂道を駆け上っていった。でも、頂上に着いてからゼイゼイと息を切らしているのは老犬になってきた証拠なのだろう。
道沿いの岩はコケに覆われ、トリカブトやリンドウが青い花を付けている。宝石のような真っ赤な実を付けた木を見つけた。ブルーベリーのような美味しそうな実を付けた草もある。紅葉にはまだ早いが、そこかしこに秋の気配が感じられた。
テントに戻ってきて朝食を済ませ、少しずつ片付けをしていると、ようやく朝日がサイトまで差し込んできた。
テントの外側はそれほど濡れていなかったが、内側の方が結露がひどい。完全に乾くのを待っていると出発が遅くなるので、タオルで拭き取る程度でテントをたたむことにした。
おばさん達は既に撤収を終えてキャンプ場を後にしていた。多分これから旭岳に登るのだろう。
私たちはもっとゆっくりとしたかったけれど、今日は美瑛丘巡りの後半戦も残っているし、それにやっぱり留守番をさせている息子のことを考えるとあまり遅くまで遊び歩いている訳にもいかない。
もっとも息子の方は、親が何時に帰ってこようとそれほど気にはしていないみたいなのだが。
道路まで出ると、朝日に照らされた旭岳の美しい姿が目に飛び込んできた。
登山者の車も列をなすように山道を登ってくる。朝の8時過ぎなのに駐車場は既に満車になっているみたいだ。
ここまできてロープーウェーに乗らないのはもったいない話しだが、フウマが一緒ではしょうがない。それにこのロープウェーには20年近く前に一度乗ったことがあるし。
その代わりに、まだ一度も行ったことのない天人峡まで行ってみることにした。
柱状節理の岩肌は圧巻だった。層雲峡よりも迫力があるかもしれない。ここまできたら羽衣の滝を見ないわけにはいかない。
温泉街に車を停めて、忠別川の清冽な流れを見下ろしながら気持ちの良い遊歩道を奥に進んだ。初めて見る羽衣の滝はとても美しかった。これもやっぱり層雲峡の銀河の滝などよりもずっと見応えがある。
次の家族温泉旅行はここにしようと決めて、天人峡を後にした。
後は一介の観光客となって、気持ちの良い青空の下、再び美瑛の丘巡りをたっぷりと楽しみ家路についた。
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