一番積雪が多い時期に朱鞠内湖へ行こう。
密かに抱いていたそんな考えが微妙に判断を狂わせている、そんな気がした。
先月は、今を逃すと流氷が去ってしまうかも知れないと急遽朱鞠内湖から予定を変更してオホーツクへ出かけたのだが、流氷は今もオホーツク海を埋め尽くし、海岸には流氷が北風に吹き寄せられて作られた流氷山脈なるものも出現しているとか。
その時は朱鞠内湖でも30cm以上の新雪が積もったばかりで、望み通りのキャンプができたかも知れない。
ちょっと判断を間違えたなーと思いながらも先週末に朱鞠内湖キャンプを予定していた。
ところがその時以降、朱鞠内ではほとんど雪が降っていなくて、キャンプを予定していた週末も春を思わせる様な陽気だった。
普通ならば絶好のキャンプ日和という状況なのだが、これでは最初に考えていた様なキャンプができない、週間予報ではまた雪が積もりそうだし1週間遅らせることにしよう、変なこだわりのおかげで快適なキャンプの機会を逃してしまった。
その後、期待していたほどでは無かったものの朱鞠内では新たな雪も積もり、さあ念願の朱鞠内キャンプだ・・・、その思いをあざ笑うかの様に猛烈に発達した低気圧が北海道に近づきつつあった。
土曜日は全道的に大荒れの天気、そんな天気予報を見てさすがに一時は断念することに決めたが、金曜日夕方の天気予報では荒れるのは道東とオホーツク海側だけと言うことに変わっていた。
自分でも、予想天気図を見ながら、この気圧配置のパターンではこれまでも日本海側では意外なほど穏やかな日になることが多かったはずだ、そんな独自の予報をしながら、急遽朱鞠内湖キャンプの決行を決めたのだ。
出発日の朝、札幌は予想通りの穏やかな天気だった。
ところが、札幌を出て直ぐに急に風が強くなってきた。高速道路を走っていても、時々大きくハンドルが取られてヒヤッとするくらいの強風である。
広い北海道、たまには風の強い場所もあるだろう、その程度に気楽に考えていたが、何処まで走ってもその状況は変わらない。
空は薄曇りで、時々日も差してくるが、道路上は猛烈な地吹雪だ。道路脇の雪の壁から雪が吹き降りてきて、視界が全くきかなくなることもたびたびである。
幌加内町を過ぎて、政和温泉ルオントで昼食をとることにしたが、その頃には雲も厚くなり雪も降り始めてきた。
レストランの窓からそんな様子を眺めながら、車で走っているときはあえて考えない様にしていたが、こんな状況で本当にキャンプができるのだろうかと言う問題について真面目に考えなければならなかった。
そんな時、妻の「来週また来ようか・・・」の一言で、決心が付いた。
キャンプに出かけて、キャンプしないで帰って来るというのはこれが初めてだ。これまでにも同じような状況は何回かあったが、それでも最後は何とかテントの中で寝ることはできていた。
しかし今は冬、「別にまた来週くれば良いだけの話じゃん」、実はここまで来るのにかかった高速代金とガソリン代が勿体ないなんてケチなことが気になっていたのだが、実際にお金を払うことになる妻がそのことは気にしていないみたいなのでホッとしたのである。
とりあえず朱鞠内湖までは行ってみることにした。
朱鞠内の集落はまさに雪に埋もれていた。除雪でできた雪山は電柱の高さまである。家の回りの除雪は、雪の中から家を掘り出す様な感じだ。
一つの大きな雪山を良く見てみると、その中には廃屋が埋まっていた。
普通の人は、こんなところで暮らしていくのは大変だろうと考えるのだろうが、実際にここで生活している人達には申し訳ないが私にはとても楽しそうな暮らしに思ってしまう。
こんな吹雪の日でも、朱鞠内湖では多くの釣り人がワカサギ釣りを楽しんでいた。
車からちょっと降りてみたが、あまりの寒さに直ぐに車に逃げ込んでしまった。その軟弱さは、とてもここでキャンプをしようと思ってやって来た人間には見えないだろう。
帰り道は、ちょっと遠回りになるが霧立峠を通って苫前町に抜け、オロロンライン経由で札幌まで帰ることにした。
考えてみれば、冬のオロロンラインを走るのは初めてだ。
添牛内から苫前町までの55kmの曲がりくねった山道を抜けて、冬の荒々しい日本海が見えた時は何だかとても嬉しくなってしまった。
苫前町の風車群も強い北風を受けて勢いよく回り続けている。
日本海の波は寒々としているが、その水はとても澄んでいて波しぶきの青い色に思わず見とれてしまう。
そんな波の中でサーフィンをしている若者を見かけた。
こんな冬にキャンプをする人間よりもサーフィンをしている人間の方が、私から見れば世間離れしている様に思えるが、ま、多分、大まかな分類では同じ部類に入る人間なのだろう。
悲惨なドライブのはずが思いの外楽しいドライブになって、450km近く冬道を走って札幌まで戻ってきた。
果たして来週はどんな天気になるのだろう。
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